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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

長女との断捨離で目からウロコ

 長女は以前にも自分の洋服類は整理をしていたので、今回の断捨離のメインは「紙類」でした。一番大変だったのは、年賀状の処分で、私がボランティアに出かけた土曜日は、ずっとため込んでいた年賀状を、ハサミでチョキチョキするだけで終わったようです。
「これだけやと、手が腱鞘炎になりそうやから、他も気分転換に片付けたけどね」と、夜、子ども食堂から帰ってきた私に言いました。そして45リットルのごみ袋は、まるでシュレッダーのごみを出したようでした。そりゃ、大変だわ。

 私もGW中にかなりの書類を処分したんですが、この時は次女との共同作業だったので、テレビを見ながら疲れたら交代するという感じで、それほど苦になりませんでした。その時も、シュレッダーが欲しいと思いましたが、書類もため込まなければ、普通の家には要りませんよね。

 日曜朝に、私も娘を手伝ったのですが、その時にびっくりしたことがありました。長女は就職と同時に独立したので、24才までこの家で過ごしました。中学生になったときに個室を与えたので、小学校時代のものも残っています。
「これもいらんよね?このまま捨てていいかな」と私に見せたのは、小学校の卒業証書が入った筒。
「えっ!卒業証書、捨てるの?」
「うん、中高もいらんよね。大学もいらんかなあ。」

 彼女の最終学歴は修士課程なので、確かに学士課程の証書はいらないのでしょう。でもこれは「目からウロコ」でした。

 私は結婚するときに、すべての学校の卒業証書(もしかしたら幼稚園の修了書も?)と卒業アルバムも、大事に持ってきました。でも証書なんて一度も出したことがないし、アルバムでさえ見た記憶がありません。つまり40年間不要だったわけで、残りの人生に必要になるはずがありませんよね!

 私も今度のごみの日に、卒業証書は名前のところだけ切り取って、ごみ袋に入れようと思います。一応大学と、オーストラリアの修士課程だけは残しておくつもりですが、これも必要かと言われると、必要じゃないと答えられそうです。

 私は高校教員だったので、高校3年生を担任した年は、卒業アルバムを持っています。それだけでも10冊ちかくあるので、どう処分すればいいのか悩みどころです。まあ教員としての卒アルは置いておくことにして、自身のものは、本当にシュレッダーがあれば、さっさとシュレッダーにかけたいです。

 紙の断捨離中、懐かしいものも見つけました。これは、娘二人を連れてオーストラリアの大学院に留学中、1年目に娘二人だけで一時帰国させたときのものです。当時長女が小学校4年生、次女が3年生でした。

 二人だけで飛行機に乗せるのは初めてだったので、こんなものを作らせたんです。でも、子どもだけの搭乗時のサービスを利用したので、イミグレは航空会社の職員が付き添ってくれたようです。

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長女は、「これも捨てるよ」と言ったのですが、
あまりにも可愛くて写真に撮りました

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 これは2001年1月のことなので、はるか昔のことです。でもこれを長女に書かせたことも思い出しました。二人だけで、よく乗り換えもあるフライトに乗って帰ったものだと、今更感心しました。


長女に諭される

 この週末、金曜夜から日曜午後まで、長女が帰ってきていました。次女と私がGWをはさんでかなりの断捨離をしたのを知って、「私も自分の残してあるものを片付ける!」と5月末の週末に帰ってくる予定でした。でも、たまたま体調不良になり、この週末に延期されていたのです。

 昨日私は、午前中は高齢者にスマホを教えるボランティア、午後3時からは子ども食堂と、一日中ボランティアの日でしたが、お昼だけ一緒に食べに行きました。

 家の近くに、ご夫婦でやっておられるお店があり、そこは小皿の前菜がついたランチがあるのです。
まず新玉ねぎのポタージュスープ
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ズラリと並んだ小皿たち
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メインの唐揚げ
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メインの白身魚と野菜の天ぷら、甘酢あん
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 このボリュームで、税込み1400円とお買い得なんです。前に次女と行ったときは、平日で満席でしたが、昨日は土曜日で、予約しておいたものの、席は空いていました。

