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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

がん 5年生存率

 最近、病気ブログらしくない内容が続いていたので、ちょっと思ったことを書いてみようと思う。
 日頃から日本のニュースはネットでしか得ることはできない。だから国立がん研究センターが、8月8日に3年、5年、10年生存率を公表したことは知らなかった。でも昨日「切るべきがん、切ってはいけないがん」というヘッドラインから見たニュースで、国立がん研究センターのサイトのリリースニュースも読んでみた。

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これは「NEWSポストセブン」の写真から一部コピーしたものである。

膵臓以外のがんは、昔に比べるとかなり生存率が上がっているそうだ。私の祖父は昭和40年代に肺がんで亡くなっているが、その当時であれば、肺がんとわかった時には、もう手遅れだったのだと思う。私はまだ幼くて、詳しいことを覚えてはいないが。




 ちょうど日本に帰国している時に、テレビで「白い巨塔」が放送されていたので、ずっと見ていた。「白い巨塔」はこれまで4回テレビドラマ化されたそうで、私は2回目にあたる1978年の田宮二郎主演のドラマを見ていた。でも昔のことなのでストーリーもはっきり覚えていなかった。

 ネットでドラマの説明を読んで、主人公の死因が、原作の胃がんから膵臓がんに変更されていると知った。原作は1960年代 に書かれたものなので、その当時であれば、医者であっても胃がんに気づかず、発見された時には手遅れということもあったのだろう。でも今は、医者が末期の胃がんになるまで気づかないことはないという判断なのだろう。

 今は二人に一人ががんになる時代と言われている。でも生存率もかなり上がり、私のように一期で見つかった場合は、即、告知され(これはタイだったから?)、その日に手術を決めてショックを受け止める暇もない状態だった。 つまりがんでは、すぐに死なないということなんだと今更ながらに思う。

 告知を受けてからもうすぐ半年になる。あの日のことははっきり覚えているものの、ずいぶんと前のことのようにも感じる。自分が肺がんになるなんて、夢にも思っていなかった。これまでの人生で、レントゲンで引っかかったことは一度もなかったから。

 日々の暮らしの中で、時々手術をしたことを忘れる。でも階段を3階まで一気に上がると呼吸が苦しくなるし、ジムでのランニングは、ウォーキング+ジョギング程度で、まだ本気で走ったことはない。 そして咳が出るたびに、不安になる。
 
 そしてもう一つ残念なことは、私はもう二度と献血はできない。がん患者は、たとえ5年10年と再発しなくても、献血はできないそうだ。私は若い頃から献血によく行っていたので、もうすぐ50回目を迎えようとしていた。もう献血カードも持ち歩く必要がないんだと思うと、本当に悲しい。

 でも今回発表された5年生存率は、2009年、2010年にがんセンターに登録された患者さんたちの統計だそうだ。それから10年後、私を含む今のがん患者の統計は、もっと生存率が高くなるに違いない。そう思うと、がんになっても怖くないんだと思える。


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ベトナムのフエに一人旅 1日目

 この1年間は娘や夫と短期の旅行をしたが、一人旅はちょうど1年前にラオスのビエンチャンに2泊で行っただけだ。これまで旅行といえばほとんど一人旅だったので、どこかにいきたくて仕方がなかった。

 ベトナムは、これまでホーチミンとハノイに行ったことがある。でも世界遺産になっているフエやホイアンに行きたいとずっと思っていた。ただ今回は3連休で、その前日から出発して3泊4日、あまりバスに長時間というのも自信がないので、乗り継ぎ時間が長くても飛行機だけの移動でフエだけにしようと決めた。

 航空券を取ったのは、3ヶ月半検診の前だったが、最初にSkyscannerで検索したチケットが、2日後にはその価格ではなくなってしまったので、見切り発車ではあるが買うことにした。一番安いサイトではなく、おなじみのExpediaを選び、ホーチミン乗り換えのフエ行きでベトナム航空だった。往復ともホーチミンで2時間ほどの待ち時間があり、日本円で27510円だった。

 当日、飛行機は11時20分だったが、朝食も食べずに早めに空港へ向かった。というのは、私は楽天ゴールドカードについてくるPriority Passという世界中の空港ラウンジに入ることができるカードを持っているので、ラウンジで朝ごはんにしようと思ったからだ。

