もしがんになっていなかったら、どんな生活をしているんだろう。一番考えられるのは、やはり日本語教師を続けていたのではないかということだ。がんになる前は、自分の寿命について考えたことがなかった。両親どちらの家系も長命の人が多く、がんで亡くなったのは、母方の祖父だけだった。実は肺がんだったのだが、60歳を超えていたそうだし、何よりかなりのヘビースモーカーだったらしい。だから自分が肺がんになるなんて、100%考えたことがなかった。
告知を受けて考えたのは、「今は絶対死ねない。両親より早く死んで悲しませるようなことはしたくないし、まだ娘たちに私は必要だ」ということ。がんは初期の段階で、手術も簡単に終わり、その後の治療も必要がなかった。だからすぐに死なないと思ったものの、万が一再発や転移、他の場所にがんができたらどうしようという不安は常にある。だから、人生の終わりについても、頻繁に考えるようになったのだ。
そして何をしたいのかと考えると、もう仕事はしたくなかった。一番やりたいと思ったことは、もう一度きちんとタイ語を勉強すること。実は2年半前に、大学の年度末休みを利用して、チュラロンコン大学の「Intensive Thai」コースで勉強した。6週間で一つのレベルが終わるのだが、私は多少読み書きができたこともあり「Thai 4」という中級の最初のクラスに入ってしまい、本当に大変だったのだ。
コロナ禍のためチュラロンコン大学のこのコースはオンライのみになっている。私は1月から「Thai 5」 3月から 「Thai 6 」と勉強を続け、中級を終わる予定だ。このコースについては、あらためて内容や感想を書いてみたいと思うが、授業が始まるとそれどころではないので、当分先になりそうだ。
そしてもう一つ考えたのは、タイ生活をいつまで続けるかということ。最初に来たときは、最低3年は絶対に帰らないと家族に告げてきた。もうすぐ4年になろうとしている。これもがんにかかっておらず、もし大学の仕事を続けていたら、65歳くらいまで働きたいと思ったかもしれない。でも人間ドックで何かちょっとした異常が見つかるようでは、ずっと海外にいるのも不安を感じる。
最近、丸5年でいいかなと思うようになった。自分の健康や都合だけでなく、家族も5年もたてばいろいろ変化がある。私のわがままを受け入れることも難しくなるかもしれない。そう思うと、そこから逆算して1年2ヶ月で何ができるのだろうと考えることができる。近隣諸国を旅行するのは無理だけど、勉強の合間にタイ国内を旅行することはできるだろう。
そして今の「普通の生活」を楽しみたい。特に出歩かなくても、近くの市場へ買い物へ行き、お店のおばさんとちょっとした会話を交わし、時々友達と外食する。1日の終わりには、「いい1日だった」と思える日々を過ごしたい。
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