今の若い世代は子どもの頃に「ビルマの竪琴」を読んだことがあるのだろうか。家の本棚に日本の名作とか名前のついた「ビルマの竪琴 竹山道夫」があったので、まだ10歳にもならない頃に読んだ。きっと母が買ってきたのだと思う。でもその頃は、それが子ども向けに書かれた本だとは思いもしなかった。あまり深く考えられずに、「なぜこの人はみんなと一緒に帰らないのだろう」と思った。
初めてのタイ旅行の2年後、市川崑監督の「ビルマの竪琴1985年版」が公開された。実は初めての旅行では一日ツアーでアユタヤを訪れ、寝釈迦仏を見た記憶がある。ものすごく大きくて、周りに何もなかったなとおぼろげに覚えているだけで、お寺の名前はまったく記憶になかった。でも10年ほど前に1人で訪れたとき、やはりここがビルマの竪琴のロケに使われた場所なんだろうと思った。だから、タイに住むようになり、知人友人をアユタヤに案内するたびに、「ここでビルマの竪琴のロケがあったんだよ」と物知り顔で説明していた。
でも最近タイ人の知人から「日本人はアユタヤが好きだね」と言われ、「日本には寝釈迦仏がないから、見たいんですよ」と答えると、「ワットヤイチャイモンコンね」と言われた。えっそうなのと思い、ネットでググると、観光サイトの書き込みに「ビルマの竪琴のロケ地となったワットヤイチャイモンコン」というのを見つけた。今まで私が信じていたことは間違いだったのか!でも私は実際に寝仏を見た後に映画を見て、「あそこだ!」と思った記憶があるのだ。
そこでネットで「ビルマの竪琴、ロケ地」とググってみると、最初に出てきたのはミャンマー、ヤンゴンにあるシュエダゴンパゴダとチャウタッジー寝釈迦仏だった。でもこれは1956年版のロケ地で、その映像も古すぎて探しようがない。でも私は4年前にミャンマーに行った時、どちらも訪れたので覚えている。今のシュエダゴンパゴダは金色の豪華な寺院なので、映画のイメージとはそぐわない。チャウタッジー寝釈迦仏も修復中だったが、色鮮やかだった。
そして先に書いたワットヤイチャンモンコンがロケ地であるというブログ、でも私が思っていたワットローカヤスタがロケ地だという記事も見つけた。
ワットローカヤスタ
初めてのタイ旅行の2年後、市川崑監督の「ビルマの竪琴1985年版」が公開された。実は初めての旅行では一日ツアーでアユタヤを訪れ、寝釈迦仏を見た記憶がある。ものすごく大きくて、周りに何もなかったなとおぼろげに覚えているだけで、お寺の名前はまったく記憶になかった。でも10年ほど前に1人で訪れたとき、やはりここがビルマの竪琴のロケに使われた場所なんだろうと思った。だから、タイに住むようになり、知人友人をアユタヤに案内するたびに、「ここでビルマの竪琴のロケがあったんだよ」と物知り顔で説明していた。
でも最近タイ人の知人から「日本人はアユタヤが好きだね」と言われ、「日本には寝釈迦仏がないから、見たいんですよ」と答えると、「ワットヤイチャイモンコンね」と言われた。えっそうなのと思い、ネットでググると、観光サイトの書き込みに「ビルマの竪琴のロケ地となったワットヤイチャイモンコン」というのを見つけた。今まで私が信じていたことは間違いだったのか!でも私は実際に寝仏を見た後に映画を見て、「あそこだ!」と思った記憶があるのだ。
そこでネットで「ビルマの竪琴、ロケ地」とググってみると、最初に出てきたのはミャンマー、ヤンゴンにあるシュエダゴンパゴダとチャウタッジー寝釈迦仏だった。でもこれは1956年版のロケ地で、その映像も古すぎて探しようがない。でも私は4年前にミャンマーに行った時、どちらも訪れたので覚えている。今のシュエダゴンパゴダは金色の豪華な寺院なので、映画のイメージとはそぐわない。チャウタッジー寝釈迦仏も修復中だったが、色鮮やかだった。
シュエダゴンパゴダ
チャウダッジー寝釈迦仏
