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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

2024年07月

ドライバクテーが美味しすぎる@コタキナバル

 今回の旅の目的は、「食べること」と「のんびりすること」です!まだ旅行記が終わっていないクロアチアの旅は、かなり観光して忙しい旅だったんです。だから今回は、美味しいものを食べて、後はAirbnbで借りたコンドで日本のドラマや、オリンピックを見て過ごしています。

 今回のAirbnbのコンドは、コタキナバルでは少し高い目でしたが、かなり広く仕事机もあり、そして一番驚いたのがインターネットTV。今日本で放送されているドラマのほとんどが見れるんですよ!そのため、これまでならTverを使って見ていたのに、リビングにある大画面のテレビで見れるありがたさ!しかもマーベルのシリーズもすべて見れるので、今日の私は午後からずっとドラマと映画を見てました。見れないのはオリンピックだけですが、これはNHKプラスとTverでカバーできるので、私は家にいるときよりもテレビばかり見ている感じです。

 そんな旅?なので、昨日は午前中コタキナバルの中心地のあたりを歩き、Google Mapで見つけたバクテ―の美味しい店でお昼を食べ、コンドの近くのショッピングセンターでお茶をして戻りました。

Kee Hong Bak Kut Teh
 注文を取ってくれた若い女性は、ニセコで働いていたということで、片言の日本語で説明してくれました。そして彼女のおススメ通りに注文。

 ドライバクテ―17MYR、ごはん2MYR、トリオサワー3.5MYR
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彼女の説明は、甘くて酸っぱい飲みもの
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ドライバクテ―の肉は、彼女がミックスをすすめてくれました
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 いや、このドライバクテ―がめちゃくちゃ美味しかったんです。最初、店員さんにドライバクテ―をと勧められたとき、看板料理は普通のスープバクテ―じゃないの?と思ったんですが、食べてみて納得です。

 去年クアラルンプールで食べたドライバクテ―はこれほどおいしいと思わなくて、やはりバクテ―はスープに限るとブログにも書いたのですが・・・撤回!美味しいお店は、ドライも美味しい。

 途中で、店員さんがスープだけ味見?に持ってきてくれたんです。でもこのスープもすごくおいしかったので、普通のバクテ―も食べたいので、もう1度行くかも・・・。

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 このブログを書き始めたのは、男子バレーのアルゼンチン戦が始まる前でした。でもiPadを横に置いて、NHKプラスで見ていたので中断し、試合に勝ったので、ようやく書き上げました。男子バレー、次は2日のアメリカ戦。でもこれは日本時間3日の午前3時50分なので、マレーシアだと午前2時50分。その時間に見るのはちょっと厳しいかな。


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やっぱりアジアは落ち着くんです@マレーシア

 まだクロアチアの旅行記が終わっていないのですが、今、マレーシアのコタキナバルにいます。前回の旅行から1か月も経たないうちの旅なので、ちょっと準備不足も感じつつ、アジアにいる居心地の良さを感じてます。

 やっぱりマレーシアはタイのお隣の国、もわっとした暑さも同じだし、なんだか落ち着くんですよね。もちろんマレー語はまったくわからないので、ローカルなお店で買い物しようとすると、相手も片言の英語になり、タイよりは不便ですけど。

 酷暑の日本より、コタキナバルの方がマシです。たぶん日中は32度くらいかな?暑いけど、外を歩けないことはないです。ショッピングセンターの雰囲気もタイとよく似ているので、知らないところにいるという感じがないんですよね。

 私もボルネオ島に来たのは初めてです。マレーシアには何度か行っていますが、クアラルンプール、マラッカ、ペナンだけなので、今回は初めての場所を選びました。でもなぜマレーシアか・・・。それは単にエアーアジアのキャンペーンで、関西ークアラルンプール往復が安い時があって、何も考えずにポチってしまっただけの話です。後から、長女の結婚式の前だと気づき、ちょっとまずかったかも・・・と少し反省しましたが。

 昨日クアラルンプールからコタキナバルの飛行機が遅れ、空港に着いたのはもう夜11時半ごろでした。ちょっとびっくりしたのは、クアラルンプールで入国審査をしてスタンプは押されているのに、コタキナバルで、また入国(いや入島?)審査があり、ちゃんとスタンプも押されているんです。道理で空港のアライバルの表示が、「半島、外国人(あと忘れました)」と「サパ州」が別方向になっていました。

 ということで、私のパスポートには二つの入国スタンプが押されました。それでもうひとつ気づいたのは、私はMM2Hビザを持っているので、半島ならそのビザの有効期間まで滞在できるけれど、コタキナバルでは無効で、ルール通り90日間しか滞在できないということ。つまりボルネオ島は、マレーシアの中で準外国みたいな扱いなんでしょうか。