 チェックインは前日にネットで済ませていたし、荷物も機内持ち込みだけだったが、カウンターでボーディングパスをもらった。出国手続きに向かったが、びっくり。イミグレに降りるエスカレーターのところで人数制限をしていた。最近バンコクのイミグレの混雑は、ネットでも話題になっている。入国だけかと思ったら出国もなんだ。それでも30分ほどでイミグレを通り、ラウンジへ行くことができた。

 飛行機は、定刻より少し遅れて出発し、到着が30分近く遅れた。荷物は持ち込みだから、国内線乗り換えもすぐと思っていたら、国際線と国内線は歩いて10分くらい離れていた。チェックインは済ませているので、直接ゲートへ行ってもよいと書かれていたので、慌ててセキュリティチェックのところへ行くと、「ここじゃない、もう一つ向こうのビルだ」といわれ大慌て。そこはLCCのVietJet専用のゲートで、ベトナム航空は別の場所だった。

 でもベトナム航空のセキュリティゲートは、ものすごい人だった。2時間の乗り継ぎは十分と思っていたのに、もう50分ほどしかない。これはヤバイ!近くにいた職員らしい人に、搭乗券を見せて「時間がない」と言うと、「私はベトナム航空の職員じゃない」と冷たい返事。あまり英語もわかってくれなかったのかもしれない。

 あと45分。もう自分で何とかしなきゃ。周りの人に搭乗券を見せながら、「I'm sorry, but I have no time.」と大声で言いながら、どんどん前に進み、何とかセキュリティチェックを終えて、ゲートまで走った。なのにそのゲートまで行くと、飛行機は30分遅れ。次にその時間に行くと、今度はゲートも変わっていた。新しいゲートに行くと、まだ搭乗は始まらない。結局1時間ちょっと遅れて飛行機はフエに向かった。

 明るい時間にフエに着くと思ったのに、結局1時間半以上遅れ、バスでフエの街に着いた時は暗くなっていた。ホテルに行く前に、明日1日ツアーを予約したシンツーリストに寄った。そしてようやくホテルにチェックイン。

 安いホテルだったが、まだ新しく口コミもよく、チェックインの時にウエルカムフルーツまで頂いた。そして部屋もとても広くて清潔感もあり、大満足。





一息ついて、少しお腹も空いているので、近くの屋台で、名物のブンボーフエを食べる。注文したところで、目の前にいた若い女の子と目が合い、話をした。ホーチミンから仕事で来ているとか。娘より若い子だったが、本当に素敵な女の子だった。
 
 ホテルに戻って、シャワーを浴びて、もうぐったり。明日は7時半から8時の間に、ホテルにピックアップに来てくれるとのこと。世界遺産を回る1日だ。
 

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3ヶ月半検診 [2019/07/21]

    体調はとてもいい。体力もかなり回復して、日常生活にはほとんど問題がなくなった。と言っても1日出歩くと疲れるし、肋間神経痛はずっとピリピリした感じがある。それは疲れるとひどくなるようだ。しかも痛いところは、左胸で時々位置が変わり、今は左の肋骨の上が時々痛い。

    それでもタイに戻って1ヶ月半、娘と知人の結婚披露宴パーティーを兼ねたアユタヤ旅行へ行き、週一回のボランティアを始め、バイクに乗り始めた。職場では病気を打ち明けている一人以外は、誰も私が入院、手術をしたことに気づいていないし、体調が悪そうだと言われたこともない。

   自分自身で気をつけていることは、まず無理をしない事、そして食事だ。タイは外食文化が盛んで、外で買ってもあまり高くない。でも油っこいものが多いし、私の近くの市場はローカルなので、辛さはタイ人向けだ。

    がんになる前から、食生活にはかなり気を配って、夕食の半分以上は自分で味付けをして作ってきた。もちろんタイ料理は大好きなので、メインは買ってきて、野菜料理は自分で作るというパターンだった。でも退院後は、辛いものもを食べたいと思わず、ほとんど和食を作って食べていた。あの頃は、夫が持ってきてくれたサバ缶に大いに助けられた。市場では魚介類のおかずが少ないし、大抵はかなり辛いのだ。 

    体調は良かったものの、やはりずっと咳が出ることが気になっていた。もう十数年前から、ひどい咳が止まらない事があり、レントゲンは何もなかったので、過敏症による咳と言われていた。 香水や消臭剤のような匂い、温度差、チリやホコリ、ちょっとしたきっかけで2、30秒咳が止まらない。

