最終日は阿蘇を見て、別府に戻った。私は大昔、高校の修学旅行で阿蘇の火口まで行ったことがある。その時はすごい風が吹いていて、本当に吹き飛ばされそうだった。でも昨年の噴火以降、火口までは行けないそうだ。
とても天気の良い日で、草千里までのドライブは快適だった。車がほとんどなく、曲がりくねった山道でも運転は楽勝。草千里の景色はすばらしく、母も大喜びだった。
火口までは行けないので、その草千里にあった阿蘇火山博物館に入ってみた。駐車場が500円の上、2階3階は800円の入場料がかかり、見た感想としてはちょっと高いかなという感じ。まあ阿蘇の地形の説明とかも詳しくて、熊本地震の被害状況とかもあったので、興味深いものではあった。
3階のシアターは30分ごとに2種類のビデオが上映されるとのことだが、一つ目を見た時、5面の内1面のスクリーンが写らず、もうひとつのビデオは結局見ることができなかった。これもメンテナンスが悪いなあと感じてしまう。お客さんが少ないから仕方のない事なんだろうか。
そこから阿蘇山上広場まで車で行ってみた。今は火口までのシャトルバスも運休中なので、あまり人はいない。それでも何台かの車が停まっていた。
そこに「石」を売っている年配のおじさん(おじいさんと言っていいかもしれない)がいた。車を降りた時には、その周りには誰もいなかった。母はすぐに寄っていき、おじさんに石の説明を聞いている。そして「トルマリン」を3個500円で買った。
おじさんによると、浄化作用があるので水の中にいれておくといいらしい。
「お母さん、3つも買ってどうするの?」
「〇〇ちゃん(長女)とあんたにひとつずつや。」
私も長女も、別に欲しいって言わないけどなあ。
そうしているうちに、なぜか私たちの周りに人が増えてきた。母はちゃんと人寄せパンダの役目を果たしたらしい。
フェリーは夜だが、別府まではもうのんびりドライブを楽しみながら帰ることにした。もし時間があれば湯布院に寄ろうと思い、ナビを設定して、言われたとおりに運転する。
そろそろ昼食かなあと思ったとき、ちょっと気になるお店を見かけた。小さなお店で車も3台ほどしか停められなかったが、入って正解だった。
「すずかれん」小国町宮原2331
どちらも母と分けて食べて、本当に美味しかった。でも母と分けると、必然的に私が多く食べることになる。帰国後の体重増加はこれも原因のひとつだ。
夕方、少し早い目に別府のフェリーターミナルに着いたが、待合室で待つことはできた。乗船直後に迷子になり、インフォーメーションで部屋番号を教えてもらったのは、旅日記の初回に書いた。だから夜中のトイレは、2回ともあきらめて付いていった。
本当に母の衰えを痛感する旅となった。帰国する前は、また母を連れて海外旅行にも行けるんじゃないかと思っていたが、やはり難しいように思う。日本だから、とりあえず人に聞いて何とかしようとできるが、海外だと無理だろう。私も四六時中、目を離さないというのはつらい。トイレに一緒に行っても、先に外に出ていかれたら、それで迷子になりそうだ。
母を実家まで送り、昼食を一緒に食べて家に帰った。本当は夕食までいようかと思ったが、私のストレスが最大限になりかけていたので、早く家に帰りたかった。母も私に我慢していたことも多いだろうから、まあちょっとお互いに息抜きをしなくては。
ストレスにはなるが、5年間の埋め合わせで、来月にも近くの温泉にでも行こうかなと思う。短期記憶に問題があっても、旅は楽しめるのだから。
とても天気の良い日で、草千里までのドライブは快適だった。車がほとんどなく、曲がりくねった山道でも運転は楽勝。草千里の景色はすばらしく、母も大喜びだった。
火口までは行けないので、その草千里にあった阿蘇火山博物館に入ってみた。駐車場が500円の上、2階3階は800円の入場料がかかり、見た感想としてはちょっと高いかなという感じ。まあ阿蘇の地形の説明とかも詳しくて、熊本地震の被害状況とかもあったので、興味深いものではあった。
3階のシアターは30分ごとに2種類のビデオが上映されるとのことだが、一つ目を見た時、5面の内1面のスクリーンが写らず、もうひとつのビデオは結局見ることができなかった。これもメンテナンスが悪いなあと感じてしまう。お客さんが少ないから仕方のない事なんだろうか。
そこから阿蘇山上広場まで車で行ってみた。今は火口までのシャトルバスも運休中なので、あまり人はいない。それでも何台かの車が停まっていた。
火口に行く橋には赤い旗が見えて、通行止めだとわかる
そこに「石」を売っている年配のおじさん(おじいさんと言っていいかもしれない)がいた。車を降りた時には、その周りには誰もいなかった。母はすぐに寄っていき、おじさんに石の説明を聞いている。そして「トルマリン」を3個500円で買った。
おじさんによると、浄化作用があるので水の中にいれておくといいらしい。
「お母さん、3つも買ってどうするの?」
「〇〇ちゃん(長女)とあんたにひとつずつや。」
私も長女も、別に欲しいって言わないけどなあ。
そうしているうちに、なぜか私たちの周りに人が増えてきた。母はちゃんと人寄せパンダの役目を果たしたらしい。
フェリーは夜だが、別府まではもうのんびりドライブを楽しみながら帰ることにした。もし時間があれば湯布院に寄ろうと思い、ナビを設定して、言われたとおりに運転する。
そろそろ昼食かなあと思ったとき、ちょっと気になるお店を見かけた。小さなお店で車も3台ほどしか停められなかったが、入って正解だった。
「すずかれん」小国町宮原2331
団子汁と阿蘇高菜飯(どちらも地元名物らしい)800円
熊本県産あか牛のハンバーグセット 1100円
どちらも母と分けて食べて、本当に美味しかった。でも母と分けると、必然的に私が多く食べることになる。帰国後の体重増加はこれも原因のひとつだ。
夕方、少し早い目に別府のフェリーターミナルに着いたが、待合室で待つことはできた。乗船直後に迷子になり、インフォーメーションで部屋番号を教えてもらったのは、旅日記の初回に書いた。だから夜中のトイレは、2回ともあきらめて付いていった。
本当に母の衰えを痛感する旅となった。帰国する前は、また母を連れて海外旅行にも行けるんじゃないかと思っていたが、やはり難しいように思う。日本だから、とりあえず人に聞いて何とかしようとできるが、海外だと無理だろう。私も四六時中、目を離さないというのはつらい。トイレに一緒に行っても、先に外に出ていかれたら、それで迷子になりそうだ。
母を実家まで送り、昼食を一緒に食べて家に帰った。本当は夕食までいようかと思ったが、私のストレスが最大限になりかけていたので、早く家に帰りたかった。母も私に我慢していたことも多いだろうから、まあちょっとお互いに息抜きをしなくては。
ストレスにはなるが、5年間の埋め合わせで、来月にも近くの温泉にでも行こうかなと思う。短期記憶に問題があっても、旅は楽しめるのだから。
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