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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

2022年08月

母の介護認定

 今のところ母の一人暮らしは何とか成立している。父は亡くなる1年前に脳梗塞で倒れて以来、家に戻ってくることはなかった。だからコロナが日本でニュースになり始めた頃から、母は一人暮らしとなった。ちょうど2年半だ。

 タイに行く前は、私はずっと忙しい生活をしていたので、ゆっくり母と過ごすことはなかった。昔はよく海外へも連れていったが、たぶん最後に二人で出かけたのは、12,3年ほど前のバリ島だと思う。その時は母もまだ70代前半で、毎晩いろんな音楽を聞きに出歩いても平気だった。

 5年前にタイに行った時も、母が行きたいと言うので、バンコクに落ち着く前にチェンマイのソンクラーンを楽しんだ。バンコクにも2泊して、最後にスワンナプーム空港まで送って行ったが、その時は一人で大阪まで帰ることもできた。

その時チェンマイのワットスアンドークで撮った写真
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 母は7,8年前に記憶があいまいな点が見られ、弟と相談して、物忘れ外来にかかり、今も3か月おきにその病院に行っている。半年に一度、認知症テストを受けているようだが、前回私が病院に付き添ったときは、テストのない日だった。でも主治医の先生は、そのテストの結果が、急に悪くなっているわけではないとおっしゃった。

 でも最近の短期記憶の欠如はかなりひどくなっているように思う。九州に旅行に行ったときも、トイレや温泉の場所がわからなかったり、白浜の帰りも、「どこがおもしろかった?」と聞いても、どこに行ったのかすぐに思い出せないようだった。

 家で料理を作ったり、洗濯をしたりはできている。何十年もやり続けたことや、今、目の前にあることの判断力は衰えていないように思う。でもよくなることはないだろうから、そろそろ介護認定も受けるべきではないかと弟と話し合った。

 母の住んでいる市は、介護保険課の窓口に「要介護・要支援認定」の申請をする。以下の書類が必要だった。
●要介護・要支援認定申請書
●介護保険被保険者証
●主治医の意見書

 申請は弟がしてくれたので、認定調査員の面談は私が同席することにした。そして今日11時という連絡があったので、母にその旨を伝えていたのだが、10時半に行くと留守だった。9時半に歯科医の予約と聞いていたが、10時半までには帰るはずだった。

 歯科医に電話をすると、「眼科に向かわれるとおっしゃってましたよ」とのこと。眼科にも電話をすると、「朝9時の予約の時に、先生がまだ来られてなくて・・・。今ちょうど診察に入られました。」

 私、眼科も行くって聞いてないよ。「じゃあ、終わったら、娘がもう家で待ってるとだけ伝えてください」と頼んだ。

 でも母が帰ってくるまでに、調査員の方と話ができたのは逆に良かったと思う。母への質問は確かこれくらいだった。
「お名前は?」「お年は?」「誕生日は?」「お子さんは何人ですか?」「どこに住んでおられますか?」「今日は何月何日ですか?」

 他に体調面での質問や、どれくらい歩けるかとか、電車やバスに乗れるか、立つときや、ベッドから起きる時、どうしているかなど、細々なことも聞かれた。そして椅子に座って、両手をあげたり、足を順番にあげたり、椅子から立ち上がったりする様子も観察された。

 調査員の前だといいところを見せようとすると聞くが、母も本当にがんばってしまった。このところ、日付を覚えていたことなんてなかったのに、今日は聞かれたら、ちょっと考えたけれど8月31日と答えた。電車やバスに乗れますかという質問も、電車にはこの2年半で延べ5回も乗っていないし、しかもよく知ったところしか行っていないのに、「全然大丈夫です。昔からずっといろいろお茶の関係で出てますから。」と自信ありげに答えていた。

 調査員の方が基本調査確認表のコピーをくださった。
第1群 身体機能・起居動作
第2群 生活機能
第3群 認知機能
第4群 精神・行動障害
第5群 生活適応
第6群 特別な医療
第7群 日常生活の自立度

 これだけの項目の中で、まだ細かくいろいろなことが「できる」「できない」「介助されている」のように細かくチェックされる。母は第2群と第3群は問題なかった。でも第4群の精神・行動障害のところは、物忘れ的な点ではチェックがついていた。

