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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

2019年08月

ベトナムのフエに一人旅 2日目②

 昼食の後、車はフエ市内に戻り、橋を超えて旧市街に入った。そして世界遺産に登録されている阮朝王宮へ。

 少し手前で車を降りて、門へ向かう。午後になり、ますます気温は上がっているように感じるが、とにかく歩き続ける。

 半日ツアーにした方が良かったかも・・・と今更、後悔しても遅い。
 
 この太和殿は、中国の紫禁城を真似て作られたそうだ。もちろん紫禁城よりスケールは小さいが、一つ一つの作りは丁寧で、とても美しい。太和殿内は写真撮影が禁止だったので、廊下の写真しかないが、威厳のある建物や家具は、本当に素晴らしかった。

 でも後で説明を読んでみると、実は太和殿は1968年のベトナム戦争時に焼失し、後で再建されたそうだ。ホーチミンから離れたこの街にも、ベトナム戦争の傷跡は残っている。


 頑張って王宮を見学した後、最後の目的地ティエン・ムー寺へ向かった。高さ21.24m、「幸福と天の恵み」を意味するこのトゥニャン塔の各階には仏像が安置されているそうだ。

 ちょうどこの場所は川べりにあり、市内中心までフォン川をドラゴンボートに乗って戻ることになる。夜であれば、橋がライトアップされて、本当に美しいらしいが、ゆっくりの両側の景色を見ながら、涼しい風に吹かれてボートに乗るのは本当に気持ちが良かった。

 4時40分頃、船は中心地に着いてツアーは終了した。それにしても朝から約9時間、昼食付きでみっちり観光し、たったの1300円弱。コスパの良さにびっくりしてしまう。最初に書いたが、ベトナムは本当に外国人料金がないのだろうか。タイだと、タイ人20バーツ、外国人100バーツという料金設定がどこでも見られる。まあそれでも日本に比べると安いので、納得はするのだが。
 
 昼食がバイキングでしっかり食べたので、それほどお腹も空いておらず、ホテルに戻る道でバインミーの屋台を見つけて買った。ベトナム名物のバケットサンドイッチだ。ホテルには、湯沸かしポットやお茶のティーパックも置いてあったので、もう今夜は出かけずゆっくりしよう。

 

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ベトナムのフエに一人旅 2日目①

 ベトナムには「シンツーリスト」という有名な旅行社がある。2009年以前は「シンカフェ」という名前だったらしく、私が初めてホーチミンに行った時、クチトンネルの1日ツアーで使った記憶がある。
 シンツーリスト 
https://www.thesinhtourist.vn

 今回もHPからフエのツアーを検索して、1日ツアーに申し込んでおいた。昼食付きで、郊外の遺跡を含む5カ所を回るのに、何と249000ベトナムドン(1245円)。これはベトナム語のHPでも同じ金額なので、ベトナム人でも同じなのだろう。ほとんどの観光に外国人料金が設定されているタイとは大違いだ。

 実はホテルはシンツーリストのすぐ近くなのだが、ホテルにピックアップに来てくれるとのこと。7時30分から45分の間と言われたので、朝食をそれまでに終えて(このホテルは朝食付き)待っていると、本当に45分ごろ迎えに来てくれた。

 ミニバンに乗り込むと、すでに欧米人が5、6人。それからまたいくつかのホテルを周り、マレーシア人夫婦、タイ人4人、ベトナム人家族2組と総勢20人弱。ガイドはもちろんベトナム人だけど、最初に英語で説明し、その後ベトナム語で説明していた。

 フエは1802年から1945年のベトナム最後の王朝「阮朝(グエン朝)」があった都市で、旧市街には王宮が、郊外には皇帝の墓が残っている。ツアーがまず向かったのは、ミンマン帝廟。入り口でまず共通チケットを購入。この一日ツアーはで行く3カ所用のチケットは、大人280,000ドン(私の両替のレートで1300円ちょっとだった)。

