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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

2019年10月

1週間だけの帰国① CT

 一時帰国中はやはりバタバタして、ブログを書くことができなかった。しかもiPhoneからだと、入力に時間がかかる。設定もうまくいかず、文字サイズが小さいまま。アクセス数が多い日は本当に申し訳なく感じながら、タイに戻る日が目前となってしまった。

    日本に到着した日は思ったより寒くなかった。でも雨が降ると気温が下がり、おそらく血圧低下のための偏頭痛と咳も出るようになり、咳喘息の検査をするべきか迷っている。

 とにかく今回も病院巡りとなりそうだ、まず最初は、大阪がんセンターから指定を受けている森ノ宮病院でのCT検査。7月のBNH病院の定期検診の時に、10月末に日本でCTを取ると言うと、そのCT画像を持って帰れば、レントゲンは要らないと言われた。

 朝、病院に電話をかけて、画像をCDに焼いてほしいとお願いした。ダメと言われたらどうしようかと思ったが、「1100円かかりますが」とあっさりOKが出た。でもこれでバンコクでレントゲンを撮る必要がなくなって、経費削減。

 雨の中、病院へむかった。JRと地下鉄のどちらもほぼ同じところにあって便利な場所だ。予約の30分前に行くよう指示があったので、40分ほど前に到着。

 すぐに総合受付で、カルテを作ってもらう。病院案内と「大阪国際がんセンターのご紹介で検査を受診される皆様へ」という説明書きをもらった。平成18年の開院後間もなくから、各種検査依頼を受け付けているそうだ。1番の理由は、センターでは検査が込み合いすぎて、数ヶ月の検査待ちが出ているためらしい。ここでは、CT MRI X線TV検査のみ引き受けているそうだ。

   カルテが出来上がり、検査受付へ。少しの待ち時間で検査室の前に案内された。そこは、CTとMRIの検査室が並んでいたが、待っている人は二人だけだった。そして予約時間の頃、検査室に入った。カーテンの中で検査室に着替える。5分ほどで呼ばれた。

   CTはもう3回目だから、なんとなく要領は覚えている。しかも日本語の指示だから、集中して聞く必要もない。あっという間に検査は終わった。部屋を出るときに、「CDに焼くのに30分ほどかかるかもしれませんが」と言われ、朝の電話の依頼がちゃんと届いているのだなと確認できた。

    結局20分ほどでCDを受け取り、会計へ。検査費用が5630円とCDが1100円。バンコクでCTを撮ったら3万円くらいかかるので、保険が使えるのは本当にありがたい。結果は、来週のがんセンターの検診で聞くことになる。それまではやはり不安だ。でも次は人間ドック。

 


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がんとストレス

 この表題でググってみると、数え切れないほどのサイトが出てくる。「ストレスはがんの重要な原因の一つとされている」とかなりのサイトには書いてあるが、2017年の「アゴラ」の記事で「ストレスがあるとガンになるという説はウソである」というものがあった。

 これによるとタバコ会社が「ストレス」と「がん」との関係があると情報操作をして、タバコを吸うとストレスが発散できると思わせるためだったらしい。でもそれはがんになる前の話で、ストレスよりもタバコや発がん性物質を体内に入れる方が、よっぽどがんになりやすいということだ。

 いったんがんになってしまった人には、やはりストレスをためない方がいいというのは真実だろう。 

 そして現在の私は、実はこの2年半の中で一番仕事のストレスを感じている。日本での仕事生活は、ストレスもひどかったが、身体的に限界が来ているような状態だったので、退職してタイへ来た。それに比べると、収入は激減したものの、労働時間は半分以下、ストレスも少ない生活のはずだった。

 日本語を教えるという私の職場は、タイにありながら微妙に日本社会であり、でも色々なシステムや考え方はタイであるという状態だ。その中に、日本社会ではやっていけないと感じ海外に出て来た人と、純粋にタイに住みたいという思いだけで来た人、2、3年海外で経験をしてみたいと思っている人と、様々だ。

 私は日本社会で30年以上働き、それに順応して来た。時間外労働が月80時間を超えるような仕事でも、誰かがやらなければ仕事は終わらないと思って、頑張ってきたつもりだ。そして周りもそんな人が多くいて、残念ながら現職死をされた人もいる。それは絶対におかしいことだともわかっている。

 タイは「マイペンライ」と言って、なぜか何とかなることも多いのだが、予定がコロコロ変わったり、自分の仕事をすればOKと思う人たちの中で、日本の常識というか習慣を捨てきれない私は、かなりイライラしている。