 さて話は断捨離のこと。
「私はあの家に25年以上住んでたのに、開けたことのない扉があるわ。」
「どういうこと?」
「リビングの作り付けの棚の上のところとか、おばあちゃんの部屋や、その横の和室の押し入れとか、縁側廊下の奥のところとか。」

 確かに私もリビングの上の棚は、もう20年近く触っていないような気がします。私は身長が153㎝しかないので、キッチンの上の段も、椅子がないと使えないんですよね。そこを見てみると、私が独身時代に持っていたスライド映写機と、当時のスライド写真、いつ買ったかわからない紹興酒、まだ箱に入っているキティちゃんクリスマスリース、お正月用リースが出てきました。

「それ、全部いらんでしょ。うちは、収納場所が多すぎて、いらんモノでもずっと取ってるやん。それやのに、こんな三段ボックスとか、小さい食器棚とかも後で買ってるやん。」
「収納庫を買う前に、いらんものを捨てるのが先決!」

 そのとおりでございます。でもそれを20年前の私に言ってください・・・。

 今娘夫婦が住んでいるのは、2LDKのマンションで、収納は洋室2部屋のクローゼットと、キッチン横に半間の物入。そして洗面所に棚と収納スペースだけで、十分生活できていると言います。しかも最近リビングに置いていたソファ(彼女が独身時代から使っていたもの)も処分し、リビングにはビーズクッションを置いているだけになったそう。でもその方が掃除がしやすく、楽になったと言うのです。
「モノが多すぎる方がストレスになるんだよ。」

 私はそれほど物欲はないと思っていました。若い頃もおしゃれにお金を使うのでなく、休みごとに旅行に行くことが先決でした。結婚して、子どもができても、それほど買い物が好きではなかったはずなのに、なぜ家にはこんなにモノが詰まっているんでしょうね。

 でも娘の世代と私の世代でさえも、かなり意識の違いがあるのだろうと感じました。私たちが家を建てたころは、「収納の多さ」は大きなテーマで、一戸建てであれば、床下収納庫、階段下収納、2階屋根の下野収納と、我が家も部屋以外にかなりの収納場所があります。実際そこには、まだかなりのモノが詰まっています。

 でも最近の若い世代にとって、シンプルライフとかミニマリストとか、モノを持たないことがかなりトレンドになっているように思います。私も完全なミニマリストになることは不可能でも、必要なモノだけに囲まれた暮らしができるようになりたいです。

 と言っても、すでに猛暑の今は、もう整理をする気持ちになれません。旅行を終えて、また涼しくなったころ、娘に言われたことを思い出して、断捨離を再開します。


やっぱり自分で片付けなきゃだめだわ

 4月から5月にかけて、かなり断捨離をした我が家です。捨てたものに、今のところ後悔はありません。断捨離の本には、「3年使わなかったものは、2度と使わない」とありましたが、実際3年間も見なかったものは、あったことさえ忘れているモノもあります。ということで、今のところ「捨てなければよかった」と思うことはありません。

 でも時々困っているのが、「アレはどこに入れたんだろう・・・」です。寝室のクローゼットの服もかなり整理して、次女が使いやすいように整理してくれたのですが、これがちょっと失敗でした。

 いつも旅行に持って行くものは、クローゼットの片隅に置いてある段ボール箱か、大中小と持っているスーツケースの中に入れています。そろそろ旅行に持って行くものを出してみようと思ったのですが、あるべきところに「欲しいモノ」が見つからないのです。一つ目はクロックスのパンプスで、これは旅行の時にしか使わないから、その箱に入れていたはずなのに、見つからない・・・。靴だから、玄関のシューズロッカーに入れ替えたのかと思うとそこにもない。でも絶対捨てるはずがないんですよねぇ。

 結局それは、今度持って行こうと考えているスーツケースの中にありました。でもこれは娘ではなく私の仕業。そしてもう一つは、旅行用の電動歯ブラシですが、これは、次女がまとめてくれた旅行小物用の引き出しにありました。

 私はとても整理整頓ができているとは言いませんが、モノの置き場所にはこだわる方なので、かなりモノの置き場所を覚えています。タイにいたとき、長女からラインで「私の予防接種記録とか残ってる?」と聞かれて、それが入っているファイルの場所を即答しました。そう、大事なモノの場所を覚えていることは、私の自慢だったんです。

