このワット・ゲンコイは、昨年末のHISスリン象祭りツアーの一日目に訪れたところだ。このツアーは本当にお買い得だと思ったのだが、初日にこのお寺、ラムタコンダムで昼食、そしてブリラムのパノムルン遺跡、ムアンタム遺跡を見学し、2日目の午前中に象祭りを見学してバンコクに戻るというものだった。
パノムルンとムアンタムは、もう7,8年前に一人で行ったことがある。でも不便なところだったので、確か車をチャーターして回ってもらった。ドライバーはその場所へ運んでくれるだけなので、詳しい説明はわからない。でも今回は日本人ガイドつきだったので、いろいろな説明を聞くことができた。
私はゲンコイという地名も聞いたことがなかったし、そんなところに日本人移民の碑があるなんて思いもよらなかった。でもガイドさんの説明によると、1895年に来た日本人移民はサトーン通りの建設に関わり(私はサトーンに住んでいるので、この話もびっくり)、その後コーラート線鉄道の建設に従事したが、全員がマラリアにかかり亡くなったとのことだった。そのため日本人会によって、このワット・ゲンコイに慰霊碑が建てられたとのことだった。
日本人第一回移民ノ碑
日本人第一回シャム移民山口県人鍛本作造氏外十七名ノ霊此地ゲンコイニ眠ル 以下略
少し興味を持ったので、ネットで検索してみると早稲田大学院アジア太平洋研究科の村嶋英治教授の論文が見つかったので、読んでみた。でもそれによると、タイへの集団移民は1894年末と1895年10月に行われ、1回目は農業移民、2回目が建設者としての移民目的だったらしい。でも1回目の農業移民たちは灌漑施設のない場所での農業をあきらめ、鉱山の労働者となり、のちにコーラート鉄道建設へと渡ったようだ。その鉱山で10名が亡くなり、バンコクに戻った2名がコレラで亡くなった。
そして2回目の移民を含めて15名がコーラート鉄道建設に従事し、全員がマラリアに感染し、バンコクに戻って6名が亡くなった。そのうち回復した人はシンガポールに渡ったらしい。つまりこの論文によると、第一次移民が鉱山で働いて12名死亡、第二次移民が鉄道工夫として働き6名死亡、それがこの移民の碑の18名だということだ。第一次で32名、第二次で20名がタイへ来て、18名が亡くなった。
ツアー参加者は皆、遠い昔にタイへ来た人たちが安らかに眠れますようにと祈った。ツアー参加者は全員バンコク在住者だ。正確な知識や情報も持たずにタイへ来た先駆者たちの勇気に敬意を捧げた。
パノムルンとムアンタムは、もう7,8年前に一人で行ったことがある。でも不便なところだったので、確か車をチャーターして回ってもらった。ドライバーはその場所へ運んでくれるだけなので、詳しい説明はわからない。でも今回は日本人ガイドつきだったので、いろいろな説明を聞くことができた。
私はゲンコイという地名も聞いたことがなかったし、そんなところに日本人移民の碑があるなんて思いもよらなかった。でもガイドさんの説明によると、1895年に来た日本人移民はサトーン通りの建設に関わり(私はサトーンに住んでいるので、この話もびっくり)、その後コーラート線鉄道の建設に従事したが、全員がマラリアにかかり亡くなったとのことだった。そのため日本人会によって、このワット・ゲンコイに慰霊碑が建てられたとのことだった。
日本人第一回移民ノ碑
日本人第一回シャム移民山口県人鍛本作造氏外十七名ノ霊此地ゲンコイニ眠ル 以下略
一九六六年三月二十一日秦国日本人会
少し興味を持ったので、ネットで検索してみると早稲田大学院アジア太平洋研究科の村嶋英治教授の論文が見つかったので、読んでみた。でもそれによると、タイへの集団移民は1894年末と1895年10月に行われ、1回目は農業移民、2回目が建設者としての移民目的だったらしい。でも1回目の農業移民たちは灌漑施設のない場所での農業をあきらめ、鉱山の労働者となり、のちにコーラート鉄道建設へと渡ったようだ。その鉱山で10名が亡くなり、バンコクに戻った2名がコレラで亡くなった。
そして2回目の移民を含めて15名がコーラート鉄道建設に従事し、全員がマラリアに感染し、バンコクに戻って6名が亡くなった。そのうち回復した人はシンガポールに渡ったらしい。つまりこの論文によると、第一次移民が鉱山で働いて12名死亡、第二次移民が鉄道工夫として働き6名死亡、それがこの移民の碑の18名だということだ。第一次で32名、第二次で20名がタイへ来て、18名が亡くなった。
ツアー参加者は皆、遠い昔にタイへ来た人たちが安らかに眠れますようにと祈った。ツアー参加者は全員バンコク在住者だ。正確な知識や情報も持たずにタイへ来た先駆者たちの勇気に敬意を捧げた。
第2次世界大戦中の砲爆の碑もある
美しい本殿
このナーガの向こうはパーサック川
右手に新しくできた洞窟の入り口

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そんな時代にタイに渡ってきた日本人。しかも農業や建設業の作業従事者というのは、一体どういう夢を持ってきていたんでしょうか。
右も左もわからず、到着したタイで、蚊や害虫に悩まされて、マラリヤやコレラで亡くなったとは…。本当は海外で一旗揚げて!と思われていたんでしょうから、無念な気持ちが強かったでしょうねえ。
また苦境を生き抜いてシンガポールに渡った(タイに残った人もいるのかな?)方のその後も気になります。
ところで、洞窟は新しいだけあって、かなりライトの色が華やかですね。ナイトクラブ風だなあ、と思っちゃいました(^^;)。
nakko
が
しました