google-site-verification=O9h17fJGk1A5FQlfgyImCO5Z6jWMmyfZS9djnrInQjI

がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

2022年09月

スマホじゃないと使いにくい地域クーポン

 今月9月12日から30日まで「大阪いらっしゃいキャンペーン2022」というのがあり、宿泊は5000円分、地域クーポンも2000円分もらえるということで、今月はこれを利用して近場の温泉へ行くことにした。

 そして昨夜、伏尾温泉に泊まってきた。その宿については明日以降に書こうと思うが、先に大阪キャンペーンのクーポンについて、思ったことを書きたいと思う。

 宿からは説明も書かれた紙クーポンをもらった。フロントの説明によると、このまま紙クーポンで使えるが、そうすると2000円のクーポンでお釣りが出ないというのだ。電子クーポンの説明には、「region PAY」アプリをダウンロードして、「おおさかPAY」にチャージしてくださいと書いてあった。

 そこにあったQRコードからApple Storeにアクセスして「region PAY」をダウンロード。そこで大阪を追加。「チャージする」を選ぶと、すぐQRコードの読み取りになり、私は4000円分のポイントをゲットした。

 使う時は 「支払う」を選び、お店のQRコードを読み取り、金額を入れてクリックで終わり。だからスマホを使い慣れていれば、全く問題はない。でも母のようにスマホを使えない人にとっては、あまりにもハードルの高いクーポンだ。
 
A90A66BE-7633-4390-8CF3-D94D8728644D

 キャンペーンが少し延長され有効期限が延びたので使えるチャンスは増えたが、母と使えるのは明日のランチくらいだ。でもこのクーポンを使える場所も限られている。

 結局、母のような人は、2000円のクーポンをもらっても、泊まった宿でおみやげを買うくらいしか使い道はない。しかもお釣りは出ないので、欲しくないものも買ってしまうかもしれない。
 
 タイでも「コンラクルン」(1日150バーツを上限に政府が50%を援助する制度)のときに、「パオタン」というアプリを使って決済をしていた。小さな屋台でもコンラクルンのポスターが貼ってあり、お年寄りでもスマホを使って支払っているのを見て、ちょっと驚いた。タイはスマホの普及率が94%とかで、日本よりはるかに多いらしい。

 それでもスマホを持たない人は、そんな生活に関わる制度からも置いてけぼりかと思ったのだが、日本ではスマホを使えない高齢者は、いろいろな制度から置いてけぼりになる。母はワクチンの予約も電話しか使えず時間がかかり、マイナンバーカードも持っているそうだが(弟が手配したらしい)、今ではどこに置いたかも覚えていないようだ。

 私は紙の無駄遣いとしか思えないことも、紙でしか対応できない人もいる。母を見ながら、膨大な紙のゴミをどう処理すればいいかと頭が痛くなる。

 今日はまだ実家にいて、母の物忘れについイラッとしながら書いているので、もう文章もまとまりがなさすぎる。 駄文にお付き合い頂いて申し訳ありません。


 このブログランキングに参加しています。
もしよろしければ、ポチっとしていただければ、励みになります

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

日本のワクチン接種証明アプリ

 私はタイのアプリ、モープローム (หมอพร้อม)を入れているので、ワクチンの接種証明はそれを使っている。一応プリントしたものも持っているが、タイではスマホをほとんど見せるだけでよかった。

 日本では各自治体に申し込んで、書類で発行されると聞いていたが、4回目接種のお知らせに電子版の証明もあると説明があった。

DCE1C26C-E40C-43F5-AC16-B44D28745175

 このQRコードを開くと、これが出てきたのでダウンロード。

5D217CD0-37BB-44EF-A28B-069BFD38B7FE

 申請にはまずこの画面がでてくる。
8C93B769-C2BA-4781-8FB7-5ACA84E25EC6

 でもこの申請にマイナンバーカードがいる。私は4回目の接種後すぐに申請してみたら、まだ接種記録が出てこなかった。そのまま忘れていたが、数日前にやってみたらちゃんと最後までできて、電子版の証明書も手に入れた。

6FC2CE9A-57C1-4985-B55B-CB9CD3A03B4B

 以前に比べると接種証明を要求されるところは少なくなっているようだし、12月に行くニュージーランドはもうワクチン証明は不要になっている。それでもスマホの中に接種証明があれば、いざという時には便利だろう。