ここはかなり広大な敷地で、暑くなければゆっくり歩きたいと思えるところ。でもこの日は本当に暑くて、体感温度は38度くらい。日傘を持って行って、良かった。

 ミンマン帝に功績が書かれている石碑。漢字で書かれている。

 こんな石碑が170年以上経っても、きれいに残っている。

  

 ミンマン帝の在位期間は1819年~1840年の約20年間。歴代皇帝の中でも最も博識で有能で、政治力も長けていたそうだ。

 



 一番奥に、ミンマン帝の墳墓へと続く石畳の道があ流。大きな池の上の真ん中に伸びる道の向こうに石段が続き、その上にある門は常に閉ざされているそうだ。この奥に遺体が眠っているそうだが、遺体の正確な場所はわからないとか。
 






 続いて訪れたのは、カイディン帝廟。フランスに系統し、住民の税金を上げたり、派手好きだったと言われているカイディン帝。でもここは本当にお金をかけたことがわかる場所で、見応えはある。

  中国の兵馬俑のような石碑


 バロック様式の内装。壁の装飾は、アジア各地から輸入された陶器やガラスが使われているそうだ。そして、この写真の左側にある花の枝は、日本のビール瓶が使われているとか。

 ここは人も多くて、日本人ツアーグループもいた。私はこっそりそのガイド説明を聞いたり、また英語のツアーのガイド説明を聞いたりした。



 カイディン帝は1916年~1925年の9年間皇帝の座に君臨してたが、40歳で結核で亡くなったそうだ。

 全身が金箔で覆われているカイディン帝像。この像の下に帝の遺体があるそうで、歴代阮朝皇帝の中でも遺体の場所が判明しているのは、このカイディン帝のみだそうだ。



 世界遺産の後に訪れたのは、Vo Kinh Van An というベトナムの格闘技ショー。ここも別料金で70000ドン。でも日本円にすれば300円ちょっとだ。



  その後は、お香やベトナムの笠を作っているのを見せてくれるお店へ。









 昼食のお店が混んでいる時間だということで、ここで長い目の時間つぶしとなった。そして昼食のお店へ。写真を撮るのを忘れてしまったが、バイキング形式で、味付けもまあまあだった。

 お昼を終えて1時頃。でもまだ2カ所残っている。かなり暑い日なので、車に戻るとホッとする。しかも疲れて移動中は睡魔に襲われる。これは術後3ヶ月半だからというよりも、暑さで参っているのだろう。私の横に座っていたマレーシア人女性も、同じように寝ていたから。

                ちょっと写真が多くなってしまったので、午後は次回にします😆

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がん 5年生存率

 最近、病気ブログらしくない内容が続いていたので、ちょっと思ったことを書いてみようと思う。
 日頃から日本のニュースはネットでしか得ることはできない。だから国立がん研究センターが、8月8日に3年、5年、10年生存率を公表したことは知らなかった。でも昨日「切るべきがん、切ってはいけないがん」というヘッドラインから見たニュースで、国立がん研究センターのサイトのリリースニュースも読んでみた。

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これは「NEWSポストセブン」の写真から一部コピーしたものである。

膵臓以外のがんは、昔に比べるとかなり生存率が上がっているそうだ。私の祖父は昭和40年代に肺がんで亡くなっているが、その当時であれば、肺がんとわかった時には、もう手遅れだったのだと思う。私はまだ幼くて、詳しいことを覚えてはいないが。




 ちょうど日本に帰国している時に、テレビで「白い巨塔」が放送されていたので、ずっと見ていた。「白い巨塔」はこれまで4回テレビドラマ化されたそうで、私は2回目にあたる1978年の田宮二郎主演のドラマを見ていた。でも昔のことなのでストーリーもはっきり覚えていなかった。

 ネットでドラマの説明を読んで、主人公の死因が、原作の胃がんから膵臓がんに変更されていると知った。原作は1960年代 に書かれたものなので、その当時であれば、医者であっても胃がんに気づかず、発見された時には手遅れということもあったのだろう。でも今は、医者が末期の胃がんになるまで気づかないことはないという判断なのだろう。