そして先に書いたワットヤイチャンモンコンがロケ地であるというブログ、でも私が思っていたワットローカヤスタがロケ地だという記事も見つけた。
ワットヤイチャンモンコン
ワットヤイチャンモンコンの寝釈迦仏
ワットローカヤスタ
そしてネットの素晴らしさは26年前の映画の予告編がYouTubeで見れること。その中で見つけたのは、ワットヤイチャンモンコンの仏塔とワットローカヤスタの寝釈迦仏だった。と言うことは、私の思い込みも正しかったということだ。
ある記事の中に、ビルマの竪琴はミャンマーで公開されていないとあった。またある人がミャンマー人にこのビデオを部分的に見せたところ、「ミャンマー人はこんなことをしない」とか「ミャンマーの文化をわかっていない」と意見が出たとのことだった。ミャンマーの僧は楽器を弾くことも歌うことも許されていないそうだ。
1985年の頃はビルマでロケが許されずタイでの撮影となったとか。現在のミャンマーの政情では無理だが、もしもう一度ビルマの竪琴が映画化される機会があれば、今度はもっとミャンマー人の文化や慣習に沿って作ってもらえるのではないか。
子どもの頃に理解できなかった主人公水島の気持ちを、今は少しわかると思う。敵味方に関わらず、死んでいった人のために祈りつづけることは、平和への願いでもある。この物語が子ども向けに書かれたというのも、作者の竹山道夫氏の平和への想いなのだろうと、改めて思った。
そして 最近あまり日本のニュースに取り上げられなくなったミャンマーの人たちのことが心配だ。これまで3回ミャンマーを訪れたことがあるが、そのたびに親切なミャンマー人の方にお世話になった。あの人たちは今どうされているのだろう。
タイでも連日コロナのニュースばかりで、お隣のミャンマーのニュースはほとんど聞かない。でも軍による弾圧やコロナ感染の増加は、かなりのものではないだろうか。 どうかミャンマーの普通の人たちが安心して生活できる毎日をとりもどせるようにと願ってやまない。
ある記事の中に、ビルマの竪琴はミャンマーで公開されていないとあった。またある人がミャンマー人にこのビデオを部分的に見せたところ、「ミャンマー人はこんなことをしない」とか「ミャンマーの文化をわかっていない」と意見が出たとのことだった。ミャンマーの僧は楽器を弾くことも歌うことも許されていないそうだ。
1985年の頃はビルマでロケが許されずタイでの撮影となったとか。現在のミャンマーの政情では無理だが、もしもう一度ビルマの竪琴が映画化される機会があれば、今度はもっとミャンマー人の文化や慣習に沿って作ってもらえるのではないか。
子どもの頃に理解できなかった主人公水島の気持ちを、今は少しわかると思う。敵味方に関わらず、死んでいった人のために祈りつづけることは、平和への願いでもある。この物語が子ども向けに書かれたというのも、作者の竹山道夫氏の平和への想いなのだろうと、改めて思った。
そして 最近あまり日本のニュースに取り上げられなくなったミャンマーの人たちのことが心配だ。これまで3回ミャンマーを訪れたことがあるが、そのたびに親切なミャンマー人の方にお世話になった。あの人たちは今どうされているのだろう。
タイでも連日コロナのニュースばかりで、お隣のミャンマーのニュースはほとんど聞かない。でも軍による弾圧やコロナ感染の増加は、かなりのものではないだろうか。 どうかミャンマーの普通の人たちが安心して生活できる毎日をとりもどせるようにと願ってやまない。
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盛りだくさんで、それを管理人さま独特の構成法でまとめておられるので、しっかり、何度も読ませていただきます。
タイ初訪問は日本での学生生活の最後の年でしたでしょうか?当時のタイはどんな印象だったでしょうか?(老生の初タイは81年でした。仕事だけで、何も覚えていません。)
nakko
がしました