 このブログランキングに参加しています。
もしよろしければ、ポチっとしていただければ、励みになります

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

映画「百花」を見て考える

 久しぶりに一人ランチ、一人映画に行って来た。公開される前から気になっていたが、認知症の母と息子の話ということで、ちょっと今の私に重いかも・・・と躊躇していたが、先日「サンセバスチャン国際映画祭」で川村元気監督が最優秀監督賞を受賞されたとのことで、やはり見に行こうと決めた。

019182B2-F21B-451C-8C70-EF4446DA9768

 息子がまだ20代後半くらいの設定なので、母親はおそらくまだ60歳前後。でも若年性アルツハイマーになり、急激に病気が進行してしまう。

 母親を施設に預けた後、息子が家の中を片付ける。台所には、卵パックが何個もあり、冷蔵庫の中にも卵パックがあり、マヨネーズやケチャップが何本か入っている。息子はそれをどんどんゴミ袋に放り込んでいく。

 私の母はまだそこまで認知症が進行しているわけではないが、冷蔵庫の中身をゴミ袋に入れ続けたことを思い出して、見ているのがつらくなった。

 母親の寝室を片付けていた時、息子はある手帳を見つける。それは、母親が息子を捨てて疾走した時のものだった。詳しくは語られていないが、それは数か月以上にわたる期間で、阪神大震災がきっかけで母親は息子の元に戻ったように描かれていた。

 息子はその時のつらさや苦しさをはっきり覚えている。でも母親はそんな記憶をすっかり失っている。でも「半分の花火が見たい」と言う。

 お嫁さんが調べてくれた「半分の花火」が見える場所に母親を連れていった日、最初は仲良く花火を見ていたのに、目を離したすきにいなくなり、見つけたあと、息子に対して「あなたは誰ですか」という。

 夫の母も、寝たきりになって施設に入ってすぐに私のことは忘れてしまった。娘たちのことも、長女の名前には反応するのに、次女の名前はわからないようだった。そしてしばらくして、夫のこともわからなくなり、自分から言葉を発することがなくなった。

 実は母がおかしいと感じたのは、もう8年ほど前だ。その頃から、物忘れがひどくなり、「物忘れ外来」がある病院へ連れていった。今もそこに通っているのだが、前回のお医者さんの話では、「認知症テスト」もそれほど悪くはなっておらず、短期記憶の欠如は、年齢もあって仕方のない事かもしれないとのことだった。

 でも8年前、最初に母の異変に気付いた時、私は長女に電話をして泣いてしまった。「いつかおばあちゃんが、私のことを忘れる日が来るんかな」と。今日の映画を見て、その日のことを思い出した。

 8年経っても母は私たちのことを忘れていない。毎日の暮らしも一人でこなしている。長女から「無理に片付けようとして、おばあちゃんを責めるようになるのは良くない」と叱られて、実家の片付けもペースダウンした。無理に毎週行くのではなく、私が必要な時と、どこかへ遊びに行くときだけでいいかと思っている。

 映画を見ながら、母のことだけでなく自分の将来についても考えた。この映画の母親は私と同世代で身につまされた。いつか何もかも忘れてしまう日が来るのだろうか。友人たちも家族もわからなくなってしまう日が来るのだろうか。

 父は90歳まで、記憶ははっきりしていたようだ。耳が遠くなり会話はしづらくなったが、私が最後に会った時も、頭はしっかりしているなと思った。

 この超高齢化社会で100歳近くまで生きる人も多いだろう。自分がいつまで生きられるのかわからないが、身体が動かなくなることより心を失う方が怖い。まあ今考えても仕方のないことだ。

 映画の前の一人ランチはイオンモールの中の「カプリチョーザ」。いろいろレストランが入っているので悩んだが、ここのランチメニューのライスコロッケが目についた。ここのランチはコスパが高く、スパゲティを選んでも、サラダ、スープ、ドリンクバイキングがついてくる。

F2EF443B-E917-4735-A1E1-60A7865D1279

 お皿が来て、予想外の大きさにびっくり。しかも中にチーズが詰まっていて、かなりのボリュームだった。これで税込み1090円なのだが、なんとシネマ割引10%というのもあり、映画のチケットを見せると981円になった。

9FDCF83C-C47F-4E2D-B080-062F3283378E

 これで食後のコーヒーまで飲めるのだからコスパが高すぎる!


 このブログランキングに参加しています。
もしよろしければ、ポチっとしていただければ、励みになります

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

Z世代に流行している言葉が関西弁?

