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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

2022年03月

イミグレのサービスがグレードアップ 90日レポート

 コロナ以前は、海外に出れば90日レポートもリセットされるので、年1,2回やればよかった。でも2020年1月に入国して以来タイから一歩も出ていないので、3か月ごとに90日レポートを出している。その中で、ムアンドンタニのイミグレに行ったのが1回、郵送が3回、後はオンラインだ。

 2021年はオンラインが全然だめで、いらいらしながら郵送したが、2022年に入りオンラインサイトも良くなったのか、1月の90日レポートは、申請から土日を挟んで4日かかったが承認のメールがきた。そして今回は4月11日が締め切りのために、2週間前の3月28日にオンラインで申請した。

 前回すでに登録してあるので、簡単にサイトに入り(パスワードは忘れていたが、PCが覚えていてくれた)、すんなり申請修了しクリックするとTM47のPDFファイルも開いた。まあ一応PCに落としておこう。

 前回は申請してからちょっと時間がかかったが、先日オンライン申請した友人は翌日の夕方に返事がきたと言っていた。それで翌朝メールを確認しているときに、迷惑メールフォルダーにイミグレからのメールがあった。
「27日の日付?申請の前日に、これ何?」と思い開いてみると・・・

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 何と90日レポートをしなさいというお知らせメールだった。これにはびっくり。ちゃんと締め切り2週間前の前日に来ている!

 そして29日のお昼ごろ、今度は承認メールが来た。早い!イミグレもちゃんとしたサービスができるようになったんだ。でも私はこれがたぶん最後の90日レポートなんだよね。コロナの前からできるようにしてほしかった。

 この5年間、イミグレにはいろいろ悩まされてきた。一番最初のビジネスビザ申請は、私はすんなりいったのに、一緒に行ったあと2人の同僚は問題があり(もう理由は忘れてしまった)、朝6時に着いたのに終わったのは午後3時ごろだった。翌年は、私が大学の書類をもらってから行くことになり、午前10時半に着いて終わったのは午後6時過ぎ。しかもリエントリービザは間に合わなくて、翌日も行った。3回目は手術の直後だったので、体力的に不安だったが、まあ早めに終わった。4回目はコロナの非常事態宣言が出たために、逆に人が少なめだった。

 そして自力でやったビジネスビザのキャンセルとリタイヤメントビザへの切り替え。これも書類が足りないと言われ、2日通った。前回のリタイヤメントビザ更新は、すんなりいき待ち時間も少なかった。それでもイミグレに行くというだけで気が重くなる。

 来年の12月のリタイヤメントビザ更新に戻ってこれるかわからない。本当は、毎年冬から春にかけてタイで過ごしたいと思うので、12月の更新に合わせて戻って来れたらいいのだけど。でも観光ビザで入って、イミグレで延長というのもありかな。いずれにせよイミグレにはまた行くことになるのだろうなあ。

 話は変わるが、今のコンドの生活もあと3週間ほどになった。でも冷蔵庫にはかなりの食品が入っていることに気づいて、ちょっと焦っている。これを全部処理するのは無理じゃないか。ということで、なるべく自炊しようと心がけている。

昨日の夕食
大好物のプラームックカイケム(イカと塩卵の炒め物)
焼きナス、ごはん(先日手に入れたお椀に盛ると美味しそう)
デザートは写真はないけど旬のマンゴー

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マスクフェスティバル チェンカーン⑥

 ルーイ県はピーターコーンという祭りが有名だが、それは毎年6~7月頃にダンサーイで行われる。有名な仏教逸話をもとにしたお祭りで、収穫前の雨乞いや厄払いの目的があるそうだ。

  ピーターコーンの意味は、「ผี ピー」=霊、「ตา ター」=目、「โขน コーン」=仮面劇。派手なお面や衣装を着た人がパレードをしている写真を見て、一度行きたいと思っていたがチャンスがなかった。でもそれによく似たお祭りがチェンカーンにあったのだ。またルーイ県は、他でも同様のお祭りがあるそうだ。
 
