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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

ごみステーションで人間観察

 昨年は行けなかったのですが、今年も「富田ジャズストリート」のボランティアをしました。ただ初日は午後から雨、2日目も4時ごろに急な雨(30分ほどで止みましたが)で、これまでよりメインステージのあるグラウンドの人は少なかったです。

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 今年も私は「ごみステーション」の係でした。2年前にもその横にある「優先座席テント」に1時間以上も座る若い子に腹をたてていましたが、今年は、人も少なかったせいか、それほど優先座席がいっぱいになることが少なく、いらいらする度合いは減りました。1度だけ、若い3人の女の子がタピオカティーをほぼ飲み終わったときに、杖をついた高齢女性が来たので、声をかけると、すぐに席を空けてくれました。

 一昨年よりごみの分類も減り、「びん、かん」「ペットボトルのふた」「ペットボトル」「燃えるごみ」となりました。プラごみも燃えるゴミに入れられます。そのため、食べ物の入っていたプラスチックケースを、どこに捨てるのか迷いながら持ってくる人が多かったです。

 捨てに来る人を様子を見ていると、本当に様々だなと感じました。ただ無言で捨てていく人もいれば、私たちに「すみません」とか「ありがとう」と言ってくれる人もいました。ジャズストリートの会場は、JR摂津富田駅からメイン会場のコミュニティーセンターグラウンドまで広範囲なので、このメイン会場では、他から持ち込んだごみでも回収します。だから、このグラウンドで売られているもの以外のごみを持ってくる人も、「いいですか?」と聞いてくれる人が多いのですが、無言で放り込んでいく人もいます。

 ボランティアの中には有償ボランティアもあるかもしれませんが、ジャズストリートのボランティアはお昼ご飯代わりに「焼きそば」「パン」「お茶」をもらえるだけで、交通費も出ません。私はバイクで15分ほどの距離なので苦になりませんが、2日目に一緒だった女性二人は大阪市内から1時間ほどかけて来られているとのこと。お二人は、大阪マラソンとか関西万博のボランティアもされたとのことで、すばらしいなあと思いました。

 ローカルなジャズストリートなので、お客さんも本当にジャズが好きで来る人もいれば、地域に住む家族も多いです。小さな子供連れの家族もいて、夫婦一緒に子どもの世話をしていました。お母さん一人で子どもを連れている人は、ほとんど見かけませんでした。

 車椅子の方も来ておられました。たいていは、付き添いの方がおられましたが、お一人だけで、電動車いすで来られている方がいました。メイン会場がグラウンドで、屋台も出ているおかげもあり、本当にいろいろな人がいました。

 日本に戻ってから、限られた人しか会う機会がなくなりました。あまり人の多いところに行かず、旅行をしていないときの生活範囲は、自分の住んでいる市内か、実家の近くのみ。だから今回のように、不特定多数の人と接するのは珍しい機会です。

 でもセミリタイヤ生活だからこそ、こんな機会を持つべきだと感じました。来年も、またこのボランティアに参加しようと思います。

 

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春は断捨離の季節

 昨年の4月5月は、次女が日本に滞在していたので、かなりの断捨離をしました。もう2度と読まない大量の本や、もう十数年前に亡くなった姑の遺したもの(そう耐火金庫も!)を頑張って整理しました。そして今年も、4月に数日片付けて、エコリングに段ボール箱で4箱分くらい持ち込み、ジモティを使って、何点かを人に譲りました。

 そして姑の部屋だった1階の和室を徹底的に片付けて、そこにあるものを置きました。それはジモティで手に入れたこれです。

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 そういよいよGW明けから娘と孫が帰省してくるのです。娘の夫くんは育児休暇を取って、出産後は二人で頑張っていました。最初に二人だけで世話をして、親の自覚を持ちたいと、若いカップルの決意を応援しました。