 今は二人に一人ががんになる時代と言われている。でも生存率もかなり上がり、私のように一期で見つかった場合は、即、告知され(これはタイだったから?)、その日に手術を決めてショックを受け止める暇もない状態だった。 つまりがんでは、すぐに死なないということなんだと今更ながらに思う。

 告知を受けてからもうすぐ半年になる。あの日のことははっきり覚えているものの、ずいぶんと前のことのようにも感じる。自分が肺がんになるなんて、夢にも思っていなかった。これまでの人生で、レントゲンで引っかかったことは一度もなかったから。

 日々の暮らしの中で、時々手術をしたことを忘れる。でも階段を3階まで一気に上がると呼吸が苦しくなるし、ジムでのランニングは、ウォーキング+ジョギング程度で、まだ本気で走ったことはない。 そして咳が出るたびに、不安になる。
 
 そしてもう一つ残念なことは、私はもう二度と献血はできない。がん患者は、たとえ5年10年と再発しなくても、献血はできないそうだ。私は若い頃から献血によく行っていたので、もうすぐ50回目を迎えようとしていた。もう献血カードも持ち歩く必要がないんだと思うと、本当に悲しい。

 でも今回発表された5年生存率は、2009年、2010年にがんセンターに登録された患者さんたちの統計だそうだ。それから10年後、私を含む今のがん患者の統計は、もっと生存率が高くなるに違いない。そう思うと、がんになっても怖くないんだと思える。


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ベトナムのフエに一人旅 1日目

 この1年間は娘や夫と短期の旅行をしたが、一人旅はちょうど1年前にラオスのビエンチャンに2泊で行っただけだ。これまで旅行といえばほとんど一人旅だったので、どこかにいきたくて仕方がなかった。

 ベトナムは、これまでホーチミンとハノイに行ったことがある。でも世界遺産になっているフエやホイアンに行きたいとずっと思っていた。ただ今回は3連休で、その前日から出発して3泊4日、あまりバスに長時間というのも自信がないので、乗り継ぎ時間が長くても飛行機だけの移動でフエだけにしようと決めた。

 航空券を取ったのは、3ヶ月半検診の前だったが、最初にSkyscannerで検索したチケットが、2日後にはその価格ではなくなってしまったので、見切り発車ではあるが買うことにした。一番安いサイトではなく、おなじみのExpediaを選び、ホーチミン乗り換えのフエ行きでベトナム航空だった。往復ともホーチミンで2時間ほどの待ち時間があり、日本円で27510円だった。

 当日、飛行機は11時20分だったが、朝食も食べずに早めに空港へ向かった。というのは、私は楽天ゴールドカードについてくるPriority Passという世界中の空港ラウンジに入ることができるカードを持っているので、ラウンジで朝ごはんにしようと思ったからだ。

 チェックインは前日にネットで済ませていたし、荷物も機内持ち込みだけだったが、カウンターでボーディングパスをもらった。出国手続きに向かったが、びっくり。イミグレに降りるエスカレーターのところで人数制限をしていた。最近バンコクのイミグレの混雑は、ネットでも話題になっている。入国だけかと思ったら出国もなんだ。それでも30分ほどでイミグレを通り、ラウンジへ行くことができた。

 飛行機は、定刻より少し遅れて出発し、到着が30分近く遅れた。荷物は持ち込みだから、国内線乗り換えもすぐと思っていたら、国際線と国内線は歩いて10分くらい離れていた。チェックインは済ませているので、直接ゲートへ行ってもよいと書かれていたので、慌ててセキュリティチェックのところへ行くと、「ここじゃない、もう一つ向こうのビルだ」といわれ大慌て。そこはLCCのVietJet専用のゲートで、ベトナム航空は別の場所だった。

 でもベトナム航空のセキュリティゲートは、ものすごい人だった。2時間の乗り継ぎは十分と思っていたのに、もう50分ほどしかない。これはヤバイ!近くにいた職員らしい人に、搭乗券を見せて「時間がない」と言うと、「私はベトナム航空の職員じゃない」と冷たい返事。あまり英語もわかってくれなかったのかもしれない。