 さあいよいよパレード。5時半からと聞いていたが、5時前に出発予定のワット・シークンムアンに行くと、すでに大勢の人がスタンバイをしていた。

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 夕方とはいえ気温は30度を超えている。こんな重そうなマスクと衣装をつけて1km以上パレードするのだから大変だろうなあ。

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  さあ、パレードの始まり

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歩いているのは地元の人たちとのこと

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古い町並みのウオーキングストリートを進んでいく

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子どもたちもいて、時々仮面をはずしている子もいた

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パレードが止まると、写真大好きタイ人たちが、すぐ一緒にスマホで撮影

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日は沈んでいくけれど、暑さは変わらない(;'∀')

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あるホテルの前にあったオブジェ
ここでもみんな一緒に写真を撮っていた
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一応動画も撮りました






 パレードはワット・ターコックの向かいに作られた舞台のところまでだった。前日にリハーサルのようなものが行われていたが、本番のこの日はまず高校生バンドの演奏で始まった。

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 その後はちょっと年配男性二人の歌。そして舞台の下のところで、いろいろなダンスが始まった。タイの伝統的な踊りは、やはり高校生が踊っていた。

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 ふと思った。日本人の伝統的な踊りって何だろう。やはり日本舞踊なんだろうか。でも小学校や中学校の体育の時間にフォークダンスをした記憶はあるが、日本の踊りを習った記憶はない。

 盆踊りでさえ最後に行ったのは、自分の娘たちが小学生の頃。娘たちは「アンパンマン音頭」を踊っていた。自分の小さい時は、確か「炭坑節」とかいうのを踊った記憶はあるが、歌は覚えていても振り付けは全く覚えていない。

 でもタイ人は小中学校でタイの伝統舞踊を習うので、だれでも少しは踊れるらしい。そして私がボランティアに行っていた「シーカーアジア財団」でもタイ舞踊の練習をさせていた。
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 日本人は日本文化と言われるものを、どれほど学んでいるのだろう。茶道華道も学校で教えないし、音楽の授業でも外国から入った歌ばかり歌っていたような気がする。私は母が茶道華道を教えていたので、子どもの頃から家で習っていた。それに書道も高校生まで習っていた。

 でも娘たちにはほとんど日本文化を学ばせなかった。かろうじて長女は母が茶道を教えていたが、それも中学校に入ると忙しくなりやめてしまった。書道やそろばんも習わせなかった。娘たちは海外生活もあったため、日本文化に触れる機会が少ないまま大人になった。少し後悔が残る。

 踊りのあとは、表彰式が始まった。舞台の横に、仮面がたくさん並べられていたので、マスク作りコンテストだったのか。とにかくすべてタイ語だったので、あまりわからないまま眺めていたが、途中で飽きてストリートへ戻り、食べ物を物色することにした。

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みつけたのが、このピザとクレープが合体したようなもの
でも以外に美味しかった

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最後はまた舞台下でマスクをつけた人たちが踊って式は終わった

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チェンカーンのウオーキングストリートは毎日開かれている
でもパーイとは比べ物にならない
このお祭りの日でさえ、「密」にならない状態だった

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 3泊4日のチェンカーンの旅は、こうして終わった。翌日はちょうどお昼ごろの飛行機なので、朝ゆっくり朝食を取り、バイクでルーイ空港に戻るだけだ。

 ゆとりをもって出発したので、空港には1時間半ほど前に着いた。バイクを返して、すぐ近くにあるカフェへ。ルーイ空港は小さくて何もないが、空港を出てすぐ右手に、ちょっとおしゃれなカフェがあるのを調べていた。ここは軽食も取れるようだ。

Driptionary : Specialty Coffee & Roastery
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最後にホットラテ 
コーヒーの味が深くておいしかった
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ルーイ空港のカウンターはこれだけ
あっという間にチェックイン
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 本数が少ないためか、帰りもほぼ満席だった。今回は急に思いついて(というよりニュースを見て即決)チェーンカーンへやってきたが、本当にのんびりできた。外国人は皆無で、どこでもタイ語で話しかけられた。今の時期に日本人が旅行に来るなんて、想像できないのだろうなあ。しかも女一人旅。バイクも気持ちがよかったので、今回も大満足。 