 でもこの表を見ただけでは、私にはまったく判断がつかない。昔、亡くなった姑は、最初に認定を受けた時、「要介護1」だったが、たった1年で「要介護5」になってしまった。身体的にもあまり丈夫でなかったせいでもある。でも母は、姑よりずっと足腰は丈夫で、健康面でも大きな問題はない。

 この後介護認定審査会で判定される。どれくらい時間がかかるのかを聞き忘れてしまったが、1ヶ月以内には来るのではないだろうか。でもまだまだやらなきゃいけないことは山ほどありそうだ。

 

 
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母と白浜③ 串本

 串本は本州最南端にある町だ。白浜からは1時間ほどなので、前に行ったことがある。本州最南端である潮岬とそこから「くしもと大橋」を渡った紀伊大島。その紀伊大島に以前からどうしても行きたい場所があったからだ。

 明治23年(1890年)、トルコ皇帝特派施設として来日したエルトゥールル号は、帰国途中に熊野灘で暴風雨に遭い、串本・樫野崎灯台下の岩礁で難破し、587名が亡くなり、69名が救助された。樫野崎の村人たちは、自分たちの蓄えていた食料も提供し、負傷者たちの世話をした。それ以降、串本町とトルコの交流が始まった。そしてここにその歴史を感じることのできるトルコ記念館がある。

 私はトルコに2回行ったことがある。と言っても1980年代後半なので、もうずいぶん昔のことだ。その時にもトルコは親日的で親切だと聞いていた。その通り、2回ともとても親切にしてもらった記憶がある。でもそれがこのエルトゥールル号事件のためで、トルコの小学校の教科書にも載っている話だとは知らなかった。

 イランイラク戦争の時、テヘランに取り残された外国人たちは、救援に来た自国の飛行機で次々と避難した。でも日本政府の判断が遅れ、日本人だけが空港に取り残された。そこへトルコ航空機がやってきて、216名全員を成田まで運んでくれたのだ。そのことを駐日トルコ大使が「エルトゥールル号の恩返し」だと話した。2015年には、「海難1890」という映画も作られている。

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 母ははっきり覚えていないかもしれないし、以前行ったとき、もうすぐ改装すると聞いたので、もう一度行ってみることにした。

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 館内はそれほど大きくはないが、見やすく展示されている

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エルトゥールル号の模型

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 2015年に公開された映画「海難1890」の紹介ビデオもある。前から見ようと思っていたのに、残念ながらまだ見ていない。

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    屋上から事故現場が見える。たくさんの岩があり、この近くまで入ってくると、座礁してしまうだろうなと思った。
 
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 トルコ初代大統領ケマル・アタチュルク像
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トルコ軍艦遭難慰霊碑

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 樫野崎灯台は、慶応2年(1866年)の江戸条約で建設が決められた8灯台の内のひとつ。明治3年(1870年)6月10日に点灯され、日本で最古の石造灯台で、約34㎞先まで光が届くそうだ。

 灯台に登ってご機嫌な母
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 この樫野崎灯台旧官舎は、1869年(明治2年)4月に着工、1870年(明治3年)7月に竣工した日本最古の石造灯台官舎で、2003年には国登録有形文化財に登録されている。
 入館料は100円かかるが、中に年配の男性がいて、詳しく説明をしてくださった。ドアに使われている木の年輪は、櫛のようなもので手で描いたものだそうだ。残念ながら館内は写真撮影は禁止だった。

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 この日は朝から温泉に入って、かなりゆっくり出ていったので、トルコ記念館に行く前に食事へ行った。串本は新鮮な魚介類が食べられる場所で、マグロとカツオは絶品と言われている。そして記念館から車ですぐのところにある樫野釣公園センターにある食堂は、一流レストランにも引けを取らない。

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 パンフレットに夏にはアワビ会席が食べられるとあったのだが、今年は貝が不作らしく、メニューにはないとのことだった。でもこの海鮮丼(上)の最高だった。特に中トロが絶品で、日本に帰ってきて一番美味しい刺身だった。


