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 今年も同じチョコレートケーキを買って食べました

 去年の誕生日のことを思い出すと、もうずいぶん前のことのように思える。あの頃は一番苦しかった。仕事帰りにコンビニでケーキを買って、一人で食べた。味なんてしないかもと思ったけど、そのチョコレートケーキはおいしかった。

 手術の前までも、どんな食事でもおいしいものはおいしかった。ネパールのトレッキング中の食事は、いつも同じようなものだったけど、それもおいしかった。一人で作るいつもの夕食も、手術の前日に夫と行ったイタリアンもおいしかった。

 体の中にがんがあっても、心は深く沈んでいても、おいしいものを食べられることは幸せだ。次に何を食べようと考えることは、生きる糧になる。まあ私が食いしん坊のためだけど。

 入院中だけ、味覚が少し変わって、タイ料理を受け付けなかったけれど、1か月もたたないうちに元に戻り、手術後に落ちた体重も、今は元通りだ。毎日の生活で、以前と大きく変わることはないが、時々呼吸がしにくいと感じたり、4階まで階段を上ると息が切れてしまうのは、仕方のないことだと思う。

 もうひとつ意外なところで違いを発見した。先日、日本語学科の卒業パーティがあったのだが、2年ぶりに着物を着てみた。久しぶりで自信がなかったので、友人に帯を締めるのを手伝ってもらった。いつもは、きつく締めても全然平気で、洋服と同じように食べられるのに、今回は違った。

 まず帯をぎゅっと締めあげて気がついた。左胸を圧迫されているためか、少し呼吸がしにくい。そしてパーティでも、あまり食欲がおきなかった。と言っても、気分が悪くなったりはせず、立ち歩いて学生たちと話をしたり写真を撮ったりした。

 がんサバイバーになって大きく変わったのは、身体ではなく心のほうだった。それまでは、自分で心身ともに若いと思い込んでいて、長生きの家系だから100歳まで生きられるのじゃないかと思っていた。だから「死」について考えたことはなかったのだ。

 人間はいつか死ぬ。それを真剣に考えた59歳だった。そういえば、満59歳といえば前厄、つまり今年は本厄か。まあ去年の手術で厄落としができたと思いたい。それにこの2年間は、アジアのお寺をかなり回ってお祈りをしてきた。そのおかげで、タイでがんを早期発見してもらえたとも思いたい。

 日本で仕事をしていたら、ちょうどこの3月で定年を迎えるはずだった。そして定年後になにかボランティアをしながらタイに住めるとい
いなと思っていた。それが仕事を見つけることができて、この3年間タイでも教師をすることができた。

 この1年間働きながら、自分が何をしたいのかと考え続けてきた。いつか人生に終わりが来るのなら、本当にやりたいことをしたい。そして出した結論は、仕事を辞めることだった。

 私の契約は4月いっぱいなので、その後いったん日本へ戻り、6月には戻ってこようと思った。でも何と4月30日に予約したエアアジアはフライトキャンセル。その上、今の状態では、もし日本に帰ったら、すんなりタイに戻ってくることができるのかという恐れもある。 

 まあ、今のところプランA、プランBと考えていて、日本やタイのコロナの状況によっては少し時間のズレはあるかもしれないが、チェンマイへ引越しを考えている。せっかくタイに住む機会を得たのだから、少し違う街にも住んでみたい。
 どちらのプランになるか分からないが、あと少しのバンコクを楽しみたい。

 

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