 ベビーベッドは、娘夫婦が買ったものの型落ちですが、ほとんど同じです。手前はバウンサーというのですが、ゆりかごのようなものです。

 先日母と一緒に孫の顔を見に行き、ミルクもあげてみましたが、もう35年も前の経験なのでほとんど忘れかけていました。まだおむつを替えていないのですが、私たちの時代は布おむつを使っていましたが、今は紙おむつだけなので、替えるタイミングがすぐわかるのか心配です。

 娘たちが使う部屋だけでなく、今日の午後は、階段下の収納庫のものをすべて出して、整理しました。ティッシュペーパーが10箱以上出てきて、自分でもびっくりです。というのはティッシュ置き場は違う場所にしているのです。それに、たぶん実家から持ってきたハイターとかジフとかが10本ほど。これはたぶん母が買い過ぎたものを持ち帰ったのだと思います。

 でも本当に、家の中には不要なものがたくさんあるのだと実感します。明日は、パントリー(食品やキッチン用品がはいっています)を片付ける予定。何とか終わればいいのですが。

今日は子どもの日なので、柏餅を買ってきました
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 柏餅を買ったのは食べたかっただけでなく、今日の午後に、ニュージーランドの子どものレッスンがあったので、その子たちに見せたかったのです。「美味しそう」と言っていました。


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ついに最大目的地へ、杉原聖地巡り②


 杉原記念館は、1939年11月から1940年8月までリトアニアの日本領事館として実際に使われていた建物になります。当時まさにこの場所で杉原千畝は、日本政府の明確な許可を得ることなく、ソ連の弾圧や迫りくるナチスの迫害から逃れる人々に日本への経由ビザを発給する決断をしました。
 その結果、彼は2,000枚以上のビザを発給し、多くの人々の命を救いました。この偉業を称え、非営利の民間団体である杉原基金は、1999年にこの地に杉原記念館を設立しました。
sugiharahouse.comより

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 十数年前から訪れたかったこの家を見て、思っていたよりはるかに小さいことに驚きました。特に、残っている門と玄関までの距離が短く、リビングルームに使われていた部屋の窓もすぐそこにあるのです。

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 この下の写真が私が授業で使った副読本の表紙にも載っていたものでした。中央に写っている白い柱が、上の写真の「希望の門」です。これはドキュメンタリービデオの一場面をスマホで撮ったのですが、元々この写真は、杉原一家と同行していた夫人の妹さんが撮ったそうです。

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 その副読本の元になったのが、杉原幸子「六千人の命のビザ」1993でした。博物館に入ってすぐの部屋で、日本語字幕のあるドキュメンタリーを見ることができます。このビデオを見るのは2ユーロで、博物館の入場料は10ユーロでした。

 そうそう、この博物館に入るには、入口のところに置いてあるシューズカバーをつけなくてはなりません。

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 ここは1階(と言っても、半地下のようなつくりです)にある杉原千畝の事務室です。ビザ発給のスタンプや発給者リストがおいてありました。

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 一人に対し、これだけの文章を書かなければならないのは大変だったでしょう。それを2000人以上に発給し続けた杉原千畝の苦しさが、ドラマや映画の中に詳しく描かれていたのを思い出しました。

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 リストはリトアニア人の書記官の方が、タイプで作成されたようです。(でも、ここにあるのはレプリカだと思います)

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杉原夫妻には3人の男の子がいましたが、3男の方は幼くして亡くなっています

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2階の居間には、夫人の幸子さんが愛用されたピアノが残っています

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 居間の窓には、あの写真が刷り込まれていました。1941年7月18日の早朝、杉原千畝がこの部屋から見た光景が、100人以上の人が建物の周りにいる姿だったのです。この窓から門までは数歩の距離なので、たくさんの人に囲まれたら、恐怖を感じるのではないかと思いました。

