友人と地下鉄の恵美須町駅で待ち合せた。でもそこからすぐなのに、Google Mapのお世話にならないと行けない。平日の昼間でコロナも増えてきているためか、通天閣までの道も人はまばらだ。以前は外国人で溢れていたそうだけど。
入口は地下1階だった。そこはお土産がたくさん売っているところだったが、とりあえず上に上がる。チケットは4階の展望台(84m)までなら900円、でもその上の天望パラダイス(94.5m)まで上がるには+300円。まあせっかくなので、上までのチケットを購入。
入口は地下1階だった。そこはお土産がたくさん売っているところだったが、とりあえず上に上がる。チケットは4階の展望台(84m)までなら900円、でもその上の天望パラダイス(94.5m)まで上がるには+300円。まあせっかくなので、上までのチケットを購入。
こんなレトロなパンフレットをもらう
まず2階に上がると、数えきれないほどのガチャに迎えられた(反対面にもあり)
ちょっと懐かしい「キン肉マン」の複製原画
作者の「ゆでたまご」さんたちは、この近くの出身だそうだ
エレベーターの天井にもビリケンさんが!
この日は午前中雨が降ったが、この時間は見通しはよかった
この大きなビルがあべのハルカス
大阪城って、ビルに囲まれているんだと実感
通天閣の守り神ビリケンさん
通天閣にあまり来たことがなくても、大阪人ならビリケンさんは知っていると思う。これは大阪名物の神様だと思っていたが、実はアメリカからやってきたと知ってびっくり!
1908年、アメリカの女性芸術家フローレンス・プリッツという人が、夢の中で見た神様をモデルに作ったそうだ。それが幸運のマスコットとして世界中に広まり、通天閣までやってきたとか。今のビリケンさんは3代目。足を触るとご利益があるそうで、みんなが触った跡がある。
さて300円を追加して天望パラダイスに登ってきたが、景色はたいして変わらない。でも一応300円出した甲斐があると思える場所を発見。
私は高いところは全然平気だが、友人は少しビビったと言っていた。確かに真下を見ると高さを感じる。
3階には常設の展示がある。ここで初めて知ったが、通天閣は、明治36年(1903)に開催された博覧会の跡地に、明治45年(1912)、ルナパークという遊園地と一緒に建てられたそうだ。当時はルナパークと通天閣は赤いロープウェイで結ばれていたとか。その時代の人にはびっくりだろうなあ。
当時の新聞1908年、アメリカの女性芸術家フローレンス・プリッツという人が、夢の中で見た神様をモデルに作ったそうだ。それが幸運のマスコットとして世界中に広まり、通天閣までやってきたとか。今のビリケンさんは3代目。足を触るとご利益があるそうで、みんなが触った跡がある。
さて300円を追加して天望パラダイスに登ってきたが、景色はたいして変わらない。でも一応300円出した甲斐があると思える場所を発見。
私は高いところは全然平気だが、友人は少しビビったと言っていた。確かに真下を見ると高さを感じる。
3階には常設の展示がある。ここで初めて知ったが、通天閣は、明治36年(1903)に開催された博覧会の跡地に、明治45年(1912)、ルナパークという遊園地と一緒に建てられたそうだ。当時はルナパークと通天閣は赤いロープウェイで結ばれていたとか。その時代の人にはびっくりだろうなあ。
そこにあったジオラマをビデオで撮ったのだが、なぜかYoutube挿入がうまくできない。リンクとして貼っておきますので、もし興味があったらご覧ください。
100年前の通天閣ジオラマ - YouTube またこの3階にはグリコのお菓子の歴史が展示されていて面白かった。このパッケージの写真であることを発見!2段目の⑥1959年のパッケージには、なぜかタイの国旗が描かれている。その横にはトルコの国旗が。これが作られたのが1966年までとしたら、私は幼すぎて全く記憶にない。なぜタイの国旗なのか・・・。
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コメント
コメント一覧 (4)
これからタイに戻りますが、なんか寂しさで一杯です。
いつまで経っても親離れできず、親も子離れできてない感じですよ┐(´д`)┌。
グリコ、もしや1959年にタイに進出したんでしょうか?だとしたらすごい\(◎o◎)/。
nakko
がしました
すみません、ここの助詞「が」は正用なのでしょうか?
日々、日本語も怪しくなってきているボケボケ爺には「そこでは~がたくさん売られていたが」といったあたりが落ち着きがよいのですが、日本語の進化から完全に取り残されているでしょうか?
nakko
がしました