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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

2024年01月

タイへの航空券、いつ買うのが得なのか?

 昔は航空券はできるだけ早いうちに買うのが得なことが多かったと思う。ただ、出発間際の空席が安値で売り出されることもあったが、フルタイムで働いているときは、急に明日明後日から行くなんてことは不可能なので、とにかく計画を立てた時点で買うことが多かった。

 その習慣が今も残っていて、私はたいてい3ヶ月から半年前に航空券を買っている。去年の8月のタイ行きは2月に、11月のニュージーランドは7月に、そして今回1月末のタイも10月に買った。

 8月のチェンマイへはシンガポール航空だったので、たぶんその時点で買ったのは安かったのだと思う。11月のニュージーランドはマレーシア航空で、日程変更可のチケットにしたのだが、やはり1ヶ月前だと日程は変えられても、同価格のチケットはないので高くなると言われた。

 そして今回だが、結局すべてエアーアジアを使うことになった。関空からはピーチも飛んでいるが、やはりエアーアジアのほうが到着時間が日中なのに安かったのだ。そして帰りの便も検索した結果、チェンマイー福岡が安く、国内線を払っても関空便より安かったため、福岡で美味しいラーメンを食べてから帰ることにした。

ということで今回購入したチケット

関空ースワンナプーム  エアーアジア 28,790円+20kg追加荷物4,900円 = 33,690円
チェンマイードーンムアンー福岡 エアーアジア 6,220バーツ+20kg 荷物1,844.34バーツ = 8,064.34バーツ(今のレートで33,540円)
福岡ー大阪伊丹 IBX 10,450円   
 大阪ースワンナプーム チェンマイードーンムアンー福岡ー大阪 トータルで77,680円

 行きは10月21日に、帰りは10月2日に予約を入れていた。先日検索してみると、ちょうどクアラルンプール便がバーゲン中だったので、チェンマイから大阪まで3万円ほどになっていた。でもフェアが終わったら、なぜかエアーアジアの乗継便は出てこず、上海経由かベトジェット利用で30,000円くらいから35,000円ほど。でも追加荷物は入っていない。

 本当に航空券を買うタイミングが難しい。エアーアジアだとバーゲンセールを利用して、往復別々に買うのが一番安いかもしれない。でもそのフェアもいつあるのかもわからない。今回の帰国便は、福岡経由で国内線に1万円ちょっと追加しなくてはならないので、安く買えたとは言えない。

 まあ福岡でラーメンを食べて、大好きなお菓子「通りもん」を買ってこられるのだから良しとしよう。
 ラーメンと言えば、この前娘といったイオンのフードコートに入っていた「亀王」という九州ラーメンが美味しかった。いつもはあまり塩ラーメンを食べないのだが、ここのオススメということで食べてみたら、スープも麺も美味しい。二人とも気に入って、リピありだなと意見が一致。

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桜島の噴火警戒レベル3て大丈夫?

 揚げたてカレーパンを車の中でかぶりつき、桜島フェリー乗り場へ向かった。フェリーは昼間は00分 20分 40分に鹿児島を出港するそうで、予約も要らない。待ち時間もほとんどなく車をフェリーに入れることができた。そして支払いも桜島側のみらしい。

車を停めてすぐ上の客室へ上がった
グレーの車が私たちのレンタカー

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出港前からずっと桜島をのぞむ

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客室 フェリー先端

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桜島側
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鹿児島側
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 フェリーはたった15分で桜島に到着。車に乗って下船すると高速料金支払い所みたいなゲートがあって、そこで車と運転手(1,400円)2人(1人200円)の計1,800円をクレカで支払った。桜島から乗るときは、ここで先に支払うそうだ。

 まず展望台へ行こうと車を走らせ始めたとき、「噴火警戒レベル3」という表示が目に入った。レベル3って、どれくらい?展望台まで行って大丈夫なんだろうか。

湯之平展望所より桜島を臨む
でも雪が降ってきて、強烈に寒い
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桜島は見る方向によって、形が違うらしい

