ホーチミンは3回目だ。と行っても1回目は乗り継ぎを利用した1日だけで、2回目は娘2人、母、叔母を連れての旅行だったので、現地のツアーに参加したり、車をチャーターして観光したりで、自分の足で歩いた記憶がなく、ホーチミンの土地勘は全くない。今回は体調に不安もあるので、一日一ヶ所だけゆっくり見て回ることにした。 

 2日目は2人とも行きたかった戦争証跡博物館へ。友人は初めてだが、私は前回に訪れている。でもその時は、あまりに痛ましい展示物に、娘たちが悲鳴をあげるほど嫌がって、ゆっくりと館内を見ることができなかった。まだ中学生くらいだったから、仕方のないことだとは思う。 

23403B16-115E-49BF-A028-3D39D44FEC44 友人の家は中心地から離れているので、Grabで一気に博物館へ。これでまたどこにあるのか、あまりわからないが、言葉が全く通じなくても呼べるGrabは本当に便利だ。しかもボラれることもない。 

  着いたのは10時ごろだったので、外にはかなりの列ができていた。見たところ欧米人がかなり多い。アジア人は、ほとんどがベトナム人のように見える。それほど待つこともなく入場することができた。 
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 この前フエを訪れた時も思ったのだが、ベトナムにはタイのような外国人料金がないようだ。ここも一律40000ドン。日本円にして200円もしない。

 建物の外には、飛行機や戦車などが並んでいた。きれいな状態で保存されているが、これが本当に戦争に使われていたのだと思うと、何とも言えない。
 

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 本館の前、横手にある建物は、当時使われたギロチンや牢が再現されていた。

 悪趣味と言われそうだが、オーストラリアに住んでいた時、いろいろな場所の監獄を見たことがある。だからギロチンも何回か見たことがあるのだが、やはり実際使われていたと思うと、見るのはつらくなる。






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この金網でできた牢も、写真のように、常に這いつくばった状態にされていたということ。どうして人間は、こんな残酷なことを思いつくのだろう。

 この外の展示だけでも説明を読みながら見ると、30分ほどかかる。

 そしていよいよ本館へ。3階から順に降りていくと、戦争の経過や地雷や枯葉剤の影響など、現在に至るまでのことが説明されている。日本人カメラマンが撮った写真には、日本語の説明もつけられていた。
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ピューリッツアー賞をとった沢田教一さんの「安全への逃避」はかなり詳しく説明がついていて、沢田さんとこの家族が再会した時の写真もあった。
 
 他にも
石川文洋さん、中村梧郎さんの写真もたくさん展示されていた。

 前回の訪問の時に、とても残酷で目を背けたものの、はっきりと覚えている写真があり、今回それを見るのが怖かった。あまりにも悲惨で写真に撮らなかったが、アメリカ人兵士が、もう残骸となったベトナム人の死体を手にぶら下げている写真だ。

 初めて見たとき、あまりにもショックで、戦争は人間を人間でなくしてしまうのだと、無力感におそわれた。そして今回も同じ思いをした。

 前回、中学生だった娘たちが泣きそうになったのは、ホルマリン漬けの奇形胎児がたくさん展示されていたからだ。でも今回はどこにも置いてなかったように思う。枯葉剤の恐ろしさを伝えるには必要だったかもしれないが、私はその胎児を見て「生まれてくることもできなかったのに、ずっと人目にさらされるなんて」と思ったのだ。だから今回なかったことは、ちょっと救われたように感じた。
 
 枯葉剤も地雷も、いまだに多くのベトナム人を苦しめている。そして実はベトナムだけでなく、戦争時代に南北の通り道となったラオスには、かなり多くの地雷が埋められたままだ。今も苦しんでいる人たちに対して、直接関わった国だけでなく、戦争を見逃していた国も、何かをすべきだと思う。

 ベトナムは、かなり日本人の旅行者も増えていると聞く。若い人たちは、ここを訪れるのだろうか。2020年、もう日本人のほとんどが戦争を知らない。でも2度を戦争を起こさないためにも、戦争を知らない人たちは、ぜひここを見てもらいたいと思う。そして前回は怖がって見なかった娘たちに、もう一度見せたいと強く思った。




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