 今回の断捨離で、かなりモノを移動して、その自信もガタガタ崩れました。まあこれは、移動しただけでなく、私の記憶力が落ちたことも原因です。これからはもっと「あれはどこだっけ?」ということが増えるでしょうから、モノを減らし、置き場所を決め、探し回らなくてもいいようにしたいと思います。果たして、できるんでしょうか・・・。

最近お昼ご飯を手抜きして、冷凍パスタにハマっています
何種類か食べましたが、コスパと味でこれがお気に入り
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これは近くのスーパーで250円弱でした
 
ちょっと具は少ないけど、おいしいです
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書くのを躊躇したけど・・・痔のこと

 私は還暦もすぎたオバハンだし、今更恥ずかしいなんてあるかと言われそうですが、ちょっと書くのを躊躇しました。でもブログを読んでくださる皆様も、ある程度の年齢になっておられる方が多いでしょうから、もし同様のことで悩んでおられたらと、書く気になりました。それにこれは私の日記のようなものですから、やっぱり記録しておかねばと思います。

 2週間ほど前から、排便の後、ペーパーに真っ赤な血がつくようになりました。実はこれまで病院にかかったことはないのですが、切れ痔やいぼ痔の自覚はありました。でも数日たてばましになるので、またかと思うだけだったのです。ただ人間ドッグの検便の際に、出血が見られ再検査が必要と言われたことが2,3回あり、そのうち一回は大腸検査をしましたが、何も問題はありませんでした。

 でも私はいぼ痔になりやすい体質のすべてに当てはまっているんです。NHKのサイトで見たのですが、以下が「いぼ痔になりやすいタイプ」だそうです。
・便秘しやすい
・排便時に強くいきむ
・トイレに長時間座っている
・重いものを持つことが多い
・辛いものをよく食べる
・妊娠・出産

 さすがに最近は重いものを持つことはないですが、これまでの私にはほぼ当てはまります。それでも病院に行くほどではないと勝手に判断し(まあそれだけでなく、少し恥ずかしいと思ったためでもありますが)、今まで一度も病院に行きませんでした。

 でも来月から今年の一大イベントが始まるので、その時にひどくなったら困るし、それより「まさか他の病気じゃないよね!?鮮血だから大腸がんとかじゃないよね!?」と急に不安になったのです。

 しかもその時、なぜか背中の左側も痛くて、ネットでいろいろ検索していると、腰痛も腫瘍の原因になりえるとか書いてあるのを見つけてしまい、ますます怖くなりました。がんサバイバーとしては、そんな記述にはかなり敏感です。

 ということで、Googleで肛門科を探しました。胃腸科でもよさそうでしたが、今回はやはり専門に行こうと思いました。幸い地元に1軒見つかったので、月曜日の朝8時半に行ってみると(開院は9時)、すでにかなりの人が待っていて、「1時間ちょっとお待ちいただくことになります」と言われました。でもちょうど市役所にも用事があったので、その1時間を利用することができました。

 病院に戻ると、10分ほど待つだけで診察してもらえました。症状を話し、診てもらうと、「中が切れてるね」と言われて、薬を処方してくれました。もう10年以上前に大腸検査を受けただけだと言うと、「年齢的にも受けたほうがいいね」とのことで、来月、世界一周旅行に出る前に検査を受けることにしました。

 まあ何もないはずだと思うんですが、ちょっと不安です。本当に旅行に行く前に受けるべきなのかと思ったのですが、安心して旅立つためには必要かなと思うことにしました。ただ、10数年前の大腸検査は、もう絶叫したくなるほど痛かった記憶しかないので、それを言うと、「大丈夫、麻酔を使うから」とのこと。

 2年前に初めて麻酔を使った胃カメラをやってみて、あまりにも楽だったことを思い出しました。今回も寝ている間に終わるんだなと、気持ちも楽になりました。

 さて、痔の出血ですが、もらったお薬を一度入れただけで止まりました。なんと28日分も処方されたのですが、2日間使って痛みもなくなりました。あまりにも効いたのが怖くて、もうこれ以上使うのはやめようかなと思っています。でもあと2,3日は使うべきなんでしょうかねぇ。

まだ箱ごと残っている薬
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案ずるより生むが易しだった「ESTA」〜世界一周準備編①