 今日もヒマつぶしのようにYahooニュースを見ていたら、こんなタイトルが目についた。

 Z世代に「知らんけど」が流行中 完答の若者「エセ関西弁のつもりはない」

 まずZ世代って何歳だっけと思い、それを調べると、こんな表が見つかったので拝借。

04D6AC47-EF61-4C5A-A9FA-3E83432DFE1A
HR BLOG  powered by MotifyHRより

 この区分によると、私はベビーブーマーズの中にはいる。1965年からがX世代、1981年からがY世代、1996年からがZ世代だった。もう30代になる娘たちもZ世代ではなかったんだ。ようするに10代から20代半ばくらいの人たちを指すんだ。

 そのZ世代の人たちが好んで使っているのが、「知らんけど」「わろた」「それな」「〇〇しか勝たん」「しんどw」「~してもろて」「ゆうて(言うて)」などらしい。特に「知らんけど」はSNSだけでなく、会話でも使われているそうだ。

 「知らんけど」は自分の発言に確信や責任を持てないときに、最後に付け足して使う。「東京より大阪の人の方が声大きいんちゃう?知らんけど。」

「しんどw」は「しんどい」という形容詞で「骨が折れる」「つらい」の意味なのに、高校生たちが使う場合は「しんどくなるほど面白い、しんどくなるほど素晴らしい」とポジティブな意味で使うそうだ。
「この動画が面白過ぎでしんどw」 うーん、これはわからなかったかも。

 でもどうして関西弁なんだろう。私にとっては、上にあげた表現は普通に使うことばだ。ちょっとコテコテ感があるので、関西人以外の人には使わないと思うが。でもZ世代の若者は、これを関西弁だと認識せずに使っている人が多いそうだ。

 大阪弁(あえてこう言いたい)は、日本の方言の中でも、特別な位置にあると思う。やはり「お笑い」の文化が大阪の原点のようなもので、かつてお笑い芸人といえば大阪出身の人が多かった。そして何と言って吉本の存在が大きい。

 大阪人は、どこに行っても大阪弁を恥ずかしがることもなく大声で話す。それを聞いた関西以外の人は、私たちは普通に話しているのに、何かおもしろいことを言っているように聞こえてるらしい。関東出身の友人に、娘との会話を「漫才みたい」と言われたことがある。私たちは別に面白いことを言っているつもりはなかったのだが。

 まあでもネットスラングとして大阪弁が広まっていくのは興味深い。日本語教師としては、やはり若者言葉にアンテナを張っておかないと、世界中のアニメや漫画で日本語を覚えている日本語学習者に太刀打ちできない。


 このブログランキングに参加しています。
もしよろしければ、ポチっとしていただければ、励みになります

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

夫との話し合いに次女のヘルプ

 ブログを毎日書いている人はすごいなあと思う。タイにいた時は、出かけることも多かったし、食べ物の写真を載せたり、風景の写真を載せたりと、何かしら書くことはあった。でも現在の私は、無職で大きなイベントもない。

 母のところへは、月に2回泊りがけで行っている。台所が一段落ついたし、母も一人で生活できないわけではないので、どうしても私の助けが必要な時や、一緒に遊びに行くときだけでいいかなと思っている。もちろん電話は週2,3回かけているが。

 今月半ばに、いろいろなストレスがたまりすぎて、夫とけんかになった。と言っても口論にならず、お互い口を利かなくなってしまうのだ。頭を冷やすために、私は実家の片付けに3日間ほど行き、夫はその後、1週間ほど旅行に出かけた。

 その間に娘たちに相談し、次女の方が、夫との話し合いにラインで同席すると言ってくれた。その必要はないかなと思ったが、実際、同席してくれて助かった。私も感情的にならずに済んだし、娘がいると夫も黙り込むこともできなくて、とりあえず話し合いは成立した。

 以前コメントの中でアドバイスを頂いた通り、昼食は別々にすることにした。先日も書いたが、私たちはずっと共働きで働いていたので、昼食を2人で食べることはほとんどなかった。タイでは時間もメニューも自分の好きにしていたので、夫の分まで作るのは本当に面倒だったのだ。

 そして1階と2階で住み分けて、日中はお互いに無関心であるようにした。これまで夫はちょっと出かける時も、わざわざ2階にあがって言いに来てくれたのだが、何かに集中しているとき、急にドアが開いて声をかけられるのも、すごく嫌だった。だから簡単なことは、ラインにすることにした。