    授業が本格的に始まってから、そんな咳が出るようになった。それと喉の奥深いところに少し痛みもある。風邪とは思わないが、何か気管支に異常があったらどうしようかと不安だった。夜に咳が出るわけではないので、咳止めは一切飲んでいなかった。

    前日に、W先生の受信の前にレントゲンを撮るようにと、確認の電話があった。受診は5時からなので1時間前に行けばいい。もし他の症状が見つかった場合、海外旅行保険が適用してもらえるかわからないので、保険会社に電話をした。

   「私は肺がんの手術を受けて、その経過観察に行きますが、喉の奥が痛いので、もしがんと関係のない症状であれば、保険はききますか?」
   「診断書があれば、後日払い戻しをしますので大丈夫です。」
   「経過観察の診断書の中に、その記載があっても大丈夫ですか?それとも別の診断書が必要ですか?」
   「BNH病院なら、こちらから後で問い合わせもできますので、大丈夫です。」

   少し安心して、翌日の検診に出かけた。レントゲンは待ち時間もなくあっという間だったが、前回同様W先生は遅れて来られるようだ。やはり通訳の方をお願いしようと、受付に申し出て、待っている間に質問したいことをメモした。

①疲れると肋間神経痛(ピリピリ)がひどくなる。いつ頃まで続くのか。
②最近、左上の肋骨のあたりが抑えると痛い。
③授業が始まった頃から咳が出るようになった。
④喉の奥の方が少し痛い。

 診察は結局40分ほど遅れたが、いつもマイペンライ(大丈夫)のW先生は、また軽い感じで全部の質問に答えてくれた。
「神経を繋いだから6ヶ月から9ヶ月くらいは、神経痛は続くかなあ。咳と喉は、大声を出しすぎているためだと思うよ。まあ声を出すなというのは、無理かもしれないけどね。咳止めの薬だけ出しておこうか。でもあまりしゃべりすぎないように。」

  う〜ん、しゃべりすぎないようにって・・・しゃべるのが仕事なんですよねぇ。しかも元来おしゃべりなので、黙っているのがつらい。これまでも日本で風邪をひいた時、喉が痛くなるたびに「あまりしゃべらないように」と言われても、ちゃんと守れなかった。まあ授業のないときは黙っていよう。

  W先生と話すと本当に気が楽になる。レントゲン結果も問題なく、肺もちゃんと伸びているそうだ。何をやっても構わないと言ってもらえた。次回はまた3ヶ月後なのだが、その直前に日本へ戻り、CTを撮ることを話すと、「じゃあ、そのデータ持ってきたらX線いらないから」とこれもありがたいお言葉。タイでの費用が安くなるし被曝量も減る。

   あっという間に診察が終わり、会計を待つ間に、家族にラインで結果を知らせた。実はこの検診が終わるまで少し迷っていたのだが、来週は連休になるので、ベトナムへ行きたいと思っている。すでに航空券は手配済みで、万が一ダメだと言われたら、あきらめるつもりだった。でもこれで心置きなく、久しぶりの一人旅だ。




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術後3ヶ月[2019/07/03]

 術後2ヶ月目から3ヶ月目にかけては、まだ授業が始まる前に娘が遊びに来て、知人の結婚式に出席したり、アユタヤへ行ったりと、手術を受けたことなど思い出さないほど快調に過ごしていた。でも本格的に授業が始まった頃から、また咳が出るようになった。咳止めを飲むほどではないが、喉の奥の方が少し痛いことも、ずっと気になっていた。でも3ヶ月半の時期に検診が入っていたので、そこまでは様子を見ようと思った。

 術後1ヶ月の時に、ブログのまとめをしたが、同様のまとめをもう一度。

肺がん発覚まで

胸部X線で再検査? [2019/02/25]
いきなり手術!?① [2019/02/27] 
いきなり手術!? ② [2019/02/27]

入院、手術

手術2日前 [2019/04/01]
手術前日 [2019/04/02]
手術当日① [2019/04/03]
手術当日② [2019/04/03]
手術翌日 [2019/04/04]
術後2日目 [2019/04/05]
術後3日目 [2019/04/06]
術後4日目ー病理結果 [2019/04/07]
術後5日目ー退院 [2019/04/08]

退院から術後1ヶ月まで
 
術後6日目 [2019/04/09]

術後1週間目 [2019/04/10]
術後10日頃
術後2週間頃
抜糸 [2019/04/21]
術後4週目
術後1ヶ月  [2019/05/03]