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 彼らはポーランドから逃れてきたユダヤ人で、杉原氏は代表と話をすると告げ、その代表たちの話を熱心に聞きました。そして悩んだ末、日本の外務省に電報を打つと、2日後帰ってきた返事は以下のものでした。

 「日本は法律によって非日本人の外国人ビザを発給する。申込者の背景、思想、渡航目的をチェックして、疑わしいことがなかったら、入国ビザや渡航ビザを発行してよい。それ以外はいかなるビザも発行してはいけない。」

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 7月29日朝、杉原はユダヤ人を一人一人呼び入れ、事情を確認し、それを手書きでビザに書き込みました。初日だけで121家族のビザを発行し、それからほとんど1ヶ月間ビザを書き続けました。

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 8月27日に外務省からの電報で、カウナスの日本領事館を閉め、ドイツ大使館に転任するよう指示されました。翌日メトロポリスホテルに移動すると、すでにユダヤ人たちがロビーに列を作っていました。それは杉原自身が、領事の行き先はメトロポリスホテルだと、掲示したためでした。

 1週間、ビザを書き続け、9月4日の朝、杉原一家はカウナス駅に向かいました。プラットホームにも多くのユダヤ人がついてきて、席についても杉原はビザを書き続け、窓から手渡したそうです。

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 1947年に日本に戻った杉原を、外務省はクビにしました。そして「ユダヤ人からお金をもらった」というデマも広がり、外務省は杉原の功績を認めませんでしたが、彼の死後14年経った2000年に、ようやく杉原千畝に対して、政府と外務省も謝罪し、彼の功績を称えるプレートを、外務省に設置しました。

 10数年前に始めた私の杉原千畝を巡る旅も、ようやく終わりました。今、手元に残しているドラマ版「命のビザ」をもう1度見てみようと思います。

お土産に買ったポストカード
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やっぱり我慢できない・・・

 昨年は旅行ばかりしていましたが、今年は孫が生まれるとわかっていたので、旅行の予定もほとんど入れていませんでした。ただ、8月に次女のいるニュージーランドへ行くのと、マレーシアのMM2H手続きのために、9月ごろクアラルンプールに行く必要があるので、そのチケットの手配だけしていました。

 だから2月にバンコクに2週間行っただけで、あとはどこにも行ってないのです。そして無事初孫も生まれ、GW後の長女たちが里帰りしてくるので、きっと旅行なんて行く暇がないだろうなあと思っていました。

 8月まで海外に行かないと決めていたのには、もうひとつ理由がありました。実は私のパスポートは9月初めに期限が切れます。だから、タイから帰ったらすぐに更新しようかと思っていたのですが、なんと7月1日からパスポート代が大幅値下げになるというニュースを聞いて、ついせこい考えをしてしまったのです。だって、16,000円が9000円と、いつもの私のランチなら3,4回は浮いてくるお金なんですよ。

 ということで、7月1日にオンライン申請をすれば、8月10日過ぎのニュージーランド行きには間に合うはずだと考えて、そうするつもりでした。でも先日他の用事で市役所に行ったとき、ふと「パスポートコーナー」の係の人に、「7月1日から安くなりますよね」と確認してみました。するとこんな答えが!

 「7月始めは申し込みは殺到する可能性があるので、平常なら2週間ですが、そのときは発行が遅れる可能性もあります。」

 それって、まさか間に合わないってことはないよね!?と急に心配になってきました。ニュージーランドはビザはいりませんが、NZeTAという入国申請も必要で、最大72時間かかることもあるのです。

 孫ちゃんは、ちょうど2週間の検診も終え、体重も増え順調とラインも来ました。するとますます「どこかへ行きたい」という気持ちが強くなってきたのです。それでパスポート代7000円の差額よりも、6月か7月にどこかへ行こうと思い、マイナポータルからパスポートの申請をしました。やっぱり我慢できなかったんですよねぇ。

