日本は平成から令和に変わることで大騒ぎになっている。タイでも普通のニュースで取り上げられているし、久しぶりに会ったタイ人の先生にも「新しい王様になったんでしょう」(タイは王制なので、emperorという言葉はなじみがない)と言われた。実はタイでもこの5月4日、5日に王様の戴冠式がある。

 この10連休を利用して、長女が旅行の最後にバンコクに寄ってくれた。だからこの時に病気のことを話そうと決めていた。彼女はたった2泊で帰ってしまうので、帰る前日は一日一緒に過ごし、その夜に打ち明けようと思った。そしてそれがちょうど術後1ヶ月にあたる日だった。

 朝はゆっくりして、お昼はスクムビットにあるホテルでランチを食べた。それから二人とも見たいと思っていた「アベンジャーズエンドゲーム」を見る。3時間もの大作なので疲れないか心配していたら、最初の方のストーリーが分かりにくいところで、うっかり寝落ちしてしまい、娘につつかれた。どうしても英語音声、タイ語字幕では理解できないところが多い。でもその後は夢中になり一気に3時間が過ぎた。

 映画の後も、彼女のお土産探し、夕食と、以前と変わらないペースで動くと、最後にずいぶん疲れを感じた。家に戻って一息ついたところで、話を切り出した。
 「ちょっとびっくりすると思うけど、でももう大丈夫なことだから。」
これだけ言われても何のことかわからないだろうなあ。 娘は何を言ってるのという顔をする。
 「私、4月始めに、肺がんの手術を受けたの。でも本当に初期に見つかったから、切ったら大丈夫って言われたし。リンパ節転移もなかったから、ホントに大丈夫だから。」 

 娘に口をはさませず、一気にこれまでの経過を話した。2月末に、大学の検診結果で再検査と言われたこと。病院に行ったら、すぐ悪性で手術をしたほうがいいと言われたこと。そしてその日に夫と相談して手術をバンコクで受けると決めたこと。 

 「手術も2時間ちょっとぐらいで、あっという間だったって。まあICUにいたときは、かなり痛かったんだけど、その後は我慢できないほどじゃなかったし。傷跡もこんなに小さいんだよ」と見せると、急に娘は涙ぐんだ。

 「えっ?大丈夫だって。」
 「そうじゃなくて。お母さんのその小さい傷でもすごく痛いんだったら、あの子たちって、もっと大きな傷が残ってて、きっとものすごく痛かったんだろうなって。」

 娘は看護師ではないが、仕事で病気の子どもたちと接している。そのため母親のことよりも、その子どもたちのことの辛さを感じてしまったのだろう。私はそれを聞いてほっとした。私のことで泣かれたら、どうしてよいのかわからなくなっただろう。そして娘につられてもらい泣きしてしまった。  

 夫が手術に立ち会って、最初の予定より長くバンコクに滞在したことも、合点がいったようだ。今後のバンコクでの診察や、日本に一時帰国したあとのことも話をして、それほど大きなショックを受けず納得したように見えた。もちろんもう大人なので、心の中のショックは母親に隠していたかもしれないが。

 長女に話せたことで、本当に気持ちが楽になった。そして話しているうちに、ニュージーランドにいる次女にも話そうという気持ちになった。会うチャンスがないならともかく、6月に彼女がここに来るのは、話すべきだということだろう。 



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