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 私たちが行ったのは8月最後の土曜日に昼過ぎ。あまり広くない食堂だが、席は7割方埋まっていた。この海鮮丼はいい値段だったが、他にお手頃なメニューもあり、それも美味しそうだった。
 10月になると伊勢海老が解禁となり、それを目当てに来るお客さんがたくさんいるそうだ。今度はぜひ伊勢海老のシーズンに行ってみたい。



  
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青春って密

 テレビを見ていると、夏の高校野球で優勝した仙台育英高校の監督さんのコメントが聞こえてきた。
「青春って密だなって思うのに、それがダメだダメだと言われて・・・」

「青春って密」、すごく的確な表現だと思った。

 青春時代と言われると、私は高校時代を一番に思い浮かべる。私も部活動に明け暮れた3年間だった。たまたま3年とも同じクラスにバレー部の仲間がいたから、いつもどんな時でも、バレー部のメンバーと一緒にいた。それほど強くはなかったけれど、夏休みはお盆前後だけ、冬休みはお正月をはさんで5日間ほどしか休みがなく、つまりそれ以外はずっと仲間と一緒だった。そう3年間ずっと「密」だった。

 コロナ禍で「3密を避ける」という言葉がポピュラーになり、「密」という言葉のイメー」ジはいいものではなかった。でも仙台育英の監督さんのコメントで、私の中の「密」のイメージが急に変わった。

 以前少し書いたことがあるが、「SOTUS」というタイのBL(boy's love)ドラマにハマった。他のBLドラマも見てみたが、やはり「SOTUS」ほどはハマらなかった。それはなぜかと考えてみたが、ドラマの設定が大学の工学部の上級生と下級生の話で、どちらのグループも5,6人の男子学生のわちゃわちゃした様子が面白かったのだ。

 
ここで気づいたのですが、「わちゃわちゃした」は大阪弁かも!?意味は「大勢が人それぞれ口々に話している様子」です。

 高校や大学の頃は、本当にいつも何人かの友だちと一緒に時間を過ごした。一人でご飯を食べるなんて、あり得なかった。中高時代は、確かトイレも一緒に行っていた。でもそんな風に人に囲まれた生活が普通で、とても楽しかった。

 今の中学、高校、大学の1,2年生は、コロナ禍での学校生活しか知らない。食堂で肩を寄せ合って話をしながら食事をしたり、更衣室で大声で冗談を言いながら一緒に着替えをする経験もないのだろう。

 50年近く経っても思い出せるそんな「密な時間」を共有することができない青春時代ってどんなだろう。外に出ても、エレベーターの中で「会話はお控えください」と書いてあったり、温泉でも「黙浴をお願いします」と書いてあったりする世の中だ。

 私たちの2年間より、子どもたちの2年間はもっと重い。彼らの「失われた密な青春時代」を取り戻すすべはないのだろうか。政府は外国に倣って、無症状患者をコロナの数に入れない方針を打ち出したが、まだまだ反対意見も多い。でもコロナと共存して前に進まなければ、日本は他国から置いてけぼりにされるように思う。 

白浜には南国の花や草木も見られる
真っ赤なハイビスカスが鮮やかだった
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母と白浜② 和歌山城

 白浜は何度も行っているので、行きたいところが思いつかない。いつも通りGoogle mapでいろいろ探してみたが、一応白浜近辺の観光地は、どこも行ったことがあった。それでふと和歌山市内を探すと、和歌山城、美術館、博物館があることに気づいた。

 和歌山城に行こう。7月に母と岡城跡に行ったし、先日は友人と大阪城にも行った。日本にいるのだから、いろいろなお城へ行ってみよう。

 和歌山城は小高い丘の上にあるので、こんな階段を5分(若い人なら)ほど登らなければならない。母に聞くと「行ける」というので登り出した。でもすぐ最初の踊り場でしんどそうだったので、そこからは階段を登るタイミングに合わせて、お尻を押してみた。母は「ずいぶん楽やわ」と言いながら、残りをなんとか登り切った。

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 ここの石垣は大阪城とはずいぶん違う。まあ豊臣秀吉の居城と比べてはいけないか。大阪城に石垣の石は、もっと大きくて形がそろっている。でもここは逆にこんな不揃いの石でちゃんと石垣を作っているのがすごいと思った。