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 展望台の上はネットもあまりよくなかったので、降りてきて確認すると、レベル3はこう書いてあった。でもレベル3は「普通のこと」のようだ。
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 すでに今年に入ってからも噴火があったそうなので、桜島に住んでいる人には、日常なのだろう。でも私たちがいる数時間は、噴火してほしくない。

フェリー近くの桜島溶岩なぎさ公園の足湯
寒くて入れそうにない
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桜島はネコ島として有名らしい
この公園には4,5匹の猫がいた
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叫びの肖像
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 「ムンクの叫び」みたいな有名作家の作品か思ったら、実は、2004年8月に7万5千人を集めた長渕剛の伝説のコンサートの跡地に作られたモニュメントだった。溶岩50トンで作られているそうだ。

雪が止んで、雲の間から見える夕日
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 桜島は南側の道路に面していくつかのスポットがあり、溶岩道路の上を歩くこともできる。娘も私も歩きたかったのだが、今回は母が一緒なので断念。レンタサイクル屋もあったので、季節のいいときに、レンタサイクルで回るのも楽しいかもしれない。

 「桜島は何もないって聞いたけど、また来たいなあ」と娘が言う。私も同じ気持ちだ。いつかまた二人で来れるといいなあ。
 
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浦島太郎って指宿の人?

 指宿では、温泉でゆっくりすることが目的だったので、あまり調べてこなかった。2日目は鹿児島にもどり、フェリーで桜島に渡ろうと思っていたので、午前中は少し時間がある。それで2人でググった結果、娘が見つけた「スヌーピー山」(彼女は子どもの頃、スヌーピーが大好きだった)と私が見つけた長崎鼻にある「龍宮神社」と「浦島太郎像」を見に行くことにした。

 休暇村から薩摩半島に向かう道沿いから見えるスヌーピー山。宿の近くのコンビニでコーヒーを飲んだ時、娘が「スヌーピー山を見に行く」と言うと、お店の人は「地元人でも知らないわ」と言った。まあ、確かにスヌーピーが寝ているように見えるが、観光名所とは言わないかもしれない。
 
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 そして薩摩半島の最南端、長崎鼻に到着。ネットでお土産屋で何か買うと駐車料金がいらないと書いてあったが、その手前に無料の駐車場もあり、平日のためかガラガラだった。そこから歩いても10分くらいだろうか。

あるお土産屋の前にあった看板
確かに笑える
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 そのまま進んでいくと、目指す龍宮神社、浦島太郎像があった。海がとてもきれいなので、確かにこの先に龍宮城があるのかもしれないと思えた。

龍宮神社 龍宮城をイメージしているそうだ

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日本人なら誰でも知っている浦島太郎さんはここにいたのか

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 ネットで調べてみると、浦島太郎伝説は北は北海道から南は沖縄まで全国にたくさんあるらしい。よく知られているのが「木曾の寝覚ノ床」、丹後の国の「伊根」と神奈川の「横浜」、そしてこの鹿児島「指宿」とのことだ。

長崎鼻の灯台

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天気はよくなかったが、桜島がはっきり見える

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灯台の先まで歩いていった娘
ホントは私も行きたかったが母と灯台で留守番(T_T)

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 このあと鹿児島へ向かい、娘の友人オススメのベーカリー「ベッカライダンケン」というお店でお昼と翌日の朝用に大量買い。塩パンがオススメと聞いていて、その塩パンと焼き立てのカレーパンが最高に美味しかった。

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 さあ、次はフェリーで桜島へ。

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休暇村指宿はコスパ高くおススメです

 知覧から指宿まで峠越えなので、途中はかなり曲がりくねった細い道だった。ラッキーだったのは、この日は小雨がぱらついた程度だったが、翌日は雪だったので、あの峠越えの道は通れなかったかもしれない。

