大学で教えていた頃、ジム・トンプソンの家に毎年訪れていました。私の大学では、4年生は後期数か月を勤務実習に行くことになっていました。例年、4年生の成績のいい女子学生3人がジムトンプソンの日本語通訳の実習へ行きました。私は4年生の「観光」という授業を教えていたので、必ず学生たちの様子を見に行っていたのです。
この家は、約100年前から200年以上前の古いタイ家屋を6軒集め、造られたそうです。アユタヤから川を下って運ばれたものもあります。昔の建築方法に沿って復元されましたが、ジム自身のアイデアが生かされています。展示品もタイのものだけでなく、周辺諸国からの古い美術品が多く展示されています。
1959年の完成後まもなく一般に公開されましたが、ジム・トンプソンは1967年3月26日、マレーシアのキャメロン高原で行方不明となり、いまだに手がかりもないそうです。
受付で入場料200バーツを支払い(cashのみ)、渡された案内には、日本語ガイドの時間が書いてありました。少し時間があったので、ショップを覗いた後、入口で待っていると、その時間は私たち二人だけでした(ラッキー!)
ここまでは、以前も写真を撮ることができました。でも階段を登るところからは、一切写真撮影禁止だったのに、コロナ後、規則が変わり、写真撮影OKとなっていました。
ここまでが、以前から見学できた本館の建物内でした。でも以前は、受付やスタッフさんの控え場所だった建物の2階も、写真などの展示室となっており、見学することができました。

右手に階段が新設され、そこから上ります
建設当時の写真で、以前にはなかったものです
私一人だと、もう何度も行っているので、わざわざ行こうと思わなかったかもしれません。でも新たな見学場所があったり、写真を撮ることもできたので、ここは行ってよかったです。
この家は、約100年前から200年以上前の古いタイ家屋を6軒集め、造られたそうです。アユタヤから川を下って運ばれたものもあります。昔の建築方法に沿って復元されましたが、ジム自身のアイデアが生かされています。展示品もタイのものだけでなく、周辺諸国からの古い美術品が多く展示されています。
1959年の完成後まもなく一般に公開されましたが、ジム・トンプソンは1967年3月26日、マレーシアのキャメロン高原で行方不明となり、いまだに手がかりもないそうです。
受付で入場料200バーツを支払い(cashのみ)、渡された案内には、日本語ガイドの時間が書いてありました。少し時間があったので、ショップを覗いた後、入口で待っていると、その時間は私たち二人だけでした(ラッキー!)
いつもこのトルソーから説明が始まります
この彫刻のドアも、本当に精巧に彫られています
ジム・トンプソンの収集先は多くの国に渡っていて
少し不思議な像もあります
少し不思議な像もあります
ここまでは、以前も写真を撮ることができました。でも階段を登るところからは、一切写真撮影禁止だったのに、コロナ後、規則が変わり、写真撮影OKとなっていました。
仏頭の上にナーガ(ヘビ)があったはずですが、残っていません
陶器もタイだけでなく、中国やペルシャのものもありました
台形の形の窓は、タイの高床式の建築方法だそうです
中華街の質屋で使われていたドアを
ジム・トンプソンが気に入り、買い取ったそうです
アユタヤ時代、ヨーロッパの人によって描かれたタイの地図
失跡直前のジム・トンプソン
ここまでが、以前から見学できた本館の建物内でした。でも以前は、受付やスタッフさんの控え場所だった建物の2階も、写真などの展示室となっており、見学することができました。
以前はここが受付
今はカフェになっており、2階が展示室

右手に階段が新設され、そこから上ります
建設当時の写真で、以前にはなかったものです
これは糸をきれいに並べてあります
美しいデザインの布も展示されています
階段を降りると、ショップにつながっています
以前、使われていなかった家もミニショップになっていました(カフェの隣)
私一人だと、もう何度も行っているので、わざわざ行こうと思わなかったかもしれません。でも新たな見学場所があったり、写真を撮ることもできたので、ここは行ってよかったです。