MacとiPadを売る 帰国準備②

 これまで買ったパソコンは何台になるだろうか。初めて自分で買ったのがWindows95だが、それ以前から仕事で使っていたので、もう30年近くもパソコンと付き合ってきたということになる。ずっと自宅には家族も使うデスクトップと、自分専用のノートがあった。そしてタイに来る前は、4人家族でもデスクトップが2台、ノートが1台、iPadが2台があり、デスクトップ1台以外はすべて私の専用機だった。

 そのデスクトップの1台が初めてのMacだった。これは学校が授業でiPadをつかうようになり、同時にMac PCを導入したため、自分でも同じ環境を家に持ちたかったのだ。実は学校教員は、かなりの仕事を持ち帰って家でしている。

 Macと言っても、お手頃なMac Miniを買い、モニターやキーボードも色々調べて、Apple以外で使いやすいものを自分でそろえた。だからそのセットはかなりのお気に入りで、本当なら最初からタイに持ってきたかった。でも荷物の関係で断念し、翌年一時帰国した時に持ち込んだ。だからタイでも4年使ったことになる。

 まあそんな思い入れがあるMacだが、さすがに年数も経っているし、今後ノート以外使うと思えないので、処分して帰ろうと思った。実は起動や動作がかなり遅くなっていたので、半年ほど前にデータをすべて移して初期化し、OSも再インストールしたのだ。

 今回はほとんどデータは残っていないが、売るためにはもう一度初期化した。でもなぜかOSのインストールができない。前回はうまくいったので理由もわからないが、もういいやと思い、そのままマープンクロンセンターに持っていった。たぶんもう8年近く経っているから値段がついたらラッキーと思おう。

 マープンクロンセンターの4階はほとんどがスマホを扱うお店じゃないだろうか。買取や修理はどこでもやっている。ぐるりと回ってMacと看板に書いてある店に入った。
「古いMac Miniを売りたいんですけど・・・」
カウンターにいた女性は、それを持って隣のお店に入っていった。同じ店らしい。
「古いから2000バーツだけど、いい?」
それが適価かどうかはわからないが、実際、OSを入れるのに失敗しているので、まあ買い取ってくれるだけでよしとしよう。
「ちょっと確認するから、1時間ほどしてから来てね。」

 これでダメならどうしようと思ったが、1時間後に行くと、私の顔を見てすぐ2000バーツ渡してくれた。

 数日後、今度はiPad miniも初期化した。こっちはもっと古い。確か1台目のiPad2を買った後すぐに手に入れたのだがら、10年近く前か。その1台目のiPad 2は、3年前の帰国時に、Appleの下取りで1000円のギフトカードになった。でもそれより古いminiでは、日本では値段なんてつかないだろうと思う。

 今回もぐるりと回って、なんとなく人のよさそうなおばさんに声をかけた。
「この古いiPad Mini 売れますか?」
おばさんはネットで調べて、「300バーツ」と答えた。3年前のiPad 2と同じなら上等だ。

 そして持ち運びに大変なモニターは、「バンコク掲示板」の「売ります・買います」のコーナーに載せてみることにした。今までたまに見たことがあるが、実際、使ってみるのは初めてだ。掲載は無料で簡単にできる。

 モニターはAOCの21.5型、私も買うまでこのメーカーを知らなかったが、液晶がきれいでコスパが高いということで選んだのだ。もう8年前になるし、どれくらいの値段をつけていのかわからなかったので、スクムウィット、シーロムであれば届けるということで1000バーツにした。これは日本から持ってきたために箱も残っていた。

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 写真でわかりやすかったのか、翌日にはすぐ問い合わせがあり、届け先もプラカノンだったので即決。その次の日に届けたら、在宅勤務をしているという若い男性だった。一緒にキーボードとマウスもさしあげた。その帰り道、またトンローに住むという人から問い合わせ。モニターって意外に売れるんだとちょっとびっくり。元の値段からすると、Mac miniより割高で売れた。