 そして私はちょうど夫とのけんかの直後にヨガに行くことに決め、用事がないときは毎日行っている。これがとてもストレス解消になっていることに気がついた。今日も夕方にヨガから帰ってきたら、久しぶりに手の込んだ料理も作りたくなり、夕食時も夫といろいろ話をした。

 元々私たちは趣味も違い、一緒に何かをするということがほとんどなかった。だからリタイヤしたからと言って、一緒にいる時間を増やそうなどと考えるのはバカだったのだ。

 まだまだ先の見通しを立てられず、ストレスはたまり続けるかもしれない。でもまあ今回は本当に次女のおかげで、一つの山を越えることができたかなと思う。uう

 先日友人とお肉が売りのレストランへ夕食を食べに行った。ステーキは口のなかでとろけたし、ハンバーグはお箸をいれると肉汁があふれた。2年ほど前に、バンコクで食べた飲めるハンバーグと同じくらい美味しかった。

99010D75-F5B4-4B8A-8A8C-F25D073CAE38

 これにスープがついて、パンは友人が1本食べた後、つまり一人前は2本。税込み3058円なので、すごくコスパは高い。これは絶対リピありだなあ。

 
 このブログランキングに参加しています。
もしよろしければ、ポチっとしていただければ、励みになります

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

地震国日本に住む私たちに、娘からのプレゼント

 日本に帰国して以来、たまたま身体に感じるような地震がなかった。最後に一時帰国した時も1週間だったので、地震の記憶はない。だから丸3年半、地震を経験していなかった。

 今日の午前3時半過ぎ兵庫県南東部を震源とするマグニチュード4の地震があり、私の住む市も震度2を観測した。なぜかちょうどその直前に目が覚めていたので、揺れたときはすぐに地震だと気がついた。でも揺れは大したことはなかったし、大したニュースにもならなかった。

 それでネットで地震情報を調べてみて、ちょっと驚いた。今日9月24日(まだ終わっていないけれど)だけでも8つの地震が記録されていた。北海道で2回、福島と福島県沖で3回、兵庫県で2回、トカラ列島近海で1回だった。

 たった一日でこれほどの地震が観測されているなんて知らなかった。確かに震度2でも、ちょっと揺れたなと思ったくらいで、別に怖くはなかった。私は阪神大震災を経験しているし、実は東北大震災の時も仕事で東京にいたので、あの日の東京の混乱も目にしている。
  
 震災直後は、避難袋もちゃんと用意していたが、私がいない間にかなりおろそかになっていた。とりあえず缶詰や水は入れ替えたが、それ以外はちゃんと用意しているとは言い難い。

 そんな私たちに、ニュージーランドに住む次女からプレゼントが届いた。でもニュージーランドから送られてきたのではなく、彼女がネットショッピングで注文したものが届いたのだ。

 送られてきたものを見て、私はびっくり。私は絶対思いつかないだろうなあと思った。まずこれはゴム製のくつ。かなり底が厚く、ガラスやがれきを踏んでも大丈夫だそうだ。

1851301F-3FFD-42E1-BB0C-41E43D88B87F

 そしてこの小さな笛。こんなに小さくて、聞こえるのだろうかと心配だが、とりあえず靴を袋にいれて、その袋にこの笛を結び付けて、ベッドのすぐ横に置いた。

160C4FB2-AA5E-4E6A-9FAC-DAD583729636

 確かに笛は必要かもしれない。9月までのドラマの中に、「テッパチ」という自衛隊員のドラマがあって、主人公の俳優が割と好きなので見ていた。その最終話がちょうど土砂崩れの話で、たまたま主人公が出会った少女に笛をあげて、その笛のおかげで少女が助け出されるという話だった。でもそれはもっと大きな普通の笛だったけれど。

 実は私は普通の笛を2,3個持っている。教員時代にバレー部の顧問をしていて、試合で主審をするために「マイ笛」を持っていたのだ。退職した時に、割ときれいなシューズやバレーウエアは生徒にあげたが、笛はそのままになっていた。

 娘には悪いが、やはり笛は自分の笛に変えておこうかな。彼女がくれたものは、家の鍵と一緒にしておこうかな。それだと持ち歩いていることが多い。

 せっかくのプレゼントだが、使わずにすむことを願いたい。阪神大震災の縦揺れの衝撃は、今でもはっきり覚えているので、あんな怖い思いはもう2度としたくないと思う。



 このブログランキングに参加しています。
もしよろしければ、ポチっとしていただければ、励みになります

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ

私は働きたいのだろうか?