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徳川御三家のひとつ「紀州徳川家」の居城で、8代将軍吉宗はここの出身だそうだ。太平洋戦争時に空襲で天守閣が焼失したが、1958年にコンクリートで再建された。だから城自体はオリジナルではないが、中に展示されているものは、江戸時代のものもあり、とてもおもしろかった。
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 この写真を撮っていると、忍者姿のおじさんが近づいて来て、私たち二人の写真を撮ってくれた。たぶんこのお城のボランティアさんだと思う。
「この階段で上がってきたんか、すごいなあ。」と母に言ってくれ、気をよくした母は、また色々話し始める。
「子供の頃、親がよく山歩きに連れて行ってくれたから、86になってもこれだけ歩けるんや」と自慢げ。そしていつも通り、いろんなところに行って歩いたとか、海外旅行もたくさん行ったとかの話になる。(もう知らない人に、そんな話をするのはやめてくれー) そしてまた私がタイから帰ってきた話になり、母の頭の中では、私が文科省の派遣か何かで行って、定年で帰ってきたことになっている。

 母の話につきあって下さった忍者のおじさん、本当にありがとうございました。

 話をして機嫌良く門をくぐっていく母
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入ったところに敷き詰められた白石がハート型
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鎧を見ると、いつも小さいなと思う
昔の人はかなり小柄だったのだろうか
 
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これにはびっくり。明治時代初期までは、郵便配達員は銃を携帯していた!

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 昔のお殿様は、こんな鉄仮面のようなものをつけていたんだ。でもマスクでも汗をかいて、呼吸するのが苦しくなるのに、鎧を来て、こんなものを被っていたら、戦なんてできないよ。私がそう言うと、母が言った。
「昔のお殿様は、動く必要がなかったんやない?」
 確かに・・・母に一本取られた。
 
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 鯱を初めてお城に造ったのは、織田信長だそうだ。その後それを真似て、お城には鯱となったらしい。
 
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    天守閣からの景色は素晴らしかった。紀ノ川から瀬戸内海を眺めることができる。丘の上にあるので、風も心地よかった。

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 和歌山から白浜へは、高速を使ってもまだ1時間半ほどかかる。お城に向かうときに目についたカフェで一休みしていくことにした。ちょうど高速の入り口に向かう側にあるので、すぐにわかった。

 最初母がブレンドを私はアイスラテだけを注文したが、その後メニューを見ていた母が、「このケーキ美味しそう」と言った。見ると飲み物とセットにできることがわかった。もう一度店員さんを呼んで、ブレンドをセットにしてもらう。実は母は私より甘いもの好き。私はお昼の丼が多すぎてまだお腹に残っている感じだったので、「二人で一つでいいよね」とこのケーキを選んだ。

星乃珈琲店
アイスオーレに瀬戸内レモンと柚子のチーズタルト
 
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 食べてみると甘さと酸味がマッチして本当に美味しかった。もう来ることはないかもしれないが、ちょっと他のケーキも食べて見たかったなあ。

 レジで母が「星のやホテルと関係があるの?」と聞いていた。店員さんは「よく言われるんですけど、違うんですよ。でもそう思ってもらえたら、嬉しいです。」と笑って答えてくれた。おばあちゃんの相手をしてくれてありがとうと、私は心の中で感謝。
 
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 外出することで、母は他人と話をする機会が増える。これだけでもプラスになると考えるべきか。私には母の自慢話に聞こえることも、知らない人が皆そう思うわけではないかもしれない。

 果たして今日私は母を生徒だと思って話せただろうか。いやー、難しい。


  
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母と白浜① 和歌山が密かにブーム?

 先日和歌山の南紀白浜空港の搭乗者数が4月から4ヶ月連続で月別の過去最高を更新しているというニュースを読んだ。7月は1万9689人と、これまで月間で過去最高だった2019年11月を818人上回ったとのことで、つまりコロナ以前より多くの人が白浜を訪れている。

 南紀白浜空港を運営する南紀白浜エアポートの岡田社長によると、以前は観光一辺倒だったが、現在はワーケーションなどビジネス目的が増え、平日の搭乗者も多くなっているそうだ。

 大阪からは、車だと高速を使えば3時間弱で行けるし、電車でも大阪駅から3時間ほどで行ける。子供たちが小さい頃はアドベンチャーランドが目的で何度か行ったし、その後は温泉が目的で行っている。