 がんになって、改めて、なぜ仕事をしているのだろうと考えるようになった。私がやりたいことは、今の仕事を続けることではないとも感じるようになった。 

 がん予防として、毎日の心がけを載せているサイトがあった。規則正しい生活や、適度な運動は当然だが、「一日10回以上、感謝の心を持ち、ありがとうと言いましょう」 とか「1日5回以上笑いましょう」と書いてあった。

 10回以上の感謝の心、これをすっかり忘れているような気がする。一人で暮らしていると、職場以外で話をする機会が少ないので、感謝する機会も少ない。もちろんちょっとしたことで「コープクンカー」とタイ語でいうことは多いが、心から感謝しているのか、自分でも疑問に思う。

 感謝の心を持てば、笑顔になれるし、がんの再発予防になるのであれば最高だ。実は来週に日本に一時帰国するのだが、久しぶりに会う家族に感謝を伝えよう。 

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クロントイスラム②

 タイトルとは関係がないが、私はバレーボールが好きだ。今はありがたいことに、海外にいても日本で開催されているワールドカップを見ることができる。

 これまでもTVerのおかげで、家族の誰よりも日本のドラマを見続けているが、今回ほどありがたく思ったことはない。もし見逃しても、全試合見ることができるからだ。そのために、最近は仕事から帰宅するとすぐiPadでワールドカップを見る日々が続いている。

 それで前回に続いて書きかけていたクロントイスラムの問題の更新が、少し遅れてしまった。ただ、これも肺がんとは全く関係のない話なので、病気ブログと思って来てくださった方には、申し訳ないけれど。

 前回、初めてのスラム訪問は「プラティープ財団」だったと書いたが、タイに頻繁に来ている人でも、プラティープ・ウンソンタム・秦さんの名前を聞いたこともないかもしれない。彼女はクロントイスラムで生まれ育ち、まだ10代半ばでお姉さんと一緒に、親が働きに出ている子どもたちを預かって、「一日1バーツ(当時10円)学校」を始めた。1978年にアジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞し、その賞金で「ドゥアン・プラティープ財団」を設立された。

 財団のHPは、日本語のページもあるので、ぜひ見ていただきたいと思う。

 「ドゥアン・プラティープ財団」http://www.dpf.or.th/jp/

 プラティープさんは、私がボランティアに行っている「シーカーアジア財団」の代表顧問でもある。またご主人の秦辰也さんも副理事を務めておられる。この「シーカーアジア財団」は曹洞宗ボランティア会の活動から1991年に現地法人化されたそうだ。私もずっと名前は知っていた。

 こちらも日本語のホームページがあり、私はそのページからボランティアの申し込みをした。

 「シーカーアジア財団」 http://sikkha.or.th/jp/

 このクロントイスラムに、立ち退き問題が持ち上がっている。タイでは7月に新政権が発足した。といっても、2014年のクーデター以降暫定政権だった軍事政権から民政に復帰したとはいえ、暫定首相だったプラユット首相の続投。そして8月初めにクロントイスラム の再開発事業が発表された。

 その計画だと、現在このスラムに住む6万人の人が立ち退きをしなければならず、このシーカーアジア財団の場所も含まれるのだ。立ち退きをした住民には、高層アパートを提供するそうだが、それは土地の権利書を持つ人のみ。つまりここで住居を借りている人たちは、行き場を失ってしまうことになる。

 
クロントイスラムで検索すると、3D243265-E512-4E81-AE83-0F57359EC4CA廃線のような線路のすぐ近くにある家の写真が出てくる。スラム内を歩いてみたというYoutubeもたくさんある。私も8月の初めに図書館の先生に案内してもらって歩いた。







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 そして8月末、日本から来た人を、私が案内した。
すると線路が撤去されていたのだ!











 図書館の先生に聞いてみると、やはり再開発計画のためだという。本当にこのクロントイスラムは無くなってしまうのだろうか。そしてここに住む人たちは、どうなってしまうのだろう。

 私は、まだテレビのニュースを見て、理解できるわけではないので、ネット上の日本語の記事や、シーカーアジア財団の方の話しか情報はわからない。でもみんなこれからどうなるかはわからないようだ。

 スラムなど無くしてしまった方がいいと思うタイ人もたくさんいるかもしれない。でもそこに住む人たちの生きる権利を奪わないでほしい。子どもたちの笑顔が消えないでほしい。


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クロントイスラム

 私が初めてクロントイスラムを訪れたのは、もう30年くらい前になる。独身時代は毎年タイに来ていて、ある年、日本人ボランティアの方に「プラティープ財団」に連れていってもらった。そこでプラティープさんと結婚されて間もない秦辰也さんにお話を伺った。