 今回の宿は、「休暇村指宿」。これまで休暇村に泊まったことはなかったが、楽天トラベルでかなり評価が高かったのと、海に面しているので、景色が良さそうだと思い決めた。
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写真を撮り忘れたので公式HPより

 シングルベッドが2台あり、娘は畳スペースのところに、名前は忘れたが5万円ほどする高級マット(エレベーター内に広告があった)を2段重ねで敷いて、「めっちゃ寝心地良かった」とのこと。

 お風呂も露天風呂と指宿で有名な「砂むし風呂」(有料990円)がある。どうしようかと思ったが、外がかなり寒そうだったので、母には無理かなと思いやらなかった。平日で人も多くなかったので、夕食後に入ったときは露天風呂は貸切状態になりゆったり。

たまて箱とハーフビュッフェ
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 右側の丸い陶器のお椀が3段の玉手箱で、一番上が鶏肉ハーブかつ、2段目がお刺し身盛り合わせ、3段目はブリしゃぶだった。そして右側は、小鉢や温野菜などのビュッフェから取ってきたもの。
小鉢ビュッフェはこんな感じ
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 朝食もバイキングだったが、写真を撮り忘れ。シメに名物の鯛茶漬けと鶏ご飯を食べたのでその写真だけがある。鶏ご飯はほんの一口のご飯にしたとはいえ、かなり食べ過ぎ。

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 料理によって宿泊料金は変わり、鴨やブリのしゃぶしゃぶやステーキなどのメニューもあるようだが、私達にはこれで十分だった。また私たちには縁がない話だが、薩摩焼酎飲み放題をプラスすることもできる。(90分1,650円)

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 そして今回のお値段は、3人で42,000円(楽天トラベルで予約)。当日入湯税が一人150円で支払った。去年から母といろいろな温泉に泊まったが、ここは料理も部屋も値段からすると、本当に良かった。ちょっとしたアクティビティもあって、毎朝7時から海岸をスタッフと散歩することもできる。ただ朝、寒くて起きられなかったので断念したが。
 ここは春とか秋に、ぜひもう一度訪れたい宿だ。
 
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食事中にスマホゲームをする小学生

 今日は今年2回目の子ども食堂ボランティア。でも2月3月はタイに行くので、次に行くのは4月だ。今月は2回とも人数が多くて、今日はボランティアも含めて16人分の食事を作った。

 たいていの子ども食堂は月1,2回しか開かれないことが多いが、ここは週2回、月8回も開いているの。実はそのおかげで、食品の寄付が多いのだ。今月はコストコからたくさんのパン類の寄付があり、前回はバケットサンド、今回はピタパンのハンバーガーがメインとなった。

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唐揚げ、コールスローサラダ(ツナ、コーン、キャベツ)、鮭のおにぎり
中華スープ(冬瓜、小松菜、サラダ菜、魚肉ソーセージ)

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 子どもの人数が多いので、ボランティアは台所で食べるが、責任者の方は一緒に食べず、子どもたちの様子を見ておられる。子どもたちの中には、さっさと食べて帰る子もいれば、好き嫌いがあって、いつまでも食べ終わることができない子もいる。

 たいていの料理は多い目に作っているので、食欲のある子はおかわりをする。特に唐揚げはみんなの大好物なので、多い目に作っても食べてくれる。今日もかなりの子がおにぎりと唐揚げのおかわりをしていた。

 私が食器を洗っていた時、後ろで責任者の方が子どもを叱っていた。
「食べてるときに、何度も注意したのにゲームしてたやろ。ちゃんと言うことを聞かへんのに、唐揚げはあげられへんよ。」
「でも唐揚げ食べたい。」
「言うこと聞かれへん子には、あげられへん。」