 娘たちがいつまで我が家にいるのかは決まっていませんが、パスポートが来たら、即6月か7月のチケットを買おうと思います。以前はパスポート情報なしでも買えた記憶はあるのですが、今回、いくつかのサイトを見てみたら、やはり必要なところがほとんどでした。

 行先は2,3泊ならソウル、4,5泊ならダナンかなあと考えています。ダナンは、コロナ前にフエに行ったとき、次回は絶対ダナンと思っていた場所です。航空券は、値上がりしていますが、今の情勢だと仕方がないですね。


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電車でヴィルニュスからカウナスへ、杉原聖地めぐり①


 ヴィルニュスの3日目は、いよいよこの旅行の最大の目的地であるカウナスへ向かいました。そう「杉原記念館」のあるカウナスです。最初はカウナスで一泊することも考えましたが、電車で1時間ほどの距離だったので、日帰りにしました。
 
ヴィリニュス駅
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 インフォーメーションで「カウナスへの切符を買いたい」と言うと、このキオスクの機械で買えと言われました。英語もあるので、使い方はとても簡単でした。

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 時間で選ぶと、行きは8時10発の2等車、帰りは16時27分発の1等車になりました。でも値段は3ユーロ弱しか違わないんです。

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 ホールにはこんなVIP loungeがありました。どの切符で入れるんでしょうか。でも3ユーロ違いの1等切符で入れるとは思えません。

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ホームへ向かいます。飛行場マークがあったので、電車でも行けるということですね。

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こんなカッコいい電車でした
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2等車でもこんなにゆったりしています
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 1時間ちょっとの旅でカウナス駅に着きました。さあここで、目指すべきものが・・・。写真の左下です。

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杉原千畝のプレートです
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 以前にも書きましたが、私が杉原千畝のことを知ったのは、英語の副教材でした。それをきっかけに杉原千畝について調べ、彼の出身地の岐阜県八百津町にある人道の丘と杉原千畝記念館に行きました。そしてちょうどその頃に作られたテレビドラマを授業の教材に使い、2015年に公開された映画も見ました。

 そのドラマと映画でとても印象的だったのが、このホームです。ここに何百人もユダヤ人が詰めかけ、杉原千畝は最後の最後までビザを書き続けました。

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 「杉原記念館」へ行く前に、もう1ヵ所行きたい場所がありました。日本政府から領事館を閉鎖しろと命令され、領事館を出て、最後に数日間滞在した「メトロポリスホテル」です。ここでもずっとビザを書き続けました。

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折り鶴が舞うようなデザインの杉原千畝のモニュメント
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ホテルの壁に埋められたプレート
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 実は正面から少し覗いても中の様子もわからず、人の気配もありません。でもホテルの周りをぐるりと歩いてみると、裏口のドアが開いていました。そこで意を決して突入。

 すぐに小さなロビーがあり、杉原千畝に関連するものが飾られていました。後で調べてみると、今ここは、それほど高いホテルではなく、シングルだと1万円ほどで泊まれそうです。そして宿帳が残っていないために、杉原が泊まった部屋はわからないそうです。

左は杉原直筆のメッセージ
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 写真を撮っている間、ロビーには誰も来ませんでした。ホテルの人が来たら、「日本人です」と説明して、勝手に入ったことをお詫びしようと思ったのですが、その機会はなく、また裏口から出ていきました。


ビリニュスのKGB博物館

 ラトビアの旧KGB本部で衝撃を受けた私は、リトアニアのKGB博物館にも行かなくてはと思っていました。ここは、旧市街の中心から1.5kmほど離れたところにあり、直通のバスもないので、歩いていきました。

 ビリニュスの旧KGB本部も民間業者によってKGB博物館(ジェノサイド犠牲者の博物館)として公開されています。正式名は「占領と解放闘争の博物館」というそうです。1944年から1991年までソ連の国家警察、秘密諜報機関KGBが行った盗聴や監禁の様子、拷問、処刑などに使われた部屋が保存、再現されていて、当時のKGBの所業を目の当たりにすることができます。

