私が今受講しているチュラロンコン大学のタイ語コースは、上級に入るとまるで大学の授業のようで、かなり内容も難しい。中級までは、会話にも重点が置かれていたが、上級は先生方の説明が増え、課題も内容を重視されるので、ますます負担が大きい。
5人の先生が違うテーマで教えてくださるのだが、ある先生のテーマはビジネスに関することわざや慣用句だった。タイのことわざを学んだ後の課題は、学生の国のビジネスに関することわざについて説明するプレゼンテーションだった。
私が選んだのは、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」である。人は自分の身の丈に合った考えや行動をとることが一番いい、ビジネスにおいても、自分の実力に見合った仕事をするべきだということだ。
実はタイ語にもほぼ同じ意味のことわざがあった。
“นกน้อยทำรังแต่พอตัว” 「小鳥は自分の身体にあった巣を作る」そしてその説明も、ほぼ同じだった。“ทำสิ่งต่าง ๆ ตามอัตภาพให้เหมาะสมฐานะของตน” 「自分の立場や身のほどに沿った行動をする」
私は自分のプレゼンの中で以下のように説明した。
若い頃であれば、このことわざに納得しなかったかもしれない。なぜなら若い頃の私は、こう思っていたからだ。自分の実力に見合った仕事をするだけでは、進歩がないかもしれない。自分の能力を超えて挑戦するからこそ、人間は成長するのではないか。
でももうリタイヤする年代になった今、このことわざが身にしみる。チャレンジする気持ちがなくなったわけではない。でも自分の能力や可能性を的確に判断する力が付いたと思うし、それに従ってチャレンジする方が良いと思うようになったのだ。
そしてこれはがんになったことも影響していると思う。3年前までは、年齢の割には体力にかなり自信があり、仕事量が多くても平気だったし、この前書いたミャンマー旅行のようなハードスケジュールの旅も平気だと思っていた。あの時、一晩だけダウンしたが、その翌々日の1月2日からは授業が始まり、実はその日は3年生のインタビューテストをしたのだ。確かほとんど休憩なしの4時間だったと思う。
今このコロナ禍で、いろいろな意味で身の丈に合った暮らしができていると思う。何よりもコロナにかかれないし、病気になれないと思っているので、決して無理はしないし、感染の可能性があるようなことは絶対にしない。がんも再発や転移はないと信じたいが、100%大丈夫という保証はないので、適度な運動をし食事にも気をつけている。
蟹は自分の殻と同じ大きさの穴を掘るわけではない。全く同じだと身動きが取れないはずだ。その動けるだけのゆとりが大切なのだと思う。私も身の丈に合った、でも少しだけゆとりを求めた生活をしていければいいなと思う。

5人の先生が違うテーマで教えてくださるのだが、ある先生のテーマはビジネスに関することわざや慣用句だった。タイのことわざを学んだ後の課題は、学生の国のビジネスに関することわざについて説明するプレゼンテーションだった。
私が選んだのは、「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」である。人は自分の身の丈に合った考えや行動をとることが一番いい、ビジネスにおいても、自分の実力に見合った仕事をするべきだということだ。
実はタイ語にもほぼ同じ意味のことわざがあった。
“นกน้อยทำรังแต่พอตัว” 「小鳥は自分の身体にあった巣を作る」そしてその説明も、ほぼ同じだった。“ทำสิ่งต่าง ๆ ตามอัตภาพให้เหมาะสมฐานะของตน” 「自分の立場や身のほどに沿った行動をする」
私は自分のプレゼンの中で以下のように説明した。
若い頃であれば、このことわざに納得しなかったかもしれない。なぜなら若い頃の私は、こう思っていたからだ。自分の実力に見合った仕事をするだけでは、進歩がないかもしれない。自分の能力を超えて挑戦するからこそ、人間は成長するのではないか。
でももうリタイヤする年代になった今、このことわざが身にしみる。チャレンジする気持ちがなくなったわけではない。でも自分の能力や可能性を的確に判断する力が付いたと思うし、それに従ってチャレンジする方が良いと思うようになったのだ。