 その時にスラムの中を案内していただいたが、本当にショックだった。水路の上に、板が通してあるだけの通路は、腐りかけたところも多く、歩くのも危ないと思ったし、匂いもひどかった。でも、遊んでいる子どもたちの笑顔は明るかった。

 タイに住み始める前年の2016年8月、再び「プラティープ財団」を訪れる機会があった。その時もスラムの中を案内していただいたが、私の記憶とはかなり変わっていた。確かにまだまだ貧しい暮らしをしている人は多いが、スラムの中心の通りは他の町とあまり変わらず、昔とは大違いだった。

 タイに来る前から、何かクロントイスラムでボランティアをしたいと思っていた。1年目は仕事に慣れるまでそれどころではなく、2年目は問い合わせをしたものの、授業数が前年よりも増えてしまったため、そのゆとりがなかった。

 そして今年、日本から戻ってすぐ去年に問い合わせをした「シーカー財団」にメールをした。今回は、すぐに話を聞きに行くこともでき、6月終わり頃から週1回をめどにボランティアに出かけている。

 ボランティアと言っても大したことをしているわけではなく、一番多いのは、図書館で子どもたち過ごすこと。子どもたちは容赦無くタイ語で話しかけてくるので、いつもしどろもどろになる。でもタイ人の先生方は、私にもわかりやすいようにゆっくりと話してくださる。



 図書館にはいろいろな人がボランティアに来ている。タイに住んでいる日本人だけでなく、いろいろな国の人もやってくる。この写真の時は、ちょうどフランス人学生がインターンシップとして参加していた。

 これは大きな絵本を使った読み聞かせで、子どもたちの大好きな「大きなかぶ」。先生の話し方が本当に上手で、私もすでに何度か聞いているが、いつも楽しい。

 タイ人の中にも、まだまだスラムに偏見を持つ人は多いという。タクシーも乗車拒否をされることも多いらしい。タイ人の同僚にボランティアのことを話してみたが、クロンとイスラムには行ったことがないと言われた。

 子どもたちは昔と同じように、誰にでも明るい笑顔を向けてくれる。私ができることは限られているけれど、これからもずっとその笑顔を見に行きたいと思う。

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術後半年 [2019/10/3]

 過ぎてみるとあっという間の半年だった。いきなりの告知を受けて、その日中に手術日が決まり、夫と弟以外には誰にも告げず、手術を受けた。手術後10日後には一人暮らしに戻り、それから1ヶ月後には飛行機に6時間乗って帰国した。

 手術後2ヶ月半で仕事に復帰。職場には手術のことを話していないので、今まで通りの仕事量をこなしている。と言っても、日本で働いていた時の労働時間に比べるとかなり少ないので、フルタイムで働いていると言っても、疲れた時は早めに帰ることもできる。

 術後3ヶ月くらいで、普通の生活に戻ったと感じた。授業の時は4時間ずっと立ちっぱなしになるが、授業中に座りたいと思うこともなかった。もちろん授業中はアドレナリンが出ているためで、家に帰ると疲れを感じることもあったが、寝込んでしまうようなことはなかった。

 もちろん問題もあった。日本に帰った時はひどい胃炎を起こしていたし、タイに戻ってから軽い膀胱炎になった。そして先月は風邪をひいて、回復にかなりの時間がかかった。そしてずっと咳は出ている。

 がんになる前と今では、いろいろ考えることが変わってきた。人一倍元気で、ずっと健康でいられると思っていた私は、死について考えたことがなかった。もちろん手術でがんは取り除いてもらえたので、私の人生はまだまだ続くと思っている。でもいつか来る死について、考える時間を持つようになった。

 50歳を過ぎた頃、定年後はどうしようと考え始めた。仕事は楽しかったし、やりがいもあったので、60歳を過ぎても再任用で働くのもいいかなと思った。でも親しい人が定年を迎える前に現職死してしまったことから、本当に自分のやりたいことは何かと考えるようになった。

 若い頃からもう何十回もタイに旅行してきたけれど、いつかタイに住みたいという気持ちもあった。その思いが強くなり、タイに住む手段として日本語教師の資格を取った。そして運よく今の仕事について2年半が過ぎた。

 そして今、また私は何をしたいのだろうと考えている。このまま日本語教師を続けたいのか、それとも他のことがしたいのか。

 再発の恐れはないと思いたい。でも100%ないわけではないし、それより日本にいる両親が介護が必要になれば、帰国せざるを得ない。

 将来のことは誰にもわからない。でも悔いのない人生にするためには、自分が本当にやりたいことを探してやるしかないと思う。
 
 