 本題に入る前に、今日から日本はもう真夏です。大阪の最高気温は33度で、昼間、2階の室温は32度、湿度も75%を超えていたので、エアコンをつけました。 午前中少し出かけたら、もう汗だくになりました。まだ6月半ばだというのに、一気に夏が来た感じです。今週は雨は降らず、こんなお天気が続くようです。

 さて、本題。先日トランプ政権の影響で、世界一周予定ルートからアメリカでの滞在をやめたことを書きました。乗り換えだけなので、アメリカの電子渡航認証ESTAも必要ないと思い込んでいたら、乗継便でもESTAが必要だと、コメントで教えていただきました。それでネットやYoutubbeでやり方を探し、昨日チャレンジしました。

 コメントでアドバイスいただいたように、代行サイトに入らないように注意しました。PCを使ってWeb siteでするか、アプリをダウンロードしてやるか、少し迷いましたが、一人分だとアプリの方がイミグレでもすぐ出しやすいので便利ということでアプリをダウンロードしました。

PCで申請する場合      ESTA公式サイト   

Googleアプリ
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Appleアプリ
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 私はiPhoneを使っているので、Appleのアプリをダウンロードしました。こんな入国許可のシステムは、ニュージーランド、インドネシア、オーストラリアとやってきたので、まあそれほど心配はしていなかったのですが、実は、ひとつかなり苦労したことがあります。

 入力画面は日本語なので、誰でも簡単に進めると思います。パスポートの写真ページをスキャンするのも、簡単にできました。でも次の「パスポート情報の読み取り」でかなり手こずったのです。

この画面です
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 ここにはゆっくり動かすか、裏表紙から読み取ってくださいとあるので、私は表表紙を10回以上試したあと、裏表紙に変えました。それから4,5回やってもうまく行かず、もう半分泣きそうになりながら(大げさですが)、裏表紙であまり動かさずにすると、ようやく成功したんです。

 次に自分の写真を撮影して、個人情報入力に入ります。e-mailを登録したら、確認コードも送られてくるので、それもすぐにクリア。

 質問で少し悩んだのが、両親の情報。というのは、私の父はすでに亡くなっているので、その名前を書くべきか一瞬悩みましたが、そのまま入力しました。その他は、入国に際してのよくある質問だったので、どんどん進めました。

 最後にクレカで21ドルを支払い終了すると、申請したという確認のメールが来ました。それが15時43分(日本時間)だったのですが、それから1時間ほどで(16時56分)承認されたというメールが来ました。

 とりあえず、世界一周の最初のイミグレはこれでOKで、次はカナダのeTAです。


落ち込み中ですが、子ども食堂の若いボランティアの子たちに癒やされました

 今週月曜日に、次女がNZに帰りました。今回は事情があり、長い滞在だったので、喪失感が大きいです。でも今月から新しい生徒さんのレッスンが入り、月から木までの夜はずっと仕事になったので、あまり寂しさも感じなかったのですが、週末になり急に淋しくなりました。

 GWをはさんで、娘と一緒に、かなり我が家の断捨離を行いました。そのおかげで私だけでは手をつけられないところも片付けることができました。そして感じたのは、家の片付けというのは、60代のうちにやらないと、70歳を超えるとかなり大変だろうということ。今回かなりの本を処分できたのは、本当によかったと思います。

 今日は朝から雨が降っていて、あまり気持ちが明るくなれなかったのですが、レインコートを着て、原付きに乗って子ども食堂のボランティアへ行きました。

いなりずし、コロッケ、肉詰めしいたけ、冷やしそば、イチゴとオレンジ
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 ボランティアの数も多かったので、割と手間のかかるメニューでした。最近、家でコロッケやいなり寿司を作ることもなくなったので、ちょっと新鮮で楽しかったです。

 今日は子ども食堂の卒業生である若いボランティアが3人も来てくれて、食後におしゃべりと「国の名前のしりとり」をしました。私はかなり国の名前を知っている方ですが、一人の子は私以上に知っていて驚きました。そして気づいたんですが、国の名前には、「ア」で終わるもの、「ン」で終わるものが多くて、しりとりはかなり難しいということ。でもこんな「ちょっとした遊び」で、かなり心が癒やされました。
 