 文章にするときつく聞こえないかもしれないが、実際はかなり厳しい口調だった。でも私も同じ立場なら同じように叱るだろうと思う。

 私達の家はダイニングルームにテレビを置くスペースがない。テレビを見ながら黙ったまま食事するようなことをしたくなかったからだ。幸い娘たちは、食事中にテレビを見たいとは言わなかった。いつもいろいろなことを話しながら食事をすることができた。

 今の子どもたちは、テレビではなくスマホのゲームのほうが普通なのだろうか。でもテレビだと家族で一緒に見て、それについて何かを言い合うこともできるが、ゲームだと完全に一人の世界だ。その子どもたちの親は、それを許しているのだろうか。それとも、家では怒られるから、子ども食堂ならいいと思っているのか。

 今度機会を作って、責任者の方に話してみたいと思っている。食事中のスマホは禁止すること、なるべく友だちと話をすること、そしてなぜたった100円でこの食事を食べられるかを理解すること。これを子どもたちにわからせることは、とても大切なことだと思うのだ。


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マリッジブルーならぬブライドマザーブルーか・・・

 先日、娘夫婦と次女の4人で、結婚式の衣装選びに行った。去年の8月に結婚の報告を聞いた時、最初、衣装合わせは次女だけと言われたのだが、「どうして、私が行ったらあかんの?私のときもおばあちゃんがついてきてんで」と食い下がった。結局、私もついて行ってもいいよということになった。

 京都の阪急河原町駅の近くだったので、そのお店で待ち合わせ。私たちの方が早く着いたので、次女は先にドレスを見て回った。そうしているうちに娘夫婦も到着。そしてスタッフの方との打ち合わせで、結婚式の詳細を知った。これまで日付しか聞いていなかったのだ。

 両方の親族だけの小さな結婚式なので、娘はお色直しもなく、ウエディングドレスだけを着る。次女のほうが、着物やカラードレスも見たいのにと不満そう。

 長女はスタッフさんの言う通り、素材の違うドレスを4種類選び試着した。男性側は、薄いグレーと黒の2着のみ。娘が1着目を着て出てきた時、次女も私も歓声をあげて写真を撮ったが、2人が並んで立っているのを見て、なんとも言えない気持ちになってきた。
 
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 娘たちは試着を終え、一応候補を決めたようだ。でも次女が先にいくつか選んでくれていたおかげで、予定より少し早く終わった。お昼は娘が探してくれた京おばんざいのお店へ。

京菜味のむら 錦店 「雅御膳 湯葉丼つき」1,800円

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 食事もとても美味しかったし、娘夫婦の様子を見るのも微笑ましかった。でも知らないうちに私は少し言葉少なになっていたようだ。2人と別れた帰り道、次女が「どうしたん?なんか元気ないけど」と言ってきた。

 最初に娘から結婚すると聞いたときは、本当にうれしくて、衣装合わせも絶対に見たいと思った。でも実は直前になって、少し気が重くなっていたのだ。それがなぜだが自分でもあまりわからなかった。

 帰ってから自分で考えてみたが、たぶん私は娘を取られるような気持ちになっているのだと思う。長女は修士課程を終えるまで一緒に暮らしたが、就職と同時に滋賀県で一人暮らしを始めた。私がタイへ行くまでの数年間は、家にもよく帰ってきたが、一人暮らしにも慣れ、休みには海外へ一人旅をし、自分の生活を楽しんでいた。そんなところは私の後を追っているようで、嬉しかったのだ。

 娘たちとは、いろいろな国へ行った。最後に2人だけで行ったのは、いろいろなアクシデントに見舞われたウズベキスタンだった。予定通りにいかなかったので、コロナが終わったら2人でリベンジをと言っていたのだが、この約束は果たすのは難しくなってしまった。

 旅行のパートナーとしては、次女より長女のほうが、ペースや興味も似ていてやりやすかった。家族4人で旅行しても、夫が最初に脱落し、次女は興味をなくし、そんな2人をホテルにおいて、長女と出かけることもあった。もう家族4人で旅行に行くこともないのだろう。

