バンコクでの残り少ない週末は、かたづけと掃除に追われたが、大事な用事がひとつ残っていた。それはBNH病院での最後の検診だ。

 手術を受けたのは3年前の4月2日で、今年はその日友だちと出かけており、すっかり忘れていた。最近は毎日が日曜日生活のために、日付をあまり気にしていない。それから2,3日経って、丸3年が過ぎたのだと気がついた。


サトーン通りの歩道橋から見えるBNH病院
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 そして今日、半年ぶりの検診だった。私の主治医はチュラロンコン病院から日曜日だけ診察に来られている。時間はいつも午後4時。でもその前にレントゲンを取るので、いつも3時半過ぎには、先に検査室へ行く。でも今日はちょっと出遅れてしまったら、4時39分に病院から電話。でも着く直前だったので、すぐ外科の受付へ行くと、検査室へ連れていかれた。
 もう何回も来ているので、連れていってくれなくても大丈夫なんだけど(^∀^)


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 ここは検査室の待合。今日は誰も待っている人がいなくて、すぐに奥の脱衣室へ行き、検査着に着替える。着替えて外に出ると、検査技師さんが待っていて、すぐX線室へ。今日は女性だったが、「息を吸って、とめて」だけ日本語で言ってくれた。

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 あっという間にX線撮影が終わり、外科に戻る。外科は玄関を入ってすぐの左側。3年間、ずっと通い続けたなあ。

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 いつも通り血圧と体温を測って待っていると、看護師さんが来て言った。
「先生が遅れて4時半になるそうです。」
「じゃあ、コーヒーを飲んできていいですか?」
「はい、来られたら電話しますね。」

 私の担当医はお忙しい方らしく、いつも日曜の午後4時に来られ、私が最初の予約患者なのだが、時々こんな風に30分ほど遅れてこられる。でも喉が渇いていたし、最後なのでコーヒーを飲んで帰ろうと思っていたので、先に食堂へ行った。

 BNH病院の食堂は、それほど高くない。今日はヘーゼルナッツモカにしたが55バーツ。食事も50~80バーツで、主なものが食べられる。もちろんタイ料理だけだが。


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 先生は4時40分ごろに来られ、すぐ呼ばれた。そしていつもと同じセリフ。
「レントゲンは問題ないね。術後どれくらいだっけ?」
「3年です。でも先生、私は日本に帰り、もうバンコクに戻らないんです。」
「日本のどこ?」
「大阪です。」
「大阪に一人親しい医者がいるよ。」
名前を教えてくださったが、昔、阪大病院におられて、今は個人病院を持っておられる方だった。
「最後ならCDも、持って帰った方がいいね。」

 写真の右手が会計で、左手で薬が出される。
支払額は、いつも通りと思っていたら、医師診察料600バーツから800バーツに値上がりしていた。(5分もかからなかったけど! )、診察パッケージ代350バーツ、X線650バーツ 合計1800バーツ(6,670円 円安のため割高)。日本だとCDは確か1000円かかったが、ここはサービスで無料。

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 今日のブログは完全に私の日記だ。 病院から歩いて帰りながら、3年前のことを思った。 退院して数日で夫が日本へ戻り、一人でリハビリに励んだ。 暑い日差しの中を、毎日少しずつ歩く距離を増やした。 自分で何もかもしなければならなかったから、回復も早かったのだろう。

 私は確かに運がいい方だと思う。 この5年間の最高の出来事は、大学の定期検診のレントゲンなのに、異常を見つけてくださった病理医師の方がいたことだ。 名前もわからないその方のおかげで、私は5年間もタイに住むことができた。 だからがんになったことは、不幸だとは思わない。

  寛解まで後2年。日本に帰って新たなスタートだと思おう。