奥琵琶湖ホリデーの続きです。
オーストラリア人男性とお店の前で別れ、いつも行くドライブコース奥飛騨パークウェイへ。ここは私のお気に入りのドライブコースで、必ず「つづら尾崎展望台」に寄って、琵琶湖を眺めます。でも今回は写真を撮るのを忘れました。というのは、ここで自転車で上がってきた外国人と目が合って話しかけると、また「オーストラリアから」ということだったのです。今オーストラリア人には、自転車の琵琶湖一周がブームなのかも!
この展望台から塩津に向かう道は一方通行なので、ワインディングロードでもガンガン行けます。しかも平日だと、本当に車が少ないので、「専用のドライブウェイ」ていう気分になれます。
気持ちよく車を走らせ、今回向かったのは賤ヶ岳です。そう戦国時代が好きな人にはおなじみの賤ヶ岳合戦の地。羽柴秀吉と柴田勝家が織田信長の後継者を争った、天下分け目の戦いです。
現地でもらったパンフレットより
「本能寺の変で没した織田信長の後継者をめぐり、対立していた秀吉と勝家。天正11年(1583年)3月、両軍は山中に多くの砦を築き対峙した。4月、織田信孝らを討つために岐阜へ出陣した秀吉軍の隙に乗じて、かつ家の家臣佐久間盛政が中川清秀の守る大岩山へ奇襲をしかけ、成功。柴田軍が優位に立った。しかし秀吉が52kmをわずか5時間で戻り(美濃の大返し)、七本槍と呼ばれた武将たちの活躍で、秀吉軍の勝利となった。」
この駐車場から少し階段を登っていくと、リフトのりばがあります。その横手にはハイキングルートもあるのですが、リフト乗り場の若い女性のに聞くと、「4,50分かかりますね」とのこと。でも一人で4,50分登るのはちょっと自信がなかったので、帰りだけ歩くことにしました。
リフトに乗れば、もう山頂まで行けると思ったのに、そこからまだ坂道が続いていました。足元もあまりよくなくて、ランニングシューズで来て良かったです。
この日は少し薄曇りだったんですが、琵琶湖と余呉湖の色がずいぶん違うことに驚きました。でもどちらも幻想的で美しかったです。
そしてここには、賤ヶ岳の戦いについて説明してくださるボランティアガイドさんがいるんです。私は最初の部分を聞き逃しましたが、とても興味深いお話でした。聞いた後、協力金200円を払うと、賤ヶ岳のカードを頂きました。
一番面白かったのは、秀吉軍の52kmを5時間で戻ったという「美濃の大返し」。52kmを5時間というのは、素人のマラソンタイムを遥かに超えています。(フルマラソンで4時間を切るのは、市民ランナーにとって大きな目標なんですよ)
ガイドさんによると、秀吉軍は地元の人にお金を撒きまくって、重い鎧兜を運ばせ、武士たちは身軽な状態で走り続けたそうです。それでも1km6分の速度で走るのは、かなりすごいです。
さて、帰りはちゃんとハイキングで帰りましょう。リフト乗り場の横に、「下山道」という表示がありました。
道はそれほど険しいわけではなく、道も整備されているので、迷う可能性も全くないです。これなら楽勝と思ってどんどん歩きました。
でも翌日、左腰あたりがかなり痛くて、そこそこ下りの負担がかかっていたのだなと実感。8月9月と暑すぎて、まったくランニングしていなかったことも、筋肉痛の原因です。ということで、涼しくなったし、またランニングを再開しました!
オーストラリア人男性とお店の前で別れ、いつも行くドライブコース奥飛騨パークウェイへ。ここは私のお気に入りのドライブコースで、必ず「つづら尾崎展望台」に寄って、琵琶湖を眺めます。でも今回は写真を撮るのを忘れました。というのは、ここで自転車で上がってきた外国人と目が合って話しかけると、また「オーストラリアから」ということだったのです。今オーストラリア人には、自転車の琵琶湖一周がブームなのかも!
この展望台から塩津に向かう道は一方通行なので、ワインディングロードでもガンガン行けます。しかも平日だと、本当に車が少ないので、「専用のドライブウェイ」ていう気分になれます。
気持ちよく車を走らせ、今回向かったのは賤ヶ岳です。そう戦国時代が好きな人にはおなじみの賤ヶ岳合戦の地。羽柴秀吉と柴田勝家が織田信長の後継者を争った、天下分け目の戦いです。
現地でもらったパンフレットより
「本能寺の変で没した織田信長の後継者をめぐり、対立していた秀吉と勝家。天正11年(1583年)3月、両軍は山中に多くの砦を築き対峙した。4月、織田信孝らを討つために岐阜へ出陣した秀吉軍の隙に乗じて、かつ家の家臣佐久間盛政が中川清秀の守る大岩山へ奇襲をしかけ、成功。柴田軍が優位に立った。しかし秀吉が52kmをわずか5時間で戻り(美濃の大返し)、七本槍と呼ばれた武将たちの活躍で、秀吉軍の勝利となった。」
無料の駐車場にあった案内板
この駐車場から少し階段を登っていくと、リフトのりばがあります。その横手にはハイキングルートもあるのですが、リフト乗り場の若い女性のに聞くと、「4,50分かかりますね」とのこと。でも一人で4,50分登るのはちょっと自信がなかったので、帰りだけ歩くことにしました。
平日なので、ほとんど客のいないリフト
(片道500円)
(片道500円)
リフトに乗れば、もう山頂まで行けると思ったのに、そこからまだ坂道が続いていました。足元もあまりよくなくて、ランニングシューズで来て良かったです。
「無名武将の像」
ここで負けた柴田勝家とも、勝利して疲れ切った秀吉とも言われているようですが・・・
琵琶湖
余呉湖
この日は少し薄曇りだったんですが、琵琶湖と余呉湖の色がずいぶん違うことに驚きました。でもどちらも幻想的で美しかったです。
そしてここには、賤ヶ岳の戦いについて説明してくださるボランティアガイドさんがいるんです。私は最初の部分を聞き逃しましたが、とても興味深いお話でした。聞いた後、協力金200円を払うと、賤ヶ岳のカードを頂きました。
一番面白かったのは、秀吉軍の52kmを5時間で戻ったという「美濃の大返し」。52kmを5時間というのは、素人のマラソンタイムを遥かに超えています。(フルマラソンで4時間を切るのは、市民ランナーにとって大きな目標なんですよ)
ガイドさんによると、秀吉軍は地元の人にお金を撒きまくって、重い鎧兜を運ばせ、武士たちは身軽な状態で走り続けたそうです。それでも1km6分の速度で走るのは、かなりすごいです。
さて、帰りはちゃんとハイキングで帰りましょう。リフト乗り場の横に、「下山道」という表示がありました。
道はそれほど険しいわけではなく、道も整備されているので、迷う可能性も全くないです。これなら楽勝と思ってどんどん歩きました。
でも翌日、左腰あたりがかなり痛くて、そこそこ下りの負担がかかっていたのだなと実感。8月9月と暑すぎて、まったくランニングしていなかったことも、筋肉痛の原因です。ということで、涼しくなったし、またランニングを再開しました!