40年来の友人とは「赤い糸で結ばれている?」なわけないか

 1月末にバンコクに滞在したとき、珍しく2人の友人が、遊びに来てくれました。バンコクに住んでいた時は、年に3,4回のアテンドがあったのですが、今のように一時滞在時に友人を迎えるのは珍しいのですが、どちらの友人とも長い付き合いなので、とても楽しい時間を過ごしました。

 ナコーンナヨックに一緒に出かけたDさんとは、40年近く前に、タイへ来る飛行機の中で知り合いました。たまたま同い年の同業者ということで意気投合し、以来、旅の話、外国の話を種に、年数回会ってきました。彼女はリタイヤ後、ベトナム語の学校に行きながら、ホーチミンに住んでいます。

 先日ラインがあり、今回の一時帰国は期間が長くて、6月初めから8月半ばごろまでとのこと。なぜかなと思いながら、今日、大阪十三にあるタイレストランへランチに行きました。とても美味しくてコスパもいいレストランだったのに、おしゃべりに夢中になりすぎて、写真を撮るのを忘れたのが悔しいです。

 さて彼女との「赤い糸」ですが(決して私たちは恋愛関係ではありません (゚∀゚)アヒャヒャ)、今回また驚くべき偶然がおこったのです。私が世界一周旅行に行くことは以前に話していましたが、彼女もドイツのハンブルグにいる友人に会いにいくことにしたので、ベトナムへ戻るのを8月下旬にするとのこと。

「ハンブルグって、ドイツの北の方だよね。他の町は行かないの?」
「ベトナム航空を使うから、入るのはフランクフルト。」
「それっていつ?」

 なんと私がフランクフルトに着く翌日の便でした。実はこの前バンコクで会った時も、相談したわけではないのに、私がバンコクに着いた翌日に彼女もバンコク入り。2度も続いた偶然に、「私たちって、どっかでつながってる!?」と大笑いになりました。

 私が予約したAirbnbは、ホストの家に間借りをする形ですが、チェックするとベッドはキングベッドで2人の宿泊可能とありました。オーナーさんに今問い合わせをしていますが、もしOKが出れば、一泊だけ一緒にキングベッドに寝て、翌日彼女はハンブルグに向かうことになります。

 私たちが初めて出会ったとき、意気投合して、ドーンムアン空港からバスターミナルへ行き、そのまま夜行バスでチェンマイに向かいました。そして3日間、二人でダブルベッドに寝て、一緒に過ごしました。バンコクに住んでいた時も、遊びに来た彼女と、コンドのキングベッドに一緒に寝ました。私は眠りが浅い方なので、彼女以外の人と一緒に寝た経験は娘以外ありません。でも彼女だと、なぜか大丈夫なのです。

 今度の旅は約1か月移動して、その後バンコクで2週間過ごします。その移動旅の間に、気心の知れた友人と食事ができるのは、とてもありがたいことです。私たちの不思議な縁に感謝しながら、今日は食事の後も、違うカフェに移動して、ずっと話をして気づくと夕方。そして「今度はフランクフルトだね」と言って別れました。

写真はお店のHPから拝借しました
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 これはメインがカオマンガイですが、私たちは、ガパオとレッドカレーを選びました。あまり辛くはなかったですが、どれも美味しかったです。


モネの「睡蓮」より食い気

 ずいぶん前に、京都市京セラ美術館で開催された「モネ 睡蓮のとき」のチケットを2枚買っていました。会期は3月7日から6月8日までだったので、GW明けくらいに行けば混んでいないかなと思っていたのですが、5月は予想外の忙しさで、結局行く暇がありませんでした。

 6月に入り、次女のNZへの帰国も迫ってきた先週金曜日、ようやく二人で出かけることにしました。日ごろ私たちは車で外出することが多いので、二人で電車に乗るのは久しぶりです。

京都市京セラ美術館
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 実は私、大昔に1年間の浪人生活を岡崎公園の近くにあった予備校で過ごしました。だからこのあたりは、本当によく歩いたところです。今は京セラ美術館というようですが、以前は京都市美術館という名前でした。向かいにも京都国立近代美術館もあり、浪人生活とはいえ、2,3回、何かの展覧会へ行きましたが、そのひとつが「エジプト展」で、そのおかげで数年後エジプトに旅行しました。