 あと45分。もう自分で何とかしなきゃ。周りの人に搭乗券を見せながら、「I'm sorry, but I have no time.」と大声で言いながら、どんどん前に進み、何とかセキュリティチェックを終えて、ゲートまで走った。なのにそのゲートまで行くと、飛行機は30分遅れ。次にその時間に行くと、今度はゲートも変わっていた。新しいゲートに行くと、まだ搭乗は始まらない。結局1時間ちょっと遅れて飛行機はフエに向かった。

 明るい時間にフエに着くと思ったのに、結局1時間半以上遅れ、バスでフエの街に着いた時は暗くなっていた。ホテルに行く前に、明日1日ツアーを予約したシンツーリストに寄った。そしてようやくホテルにチェックイン。

 安いホテルだったが、まだ新しく口コミもよく、チェックインの時にウエルカムフルーツまで頂いた。そして部屋もとても広くて清潔感もあり、大満足。





一息ついて、少しお腹も空いているので、近くの屋台で、名物のブンボーフエを食べる。注文したところで、目の前にいた若い女の子と目が合い、話をした。ホーチミンから仕事で来ているとか。娘より若い子だったが、本当に素敵な女の子だった。
 
 ホテルに戻って、シャワーを浴びて、もうぐったり。明日は7時半から8時の間に、ホテルにピックアップに来てくれるとのこと。世界遺産を回る1日だ。
 

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3ヶ月半検診 [2019/07/21]

    体調はとてもいい。体力もかなり回復して、日常生活にはほとんど問題がなくなった。と言っても1日出歩くと疲れるし、肋間神経痛はずっとピリピリした感じがある。それは疲れるとひどくなるようだ。しかも痛いところは、左胸で時々位置が変わり、今は左の肋骨の上が時々痛い。

    それでもタイに戻って1ヶ月半、娘と知人の結婚披露宴パーティーを兼ねたアユタヤ旅行へ行き、週一回のボランティアを始め、バイクに乗り始めた。職場では病気を打ち明けている一人以外は、誰も私が入院、手術をしたことに気づいていないし、体調が悪そうだと言われたこともない。

   自分自身で気をつけていることは、まず無理をしない事、そして食事だ。タイは外食文化が盛んで、外で買ってもあまり高くない。でも油っこいものが多いし、私の近くの市場はローカルなので、辛さはタイ人向けだ。

    がんになる前から、食生活にはかなり気を配って、夕食の半分以上は自分で味付けをして作ってきた。もちろんタイ料理は大好きなので、メインは買ってきて、野菜料理は自分で作るというパターンだった。でも退院後は、辛いものもを食べたいと思わず、ほとんど和食を作って食べていた。あの頃は、夫が持ってきてくれたサバ缶に大いに助けられた。市場では魚介類のおかずが少ないし、大抵はかなり辛いのだ。 

    体調は良かったものの、やはりずっと咳が出ることが気になっていた。もう十数年前から、ひどい咳が止まらない事があり、レントゲンは何もなかったので、過敏症による咳と言われていた。 香水や消臭剤のような匂い、温度差、チリやホコリ、ちょっとしたきっかけで2、30秒咳が止まらない。

    授業が本格的に始まってから、そんな咳が出るようになった。それと喉の奥深いところに少し痛みもある。風邪とは思わないが、何か気管支に異常があったらどうしようかと不安だった。夜に咳が出るわけではないので、咳止めは一切飲んでいなかった。

    前日に、W先生の受信の前にレントゲンを撮るようにと、確認の電話があった。受診は5時からなので1時間前に行けばいい。もし他の症状が見つかった場合、海外旅行保険が適用してもらえるかわからないので、保険会社に電話をした。

   「私は肺がんの手術を受けて、その経過観察に行きますが、喉の奥が痛いので、もしがんと関係のない症状であれば、保険はききますか?」
   「診断書があれば、後日払い戻しをしますので大丈夫です。」
   「経過観察の診断書の中に、その記載があっても大丈夫ですか?それとも別の診断書が必要ですか?」
   「BNH病院なら、こちらから後で問い合わせもできますので、大丈夫です。」