 昨日、65歳〜69歳の就業率は50.3%(男性60.4%、女性40.9%)と書いたが、実際私の周りでも、60歳を超えて働いている人がほとんどだ。65歳で辞めると言う人もいるが、非常勤として70歳くらいまで働きたいと言う人もいる。

 タイにいた時は、仕事をしていなくても毎日楽しかった。特に最後のチェンマイの生活は、午前中タイ語の勉強をして、午後から食事と町巡りに出かけて、とても充実していた。もちろん「期間限定」だったのも大きいだろう。まだまだあの生活を続けたいと思っていた。

 日本に帰ってきた一番の理由は、父のお葬式も一周忌も出られなかった親不孝の罪滅ぼしだ。だから今度の三回忌は何が何でも出なくてはならない。そして一人暮らしになった母の状態を確認し、できるだけ実家の片づけをすることだ。

 でも実家の片付けも、母を旅行に連れていくことも、ストレス発散にはならない。家の片付けや家事も、義務としてやっている感じで楽しくない。料理は大好きなはずなのに、凝った料理を作る気にならない。そして夫との時間もストレスとなりつつある。

 実は私たち夫婦は、二人で暮らした時間が2年ほどしかない。結婚した当初は夫の母との完全同居で、その後娘たちが生まれて5人となり、10年前に夫の母が亡くなり(その数年前から介護施設、病院と移っていた)、次女がニュージーランドへ留学し、長女が社会人となって一人暮らしを始めた。その後2年間だけ二人で暮らし、私がタイへ行った。

 これまで二人ともフルタイムで働き、娘たちが中学生になった頃からバレー部の顧問をしていたため、土日もほとんど部活指導で出ていた。練習は9時から13時か13時から17時。でも顧問は練習開始の1時間ほど前から行かなくてはならず、終わって生徒たちが帰るまで学校を出れないので、結局一日6時間以上は学校にいることになる。だから土日に一緒に昼食を食べることなどなかったのだ。
  
 帰国する前にもっと日本での生活のシュミレーションをしておくべきだった。娘たちからは、絶対にストレスがたまるとかなり心配されていたのだが、本当にその通りになってしまったと思う。

 タイトルに戻るが、私は働きたいのだろうか?
フルタイムで働きたいと思わない。夏と冬は2ヶ月ずつタイで過ごせたらいいなと思っているので、パートやアルバイトで働くのも難しいかなと思う。でも今のように、社会と関りのない生活をしているとストレスがたまる一方だ。

 一番できそうなことは、やはり学校関係かなと思って調べてみた。私の市も学習支援員のような非常勤の仕事があるのだが、学校は4月始まりなので、募集は2月から3月。そして4月から3月の契約だ。これも冬にタイに行くのが難しそうだ。

 やはり働いてお金を頂くのではなく、ボランティアをすればいいのだろうと思う。それでも年間4か月もいない期間があって、ボランティアができるのだろうか。

 だれも自分の寿命を知ることはできないので、高齢者となってからの人生計画を立てるのは難しい。しかも自分のことだけではなく、親や配偶者のことも考えなくてはならない。

 本当は何をしたいのだろう。たぶん、タイに戻って、もう1度日本語教師をやりたいのだと思う。ただタイは60歳定年なので、もう雇ってくれるところはないかもしれない。それでも今度は大学生ではなく、初めて日本語を学ぶ子どもたちに教えてみたい。

 さて、この前お稲荷さんを作った時、かなり手抜きをした。ご飯を炊いてからすし酢と合わせるのではなく、炊飯器に酢、砂糖、塩、昆布だし顆粒を入れて炊いたのだ。中身は人参とシイタケだけ別に煮て、後からまぜた。

 つまりすし飯を炊飯器で炊いて、半分を冷凍した。そして今日は、それを使ってサーモンの握りずしと、残っていた揚げでお稲荷さんも作った。お稲荷さんの中身は白ごまのみ。二人分のサーモンは500円くらいだったので、作るとやはり安いなあと感じる。手抜きのすし飯でも、サーモンがまあまあ美味しかったので、全然大丈夫だった。

F3C4A08F-E3D9-49C6-9D0B-D916A8532AFC


 このブログランキングに参加しています。
もしよろしければ、ポチっとしていただければ、励みになります

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
プロフィール

nakko

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

記事検索
読者登録
LINE読者登録QRコード