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ここは旧ユーゴスラヴィア

 「バルカン半島はヨーロッパの火薬庫」だと、はるか昔の受験勉強のときに学んだ記憶がある。でもバックパッカーをしていた頃は、ビザも必要で、旅行には向いていないと判断し、バルカン半島がどこなのかも意識から消えていた。でも今回の旅で、ユーゴスラヴィア紛争について、少し学ぶことができた。。
 (旅の目次はこちら

簡単な歴史は以下。
・第1次世界対戦後、セルビアを中心に南スラブ系の民族を統合して、ユーゴスラヴィア王国が成立
・第2次世界対戦中、ドイツの侵攻を受けて消滅
・1945年にユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国を建国
・1991年から分離独立が始まり、2006年に消滅

 ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国は、セルビア社会主義共和国、マケドニア社会主義共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、クロアチア社会主義共和国、スロベニア社会主義共和国、モンテネグロ社会主義共和国から出来ていた。またセルビアには、ヴォイヴォディナ社会主義自治州と、コソボ社会主義自治州という独立した地域もあった。

 ユーゴスラヴィアは、7つの国(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)と接していて、6つの国があり、5つの民族(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、マケドニア人、ムスリム人)がいて、4つの言葉(セルビア語、クロアチア語、マケドニア語、スロベニア語)があって、3つの宗教(カトリック、正教、イスラム教)があって、2つの文字(ラテン文字、キリル文字)が使われている複雑な国として知られていた。

 これほど複雑な国なのに、カリスマ性のあるチトー大統領が存命中は、問題もうまく処理されていたようだ。しかし彼の死後、コソボが独立を宣言したもののセルビアは認めず、紛争となった。豊かだったスロベニアとクロアチアも、自分たちのお金が、貧しい国に使われるのを不服とし、1991年、同時に独立を宣言した。でもすぐにユーゴスラヴィア連邦軍が攻めてきて、ユーゴスラヴィア紛争になった。

 スロベニアはクロアチアが間にあり、しかもヨーロッパ諸国にアピールをして、わずか10日で紛争が終えることができた。でもクロアチアは、セルビア人も多く住んでいて独立を反対したので、紛争は4年続いた。マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロが独立し、コソボも独立を宣言し(まだ認めていない国も多い)完全にユーゴスラヴィアは消滅しました。

 受験の世界史はせいぜい第2次世界対戦後までしか勉強していないので、ユーゴスラヴィア紛争については、ほとんど知らなかった。旅の最後の目的地であるドブロブニクは、その紛争で大きな被害を受けた場所だ。そしてボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロと国境を接しているので、簡単に行くことができる。それでボスニア・ヘルツェゴビナに行ってみたいと思った。

 ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで、冬季オリンピックが開かれたのは、1984年のこと。伊藤みどりが出場できなかったオリンピックだが、まだ幼い長女がフィギュアの放送を見て、足をあげて真似をしていたことを覚えている。

 でもその直後、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、オリンピックの会場は廃墟と化したというニュースを見て、ショックを受けた。それが私が初めてボスニア・ヘルツェゴビナという国を意識したときだった。

 サラエボはかなり離れているので無理だったが、モスタールという町を訪れるツアーに参加した。そのことはまた次回にでも書くつもりだが、私が娘たちを生んで、日常生活だけを考えて暮らしていた頃、旧ユーゴスラヴィアでは、同じ民族でさえ争っていたのだと思うと、本当になんと言っていいのかわからない。

 なんかまとまりのない文章になり、すみません。まだまだ勉強不足を実感しています。せめてきれいな花を見て、穏やかな気持ちになりたいです。

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スプリットを出る前に食べた今回の旅ベストのランチ

 旅の10日目は、スプリットから最後の目的地ドブロブニクへバスで向かいます。前日のスピードボードの疲れもあり、ゆっくり目にブランチを食べてからバスターミナルへ向かいました。
 (旅の目次はこちら

 スプリットで泊まったAirbnbは、旧市街の城壁のすぐ外側で、周りにレストランやお店もたくさんあるとても便利な場所でした。それなのに、少し横道にはいるためか、夜もそれほどうるさくもなく、オーナーさんが、アパートの下に住んでおられるので、ギリギリまで荷物も預かってもらえました。