   少し安心して、翌日の検診に出かけた。レントゲンは待ち時間もなくあっという間だったが、前回同様W先生は遅れて来られるようだ。やはり通訳の方をお願いしようと、受付に申し出て、待っている間に質問したいことをメモした。

①疲れると肋間神経痛(ピリピリ)がひどくなる。いつ頃まで続くのか。
②最近、左上の肋骨のあたりが抑えると痛い。
③授業が始まった頃から咳が出るようになった。
④喉の奥の方が少し痛い。

 診察は結局40分ほど遅れたが、いつもマイペンライ(大丈夫)のW先生は、また軽い感じで全部の質問に答えてくれた。
「神経を繋いだから6ヶ月から9ヶ月くらいは、神経痛は続くかなあ。咳と喉は、大声を出しすぎているためだと思うよ。まあ声を出すなというのは、無理かもしれないけどね。咳止めの薬だけ出しておこうか。でもあまりしゃべりすぎないように。」

  う〜ん、しゃべりすぎないようにって・・・しゃべるのが仕事なんですよねぇ。しかも元来おしゃべりなので、黙っているのがつらい。これまでも日本で風邪をひいた時、喉が痛くなるたびに「あまりしゃべらないように」と言われても、ちゃんと守れなかった。まあ授業のないときは黙っていよう。

  W先生と話すと本当に気が楽になる。レントゲン結果も問題なく、肺もちゃんと伸びているそうだ。何をやっても構わないと言ってもらえた。次回はまた3ヶ月後なのだが、その直前に日本へ戻り、CTを撮ることを話すと、「じゃあ、そのデータ持ってきたらX線いらないから」とこれもありがたいお言葉。タイでの費用が安くなるし被曝量も減る。

   あっという間に診察が終わり、会計を待つ間に、家族にラインで結果を知らせた。実はこの検診が終わるまで少し迷っていたのだが、来週は連休になるので、ベトナムへ行きたいと思っている。すでに航空券は手配済みで、万が一ダメだと言われたら、あきらめるつもりだった。でもこれで心置きなく、久しぶりの一人旅だ。




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術後3ヶ月[2019/07/03]

 術後2ヶ月目から3ヶ月目にかけては、まだ授業が始まる前に娘が遊びに来て、知人の結婚式に出席したり、アユタヤへ行ったりと、手術を受けたことなど思い出さないほど快調に過ごしていた。でも本格的に授業が始まった頃から、また咳が出るようになった。咳止めを飲むほどではないが、喉の奥の方が少し痛いことも、ずっと気になっていた。でも3ヶ月半の時期に検診が入っていたので、そこまでは様子を見ようと思った。

 術後1ヶ月の時に、ブログのまとめをしたが、同様のまとめをもう一度。

肺がん発覚まで

胸部X線で再検査? [2019/02/25]
いきなり手術!?① [2019/02/27] 
いきなり手術!? ② [2019/02/27]

入院、手術

手術2日前 [2019/04/01]
手術前日 [2019/04/02]
手術当日① [2019/04/03]
手術当日② [2019/04/03]
手術翌日 [2019/04/04]
術後2日目 [2019/04/05]
術後3日目 [2019/04/06]
術後4日目ー病理結果 [2019/04/07]
術後5日目ー退院 [2019/04/08]

退院から術後1ヶ月まで
 
術後6日目 [2019/04/09]

術後1週間目 [2019/04/10]
術後10日頃
術後2週間頃
抜糸 [2019/04/21]
術後4週目
術後1ヶ月  [2019/05/03]

一時帰国中の受診
一時帰国[2019/05]② 日本での受診 AM
一時帰国[2019/05]③ 日本での受診PM
一時帰国[2019/05]④ 胃カメラと腹部エコー