 これで手元にはノートPC、iPadとiPhoneを残すのみ。大物が片付いてほっとした。でもまだプリンターが残っているが、これは箱もないし、持ち運びも大変なので掲示板に出すのは躊躇した。もし変な人に当たって、持っていったのにいらないと言われても困るし。ということでプリンターはまだ手元にあるが、どうするかは決めてある。

 おまけの写真はチェンカーンで見つけた不思議なもの。ある家の前にこんなものがあった。たぶん蒸したもち米を平たく丸い形にして、日に干している。どうやって食べるのかわからないが、かき餅みたいだなあと思った。色も何でつけているかわからないが、遠目にも鮮やかだった。

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 このところ旅行記と帰国準備を交代でアップしている。旅行記の方が時間と手間がかかるので、この方が気楽に書けるということに気づいた。それに帰国準備はどんどん書かないと、忘れてしまいそうだし。ブログがなかったら、MacやiPadをいくらで売ったかも、忘れてしまうに違いない。




雲海は見えず プートーク チェンカーン⑤

 旅行中は、必ず日の出を見に行くようにしている。今回もチェンカーンから8㎞弱のプートーク(トーク山)へ行った。5時半過ぎに部屋を出る。ホテルの周りは街灯があったが、市内から離れていくと真っ暗だ。Google Mapが示した道が村の中を通って山に入っていく道だったので、何度も止まって道を確認しなければならなかった。

 寒さはそれほどでもなかったが、真っ暗な道を行くのはやはりちょっと怖かった。でもプートークの入り口はすでにお店が開いていて、駐車場に行くとソンテウが停まっていて、そこで25バーツを払って乗り込む。

まだ暗いが人はいる
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 山頂までは数分。景色を見ながらボーっと夜明けを待っていた。でも雲が多いために、結局朝日は見えなかった。朝日かなと思ったのは、せいぜいこの程度。

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 そして期待した雲海もだめで、この程度

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12月から2月であれば、こんな景色が見えるそうだ
(HISツアーの写真を拝借)
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 雲海は見えなくても、写真大好きタイ人は、スポットを探して写真を撮っている

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 私はプートークの周りをゆっくり歩いて、ソンテウに乗って駐車場に戻った。そしてホテルに戻り朝食。この日は夕方にお祭りのパレードがあるので、午前中だけ近くのお寺に行くことにした。

 まず行ったのはワット・マハータート。この名前のお寺はどこにでもある。タイ中にはいくつあるんだろう。ここはお寺の外側にも中にも興味深い壁画がたくさんあった。

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タイ北部は織物つくりが盛ん
昔からこんな風に布を作っていたのだろう

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ローイクラトン祭りの様子

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農作業や凧揚げは日本と同じだ

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メコン川に面しているので、川は生活の中心

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小さいけれど寝釈迦仏もあった

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 本堂にあったこんなものがあった。なぜここに郵便ポスト?と思ったが、そうではなくお布施箱(Merit Bank)と書いてある。しかも功徳を送る相手が5つに分かれていて、左上は両親とか恩がある人と書いてあった。20 50 100とあるのも金額指定?ちょっと考えてしまうなあ。
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ワット・パータイ
外に仏像が二体並んでいるのが不思議

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この建物はMuseumと書いてあったが、2階までしか上がれなかった
上まで人が登っている写真も、Google mapにはあったけど

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ワット・パークラーン
クチコミもほとんどないお寺だけど、この塔が気になったので

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そしてお昼はまたカオピアック
すっかり気に入ってしまった

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食べたのは、こんなおしゃれなお店
Boonchu Bar
でも値段はローカルで40バーツ

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カオピアックは量が少ないので、しっかりデザートも食べる
この前と同じ店で果物のピールが入ったケーキ

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 この後はホテルでのんびり休憩。夕方には今回の旅のメインイベント、マスクフェスティバルのパレードだ。