 そのAirbnbのすぐ近くのレストランで食べたのが、イカ墨のリゾット。アドリア海沿岸の町では定番のメニューだとのことです。

イカ墨リゾット(パンつき)€19 コーヒー €2.2 
チップも入れて€23払いました
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Google Mapも4.4の高評価 「Konoba Varos」
オープンと同時に入ったので、お客さんはいませんが、いい雰囲気
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 私はイカ墨のスパゲティも大好きですが、どこでもあるメニューじゃないし、リゾットは食べたことがあるか覚えていません。でもここのリゾットはホントに美味しかったです。イカもごろごろ入っていて、食べごたえがありました。美味しくてパクパク食べたので、アップの写真を撮るのも忘れていました。

 レストランから城壁に向かうところにも小さな教会がありました。前日、夕方通ったときに、美しい花嫁さんがいて、思わず写真を撮らせてもらいました。

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聖フランシス教会
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観光地と言うより地元の方の信仰の場所という感じでした
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こんな観光バス?も走っています
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そして何とトゥクトゥクも!
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電気自動車みたいですが、ここの人はTUK TUKがタイ語って知っているのかなあ・・・
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 さあ、次はドブロブニクです。


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パリオリンピック開会式 セリーヌ・ディオンの歌声に泣きました

 洋楽で一番好きな歌はと聞かれたら、セリーヌ・ディオンの「To Love You More」だと言える。もちろんタイタニックのテーマ「My Heart Will Go On」も大好きだ。あの頃はセリーヌ・ディオンの歌をよく聞いていた。

 そのセリーヌ・ディオンさんが、2022年12月にスティッフパーソン症候群(SPS)という難病を患ってツアーを中止されたというニュースを聞いたときは驚いたが、去年も病気が進行しているというニュースを読んで、もう彼女が歌う姿は見れないのかと悲しくなった。

 今日は子ども食堂のボランティアに行ったので、帰ってきてからシャワーを浴びて、TVerでオリンピックのハイライトを見ている。そしてランキングの2位がセリーヌ・ディオン「愛の讃歌」とあり、驚きながらクリックした。

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読売新聞Online より

 画面を見ながら、歌を聞きながら、思わず涙が出てきた。現在の彼女の病状は明らかにされていないけれど、画面で見る限り以前と変わらぬ美しい、力強い歌声だった。

 SPSとは全身の筋肉がこわばり、雑音や接触にひどく敏感になって、筋肉のけいれんが起きるレアな病気とのことだ。何百万人に一人という発症率らしく、まだあまり研究も進んでいないらしい。そんな病気を闘って、あの圧巻のパーフォーマンスをされたということに感動が止まらなかった。


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土用の丑の日にウナギを食べながら、母と穏やかに過ごす

 最近、旅行記が忙しすぎて、あまり母のことを書いていなかった。2年前にタイからの帰国を決めたのは母のためだ。去年は冬に2か月日本を留守にしても大丈夫と思ったが、今年は、4月に2カ月ぶりに母の家に行ったとき、もう1か月程度しか無理かなと感じた。

 まだルーティーンの日常生活は一人でやっていける。でも2年前の初めての介護認定が要支援1で、昨年9月に要介護1になったのは、認知能力がかなり落ちてきているからだ。いろいろなものの管理ができなくなっている。

 だから何かしらややこしいと思ったらすぐ電話がかかってくる。日本にいるときは、なるべく1週間に1度は行くようにしているのだが、週末に用事が入ると、10日ほど空いてしまうこともある。でも3日ほど前に電話があり、今回は「保険屋さんが、会いたがっている」とかいう理由で呼び出された。

 保険屋さんの理由は、母が前にした積立保険の利率が悪いので、すこし足していい利率のものに変えないかという話だった。30万円ほど追加しなくてはならないが、5年で元が取れるそうで、利子が今の1.5倍ほどになるという。母はたぶん長年のつきあいの保険屋さんの顔を立ててあげたいのだろう。「それやったらかめへんよ」という。

 少し私も考えたが、まあ母はきっと後5年くらい生きるだろうし、保険屋さんにいい顔をしたいという気持ちを優先させてあげればいいかという気持ちになった。最近思うのだが、年を取れば取るほど、人間は承認欲求が強くなるのではないだろうか。人間関係が希薄になり、出会う機会、話す機会が減れば、人から認められることもなくなる。だから訪問販売とかでも、褒められてその気になってしまうのじゃないだろうか。

 それと今回は、ちょっと名前を忘れてしまったが、後見人か指定代理人か、その制度を使って弟や私でも手続きができるようにしてもらったことがメリットだった。母は自分がどんな保険をかけているかも覚えていないし、たぶん今回のことも忘れてしまうだろう。

 家の中も、この2年間でずいぶん片付けてきたが、少しずつやっていかなくてはと思う。今はまだ身体は大丈夫な方だが、もし怪我でもしたら、もう一人暮らしが無理になるかもしれない。

