今日の記事は、旅に出る前に書いたもの。これをアップするゆとりもなく、旅も終わりに近づいた。今日はすでに最終目的地ドブロブニクに着いた。
悲しい記事を読んだ。2019年に採用1年目の男性教員がその年の9月に自殺した。その遺族が自殺の原因は、長時間労働や指導教諭のパワハラだと、市と県に損害賠償を求める訴訟を起こした。
その青年教諭は赴任後すぐの5月連休明けから2ヶ月連続で時間外勤務が120時間を超え、亡くなる前の1ヶ月間も80時間超え、そして他の職員の前で指導教諭から厳しい指導を受けていたようだ。
連休明けからの時間外労働は6月の運動会に向けて、出し物のエイサーを担当することになり、先輩教員からは毎日1時間ほど厳しい指導を受けていたそうで、6月には授業研修を巡って18時から21時ごろまで指導教諭から厳しく指導されたという。
小学5年生のときに、すばらしい先生に出会い、「教師になる」と言ったというその青年は、本当に真面目で子どもたちが大好きな人であったのだろう。そんな真面目な人が追い詰められている。
初任者に対し、指導教諭がおかれるようになったのはいつからだろう。私が教員になったころはそんな制度はなく、多くの先輩教師に助けられながら、でも自分で試行錯誤しながらいろいろ取り組んだものだった。今ほど仕事に追いまくられることもなく、同僚ともいろいろ議論する時間もあった。
私も指導教諭を2回したことがある。新任教員に直接指導するだけでなく、府教委に提出する書類がかなり面倒で、それが一番悩みのタネだった。私が指導した二人は、優秀な人たちで、叱責するようなことは一度もなかったし、今でもその一人とは連絡を取り合う仲だ。もしそうでなくても、他の教員の前で厳しい指導するなんて、ちょっとその指導教諭にも問題があると言える。
ただその指導教諭も、忙しくゆっくり新任教員を見守るゆとりなどなかったのではないだろうか。必要なことを丁寧に教える時間がなかったのではないだろうか。とにかく20年ほど前から学校現場は忙しくなる一方だ。
教員になりたいという若者が減り続け、希望を持って教員になった人が、こんな悲しい結末を選んだり、心の病気で休職したり、退職したりする。未来を支える子どもたちに背中を見せる教員の働く姿が、こんなことでいいのか。
私が小学生のときに、先生に憧れて先生になりたいと思ったように、子どもたちが憧れる先生でいるために、もっとゆとりのある教育ができる現場になってほしい。
これはスプリットで撮った花
悲しい記事を読んだ。2019年に採用1年目の男性教員がその年の9月に自殺した。その遺族が自殺の原因は、長時間労働や指導教諭のパワハラだと、市と県に損害賠償を求める訴訟を起こした。
その青年教諭は赴任後すぐの5月連休明けから2ヶ月連続で時間外勤務が120時間を超え、亡くなる前の1ヶ月間も80時間超え、そして他の職員の前で指導教諭から厳しい指導を受けていたようだ。
連休明けからの時間外労働は6月の運動会に向けて、出し物のエイサーを担当することになり、先輩教員からは毎日1時間ほど厳しい指導を受けていたそうで、6月には授業研修を巡って18時から21時ごろまで指導教諭から厳しく指導されたという。
小学5年生のときに、すばらしい先生に出会い、「教師になる」と言ったというその青年は、本当に真面目で子どもたちが大好きな人であったのだろう。そんな真面目な人が追い詰められている。
初任者に対し、指導教諭がおかれるようになったのはいつからだろう。私が教員になったころはそんな制度はなく、多くの先輩教師に助けられながら、でも自分で試行錯誤しながらいろいろ取り組んだものだった。今ほど仕事に追いまくられることもなく、同僚ともいろいろ議論する時間もあった。
私も指導教諭を2回したことがある。新任教員に直接指導するだけでなく、府教委に提出する書類がかなり面倒で、それが一番悩みのタネだった。私が指導した二人は、優秀な人たちで、叱責するようなことは一度もなかったし、今でもその一人とは連絡を取り合う仲だ。もしそうでなくても、他の教員の前で厳しい指導するなんて、ちょっとその指導教諭にも問題があると言える。
ただその指導教諭も、忙しくゆっくり新任教員を見守るゆとりなどなかったのではないだろうか。必要なことを丁寧に教える時間がなかったのではないだろうか。とにかく20年ほど前から学校現場は忙しくなる一方だ。
教員になりたいという若者が減り続け、希望を持って教員になった人が、こんな悲しい結末を選んだり、心の病気で休職したり、退職したりする。未来を支える子どもたちに背中を見せる教員の働く姿が、こんなことでいいのか。
私が小学生のときに、先生に憧れて先生になりたいと思ったように、子どもたちが憧れる先生でいるために、もっとゆとりのある教育ができる現場になってほしい。