 ラトビア、リガの旧KGB本部は、予約制でツアーじゃないと入れなかったのですが、ここは開館時間であれば、いつでも見学できます。大人6ユーロの入館料でした。

外観はビリニュスの風景に融けこむような建物でした
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入口でもらったパンフレットです
地下1階、地上3階建てで、見学できるところは限られています

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KGBのオフィス
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奥のパイプのベンチのようなものがベッドですが、
横幅がとても狭いです

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本当に狭い独房
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シャワー室
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トイレ
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中庭も本当に狭い空間でした

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処刑された人たちの写真が残っていました

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この絵は囚人によって描かれたものだそうです

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ここから地下へ向かいます
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処刑場のあとです

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処刑までの様子を描いたビデオが流されていました

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  ここでは1000人以上の収容者たちが処刑されたそうです。処刑当日、リトアニア人たちは有無も言わさず次々と銃殺され、遺体は小さな窓から外へと運ばれ、ビリニュス郊外の集団墓地へ埋葬されていました。

モニターの横に、銃弾跡が残っています
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 リトアニアは第2次世界対戦時にはナチスから、戦後はソ連の支配下で、多くの人が殺されました。ヴィリニュスの前に立ち寄った十字架の丘は、そんなリトアニアの人たちが平和的な抵抗の象徴として十字架を建て続けた場所です。

 私は高校時代、「世界史」が大好きで、大国以外の国の歴史にも惹かれました。教科書以外にも、参考書や資料集を読みあさったのですが、バルト三国に関する記憶がありません。1991年の独立のときには、もう長女が産まれていて、東ヨーロッパで平和を求める闘いが行われていたことも知りませんでした。

 もちろん今ほど情報化社会でなかったのは事実ですが、もっと目を向けるべきだったなと思います。「ベルリンの壁」崩壊は大きなニュースで、実際、崩壊前のベルリンの壁を訪れたこともあり、そのニュースは必死で見た記憶があります。でもその後の旧ソ連の国々について、あまり知ろうとしなかったのです。

 ふと今の高校の世界史の教科書には、バルト三国のことは載っているのだろうかと気になりました。ただそれよりも、今の若い人には、世界情勢を客観的に見つめる力を養ってほしいと思います。



リトアニアの中にもう一つの国が!?

 ヴィルニュスの旧市街の川を挟んで向かい側に、「ウジュピス共和国」という「国」があり、その国には39か条の憲法があります。初めて知ったときは、「一体どういうこと?」と思ったのですが、実際行って、その憲法を読んだ時、そのユニークな発想に感動しました。

この赤線で囲まれたところがウジュピス共和国
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東西の長さが1.5kmほどしかありません

 この看板が「ウジュピス共和国」のようです。看板にあるマークが、「青いスマイル」と「モナリザ風」なのが、面白いです。

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 これも「ウジュピスのブランコ」とGoogleにも載っています。子どもだから抱きかかえられてブランコに行ってますが、大人だと水の中を歩かなきゃならないんですよね。

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 ウジュピスは「川向う」という意味で、15世紀頃からおもに労働者や職人などが住み、16世紀に橋が架けられるまで旧市街からは隔離され、治安も悪く、少し差別された貧しい人たちが住んでいたようです。でもソ連時代の後期から、芸術家や学生、若者が住みだして、「ヴィリニュスのモンマルトル」と言われるようになったとか。家賃も安かったため、ボヘミアン的なアートギャラリーやカフェが増えて、1997年に芸術共和国の独立宣言をしたそうです。
 
町に入ってすぐの広場にある「ウジュピスの天使」
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パウピオ通りに約40カ国に翻訳されたウジュピス憲法のプレートがあります

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タイ語もありました
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 ちょっと長くなりますが、憲法の日本語訳を載せておきます。