 保険屋さんが帰ったあと、母に「晩ごはん、何がいい?」と聞くと、「うなぎがいいかな」という。えっ?そろそろ土用の丑の日?と思うとドンピシャだった。きっとテレビでその話題をたくさん聞いて、そんなふうに言ったのだろう。

 「じゃあお母さん、散歩がわりにスーパー行こう」と声をかけた。車でいつものスーパーまで行き、ひまつぶしも兼ねて、日頃母が見ない「セリエ(100均)」とかもじっくり見て、うなぎも買って、途中で少し休憩して帰宅した。

 魚売り場で焼いていたうなぎは美味しかった(写真を撮るのは忘れた)。忘れられそうになっていた冷蔵庫のブロッコリーを茹で、残り野菜を適当にいれた味噌汁を作った。そして二人でテレビのニュースを見ながら食べた。

 今日は、母にそれほどイライラしなくて済んだ。実は先週来たときに、母が急に「私、留め袖レンタルするんやね」といい出して、ムカッときたのだ。このことは何度も話題にしていて、母は自分の留め袖を持ち込むと言っていたのだ。忘れたらいけないので、すでに留め袖と帯は預かって、私の着物と一緒に保管してある。なのに、いきなり「レンタルする」とはどういうこと?

 たぶん暑くなってきて、留め袖の後始末ができないと思ったのだろう。あわてて長女に電話をして、レンタル衣装の店に電話をして、何とか間に合った。この日はかなりイライラして、「お母さん、招待状の封筒に留め袖はレンタルするって書いといて!」と叫んでしまった。

 この2年間にも母は身体的にも弱くなり、物忘れはかなりひどくなった。今後良くなることは決してないとはわかっている。だからこそ優しくしなければと思いながら、できない自分に葛藤している。だから昨日のように、穏やかに過ごせた日は、帰るときも心が暖かかった。

 
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スプリット ローマ皇帝の宮殿がそのまま旧市街!?

 アドリア海沿岸の港町スプリットは、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?〜316?)の宮殿がそのまま旧市街になった町。もちろん世界遺産に登録されています。
 (旅の目次はこちら

 中学高校と世界史は大好きで、大学受験も世界史で受けたので、当時はかなり知識がありました。でも受験のために詰め込んだだけの知識は、消えるのも早いこと・・・。ローマ時代っていつ頃だっけ?紀元前?でも長かったよね・・・といいかげんなことを考えてました。

 「ローマ時代は、紀元前753年に都市国家として建国されたとされるローマが滅亡する476年まで約1200年、または東西に分裂した395年から東ローマが滅亡する1453年まで約2200年続いたとされています。」  (今検索すると、AIによる回答がでました)
 

 バスターミナルから、アイスクリームを食べて休憩し、Airbnbの宿に戻ったらすぐに雨が降り出しました。午前中の
トゥロギールはとても天気が良かったのに、急な大雨でしたが、1時間ほどで止んだので、スプリットで見ておかねばならないディオクレティアヌス宮殿へ行きます。

 宮殿には、大聖堂、宝物殿、鐘楼、洗礼室、地下室と有料の施設があり、5ヶ所のセットは€15。宝物殿の入口にチケット売り場があり、みんなその€15のチケットを買っていたので、私も購入。そのまま宝物殿へ入ります。

宗教美術がたくさん展示されています
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これも聖人?キリスト教には疎いのでわかりません
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今回の旅行で張り付けにされたイエスをたくさん見ました
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鐘楼は後で登ることにして・・・
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まずメインの大聖堂の中へ
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このイエス像はちょっと衝撃でした
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オーク材の扉に、受胎告知からキリストの昇天まで描かれています
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洗礼室にある洗礼者ヨハネの像
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さあ鐘楼に登ります 
でも今日はもう3回目の階段でちょっとしんどい
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市街の向こう側は、小高い山のマリヤン森林公園
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フェリーターミナルの向かいが、スプリット駅とバスターミナル
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登るときより、降りる時の方はちょっと怖い
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衛兵さんたちは観光客と写真を撮ってくれます
もちろんチップはいるそうですが・・・
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地下室に入る階段に、やっぱりこんな(恋人の?)鍵がたくさん!
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大聖堂の周りは中世からの街並み
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 宮殿だったスプリットに人が住むようになったのは、ローマ帝国が滅亡し、7世紀に近郊の町から追われてきた人々が頑強な城壁に囲まれている宮殿内に避難してきたのがきっかけだったそうです。

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城壁の外もこんな街並みです
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 写真だけですみません。同じような街並みをたくさん見たので、感想があまり出てこないんです。


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