 そして実は今日は母と白浜にいる。当然温泉目的だ。お盆前に娘に怒られて以来、実家には行っていなかった。電話も2度ほどしかかけていない。その間に娘に言われたことを思い返し、また先日親しい友人たちから「母親じゃなくて、生徒だと思って話を聞いてあげたら」というアドバイスをもらい、かなり心して今日を迎えた。
 
 今私はテレビを見ながら何かと口に出している母の横で、ブログを書くことに完全集中している様子を見せて、返事もせず書いている。今日に一緒にいるので、もう返事をするのは勘弁してほしい。
 
 それにしても 「生徒だと思って話をきく」というのは元教師にとってはいいアドバイスだと思う。アドバイスをくれた友人も元同僚で、今、夫婦両方の親の問題を抱えている。
「分からんって言ってる子に、一方的に説明してもわからんやん。できないっていう前提で考えてあげなきゃ。」

 そうなんだよなあ。私たちはまあまあ「困難校」といわれる高校で同僚だったので、学習面でも生活面でも問題を抱えた子たちと対峙してきたのだ。腹がたっても我慢して我慢して相手をしてきた。そうか、娘ではなく教師モードに入らなくては!

 今日の私はどうだったか?前ほどひどい言葉は言わなかったと思うが、全面的に教師モードに入るのは無理だった。今回は2泊の予定で来ているが、後二日、頑張れる自信もないなあ。

 昼は和歌山に入る前の紀ノ川SAに寄った。フードコートもあったが、かなりお腹も空いていたので、「てまり」というレストランに入った。私が選んだのは、ここの名物という「太刀魚の天ぷらとシラスの丼 」1280円、母は茶そばと天ぷらセット1180円。かなりお腹いっぱいになった。

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日本帰国2ヶ月で済ませたこと

 一時帰国は短くて1週間、長くて1ヶ月だったが、いつもやるべきことはリストにしていた。でも今回は本帰国のため、きちんとしたリストも作らず、なんとなく2ヶ月を過ごしてきた。まあ最初の目標が「実家と家の片付け」だったので、その合間にやるべきことをやり、友人と会う生活を続けてきた。

 何をやったか忘れてしまいそうなので、記録として書いておこうと思う。

①3年間分の確定申告を作成
 一時帰国は大学が休みになる4月か5月だったので、最初の2年間も3月15日の締め切りには間に合わなかった。でもその時に税務署で聞いたら、遅れても問題はないとのことだった。今回は3年分になるが、前もって税務署に電話をしたら、やはり問題ないと言われた。

②マイナンバーカード取得
 マイナンバーカードを持つことは、少し抵抗もあった。でも確定申告をe-Taxで提出しようとすると、昔のカードリーダーが古すぎて使えず、プリンターも壊れて使えなかったので、マイナンバーカードしかないという結論になった。
 これで確定申告をしたら、すごく簡単で、しかもこれだとネットとマイナンバーカードさえあれば世界中どこからでもアクセスできるとわかり、作ってよかったと思った。

③歯医者の診察
 4月にタイで奥歯のインプラントの検診は受けたが、私は10年ほど前に、前歯もインプラントにしている。その状態とクリーニングを兼ねて、かかりつけの歯科医へ行った。インプラントの状態も、それ以外の歯も特に問題がないとのことでほっとした。

④市の検診チケットを使っての検診
 仕事をしているときは、職場の検診や、互助組合の割引がある人間ドックを受けていた。タイでも大学の検診を毎年受け、日本に一時帰国の際に人間ドックや胃カメラを取ったりした。でも無職の今は、この地方自治体の検診チケットを使うのが、一番てっとり早く、しかも安い。
 
 基本的な検診は無料で、がん検診は費用がかかる。でも胃がん検診はバリウムなので受けない。というのは、たぶんポリープがあるので、どうせ胃カメラはしなくてはならないはずだし、バリウムはあまり身体に合わなくて、吐いたこともあるのでやりたくない。胸部X線は、がんのため不要。ということで検便(300円)と心電図(100円)だけを近くのクリニックで追加して受けた。