1.  誰にもヴィルネーレ川のほとりに住む権利があり、そしてヴィルネーレ川には皆のそばを流れる権利がある。
2.  誰にもお湯と冬には暖房と瓦の屋根を有する権利がある。
3.  誰にも死を選ぶ権利があるが、決して義務ではない。
4.  誰にも間違いを犯す権利がある。
5.  誰にも自分らしくいる権利がある。
6.  誰にも人を愛する権利がある。
7.  誰にも愛されない権利があるが、これは必須ではない。
8.  誰にも平凡に生き、知られない権利がある。
9.  誰にも怠けて何もしなくてもいい権利がある。
10.  誰にも猫を愛し、世話をする権利がある。
11.  誰にも、犬か人間のどちらかが死ぬまで、犬の世話をする権利がある。
12.  犬には犬である権利がある。
13.  猫には飼い主を愛する義務はないが、必要とされたら飼い主を助けなければいけない。
14.  誰にも時には義務に無自覚でいていい権利がある。
15.  誰にも何かを疑う権利があるが、これも義務ではない。
16.  誰にも幸せになる権利がある。
17.  誰にも幸せにならない権利がある。
18.  誰にも口にしない権利がある。
19.  誰にも信念を持つ権利がある。
20.  誰にも暴力をふるう権利はない。
21.  誰にも人間の小ささと大きさを分かる権利がある。
22.  誰にも永遠を侵害する権利はない。
23.  誰にも分かる権利がある。
24.  誰にも何も理解しない権利がある。
25.  誰にもどの民族でいる権利がある。
26.  誰にも誕生日を祝う権利または、祝わない権利がある。
27.  誰もが自分の名前を覚える義務がある。
28.  誰でも持っているものを分け合うことができる。
29.  持っていないものは分け合わなくていい。
30.  誰にも親兄弟を持つ権利がある。
31.  誰にも自由でいる権利がある。
32.  誰もが自身の自由に責任を持つべきである。
33.  誰にも泣く権利がある。
34.  誰にも誤解される権利がある。
35.  誰にも他人に罪を着せる権利はない。
36.  誰にも個人として生きる権利がある。
37.  誰にも権利を持たない権利がある。
38.  誰にも恐れないでいる権利がある。
39.  勝つな。
40.  やり返すな。
41.  でも降参するな。

 これを読みながら、本当に納得できることばかりだなと感心しました。英語と日本語をじっくり読んで、タイ語も読みましたが、うまく訳されているなと思いました。

芸術の町らしく不思議なものもありました
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これは「ウジュピスの猫」と言われています
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たぶん普通のアパートの柵の上にあったんですよね

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確かに素敵な建物が多くて、人気が出たのもうなづけます

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 4月1日が建国記念日だそうで、その日だけ橋のところにイミグレが作られ、パスポートがないと入れないそうです。

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 ウジュピスの女神に挨拶をして、橋のところに戻りました。ここもたくさんの鍵がありました。この川も昔はきれいだったそうですが、今は、裸足で入るのは躊躇するほど、きれいじゃなさそうです。

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 狭い「国」で見どころも少ないので、カフェに入らなければ、1時間もかかりませんでした。憲法のところには、ちょうど小学生の団体が、遠足なのか、先生から説明を受けていました。その内容は
、とても考えさせられる内容だったので、子どもたちにもいい教材になるだろうなあと思いました。

 

教会の中にあるレストラン「ピルマス・ブリーナス」

 ヴィルニュスで行きたかったのは、あるレストランです。教会の中にあるというだけでも珍しいのに、そのレストランでは、障がいのある方を多く雇用されているというのです。

 その教会は「聖母マリア教会」といいますが、ガイドブックに出てくるような教会ではありません。18世紀後期にバロック様式で建てられ、ソ連時代には取り壊しの危機に瀕しましたが、野菜倉庫として利用されて残りました。2018年から、3階の聖母マリア礼拝堂が信徒に解放されています。

