この前ブッぺーサーニワートの主要登場人物、コンスタンティン・ファルコンについて少し触れたが、彼はギリシャ人でありながら英語、フランス語、ポルトガル語、マレー語、タイ語が堪能で外交面で大きく活躍した。その彼を認めたのが、その時のナーラーイ王だった。ロッブリーの国立博物館は、彼の住まいの名前が付けられているので、プラ・ナーラーイ・ラーチャニウェート宮殿という。
ナーラーイ王という名前は聞いたことがあったが、アユタヤのいつの頃か、何をした人か知らなかった。でもこれもドラマを通じていろいろと知ることができた。ナーラーイ王の時代は、アユタヤ王朝の中でも文学面、外交面において優れた功績を残しており、アユタヤ王朝黄金期と言われているそうだ。
この頃イギリスとフランスは積極的にアジアに進出している。太陽王と呼ばれたフランスルイ14世もキリスト教宣教師団をタイに送っている。タイ華僑とオランダ東インド会社がもめて、オランダから独占貿易を要求されたりもしている。(これもドラマの中で触れられていた)
私がドラマの中で一番興味を持ったシーンは、ナーラーイ王がフランスの外交官からルイ14世の親書を受け取るシーンと、キリスト教に改宗するように説得されるシーンだ。この絵のシーンはドラマの中でも再現されていて、ファルコンが王に敬意を払って膝まづくように説得しているのに無視するフランス外交官たち。そして当時王に直接ものを渡すこともできなかったので、長い柄のついたお皿のようなものに親書を載せて献上したとのことだ。
ドラマの中でナーラーイ王は、たしかこう言ったと思う。「いずれの神でも信じることは大切だ。だからキリスト教を布教することはかまわない。」ナーラーイ王が、キリスト教改宗を受け入れなかったから、現在のタイの仏教はこれほど深く信仰されたままなのだと思うと、ナーラーイ王が西洋に屈服しなかったことは素晴らしいと思う。
そしてこの場所がそのまま残っている。この宮殿跡には、ナーラーイ王が親書を受け取った窓が残っているのだ。(写真のナーラーイ王像の上)
この場所でナーラーイ王やファルコンがいて、あのドラマのようなシーンがあったのだと思うと、不思議な気持ちになった。
博物館の建物は、ピマーン・モンクット宮殿というラーマ4世が1856年に建てられたものだ。ここにはラーマ4世の遺品も収められていた。
最後に訪れたのは駅のすぐ近くにあるワット・プラシーラタナ・マハータート。ここも本当に見ごたえがあった。
ロッブリーは本当に歴史を感じさせてくれるところだった。前回より猿は近寄って来なかったし、観光客もほとんどいなくて、のんびり見て回ることができた。やはり遺跡は、きちんと歴史を調べていったほうが楽しいと実感した。

ナーラーイ王という名前は聞いたことがあったが、アユタヤのいつの頃か、何をした人か知らなかった。でもこれもドラマを通じていろいろと知ることができた。ナーラーイ王の時代は、アユタヤ王朝の中でも文学面、外交面において優れた功績を残しており、アユタヤ王朝黄金期と言われているそうだ。
この頃イギリスとフランスは積極的にアジアに進出している。太陽王と呼ばれたフランスルイ14世もキリスト教宣教師団をタイに送っている。タイ華僑とオランダ東インド会社がもめて、オランダから独占貿易を要求されたりもしている。(これもドラマの中で触れられていた)
私がドラマの中で一番興味を持ったシーンは、ナーラーイ王がフランスの外交官からルイ14世の親書を受け取るシーンと、キリスト教に改宗するように説得されるシーンだ。この絵のシーンはドラマの中でも再現されていて、ファルコンが王に敬意を払って膝まづくように説得しているのに無視するフランス外交官たち。そして当時王に直接ものを渡すこともできなかったので、長い柄のついたお皿のようなものに親書を載せて献上したとのことだ。
ドラマの中でナーラーイ王は、たしかこう言ったと思う。「いずれの神でも信じることは大切だ。だからキリスト教を布教することはかまわない。」ナーラーイ王が、キリスト教改宗を受け入れなかったから、現在のタイの仏教はこれほど深く信仰されたままなのだと思うと、ナーラーイ王が西洋に屈服しなかったことは素晴らしいと思う。
そしてこの場所がそのまま残っている。この宮殿跡には、ナーラーイ王が親書を受け取った窓が残っているのだ。(写真のナーラーイ王像の上)
この場所でナーラーイ王やファルコンがいて、あのドラマのようなシーンがあったのだと思うと、不思議な気持ちになった。
博物館の建物は、ピマーン・モンクット宮殿というラーマ4世が1856年に建てられたものだ。ここにはラーマ4世の遺品も収められていた。
博物館の目の前にあるカフェで休憩。ケーキはちょっと甘すぎたかも…
Non-Cup-D
最後に訪れたのは駅のすぐ近くにあるワット・プラシーラタナ・マハータート。ここも本当に見ごたえがあった。

ロッブリーは本当に歴史を感じさせてくれるところだった。前回より猿は近寄って来なかったし、観光客もほとんどいなくて、のんびり見て回ることができた。やはり遺跡は、きちんと歴史を調べていったほうが楽しいと実感した。


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コメント
コメント一覧 (6)
ラーマ4世のベッド、意外と質素な物だったんですネ。
私もタイに来たら遺跡巡りをしようと思って居たんですが、いざ来たら遊び呆けてしまいました。
nakko
が
しました
とてもよくわかりました。(老生のようなボンクラ頭には、今回のように順序立てて、しっかりと書き込んでいただかないと理解できません。)日本のガイドブックには出てこないお話ばかりですので、ぜひぜひ、貴ブログにアップされた内容をまとめて出版してください。それから、Lopburyと綴るようですが、「p」は発音しているのでしょうか?
nakko
が
しました
Nakkoさんすごい!よく勉強されてますねえ。
私は一時期タイの歴史勉強会というのに入らされていたんですが、自分でもすがすがしいほどに頭に何も残っていません。長く住んでるのに、歴史を知らないのは恥ずかしい~。今度いろいろ教えてくださいね~(#^^#)。
nakko
が
しました