一時帰国中の受診
一時帰国[2019/05]② 日本での受診 AM
一時帰国[2019/05]③ 日本での受診PM
一時帰国[2019/05]④ 胃カメラと腹部エコー


体調の変化

*術後2ヶ月目は、日本に帰国していろいろな病院にも行き、体調も良かった。ただ手術をした左側を下にして横になると、呼吸がしにくいので、ずっと右側を向いて寝ていた。そのために、右腕や肩に負担がかかり、以前から痛めていた右肩の痛みがひどくて眠れないほどになった。そこで昔、通っていた針灸院に通い、なんとかましになってタイへ戻った。

*手術後、気がつくと体重が3kgちょっと落ちていたが、日本での暴食にも関わらず、体重は戻らない。でもやはり少し食べる量が減っていて、たくさん食べることができない。食欲がないわけではないが、少し食べるとお腹が一杯になってしまう。

*私は、来年還暦を迎える年齢だが、若い頃からずっとスポーツを続けていたおかげで、体力には自信がある方だ。(娘には過信しすぎで、それが怖いと言われたが)手術後、1ヶ月で家の中のことは全てできるようになったし、2ヶ月後には、外での生活も普通だと感じるようになった。3ヶ月経った今は、以前ほどではないが、体力もかなり戻り、日常生活で困ることはなくなった。

*最初に書いたように、咳が出ることが気になっている。これが日本なら、すぐ病院に行くところだが、保険の使えないタイだと躊躇してしまう。かなり不安を感じているが、とにかく次の検診でレントゲンを撮るし、先生に聞いてみよう。


 

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中古バイク購入②

    私が行ったのは、Fatboy's Motorbike というレンタバイクや修理を請け負っているお店だった。小さな店だが、事務をしている女性は英語が上手な外国人だった。(少しアクセントが違うので、アメリカ人やイギリス人ではないかもしれないが)修理をしているのは、タイ人の男性。お店にあったのは、私が広告を見たホンダのZoomer XとヤマハFilanoだった。

 「乗ってみる?」その女性は気楽に言ってくれたので、その店からぐるりと1kmほど乗ってみた。最初に乗ったのはZoomer X で、乗りやすいものの悲しいかな、足が完全には地面につかない。次に乗った  Filanoはもう一回り大きくて、安定感はあるがもっと足がつかない。でも試し乗りでも久しぶりにバイクに乗る爽快感があった。

 店に戻って考えたのはほんの一瞬。もう
Zoomer X を買おうと決心した。2014年で走行15500kmで24,000バーツ。でも現金の持ち合わせがなく、事務の女性にATMの場所を尋ねると、修理をしている男性に声をかけて、さっき乗ったばかりのFilanoの後ろに乗せてATMのあるコンビニに連れて行ってくれた。そしてお店に戻り支払いを済ませた。そしてグリーンブックという登録証と、名義変更に必要な書類を受け取った。事務員によるとバーンチャークにある陸運局で名義変更ができるとのことだった。

 一旦家に帰って、ネットで色々調べてみると、名義変更はモーチットの陸運局でないと無理らしい。グーグルマップを見ると土曜日も空いている。本当かなあ。でも土曜日ならいつもより道路は空いているから、試しに走ってもいいかもしれない。

 経路を確認して、いつもバスやソンテウで通る道に出る。でも気づくとアソックの辺りに来てしまった。本当はプルンチットの横を通るはずだったのに。どこで間違ったのかなあと考えながら、車の多いスクムビット通りを走る。でも土曜日でもそこそこ車が多くて、その間を抜けていくのは、かなり気を使う。

 ビクトリーモミュメントを超えると、かなりスイスイ走れるようになった。モーチットの陸運局は免許証のために何度も行ったことがある。でも陸運局の前の道路は反対側で、中央分離帯のあるところだ。気づくと通りすぎてしまい、そのままUターンする場所が見つからず、グーグルマップで検索して、かなり遠回りすることになってしまった。まあかなり方向音痴ではあるので仕方がない。

 苦労して着いた陸運局は、人気がなかった。検査場にいたおじさんに聞くと、土曜日はやっていないとのこと。やっぱりだ。でもまあ練習にはなったかな。

 バイク購入まではすんなりいったものの、実はこれからがまだまだ困難が続く・・・になってしまった。




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中古バイク購入①

    バンコクに来てすぐ、国際免許から自動車免許を切り替え、同時に自動二輪免許を取得した。陸運局に行って、コンピューターで試験を受け、50問中45問のギリギリ正解で合格、実地試験は日本で50ccに乗ったことがある人なら誰でも受かるような試験だった。