 外側から見ただけでは、この中にレストランがあるとは想像できません。でもこの1階に社会貢献型レストラン「ピルマス・ブリーナス」があるのです。

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 店名の「ブリーナス」というのは、リトアニアのパンケーキで、スイーツ系だけでなくチーズやベーコンを使った食事系もあるとのことだったので、初日のランチはここへ行こうと決めていました。

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 ウエイター、ウエイトレスの方は、皆さんダウン症の方です。テーブルに来られて、注文の仕方を説明してくれます。注文は、テーブルの上にあるアルファベッドとメニュー番号を書いて渡します。

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本日のスープ 4ユーロ
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スモークサーモンのパンケーキ 9.8ユーロ
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今グーグル・マップから最新版メニューを見たら11ユーロに値上がりしていました

 このパンケーキの大きさがおわかりでしょうか。たぶん直径30cmくらいあったんですよね。3/4くらいまでは本当に美味しいと思って食べましたが、最後はやはり満腹過ぎて、美味しさが半減してしまいました。誰か一緒で、2種類のパンケーキだったら、全部美味しく食べられたのかなと思います。

 本当にヨーロッパでもカナダ、アメリカでも、食事の量が多すぎて、私は持て余してしまいます。そんなときは、誰かと一緒の旅のほうがいいなと感じます。

 この教会では、ダウン症に関する教育イベントも行っておられるようです。地球の歩き方にも載っていて、Google Mapでも4.9ポイントをつけているほど、味にも定評があります。サーブする人だけでなく、厨房にもダウン症の人が働いておられるとのこと。教会が母体のためにできることかもしれませんが、こんなところが日本でも広がればいいのにと思います。
 

初孫ちゃんと会ってきました!

 本当は、昨日このブログを書こうと思ったのです。でも朝からなんだかだるくて、やる気がおきないなあと思い、昼食後に熱を測ってみたら、37.2度。これは微熱!?前日娘の病院に行ったのに、私は風邪の菌か何かを持ち込まなかったかと不安になりました。

 夕方のレッスン中は、テンションが上っているためか、全然しんどくなかったのですが、なんか暑いかもと熱を測ったら37.7度に上がっていました。でも食欲は普通にあったので、とりあえず夕食を食べて、8時頃にはベッドに入りました。でも全然寝付けなかったので、9時半頃睡眠導入剤を飲みました。

 そして今朝からは、身体のだるさもなく、気力もアップしたので、朝から片付けをして、昼からはジムへ行き、ヨガもしてサウナも入ってきました。たぶんもう大丈夫です。

 さて、この前の月曜日です。前に書いたように、面会はたった1日30分のみなので、夫くんと待ち合わせて行きました。部屋に入ると、ちょうど娘がオムツを変えているところでした。
とてもいい子らしく、いつでも寝ているばかりで、夫くんも「面会のときはいつも寝てるんですよ」と言っていたのですが、その日の面会時間の間中、ずっと起きていてくれました。

 「やっぱり逆らったらあかん人が来たと思ってるんとちがう?」と笑いながら娘。そういえば、私がお腹を触ったら、よく動いてくれて、その時も娘は「ばあば思いやなあ」と言ってました。

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 「見たらとろけちゃいますよ」と友人から言われていました。最初抱き上げたときは、感動して涙が出てきたのですが、ずっと抱いていても、娘たちの時のような気持ちにはなりませんでした。でも確か長女の時も、最初はあまりピンと来ず、同室になってから急に実感が湧いたのです。GW後に里帰りをしてくるので、一緒に暮らすと、もっと実感が湧くのかもしれません。

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 それにしても新生児を見たのは何十年ぶりかなので、その小ささに驚きました。予定日を過ぎていたので、3200gちかくあったようですが、それでも長女や次女のほうが大きかったのです。新生児の抱き方も一瞬とまどってしまい、自分でもホントに二人も子どもを育てたのかと情けなくなりました。

