私は小学生の頃から歴史が好きで、中学生の頃には友人と京都のお寺を見て回ったりした。そのまま歴史的な建物に興味を持ち、バックパッカーで訪れたのは、世界遺産の建物が多かった。タイに興味を持ったのも、日本とは全く趣きの違うお寺に興味を持ったからだ。

 日本でも仏像より仏塔の方が好きだった。法隆寺の五重塔は、本当に美しいと思うが、今は様々な宗教や文化の影響を受けたタイの仏塔の方が面白い。そしてそんな興味を広げてくれたのは、もうずいぶん昔に買ったこの本で、今も手元に持って来ている。

タイ国美術 伊藤照司著 雄山閣
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 昭和62年発行なので、今この本を持っている人がどれほどいるのだろう。写真はモノクロで古めかしいが、昔、初めて見たときは、この本に載っている仏塔をすべて見たいと思ったものだ。

 チェンマイにはもう3,4回来ているのに、見逃している仏塔がふたつあった。しかも、写真を見て以来ずっとこの目で見たかったのだ。それが、この前行ったランプーンのワット・チャームテーウィの塔を模してマンラーイ王が建てたワット・シーリアムの仏塔。
   
これはランプーンのワット・チャームテーウィの仏塔
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こちらが、ワット・シーリアムの仏塔
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 こちらの方が新しいので、とてもきれいに残っている。新しいと言っても建設は1276年だ。このお寺は、ウィアン・クム・カームという遺跡群の中にある。私はまずこのお寺をGoogle Mapで探して行き、その後ウィアン・クム・カームの案内所に行った。そしてバンコクの友人たち、その後かりびーさんと遺跡周りをしたので、ここへは3回行ったことになる。

 この遺跡については、「チェンマイよりみちの記」でヨリミチさんが書いておられるし、近いうちにかりびーさんも書いてくださるだろうと思う。



 30年越しで見れた仏塔なので、一人で行った時は、ボーっと10分ほど眺めていた。ぐるりを回って気がついたのが、この塔は女性立ち入り禁止だった。仕方がないので、外を3回回った。

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 マンラーイ王はランナー王国の初代王で、チェンセーンに生まれた。ランプーンにあったハリプンチャイ王国を征服して、1296年にチェンマイに都を移した。その最初の都の場所が、このウィアン・クム・カームだが、この塔は、それ以前に建設されている。征服するまでに、マンラーイ王はワット・チャームテーウィの仏塔に魅せられて、この仏塔を作ったのだろうか。
 
 この下の写真は、友人たちと行った時のものだが、金曜日は市が立つ。この日は仏塔を見るよりも、市場の方が気になり、つい売っていたパンと野菜を買ってしまった。

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 そしてもう一つの仏塔は、ワット・クータオの仏塔。このお寺は、1579年から1607年にかけてこの地を統治したビルマ王プレーンノーンのお墓として1613年に建てられたそうだ。つまりここはビルマ人のためのお寺だったということ。現在でもビルマ人の僧侶がおられたり、この地域はビルマ系のシャン族が多く暮らしている。

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 チェンマイはメーホンソンやチェンライほど、ミャンマーと近くないし、国境も接していないしと思っていたが、いろいろなところに影響が残っているのに気づかされる。そして北タイはいろいろな民族の人たちが暮らしている。

 チェンマイにいる間に、これまで見逃したお寺をすべて回ろうと思っていた。一応その計画は達成されたようだ。あと数日となってしまったが、行きたいところをちゃんとチェックして、見逃しのないようにしたい。


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