 実はコンピューターの試験は大変だった。それについて詳しく書いておられる方のブログを読んで、2日間みっちり準備した。それでも日本語のテストは翻訳が間違っているところがあり、決して満点は取れない。ギリギリでも一回で受かったのは、本当に運が良かった。

 去年、友人がバイクを購入したのを見て、私も欲しくなった。でも、私が住む場所は便利なところで、日本人がよく行くショッピングセンターに、BTS(高架鉄道)やMRT(地下鉄)を使えば、ほとんど30分程で行ける。バスを使うと時間はかかるが、土日であればそれほど渋滞もないし、運賃はかなり安い。

 これまで地方に行ったときは125ccのレンタバイクを借りて、一日30kmほど走ったこともあるし、娘を後ろに乗せたこともある。日本では若い頃から50ccに乗っていて、10年間ほどは通勤にも使っていた。50ccでも休みに遠出したこともあるので、バイクに乗るのは好きなほうだと思う。 

 「タイでやりたいと思ったことは全部やろう」と手術の後に思った。もちろんバンコクでバイクの運転は、日本よりかなり危険を伴う。でも気楽に買い物に行ったり、映画へ行ったりするにはバイクがあれば便利だ。それと、また後日書くつもりだが、今年度はボランティアをやりたいと思っている。少し不便な場所なので、バイクだと気楽に行ける。

 新車だと最低でも5万バーツほどするので、中古にしようと思ったが、どうやって探せばいいのか。まずググってみるしかないなあ。
 結果、以下の方法が見つかった。
①日本人同士のやり取りができる「バンコク掲示板」でも出品数が少ない
②英語でやり取りができるFacebook「Buy and sell motorbike Bangkok」
③タイ語でやり取りをしなければならない「Khaaidee」というサイト
④中古を扱っているバイク屋を探す

 まずラーマ4世通りにホンダやヤマハの直売店に、中古が置いてあることもあるという情報があったし、中古のバイク屋さんもあったので、その辺りを歩いてみることにした。でも中古のバイクを扱っている店は、そう簡単には見つからなかった。バイクが置いてある店を見ても、修理屋か新車を扱っている店だった。でもそのうちの一軒のおじさんが、中古のバイク屋の場所を教えてくれた。

 行ってみると少し大きめのバイクしかなかったので聞いてみると、若い店員さんが、バイクに乗れと言って、そこからすぐ近くの中古バイク屋さんに連れて行ってくれた。その2店が関係があったのかどうかはわからない。

 そのお店には一台気に入ったものがあった。欲しいと思っていたホンダのScoopy(110cc)というスクーター。まだ2年経っていないが、走行距離は15000mちょっと。確かに見た目もきれいだけど、35000バーツはちょっと予算オーバーかな。値下げを交渉したけど無理だった。次の日もグーグルマップで中古屋として見つけたサパーンタクシンから15分ほどのお店へ。でもそこもあまり置いていなくて、結局むだ足になってしまった。

 翌日、学生に頼んで「Khaaidee」に載っていたところに電話をしてもらった。でもかなり遠い場所で、そこに行くまでタクシーでもかなり時間がかかる。そうすると、その学生が近くで一台見つけてくれた。でも走行距離からすると、あまりお買い得と言えないかもしれない。日本人用のサイトにも一台載っていたが、かなり古くて走行距離が28000kmを超えていたので連絡しなかった。

 そして最後は自分で「Buy and sell motorbike Bangkok」の出品者にメッセージを送った。最初、私が見たものはもう売れてしまっていたが、新しくホンダのZoomer X
(110cc)というバイクがあるらしい。しかも私の家から歩いて20分ほどで行ける場所にあるお店のようだ。とにかくそれを見に行くことにした。 



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術後2ヶ月[2019/06/03]

 手術から2ヶ月が経った頃、日本への一時帰国からバンコクへ戻った。日本では外食ばかりしていたとはいえ、ストレスのないハッピーな毎日だったが、仕事が始まると楽しいことばかりでもない。とにかくストレスをためない生活をしたいと思う。