体調の変化

*術後2ヶ月目は、日本に帰国していろいろな病院にも行き、体調も良かった。ただ手術をした左側を下にして横になると、呼吸がしにくいので、ずっと右側を向いて寝ていた。そのために、右腕や肩に負担がかかり、以前から痛めていた右肩の痛みがひどくて眠れないほどになった。そこで昔、通っていた針灸院に通い、なんとかましになってタイへ戻った。

*手術後、気がつくと体重が3kgちょっと落ちていたが、日本での暴食にも関わらず、体重は戻らない。でもやはり少し食べる量が減っていて、たくさん食べることができない。食欲がないわけではないが、少し食べるとお腹が一杯になってしまう。

*私は、来年還暦を迎える年齢だが、若い頃からずっとスポーツを続けていたおかげで、体力には自信がある方だ。(娘には過信しすぎで、それが怖いと言われたが)手術後、1ヶ月で家の中のことは全てできるようになったし、2ヶ月後には、外での生活も普通だと感じるようになった。3ヶ月経った今は、以前ほどではないが、体力もかなり戻り、日常生活で困ることはなくなった。

*最初に書いたように、咳が出ることが気になっている。これが日本なら、すぐ病院に行くところだが、保険の使えないタイだと躊躇してしまう。かなり不安を感じているが、とにかく次の検診でレントゲンを撮るし、先生に聞いてみよう。


 

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中古バイク購入②

    私が行ったのは、Fatboy's Motorbike というレンタバイクや修理を請け負っているお店だった。小さな店だが、事務をしている女性は英語が上手な外国人だった。(少しアクセントが違うので、アメリカ人やイギリス人ではないかもしれないが)修理をしているのは、タイ人の男性。お店にあったのは、私が広告を見たホンダのZoomer XとヤマハFilanoだった。

 「乗ってみる?」その女性は気楽に言ってくれたので、その店からぐるりと1kmほど乗ってみた。最初に乗ったのはZoomer X で、乗りやすいものの悲しいかな、足が完全には地面につかない。次に乗った  Filanoはもう一回り大きくて、安定感はあるがもっと足がつかない。でも試し乗りでも久しぶりにバイクに乗る爽快感があった。

 店に戻って考えたのはほんの一瞬。もう
Zoomer X を買おうと決心した。2014年で走行15500kmで24,000バーツ。でも現金の持ち合わせがなく、事務の女性にATMの場所を尋ねると、修理をしている男性に声をかけて、さっき乗ったばかりのFilanoの後ろに乗せてATMのあるコンビニに連れて行ってくれた。そしてお店に戻り支払いを済ませた。そしてグリーンブックという登録証と、名義変更に必要な書類を受け取った。事務員によるとバーンチャークにある陸運局で名義変更ができるとのことだった。

 一旦家に帰って、ネットで色々調べてみると、名義変更はモーチットの陸運局でないと無理らしい。グーグルマップを見ると土曜日も空いている。本当かなあ。でも土曜日ならいつもより道路は空いているから、試しに走ってもいいかもしれない。

 経路を確認して、いつもバスやソンテウで通る道に出る。でも気づくとアソックの辺りに来てしまった。本当はプルンチットの横を通るはずだったのに。どこで間違ったのかなあと考えながら、車の多いスクムビット通りを走る。でも土曜日でもそこそこ車が多くて、その間を抜けていくのは、かなり気を使う。

 ビクトリーモミュメントを超えると、かなりスイスイ走れるようになった。モーチットの陸運局は免許証のために何度も行ったことがある。でも陸運局の前の道路は反対側で、中央分離帯のあるところだ。気づくと通りすぎてしまい、そのままUターンする場所が見つからず、グーグルマップで検索して、かなり遠回りすることになってしまった。まあかなり方向音痴ではあるので仕方がない。

 苦労して着いた陸運局は、人気がなかった。検査場にいたおじさんに聞くと、土曜日はやっていないとのこと。やっぱりだ。でもまあ練習にはなったかな。

 バイク購入まではすんなりいったものの、実はこれからがまだまだ困難が続く・・・になってしまった。




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