 結婚式は8月だが、2人はもう一緒に住んで入籍も済ませているので、よくテレビに出てくるような「式の前日の夜」とか「式の日の朝」を一緒に過ごし、挨拶をするわけでもない。と言っても、私は両親や弟と住む家から結婚式に向かったのに、挨拶をした記憶はまったくないが。

 私は結婚するまで両親と過ごしていたが、娘たちは二人とも私よりずっと早く一人暮らしを始めた。だから私も、ある程度子離れはできているほうだと思っていた。でもやはり結婚し、一緒の姓を名乗らないのだなあと思うと、寂しさを感じる。

 この数年、娘たちによき人生のパートナーをと、お寺で祈り続けてきたのだから、願いがかなったと素直に喜ばなくては!
 
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若い人に行ってほしい知覧特攻平和会館

 長い間、知覧特攻平和会館に行きたいと思っていた。でも交通の便があまりよくないところなので、一人で行くのは躊躇していたのだが、今回はレンタカーなので、ようやく願いを叶えることができた。

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知覧特攻平和会館のパンフレットより 
「知覧が特攻隊の出撃基地であったことから、沖縄戦の特攻作戦で戦死された隊員1,036名の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、この史実を多くの方に知っていただき、特攻を通して戦争のむなしさ、平和の大切さ、ありがたさ、命の尊さを訴え、後世に正しく語り継ぎ恒久の平和を祈念することが基地のあった住民の責務であろうと、特攻基地跡の一角に知覧特攻平和会館を建設しました。」

 平日とはいえ、訪問者は少なくはなかった。館内はほとんどが写真撮影禁止で、屋内はロビーと零式戦闘機展示室のみしか写真を撮れない。展示のほとんどは、特攻隊員たちの写真や手紙、遺品など。時間の関係で全部は読んでいないが、まだ10代の少年たちの胸のうちを想像することも難しく、ただ読んでいるのも辛かった。

 ちょうど午後3時から、この日最後の語り部による講話を聞くことができた。30分間だったが、本当に話に引き込まれ、涙が出そうになりながら、映像とともに話を聞いた。スクリーンに映し出される出撃直前の笑顔の写真が、なんとも言えない感情を引き起こす。両親や恋人にあてて書いた最後の手紙で、もし自分がこんな手紙を受け取ったらどうなるだろうと、胸を引き裂かれそうになる。

 母が疲れた様子だったので、展示された遺品は1/3ほどしか見ることができなかった。家に戻ってから、娘が「本当は、もっとたくさん手紙とかも読みたかったけど」と言うのに少し驚いた。彼女は小学校の修学旅行で原爆資料館へ行き、そこで語り部の話を聞いた。
 「原爆の語り部さんのお話は、だるかったって言ってたよ」と娘に言うと、「私も、大人になってんなあ」と苦笑い。「だって、子どもやったからなあ。」

 特攻隊員の一番若い人は、確か15,6歳だった。だから高校生にこそ、この場所を訪れて欲しいと思う。片道の燃料しかない飛行機で、飛び立つときの気持ちを想像してみて欲しい。

 ただひとつ思ったのは、この特攻隊員たちは、ここに生きた証が残っている。太平洋戦争では、どこにいるのか、どこで死んだのかもわからない兵士たちが、数え切れないほどいる。死んだという連絡だけで、遺品ひとつも戻ってこなかった人がたくさんいる。

 以前訪れたメーホンソーンのクンユアムには、誰のものかわからない日本兵の遺品が残っており、お墓もあった。父が、息子が、夫がそこに眠っていると知らない家族もたくさんおられただろうと思う。

零戦式戦闘機
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屋外には、特攻隊員の宿舎の三角兵舎が再現されていた

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 あまり勉強せずに訪れたが、ホームページにはいろいろな資料やビデオのリンクもあり、とても勉強になった。行く機会のない方も、このホームページはご覧になるといいと思う。

 

 
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