 小学校時代の図工も、中学校の美術もずーっと3しかもらったことがない美的感覚には全く自信のない私ですが、若い時にヨーロッパをバックパックで回ったとき、本物の絵を見て、少し絵画に目覚めました。でも、「違いがわかる」には程遠いです。

 ほとんどの絵画は写真撮影不可でしたが、なぜかひとつの部屋だけ写真、ビデオともにOKでした。そこで撮ったのがこの3枚です。
 
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 この展覧会は「睡蓮のとき」というだけあって、睡蓮の絵がかなり多いです。そして絵画のほとんどが、パリのマルモッタン・モネ美術館から来ていました。


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 存命中に認められない画家も多いようですが、モネは40才代後半には世間によく知られるようになり、50才以後に、広大な自宅の敷地の中の睡蓮の池をテーマに描くことが増えたそうです。自宅敷地の地図もありましたが、かなり広かったです。

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ここは自分が絵の中にはいったような気分になれるところです
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 会期終了まであと2日の金曜日だったせいか、午前中なのに、かなりの人が来ていました。ゆっくり絵を見たいという気持ちもあったものの、人ごみの苦手な私たちは、早々にギブアップしてしまいました。そして娘がGoogleで見つけたお店へ直行!

 11時過ぎにそのお店に着くと、すでに満席。というのは、予約は11時のみ受け付けるそうです。30分ほど待って、座席に案内されました。

おばんざい料理店「卯sagiの一歩」
アレンジこんにゃくセット1500円
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主菜はすべてこんにゃく料理です
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デザートに豆乳プリンとコーヒーも
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 食べ終わって外に出ると、10数人以上が待っていました。外国人も多く、きっといろいろSNSにあがっているんでしょうね。

 お料理は美味しかったです。でもやはりこんにゃくだけだと、夕方早くにお腹がすいてしまいました(′∀`)




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トランプの入国制限で、世界一周ルート変更

 6月5日にトランプ大統領が、中東やアフリカなど12か国からの入国を原則として禁止すると発表したというニュースを見てちょっと驚いています。。理由は外国のテロリストからアメリカを守るためと言っているようですが、ちょっと疑問を感じます。

入国禁止国
 アフガニスタン、ミャンマー、チャド、コンゴ共和国、赤道ギニア、エリトリア、ハイチ、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン

 確かにいくつかの国はテロリストの可能性はあるかもしれませんが、アフリカの国々やミャンマーは、不法移民を阻止したいと考えているのではないでしょうか。上記の国に加えて、ブルンジ、キューバ、ラオス、シエラレオネ、トーゴ、トルクメニスタン、ベネズエラの7か国については、商用ビザや学生ビザなど、特定のビザによる入国が禁止されるようです。

 上記の国の中に、ミャンマーとラオスという私にとってなじみのある国が含まれています。私は今のパスポートだと、ミャンマーに2回、ラオスに2回の入国記録があります。それが問題になる可能性はほとんどないと思うのですが、運悪くそれに目をつけた入国係官に当たり、別室で質問とかになる可能性も全くないと言えないかもしれません。

 ネットやYoutubeから情報を得て、単に観光で数日間ミャンマーやラオスを訪れた程度では問題はないだろうと判断しましたが、このことでアメリカに入国する気持ちが無くなってしまいました。

 前にルートのことを少し書きましたが、最初にANAを使うために、羽田から直行便のあるワシントンDCを最初の目的地にしました。そこに2泊して、カナダのトロントに向かう予定ですが、入国制限国のニュースを聞いて、もうアメリカに入国せず、そのままトロントに行こうと思いました。

 世界一周航空券は、ルートを変更することはできませんが、日程や便の変更は何回でもできます。ただし、航空会社が変わると、サーチャージなどで費用が変わる可能性はあります。ということで、早速ANAに電話をして、伊丹ー羽田ーワシントンDC-トロントと一気に移動する便を探してもらいました。またその後も、1日前倒しでヨーロッパに向かうように、それまでの便の前倒しもお願いしました。