 日本へ帰って診察を受けたおかげで、気持ちがずいぶん楽になった。これから1年間はタイで3ヶ月ごとにX線を撮り診察、日本で半年ごとにCTと診察ということになる。1年後は、タイでもCTと言われているが、ちょうど日本でもCTをとる時期になるので、その結果をタイに持って帰ればいいと思っているのだが。というのは、日本では国民健康保険が使えるが、タイではもう海外旅行保険は使えなくて毎回の診察は実費になる。X線は診察と合わせて一万円弱だが、CTはそれだけで確か4万円ほどかかる。だからなるべく日本で済ませたい。

 それでもタイと日本のどちらでも経過観察の診察は続けようと思っている。今回の一時帰国で両親の状態は以前と変わらず、まだもう少しタイにいることも大丈夫だと思えた。最初にタイに来た時は最低3年間と思っていたが、手術後、夫といろいろ話をしているうちに、 今から3年間くらいと思うようになった。だからそれまでは、両方の国で検診を続け、万が一何か異常が見つかったら、どちらの国でも早急に対応できるようにしたい。

 どうして3年間なのか。私たちの世代で3年間は、それほど大きく変わらないかもしれないが、80代の両親の状態が良くなることはない。でもあと少し自分のやりたいことをしたいと思う。そのためには、自分の体力が十分あるうちに仕事もやめて行きたい国へ旅行もしたい。でもタイでやりたいことはまだ残っている。だから後3年で、当初の目的は果たしたい。

 がんになって、自分のリミットを考えるようになった。それは命のリミットもだが、体力や自分の周りの状況のリミットもある。これまでも、なるべく短期目標と長期目標を考えるようにしてきたつもりだが、自分の人生の終わりが来ることを真剣に考えたことはなかった。でもがんになるということは、それを考える機会を与えられたことだと感じた。

  この時期の体調
*手術跡の傷の痛みはほとんどない。
* 日本でもらった胃薬をずっと飲んでいる。ただし、手術後の痛み止めは全く必要がない。
*咳は時々出る。でも薬を飲むほどではない。
*家の中でも外でも、息苦しさもほとんど感じず、以前と同じように動いている。
*ジムでウォーキングはしてみたが、ランニングはしていない。




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マレーシア航空ビジネスクラス

 今回の一時帰国は、まだ手術後1ヶ月半から2ヶ月にかけてのことだったので、往復とも飛行機は贅沢をすることにした。日本へは、エアーアジアのプレミアムフラットベッドが格安になっている日があり、夜行便だったがゆっくり体を伸ばして眠ることができた。タイへは、病気が発覚する前に、昔貯めたアメリカン航空のマイレージで、クアラルンプール乗り継ぎバンコク便のビジネスクラスを取っていて、それを電話で日付変更をお願いした。結局、診断書を出すことはなく、電話での説明だけで了承してもらった。

IMG_2826 これまでにもいくつかの航空会社のビジネスクラスに乗ったことはある。でも実際お金を出して買ったのは、なぜかとても安くなっていたバンコク往復のタイ航空だけで、それ以外は、超ラッキーなアップグレードと、マイルを使ったアップグレード、そして今回のようなマイルでビジネスクラスを取った場合。
 
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前菜は、マレーシアらしくサテ(焼き鳥)ピーナッツソースがけ
ソースが甘くて美味しい











これも前菜の続き?




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メインは鮭の味噌煮
日本発なので、日本で調理されたもの
これで当分本格的な日本料理とはお別れだわ




デザートはハーゲンダッツのアイスクリーム
もうお腹がはちきれそう 

この後、クアラルンプールでの乗り継ぎが7時間待ち
でもビジネスラウンジで、ずっとiPadで映画を見ていたので、それほど大変じゃなかった

 
 この日大阪の家を出たのは、朝6時15分ごろだった。そしてバンコクの空港に着いたのが、夜11時半ごろ(日本時間なら日が変わって夜中の1時半ごろ)。でもビジネスだと入国審査もFast Track Passというのがもらえて、あっという間だった。空港からのタクシーもビュンビュン飛ばして、夜中の1時、ようやく家に着いた。



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千葉敦子さんの本

 私は20代で千葉敦子さんの本に出会った。千葉敦子さんと言っても、もう知らない人も多いかもしれない。1987年に乳がんの再発、転移でアメリカで亡くなられたジャーナリストだ。彼女が若い女性のために書いた「ニューウーマン」という本は、考え方が当時としては斬新で、本当に感銘を受けた。その時は既に彼女は「乳がんなんかに負けられない」という本で、当時としては珍しかったがんの告白を赤裸々に書いておられた。その後も亡くなるまで、がんとの戦いや、生き方についての考え方を書き続けられた。 