気が遠くなる!書類整理して船便で郵送 帰国準備①

 5年前にタイに来たときは、実は母が遊びがてら行きたいというので、二人分の荷物で50Kgほどを持ち込んだ。特大のスーツケース2個、機内持ち込みサイズを2個だったが、母がいたので移動はタクシーを使い問題はなかった。確か最後に泊まったホテルから今のコンドまでが歩いて10分ほどなので、そこを3往復したことを覚えている。

 以降日本から持ち込んだものも多いし、こちらで買ったものもたくさんある。そして何よりも多いのは仕事やタイ語の勉強で使った本や書類だ。本は分別して郵送しようと思うが、プリント状態の物が大量にあった。

 それらも郵送しようと思って調べたら、最近船便でも郵送料がかなり高くなっていることがわかった。やはり燃料費高騰のためだろう。昔タイから船便で送ったとき、ずいぶん安いと思ったのに、今は10㎏でも1800バーツ(航空便だと3260バーツ)。はたしてこのプリントにそれだけの価値があるのか・・・とケチな精神が待ったをかけてしまった。

 こんなに多くの書類や資料が、日本に帰っても必要なんだろうか。帰国してすぐ働きたいとは思わないが、実家の片づけが住んだら、週2,3回程度働くのもいいなと思う。可能性としては日本語教師か英語教師。となると教材を処分するわけにはいかないか。

 スキャンするのはどうだろう。プリンターは持っているのでスキャンできるが、一枚一枚手作業でするとなると気が遠くなる。日本の職場にはScan Snapというスキャナーがあったので、本一冊スキャンしても大変じゃなかったなあと思いながら、ネットサーフィンをしていた。

 するとiPhone や iPadで簡単にスキャンできることに気がついた。まず一つ目は、iPhoneに入っている「メモ」を使ってスキャンする方法。
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 写真を撮るだけで、4角を判断し修正してPDFにしてくれる。便利すぎてびっくりした。今までこれを知らなかったことが悔やまれる。これを使って本一冊分をスキャンした。

 そしてもう一つのやり方はAdobe Scanというアプリを使ってiPadでスキャン。このアプリも無料で使えるが、OCR機能は枚数制限がある。

*OCR (Optical Character Recognition) 機能:手書きや印刷された文字を、イメージスキャナーやデジタルカメラによって読み取り、コンピューターで利用できるデジタル文字コードに変換する。

 このOCR機能で手書きのタイ文字が判読されるかはわからないので、タイ語の資料についてはこの機能はなくてもよい。Adobe Scanは自動的に書類を認識し、自動的にシャッターを切ってくれる。でもiPadを書類の上に固定しなければ、手で支えたままでは大変だ。

 これがあれば便利だろうなあ。
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 ということで、家にあるものを使って作り出したのがこれ。観音開きの棚の戸の上に突っ張り棒を置き、その上にiPadを置く。段ボールには黒い服を載せ、それを書類台にした(黒台だと4角が判別しやすい)そしてスタンドで照らす。

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 この方法だと、書類を入れ替えて、iPadの続行ボタンを押すだけた。後は自動的にシャッターが下りる。でもリビングの床に座り込んでの作業は、大変だった。学生のレポート、多くはないが手紙類、PCにデータとして残っている書類、タイ語の勉強に使ったノート類や資料と数百ページにもなった。そして3日間で費やした時間は、約22時間。いやー本当に嫌になった。

 ということで捨てた書類は大きなゴミ袋が2つになった。それでも捨てられない本や書類がかなり残っている。それは郵便局から船便で送ることにした。

 郵便局へ、これだけの量をどうやって持っていこう。うちは郵便局まで歩いて10分ほどだが、コンドのカートを借りて持っていっても、帰りにカラのカートを押して帰るのも面倒だ。ということでバイクで2往復することにした。

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 近くの郵便局は、これまで何回もお世話になっているが本当に親切だ。あまり英語は通じないが、うちのコンドにも外国人が多いので、局員さんたちは対応に慣れている。

 上の荷物を半分持っていき、梱包をしてくれる局員さん(珍しく女性だけだった)に、「残りを取りに行って戻ります。10分で戻ってきます」と言うと、カウンターに置いていいよと言ってくれた。