 幸いすべて希望通りの日程で予約を取り直すことができたので、世界一周のスタートは、伊丹空港からほぼ23時間かけてカナダのトロントへ行くことになりました。変更の手続きを終えると、アメリカに行く必要がなくなり「ほっと」しました。そうか、私はワシントンDCに行きたいわけじゃなかったんだと思いました。 

 アメリカは入国のETASも必要なので、その手間や費用もなくなったのも、気が楽になった理由のひとつです。カナダもeTA(電子渡航認証)が必要ですが、ヨーロッパは今年はまだETIASは必要ありません。

2026/06/09 追記
 「まささん」という方がコメントで、乗継便でもESTAが必要だと教えてくださいました。これに気づかなかったら、大きなトラブルになっているところでした。まささん、アドバイスをいただき、本当にありがとうございました。

 ワシントンDCでの宿泊は、Airbnbで予約していました。個人の家の部屋を借りる形でしたが、直前までキャンセル無料のところを選んでいたので、キャンセルの手続きをして、ホストに「トランプ政権の入国禁止のニュースを見て、アメリカに行くのをやめました」とメールすると、「同じようにキャンセルをする人が増えている」と返事がありました。普通の人たちには全く関係のないことなのに、アメリカへ行く観光客も減りつつあるのだろうと思います。

 ブログの内容と全く関係ありませんが、娘がテレビで見て食べたいと言ったMUJIの冷凍チーズタッカルビキンパ。まあ美味しいとは言えますが、私はリピはないです。やっぱり韓国で食べる方が、はるかに美味しいです。

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人道の港 敦賀ムゼウムの後は、お気に入りの店でランチ

 今回の旅は、最初越前で一泊だけの予定で、敦賀にある「人道の港 敦賀ムゼウム」に行き、美味しい海鮮を食べることが目的でした。でも急に金沢まで足を伸ばすことになり、行きにその博物館に行く暇はなかったので、帰りに寄ることにしました。

 敦賀市は本州の日本海側沿岸のほぼ中央に位置しているため、敦賀港は昔から大陸との交流拠点として栄えてきました。福井県のHPには、現在も敦賀港からの多くの航路が載っていました。

福井県ホームページから
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 北海道までフェリーがあると聞いたことがありましたが、これを見て、今も韓国や中国までコンテナ船が運行していることを知りました。

 敦賀港は、明治から昭和初期にかけて、ヨーロッパとの交通の拠点でした。1920年にポーランド孤児を招待したり、1940年代には、杉原千畝の「命のビザ」を持ったユダヤ難民たちが辿り着いた港です。

敦賀の松原でのポーランド孤児たち
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命のビザを持って敦賀から他の国へ行ったユダヤ難民たち
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写真はいずれも「敦賀ムゼウム」HPから
 
 私は今年の夏に、リトアニアの杉原千畝博物館を訪れる予定です。ずいぶん前に、英語教材で杉原千畝さんのことを知り、いつかリトアニアに行きたいと思っていました。彼の出身地である岐阜県八百津町にある杉原千畝記念館は、授業で扱う前に訪れました。その時に、敦賀ムゼウムのことも知ったのですが、これまで行く機会がなかったのです。

人道の港 敦賀ムゼウム 
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 ヨーロッパを脱出し、敦賀を経由して第三国に渡っていったユダヤ難民たちは、過酷な旅の後、ここ敦賀の人々に暖かく迎え入れられたそうです。駅前の時計店で、貴金属や時計を換金した人もたくさんいたそうで、当時の時計も戦火を免れ、展示されていました。

 入場料は500円で、杉原千畝のことを知らない人には、わかりにくいかもしれません。私は何年も前から行きたいと思っていたので、とても興味深いものでした。

 この日は少し小雨が降っていましたが、お昼はいつも奥琵琶湖に行くときに寄る和食の店に行くことにしました。

私のお気に入り「福島屋」さん
鯛のカブト煮定食 1200円
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娘は「赤魚のホワイトソース」で、メイン以外は同じです
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 4月に奥琵琶湖に行ったときも、ここで食べているので、娘も2回目です。でもやっぱりここは美味しい。そしてもう一つお気に入りの和菓子屋さんへ行って、和菓子も買ってから帰路につきました。
 
 今回は思いつきだけの旅で、お天気もそれほどいいわけじゃなかったんですが、それでも行きたいところへ行って、美味しいものを食べて、満足の旅でした。




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