タリンカードを使いまくった一日も、ようやく夕方になりました。2日間有効なので、この日は旧市街を徹底的に回ろうと思っていました。観光局でもらったこの地図の右上、東側からスタートして、南に降りて、真ん中に入り、左下、西南へ進みました。赤い丸で囲んだところが一日で回った場所です。
中に入ったはずなんですが、写真が一枚もない
きっともう疲れていたんだと思います
キーク・イン・デ・キョク
この名前は低地ドイツ語で「台所をのぞけ」という意味らしいです
ここで一番おもしろかったのが、17世紀スウェーデン時代に造られたという地下道でした。これまで、上に登ってばかり(塔に登るということです)だったので、地下に向かうのは新鮮でした。
ここは要塞通路として作られたようです。兵士、弾薬、その他の装備を敵から隠し、敵の攻撃から守り、隠し通路は重要な偵察と防御の機能がありました。現在も400mの通路が残っています。
この地下通路に、1990年代初頭からホームレスの人々が住みつき、改修工事の始まった2005年に最後のホームレスが去ったそうです。
歩き回った観光の一日でしたが、最後に旧市街を少し出たところにあるビュッフェレストランに行きました。ショッピングモールの中にあり、とてもにぎわっていました。
ようやく世界遺産の街の観光を終えました。2日目は旧市街から少し郊外へ向かいます。
大聖堂(トームキリク)
1219年に建設されたエストニアで最古の教会
1219年に建設されたエストニアで最古の教会
中に入ったはずなんですが、写真が一枚もない
きっともう疲れていたんだと思います
キーク・イン・デ・キョク
この名前は低地ドイツ語で「台所をのぞけ」という意味らしいです
写真はタリン観光局のページから拝借しました
四角い塔はネイツィルトンという名前です
建物全体が博物館になってます
「台所をのぞけ」なので、内部の台所の様子の写真を
ここで一番おもしろかったのが、17世紀スウェーデン時代に造られたという地下道でした。これまで、上に登ってばかり(塔に登るということです)だったので、地下に向かうのは新鮮でした。
ここは要塞通路として作られたようです。兵士、弾薬、その他の装備を敵から隠し、敵の攻撃から守り、隠し通路は重要な偵察と防御の機能がありました。現在も400mの通路が残っています。
この地下通路に、1990年代初頭からホームレスの人々が住みつき、改修工事の始まった2005年に最後のホームレスが去ったそうです。
はっきり覚えていないのですが
確かここがトイレとして使われたような・・・
建築当時のまま残っているところもあります
歩き回った観光の一日でしたが、最後に旧市街を少し出たところにあるビュッフェレストランに行きました。ショッピングモールの中にあり、とてもにぎわっていました。
値段もお手頃で、これだけで9ユーロ(約1600円)
メインは魚のフライです
ようやく世界遺産の街の観光を終えました。2日目は旧市街から少し郊外へ向かいます。




















































