 戻ってきて荷物を見た局員さんは、すぐ大きな段ボールを用意して、どんどん詰めてくれる。リュックの中も本だったが、とにかくどんどん放り込まれた。上部には隙間もあったが、そのままビニールテープを貼り、あっという間に紐もかけてくれてカートに乗せてくれた。
「あっちのカウンターへ行ってね。箱は40バーツよ。」

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 送り状には「Books, Notebooks, Document」で価格は3000バーツ、Category of Itemはอื่น ๆ (Other)を選び Personal belongings(私物)と記入。さて何キロでいくらになるんだろう。

 家で別々に計った時は22㎏くらいかなと思ったが実際は、23.340kgで船便(International Parcel Surface)は3285バーツ(約12000円)だった。

 とにかく一番の大物である書類、本の整理が済んだことで気が楽になった。私より早く日本に到着するはずで、早ければ5月中。さあちゃんと箱もつぶれずに届くだろうか。



ゲーンクックー チェンカーン④

 タイダム族博物館から市内へ戻り、昨日行ったクイッティオの店に行くと、なぜか閉まっていた。それでもうひとつ行きたかったお店へ。

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ブンカーンとウドンターニーでも食べたカオピアック
ちょっととろみのあるあっさりしたスープも美味しい
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少し小ぶりだけど、卵を入れても45バーツ
おかゆやガイガタ(卵料理)も35バーツ
こんな値段なら朝食付きのホテルじゃなくてもよかったかも

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 チェンカーンの名所とされているゲーンクック―まではバイクだと15分もかからない。(6㎞弱)レンタサイクルでも来れる距離だ。川沿いにレストランもあるので、夕食時は人が多いらしいが、私は平日の昼過ぎで、あまり人はいなかった。

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ルーイ県と言えば、やはりピーターコーン

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 ここには、ひげを生やしたハンターの像があると聞いていたが、その近くに、このハンターの物語の説明と絵があった。絵は左上から右→下と進む。

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 昔、このあたりに巨大なラオス人のハンターがいた。
彼は本当に大きくて、赤い鼻の穴で子どもが遊べるほどだった(右上の絵)。
ある日、このゲーンクック―までやってきた大男は、対岸に銀色の水牛を見つけた。
彼が矢を放ったとき、メコン川に荷物を積んだ船がやってきた。
その音に驚いた銀色の水牛は、山の方へ逃げてしまった。
大男は「船のせいで、水牛を逃した」と悔しがった。
そして船が通れないように大きな岩を運んできて、どんどん川に投げ入れた。
そこへ旅の僧が通りかかった。
「何をしているんだ?」
「船を通れないように石でせきとめるんだ。」
困っている村人たちを見た僧はこう言った。
「天秤棒にかついで、岩をまとめて運んだ方がいい。」
天秤棒にたくさんの石を運ぼうとした大男は、ゲーンクック―まで来た。
そのとき天秤棒が折れて、大男は岩と一緒に川の中に倒れ、死んでしまった。

つまりこの大男は村人たちにとって悪い奴だったので、僧がやっつけたってこと!?

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 この上の像は普通の大きさだが、下の弓をかまえている象はかなり大きい。写真で見たときは、これほど大きいと思わなかったのでびっくり。ちょうど子どもが写真を撮っていたので、比較のために撮らせてもらった。ガウンを着ているので、卒業式のあとだろうか。でもまだ幼稚園か小学校低学年くらいの子どもだった。

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目の前はもうラオス

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中州が多いのは大男が石を投げ入れたせいだとか

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ゲーンクック―から市内に戻る途中にお寺があり、川沿いにはナーガがあった

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 ニュースによるとこの日からお祭りだそうだが、メイン会場ではリハーサルをやっていた。でも翌日のパレードがメインということで、写真だけを撮ってホテルに戻る。明日も日の出を見に行くので、今夜はのんびりしよう。

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ついに本帰国決意!と「引っ越しプロジェクト」

 このところ、チェンカーンの旅行記も終わっていないし、2月の北タイ旅行は全く書いていないが、目の前のプロジェクトについても記録を残しておきたいというジレンマに駆られている。 

