私が若い頃に「地球の歩き方」が創刊されて、バックパッカーという言葉がポピュラーになった。「地球の迷い方」と酷評する人もいるが、私はかなりお世話になってきた。でも当時は「地球の歩き方」が出ていない地域にも行ったので、数少ない旅行雑誌を調べたり、現地のインフォーメーションで情報を得たりしていた。インターネットがない時代、よくいろいろなところに行けたなあと懐かしく思う。
当時の私の英語の資格といえば、大学入学の頃に受けた英検二級。つまり高校卒業程度。大学の専攻は英語ではなかったが、英語教員になったので、勉強はしていた。だからと言ってビジネスレベルの話ができるかというと、絶対にそんなことはなかった。
でも旅行しながら職業を明かすと、まず「いいですね、英語ができて。だから一人で旅行できるんですね」と言われた。たとえそれが英語がほとんど通じない国であっても。中には英語がわかっていても、自国語でしか返事をしない宿のマダムもいた。今は事情は変わっているかもしれないが、それはフランスのパリの話で、私は英語で話しかけ、そのマダムはひたすらフランス語で答えていた。でも何となく雰囲気でわかるものなのだ。
当時から英語がほとんど通じない国にも旅行していた。エジプトやトルコ、そして中国。中国は意外に漢字の筆談で何とかなったが、エジプトやトルコはホテルでさえ片言の英語しか通じない。
新しい国へ行く時は、「こんにちは」「ありがとう」「いくらですか」と数字を1から10までは覚えることにしていた。そしていつもメモ帳とペンを持っていた。「いくらですか」と聞いて書いてもらえば、買い物も困ることはない。
道を聞くときも、紙に行き先を書いて(文字が違う時は、地図を見せて)身振り手振りで理解する。特にラテン系の国の人はジェスチャーが大きいので、全く言葉はわからないのに、ちゃんと行き先が分かったりした。
タイに来てからは、長期の休みは日本に帰るので、近隣のアジアの国か、娘のいるニュージーランドしか行っていない。つまりあまり言葉で苦労する国には行っていないということだ。今、全く英語の通じない国へ旅行すると考えると、ちょっと億劫な気持ちにもなる。
多少は英語が話せた私が、英語ができなくても海外へ行けると書くと信憑性がないかもしれないが、当時の私を思い出すと、語学力よりも、コミュニケーション力でカバーできていたと思う。そして若さによる無謀さと。
コロナが終わり、また世界中を旅することができる日が来たら、もう一度あまり言葉が通じない国へ旅をしてみたい。体力はなくても、若い頃のようなチャレンジ精神を持って。
当時の私の英語の資格といえば、大学入学の頃に受けた英検二級。つまり高校卒業程度。大学の専攻は英語ではなかったが、英語教員になったので、勉強はしていた。だからと言ってビジネスレベルの話ができるかというと、絶対にそんなことはなかった。
でも旅行しながら職業を明かすと、まず「いいですね、英語ができて。だから一人で旅行できるんですね」と言われた。たとえそれが英語がほとんど通じない国であっても。中には英語がわかっていても、自国語でしか返事をしない宿のマダムもいた。今は事情は変わっているかもしれないが、それはフランスのパリの話で、私は英語で話しかけ、そのマダムはひたすらフランス語で答えていた。でも何となく雰囲気でわかるものなのだ。
当時から英語がほとんど通じない国にも旅行していた。エジプトやトルコ、そして中国。中国は意外に漢字の筆談で何とかなったが、エジプトやトルコはホテルでさえ片言の英語しか通じない。
新しい国へ行く時は、「こんにちは」「ありがとう」「いくらですか」と数字を1から10までは覚えることにしていた。そしていつもメモ帳とペンを持っていた。「いくらですか」と聞いて書いてもらえば、買い物も困ることはない。
道を聞くときも、紙に行き先を書いて(文字が違う時は、地図を見せて)身振り手振りで理解する。特にラテン系の国の人はジェスチャーが大きいので、全く言葉はわからないのに、ちゃんと行き先が分かったりした。
タイに来てからは、長期の休みは日本に帰るので、近隣のアジアの国か、娘のいるニュージーランドしか行っていない。つまりあまり言葉で苦労する国には行っていないということだ。今、全く英語の通じない国へ旅行すると考えると、ちょっと億劫な気持ちにもなる。
多少は英語が話せた私が、英語ができなくても海外へ行けると書くと信憑性がないかもしれないが、当時の私を思い出すと、語学力よりも、コミュニケーション力でカバーできていたと思う。そして若さによる無謀さと。
コロナが終わり、また世界中を旅することができる日が来たら、もう一度あまり言葉が通じない国へ旅をしてみたい。体力はなくても、若い頃のようなチャレンジ精神を持って。
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