最近ほとんど人と日本語で話す機会がない。家族や友人ともラインは頻繁にするものの、実際に通話は少ない。定期的に話すのは、週一回母に20分ほど電話をかけるときだけだ。一日中家にいることが多いので、声を出すのも限られている。チュラ―大のタイ語コースも、上級に入って、先生方の講義形式が主になってしまい、発話の量が格段に減ってしまった。
今日、ふとあることに気がついた。時々独り言を言うのだが、それが大阪弁じゃない!言ってから気がついたのだが、標準語のイントネーションを使っている。自分でもこれには驚いた。私の中の大阪弁は、隅に追いやられているのだろうか。
言語はインプットとアウトプットの組み合わせだ。今、私の周りには大阪出身の日本人がいないので、ほとんどインプットがない。日本のドラマは見ているが、大阪弁で話されていることが少ない。日本にいる家族は当然大阪弁で話すのだが、ニュージーランドの次女は、私と同様大阪弁のインプットが少なすぎて、かなり前から標準語に近いアクセントが増えた。
アウトプットに関しては、大学で教えていた時は、極力、標準語を使うようにしていた。もちろん親しい同僚と話すときは、大阪弁のアクセントが混じっていたと思う。でも学生に対してはかなり意識をして使っていたので、その3年半の修正が実を結んだというか、私の大阪弁アクセントはかなり少なくなっていたのだと思う。
自己隔離状態の今の生活では、大阪弁でのアウトプットのチャンスは全くない。書くこともアウトプットだが、以前から書き言葉に大阪弁を使うことはしないので、心の中で読んでいるときも、それは標準語のアクセントだ。だから独り言も大阪弁で話せなくなってしまったのか。
でももし私が話すのを聞いて、「標準語のアクセントとしてはおかしい」と思われることもあるだろう。意識しても、固有名詞のアクセントは間違ってしまうこともあるからだ。それと大阪弁特有の形容詞は使うことが多い。「あー疲れた」というときもあるが、「あーしんど」もよく言う。それにマクドナルドは「マック」と言えず、「マクド」と呼んでしまう。
おそらく大阪弁のインプットがあまりにも少なくて、アウトプットに結び付かなくなっているのだろう。コロナ以前は日本からの親戚や友人をよく迎えていたので、その時は普通に大阪弁を話していた。私の身体の中には大阪弁が染みついているので、きっと大阪に帰ればすぐ大阪弁で話すようになるはずだ。母語を忘れることは決してないと言うし、私の母語は日本語の中でも大阪弁なのだから。

今日、ふとあることに気がついた。時々独り言を言うのだが、それが大阪弁じゃない!言ってから気がついたのだが、標準語のイントネーションを使っている。自分でもこれには驚いた。私の中の大阪弁は、隅に追いやられているのだろうか。
言語はインプットとアウトプットの組み合わせだ。今、私の周りには大阪出身の日本人がいないので、ほとんどインプットがない。日本のドラマは見ているが、大阪弁で話されていることが少ない。日本にいる家族は当然大阪弁で話すのだが、ニュージーランドの次女は、私と同様大阪弁のインプットが少なすぎて、かなり前から標準語に近いアクセントが増えた。
アウトプットに関しては、大学で教えていた時は、極力、標準語を使うようにしていた。もちろん親しい同僚と話すときは、大阪弁のアクセントが混じっていたと思う。でも学生に対してはかなり意識をして使っていたので、その3年半の修正が実を結んだというか、私の大阪弁アクセントはかなり少なくなっていたのだと思う。
自己隔離状態の今の生活では、大阪弁でのアウトプットのチャンスは全くない。書くこともアウトプットだが、以前から書き言葉に大阪弁を使うことはしないので、心の中で読んでいるときも、それは標準語のアクセントだ。だから独り言も大阪弁で話せなくなってしまったのか。
でももし私が話すのを聞いて、「標準語のアクセントとしてはおかしい」と思われることもあるだろう。意識しても、固有名詞のアクセントは間違ってしまうこともあるからだ。それと大阪弁特有の形容詞は使うことが多い。「あー疲れた」というときもあるが、「あーしんど」もよく言う。それにマクドナルドは「マック」と言えず、「マクド」と呼んでしまう。
おそらく大阪弁のインプットがあまりにも少なくて、アウトプットに結び付かなくなっているのだろう。コロナ以前は日本からの親戚や友人をよく迎えていたので、その時は普通に大阪弁を話していた。私の身体の中には大阪弁が染みついているので、きっと大阪に帰ればすぐ大阪弁で話すようになるはずだ。母語を忘れることは決してないと言うし、私の母語は日本語の中でも大阪弁なのだから。
2年前の最後の帰国の時に撮った大阪城
コロナもなく外国人観光客も多かった

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帰国子女も同じことだと聞きました。小学校4年生で帰国した場合には現地の4年生の英語で止まっているとか。
他方、関西から来た方々は標準語であっても発声法が関西風のままということがすくなくありません。
あえて推測させていただくと、管理人さまにおかれては、関西弁でなければ表現できないこと、あるいは標準語でないと不全感があることとか、があるのではないでしょうか?突き詰めれば、関西弁世界と標準語世界とがあるのではないでしょうか?(大きく重なるものの、微妙な違いがたくさんあるのでは?)
nakko
が
しました