 実は今年6月に完全帰国することに決めた。昨年父が亡くなって以来、一人暮らしの母は元気にしているものの、不安要素も増えてきた。毎週日曜日に電話をしているのだが、コロナで人と話すことが少なったこともあり、かなり記憶力が危うい。さすがにこれ以上ほっておけないと思い、タイ生活に終止符を打つことにした。

 私のバンコク生活は2017年4月に始まった。チェンマイのソンクラーンを見物してからバンコクに入ったので、2,3日は暑さに参ってしまった。大学での仕事が始まったのは5月なので、それまでに家探し、ネットや携帯電話の契約、ワークパーミットの申請とバタバタしたことを覚えている。

 コンドは3,4軒見たが、あまり悩むこともなく今のところに決めた。1ベッドルームで42㎡あるので、一人暮らしには贅沢なのだが(しかも薄給の日本人教師には高すぎる)、家族や友人が泊まることも多いと思い決めた。結局とても気に入って、丸5年住むことになった。

 4月下旬に契約終了なのだが、そのまま日本に帰るのではない。最後のわがままで、チェンマイで2ヶ月過ごすつもりだ。というのは、コロナがなければ、私は本当にチェンマイへ引っ越していた。かなり計画も進んでいたのだ。でも2年前の突然の非常事態宣言で、バンコクから出られなかった。そして辞めようと思った仕事も、その時は辞められなくなった。

 そんな経緯があるので、どうしてもチェンマイに住んでみたいと思ったのだ。日本の家族にもそう伝え、バンコクの友人たちにも話した。4月末までに、今のコンドにあるものを整理しなくてはならない。

 あまり物は買わない生活をしているはずなのに、部屋の中には処分しなければならないものがたくさんある。コンドは家具や電化製品はあったのだが、大きめの扇風機、オーブントースター、湯沸かしポット、プリンターなどを入居時にそろえた。コンドのソファーは立派だがベッドとしは使えないものだったので、1回目の更新時にそれを引き取ってもらい、自分でソファーベッドも買った。

 翌年、最初の帰国時に、日本で使っていたMac Mini、モニター、キーボードを持ち込んだ。その後、ワークデスクとチェアーも買ってしまった。ついLazadaで買ってしまったPCマイク、ヘッドセット、電気スタンド(2個)、スピーカーなんかもある。もう全部いらないはずだ・・・。

 そして日本語教師時代の大学の資料、学生のレポートも残っているし、チュラ―のインテンシブタイコースの教材も山盛り残っている。娘が持って来てくれた文庫本、こちらで買った本、もうどうすればいいんだろう。

 コンドには各階ゴミコーナーがあるので、いざとなれば全部捨ててもかまわないだろう(ソファベッドだけは無理だろうが)。前に壊れた豆乳メーカーや小さいほうの扇風機を出したら、夜にはなくなっていた。きっと従業員の方が、修理して使ってくれるのではないだろうか。

 バンコクには「買取屋さん」という商売があるということを、昔の同僚に教えてもらった。彼女は、帰国直前に取りにきてもらい、お金にならないものでも、一緒に持って帰ってもらえたそうだ。またスクムウィットにもセカンドハンドのお店があるので、ブランド品とか品質のいい電化製品であれば買い取ってもらえるとか。でも私はそこで売れるほど高価なものはないだろうなあ。

 実は引っ越しプロジェクトは2月末に始めた。だから現在進行中で、実際、整理処分したものもある。旅行記と並行して、こちらの記録も進めていこうと思う。

先日友人と行ったチャイナタウンのはずれあるお店
クワンシウンキー(กว้านสิ่วกี่)

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 飲茶はセイロを持ってきてくれた。写真右の豚肉とタケノコを包んだものが、美味しかった。大好きなハーカウ(海老餃子)がなかったのでオーダー 。でも後で来たために、写真を撮り忘れ。食べ始めると写真より食い気となり、全部の写真がない(TДT)。この魚のラートナーも美味しかったなあ。

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