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バイクの名義変更

 バイクを買った翌週、午後の授業のない日に再び陸運局へ向かった。この日も右折で入るところを行き過ぎて、ちょうどチャトチャックの公園を超えたところあたりでUターンできることに気がついて、そこから戻ることができた。前回は、多分まだそこから5分以上は直進したように思う。

 さてまず車の免許を取ったビルの裏手にバイクの検査場があるとのことなので、そこへ向かった。バイクを停めて聞いてみると、なぜか先に第2棟の建物に行くように言われた。そこのインフォーメーションでバイク屋からもらった書類を出して、名義変更をしたいことを伝えた。

 受付の女性が行ったことはまず「タイ語話せる?」。それから来るのか。
「少しなら。」「これはサムットプラカーン県で登録されているから、まずバンコクに登録を移さないとだめ。今日手続きをして、来週の金曜日以降に来て、名義変更をしてね。」

 以上の会話は、タイ語の中に、少し英語の単語を入れて説明してくれたので理解できたが、タイ語だけだと危うかったかもしれない。でもナンバープレートが
クルンテープ(バンコク)じゃないことに、なんで気づかなかったんだろう。それくらい読めるのに。

 印紙代と手続き料のようなものを合計35バーツ払って、とりあえず登録地変更はできたようだった。でももう1度ここまで来なくてはならないと思うとうんざりだ。

 とにかく渋滞の中を、車と車の間をすり抜けていくのは本当に気を使う。バンコクは車線は2車線以上あるところが多いが、路肩がそれほど広くない。しかも路肩のあたりは道がデコボコになっていることが多くて、ハンドルを取られそうになる。

 そして翌週、3度目の正直と思いながら陸運局へ向った。今度は最後の右折もちゃんと曲がれて、しかも第4棟に近い裏門のところから入ることができた。

 バイク検査場も人が並んでいたが、その後ろに並んでグリーンブック(バイク登録証)を出した。番号札をもらって、待合で待っていると15分もしない間に、検査票をもらえた。そしてそれを持って第2棟へ向った。

 この日はかなり人が多くて、インフォーメーションに並ぶだけで30分ほどかかった。ようやく私の番が来て、さっきの検査票とバイク屋でもらった書類を出した。するとまた「タイ語話せる?」と聞かれ「少し」と答えると、「書類が足りないわよ。前の持ち主の、IDカードのコピーと、サインがない。」

 えっ!?バイク屋は、これで全部書類は揃っているって言ったのに!一応下手なタイ語でそれを伝えると、名義変更の書類を用意してくれて、サインの必要なところに丸をつけてくれた。「前の持ち主のIDカードのコピーもサインしてもらってね。」
 
 もう何がなんだかわからないけど、とりあえずこのままfatboy's motorbikeへ行ってみよう。

 英語を話す女性の店員さんに、陸運局で書類が足りないと言われたことを話した。
「でも今まで、同じように書類を用意して大丈夫だったけど。店のオーナーに聞いてみるわね」とすぐラインで連絡をしてくれたが、オーナーも、それで大丈夫なはずだと言う。

 「うちで手続きをするなら、1000バーツかかるけど、タイ人スタッフが必ずやってくれるよ。」「それはちょっと高い」と渋っていると、「とにかく書類を見るから」と、バイク屋が用意した書類と、私が陸運局でもらった書類を全部預けて、確認してくれることになった。


 その翌日、オーナーから直接電話があった。
「ごめん、やっぱり抜けている書類があったんだ。あのバイクは、他の会社から買ったので、その書類を用意するのに、少し時間がかかる。でも名義変更の手続きも、うちのスタッフに行かせるから。」

 オーナーも英語の上手な方なので、本当に助かった。これがタイ語だけだと、手も足も出ないだろうなあ。とにかくこれで私はもう陸運局にいく必要がなくなった。もうそれだけでもありがたい。しかも今回はfatboy's側のミスなので、変更手続きも全て無料でやってくれるという。

 結局、それから2週間以上もかかったけれど、約束通り手続きを全部してくれて、しかもナンバープレートも付け替えてくれて、ようやく私名義になったバイクと私の名前が記載されたグリーンブックを手にすることができた。

 色々あったけれど、ここで買ってよかったと思う。自宅からも近いし、今度の点検も全てお願いできるそうだ。何より英語が通じるのはありがたい。

 実費費用を支払い、タイ人スタッフには「コーヒーでも飲んでね」とわずかなチップを渡し、家に戻ってコンドの駐車場登録も済ませ、ようやく一連の作業も終わった。



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