 婦人科は別の病院へ行かねばならず、今日行ってきた。乳がん検診800円(マンモグラフィーと視触診)と子宮がん検診500円で、2週間ほどで結果が送られてくるようだ。去年2月のBNH病院の人間ドックで胸のしこりを指摘されたが、もう一度8月に受けて変化がなかったので、今回も変わりないといいのだけど。
 
⑤コロナワクチンの登録
 私は住民票を残したままだったので、去年に接種券が届いている。つまり接種券番号があるということだ。市役所の担当部署に電話をしてみると、ネット上で3回目のワクチンを済ませたという登録ができるとのこと。やってみると簡単にできて、先日4回目の接種案内が届いた。私は3月初めにバンコクで3回目を受けたので、5か月以上経過している。月末に近くのクリニックでの予約をネットで行った。

⑥大阪国際がんセンターの受診予約
 本当なら2020年5月に行くはずだった。ちょうどコロナで国が閉鎖されたころで、夫に電話でキャンセルを入れてもらった。4月にBNH病院で受診しているので、次は10月でかまわない。2年ぶりに電話をしてみると、当時の主治医の先生は異動されてしまったが、他の先生の予約を10月初めに入れてもらえた。

 ①から⑤までは、本帰国した人に大体必要ではないだろうか。今回は住民票を残したままだったし、免許も切れていなかったので、役所関係の手続きはあまりなかった。

 それ以外にも持っていたカードがことごとく期限切れで再発行になった。今日も図書館に行って、再発行してもらった。まだ使っていないコンビニのカードなんかはどうなっているのだろう。よく行くドラッグストアのポイントは5年経っても有効だったけれど。

 ようやくすべきことも一段落ついたかなという気がする。でも逆に、これから何をするべきなんだろうと悩んでいる。実家の片付けという大プロジェクトは、母のことを考えると気が重く、どうすべきかと迷ったままだ。もう少し涼しくなってから再開しようかな。


 さて、写真は全く関係がないのだが、この前行った民族博物館のもの。私が昔住んだことのあるオーストラリアのメルボルンからということで、親近感を抱いた。ディンゴというのは、野生の犬なのだが、実は狼並みに狂暴だ。人間が襲われた事例もある。

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使用済みマスクを売る若い女性

 ニュースを見ていたら、びっくりするようなワードが!「#使用済みマスク売ります」
えっ?どういうこと?ツイッターで検索すると、かなりヒットするらしい。

 記者がそのツイッタにDMを送ってみたところすぐ返事が来て、3枚500円で送られてきたそうだ。手渡しもOKの人に連絡を取ると、21歳の女性が持ってきて、取材に応じて答えていた。

 彼女は学生で、生活費の足しにするために、売れるものは何でも売るそうだ。最初は抵抗があったが、今では売れるのならいいと思うようになったと話していた。もう一人電話取材を受けた女性は、シングルマザーで子どもと過ごす時間をこれ以上削りたくないので、使用済みのマスクや靴下、下着なども売るそうだ。

 以前から下着を売る女性がいるというのは聞いていた。でもまさか使用済みのマスクだなんて。一日外出してつけていたマスクは、雑菌がついているように思うので、帰宅したらすぐ丸めてゴミ箱に捨てている。万が一コロナウイルスがついていたら怖いので、ゴミ箱の底のほうに押し込む。

 でも需要があるから供給があるのだ。もし誰も買わなかったら、そんなことを考える人もいないだろう。その取材によると、マスクを売っているのは10代、20代の女性がほとんどで、その半数近くが10代で中高生もいるらしい。

 中高生は小遣い稼ぎかもしれないが、大学生や取材を受けたシングルマザーは、コロナ禍で収入が減ったため、少しでもお金になるならと始めたそうだ。コロナ不景気は、アルバイトやパートの人たちに大きな痛手を与えた。元々低収入だった人のほうが、より収入減になっている。でも政府の.政策は、国民一律10万円とか、Go to travelとか、本当に困っている人を救うものではなかった。

 コロナ禍でも女性の貧困問題は取り上げられることはあったが、実際それに対する政策はなにもなかった。貧困に苦しめられる女性たちが、決して良いと言えない選択をすることは止められないのかもしれない。

写真はチェンマイ最後の朝にコンドから撮ったもの
もう1度あの部屋に戻りたい
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