 ちょうど彼女の本を読み始めた頃、母が検診で引っかかり、詳しい乳がんの検査を受けた。結局なんでもなかったのだが、私は千葉敦子さんのがんに関する本を全部買って読んだ。今回の一時帰国中に、その本を全て読み直そうと思った。おそらく最後に読んだのが20年近く前で、まだ千葉敦子さんが亡くなった年齢に達していなかった。でも今はその年齢をとっくに超え、がん患者となっている。

 もう30年以上前のことなので、当時の医療技術は、今よりかなり遅れたものだっただろう。でも彼女の病気に対する姿勢は、本当に見習うべき点が多かった。実際、彼女は自分で胸のしこりを見つけ、それは2cm以下の小さなしこりで、最初はリンパ節転移もないと言われたようだ。それだと1Aという判断になる。 でも1年半後に再発、その後も再発転移があり、結局最初の乳房切除手術から6年後に亡くなられた。

 彼女は亡くなるまでずっと一人暮らしを続け、家族ではなく、多くの友人に助けられて病気と闘った。常に人生に目標を持ち、がんになってからも、中期目標、短期目標をたて、それに向かって生き続けた人だ。約30年ぶりに読んだ本もあったが、あらためて彼女の強さを感じ、見習いたいと思った。そして今の医療技術なら、彼女があれほど早く亡くなることはなく、もっと多くの本を出しておられただろうと思った。

 彼女が亡くなる2日前まで書き続けられた「死への準備」日記は、読むのが苦しくなるほどだったが、彼女の強さを一番感じられた。日本で何軒かの本屋をのぞいてみたが、もう千葉敦子さんの本は一冊もなかった。図書館か、アマゾンや楽天ブックスの古本でしか見ることができないのかもしれない。でも、がんにかかった人は、ぜひ一度読んで欲しい本だ。もちろん彼女の強さは、見習いたくても無理なほどで、書評には彼女の考え方は上から目線だという意見もある。実際、がんを経験してから読むのは辛い部分も多かったが、(特に彼女が1Aからの再発ということにショックを受けた)自分の人生を自分でコントロールして、悔いのないように生きていきたいという気持ちが強くなった。 




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一時帰国[2019/05]⑤ 友人と食事、病気の告白

 胃カメラでひどい状態の胃の内部を見たが、日本の滞在中友人たちに会って、美味しいものを食べ歩いた。たった10日間くらいで、バンコクの食費の5倍ほどの額を費やした。まあバーツに換算したら、自分でもびっくりしてしまうが。

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まずは、南森町にあるフレンチレストランでランチ。

前菜は、食べるのがもったいないほどきれい。






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メインの魚料理。
白身魚のカダイフ包み焼き
外側がパリパリサクサク。








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新地で鱧づくし。
まだ少し旬には早いかもしれないが、関西の人間にとって、夏の鱧は欠かせない。

 




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焼き鱧のお寿司。
茹でたものより、身がしっかりして美味しい。









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鱧の炭火焼。
タレが少し甘いものと、ポン酢風のものがあり、以外に甘いものタレが、うなぎの蒲焼きのようで合う。








 これ以外にもお寿司、韓国料理、沖縄料理、イタリアン、和食バイキング、居酒屋と、胃が良くなるわけがない日々を過ごしてしまった。でも食欲もしっかり戻ったようだし、1年ぶりに会う友人、そして今回は20年ぶりに会う友人たちもいて、とても懐かしかった。

 そして病気のことは、まず小学校以来の親友に最初に打ち明けた。その後、かなり親しい友人たち5人に打ち明けた。みんな最初は驚いたが、私たちの世代になると、家族や知人ががんで亡くなったり、またがんを持ったまま元気に過ごしているケースもあり、私が早期発見で手術で切除できたと知ると、「良かったね。早く見つかってラッキーだったね」と言ってくれる人がほとんどだった。 

 私自身はあまり身内や友人にがんで亡くなった人はおらず、あまりがんの知識がなかったため、あっさり告知された時のショックは大きかったが、今の時代は、がんはすぐ死に直結する病気ではないことを、多くの人が知っている。そして友人たちが、とても自然に受け止めてくれたことが嬉しかった。


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