そしてこれはがんになったことも影響していると思う。3年前までは、年齢の割には体力にかなり自信があり、仕事量が多くても平気だったし、この前書いたミャンマー旅行のようなハードスケジュールの旅も平気だと思っていた。あの時、一晩だけダウンしたが、その翌々日の1月2日からは授業が始まり、実はその日は3年生のインタビューテストをしたのだ。確かほとんど休憩なしの4時間だったと思う。
今このコロナ禍で、いろいろな意味で身の丈に合った暮らしができていると思う。何よりもコロナにかかれないし、病気になれないと思っているので、決して無理はしないし、感染の可能性があるようなことは絶対にしない。がんも再発や転移はないと信じたいが、100%大丈夫という保証はないので、適度な運動をし食事にも気をつけている。
蟹は自分の殻と同じ大きさの穴を掘るわけではない。全く同じだと身動きが取れないはずだ。その動けるだけのゆとりが大切なのだと思う。私も身の丈に合った、でも少しだけゆとりを求めた生活をしていければいいなと思う。
久しぶりにモッツェレチーズを買ったので、トマトとチーズのスパゲティ


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コメント
コメント一覧 (8)
私も同じようなことを考えてました。
コロナ前(+ガン発症前)はとにかく無理するのが仕事!みたいな感じで、出張も多く、毎日8時ごろ家に帰ってそれから必ずお酒と脂っこい食事。週に2回ジムに行ってるから大丈夫、みたいな無駄な自信をもってて、その実ちっとも痩せず内臓脂肪体型。年齢も上がってるんだからそら病気もするわなあ、という状態でしたね( ´艸`)。
それでも動けていたので、あまり気にしてませんでしたが、今になると、あの生活はリスクしかなかったわ、と切に感じます。
人間身の丈とか分相応って大切ですよねえ。ラマ9世が言われていた「足るを知る生活」っていうのもその辺なのかな、と。ここに気づかせてもらったのは病気とコロナのおかげ、という面がありそうです。
nakko
が
しました
そうでしたか、「人は自分の身の丈に合った考えや行動をとることが一番いい、ビジネスにおいても、自分の実力に見合った仕事をするべきだ」という意味でしたか。
老生は真逆に解釈していました。(ネットで見つけた一節:この言葉は,小人物の行いや思考は,蟹とは同じく,身の丈に合ったことしかできないが,志を持つ者は違う,という人の誇りが込められた言葉なのです。つまり,この言葉は,反語の意味を持たせた言葉なのです。)
でも、古稀もとうに過ぎた今、「分をわきまえて考え、行動するのが一番よい」という意味だとする説にも魅力を感じます。
ですから,もし,あなたが,誰かから,この言葉を投げかけられたときは,スケールの小さい
nakko
が
しました
nonmai様
ありがとうございます。そんな逆の解釈があるとは知りませんでした。私は以前から「身の丈にあった~」の方しか知らなくて、ネットでビジネスに関することわざを調べたときも、それしか見当たりませんでした。
ただ本当に若い頃なら、nonmaiさんが書いてくださった説に共感したと思います。特に20代の私は怖いもの知らずで、「他人をうらやましがってチャレンジをしない人は、口先だけで一生チャレンジできない」と思っていました。
コメントは途中で切れてしまっているようですが、すみませんが、そのまま公開させていただきました。
nakko
が
しました
蟹の話、同感です。
私は最近チャレンジとか言う言葉に無頓着に成りました。
私が主に思うのは、1つ先の知識は吸収出来るが、2つ先の知識は吸収出来ないと言う事。
それともう1つ。
人の思想とか信念は歳と共に補強されて行くので、段々変革され難く成る。
若し変革しようとすればそれは全否定するしか無く成って行く。
故に歳と共に変革の揺れ幅は大きなものに成らざるを得ない。
若しかしたら私は今其の過程かも知れない。
主題を外して居たらゴメンナサイ。
nakko
が
しました
自分が理解出来る知識は得易いが、もうちょっと難しい事は理解し難いと言う意味でした。
(=^・^=)
nakko
が
しました