 娘と孫は今日、退院しました。夫くんはGWまで育休を取るので、いよいよ親子3人の生活です。夫婦二人で試行錯誤しながら、頑張ってほしいです。


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ヴィルニュス旧市街巡り

 娘の赤ちゃんを待ち続けた毎日は落ち着かず、旅行ブログは全然書けませんでした。今日は日曜日で仕事もなく、午後からジムでピラティスをして、のんびり過ごせました。ということで、久しぶりのバルト三国に戻り、最後の国、リトアニアです。
 
 ヴィリニュスに到着した翌日、まず旧市街へ出かけました。泊まっていたAirbnbのアパートからは、歩いて20分程の距離です。でもこのヴィリニュスの旧市街は、バルト三国の中で一番広いのに、バスなど一切ないんです。だからひたすら歩くことになりました。

 ハレス市場から少し行くと、旧市街の入口となる「夜明けの門」があります。昔は9つあった城門のうち唯一残ったのがこの門です。手前は本当に門ですが、実は内部に上がれるようになっています。

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 旧市街側から見ると、教会のような建物に見えます

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中には祭壇があり、祈りを捧げている人がいました

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この聖母のイコンは奇跡を起こすと言われているそうです

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 旧市街は、こんな建物ばかりで、ここが何だったか覚えていません。でも市庁舎広場のところだと思うんですが・・・

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聖カジミエル教会

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 ここは1604年にイエズス会によって建てられた教会で、名前の聖カジミエルはリトアニアの守護聖人だとか。
 ここも歴史の変遷で無理やり形を変えられたようです。帝国ロシアの時代には、ロシア正教教会に、第1時世界大戦時はドイツ支配でプロテスタント教会に、ソ連時代には教会ではなく無神論の博物館にさせられたようです。

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ここのパイプオルガンも素晴らしかったです
ぜひ音を聞いてみたかったなあ

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ゲディミナス大公像と王宮

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 王宮は15世紀ごろに作られたそうですが、1655年にモスクワ軍に占領されたときに破壊されて、その後は公園になりました。でもリトアニア独立回復のシンボルとして、2002年に再建が始まり、2013年に博物館として公開されました。

 本気で見ようとすればかなり時間がかかるとのことで、ここは外から見るだけにして、その横手にある大聖堂を見に行きました。

ヴィルニュスの中心にありシンボルとされる主教座教会と鐘楼

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 教会ばかり見学しているようで、本当にあまり覚えていません。この大聖堂の地下には墓室があり、ツアーで入れたようです。リトアニアの聖人と言われたカジミエラス王子や絶世の美女と言われたバルボア妃の棺があると、帰ってから知りました。まあでも、棺を見に行くのはちょっと・・・という気もするので、見れなくてもよかったです。

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バルト三国ではパイプオルガンばかり見ているような気がします

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これが何の手だったかも覚えていません

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 バルト三国の旅も終わりに近づき、下調べも間に合わなくなり、この日は旧市街の位置関係を確認しながら歩き回りました。ただ、どうしても行きたいところが2つあったので、それ以外は駆け足でまわったようなものです。

旧市街はどこを見ても絵になります
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聖アンナ教会

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 15世紀に建てられた後期ゴシック様式の教会です。建設から500年以上経って当時の姿をとどめているのは、ヴィルニュスには他にないそうです。1812年にロシアに攻めいるナポレオンがこの教会を見て、「わが手に収めてフランスに持ち帰りたい」と語ったという逸話が残っています。

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ここはシンプルなパイプオルガンでした

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この教会は内部より外からみた建物に見とれました

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 あまり中身のないブログですが、初日午前中は、観光局で地図をもらって、それを見ながら歩いただけです。この後食事をして、行きたかった場所に向かったのですが、それは次回に。
 


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