1970年、日本は大阪万国博覧会で熱狂していた(と思う)。私は小学生だったが、たぶん3回万博へ行った記憶がある。太陽の塔は万博の中心にあり、前は広場になっていて、塔は大きな屋根があったことを何となく覚えている。覚えているというか、そんな写真を何度も見たためだろう。

 当時、太陽の塔はテーマ館の一部で、その地下には今も残る「生命の樹」があり、そこからエスカレーターを乗り継ぎ、手の部分にあったエスカレーターで大屋根まで上がれたそうだ。小学生の私は、太陽の塔に入れるなんて全く知らなかった。それに万博には魅力的なパビリオンがたくさんあり、小学生の私は、やはり「アメリカ館」の「月の石」が見たかった。
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 実は太陽の塔には4つの顔がある。このことも52年経って初めて知った。あまりにも見慣れた場所のため、それほど関心がなかったのだ。

黄金の顔
夜にライトアップされると、ちょっと怖い

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太陽の顔
子ども心に、「怒ってる」と思っていた

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夜の顔

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 博覧会当時テーマ館の地下展示には「地底の太陽」といわれる顔も展示されていたそうだ。それは、高さ約3メートル、全長約11メートルにもなる巨大な展示物だったが、博覧会終了後の撤去作業から50年以上経った現在も、行方がわからないそうだ。でも今はそのレプリカが入場者を迎えてくれる。

地底の太陽
ここで、説明のビデオが流された
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 万博当時はエスカレーターがあり、その後は空洞となっていたそうだが、今はこの「生命の樹」の周りを階段で登るようになっている。ただし、写真が撮れるのはこの1階からだけで、あとは撮影禁止。

 高さ45mの「生命の樹」は単細胞生物から人類が誕生するまでを表しているそうだ。樹の幹の部分は、当時のものが残っていたそうだが、オブジェのほとんどはレプリカらしい。でも上の方にあったゴリラは当時のもので、頭の部分が壊れていた。

 ひとつひとつのオブジェのデザインが、とても52年前のものとは思えない。やっぱり岡本太郎って天才だと思った。

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 地元に住んでいるのに、なぜ入ったことがなかったんだろう。というよりいつから入れるようになったんだ?

 いつだったか太陽の塔に入るための抽選があったのを覚えている。その後も、特別公開とかの話を聞いたこともある。でも私がこのすぐ近くの高校に勤めていた間に、誰かが太陽の塔に行ったという話を聞いたことがなかった。調べてみると、2003年にハガキによる抽選で1970人だけが1階部分に入り、やはりその後も何回かは機会があったようだ。

 そして今のように一般公開となったのは、2018年3月19日から。2020年8月には、国の有形文化財に登録された。そうか、私はもうバンコクにいたんだ。だからそのニュースを覚えていないんだ。

 太陽の塔に入るには、前日までの予約が必要だ。入館料は720円だが、自然文化園内にあるので、その入場料260円も必要なので、最初からセット(930円)で買う方がいい。私たちは前日の10時ごろにネットで予約したが、一番早い時間が翌日11時半だった。30分ごとに入館することになっており、当日チケット売り場でも、定員に達していなければ買うことができる。

 地元民でも、行ってよかったと思った。もし友人が誘ってくれなかったら、私はこれからも行く機会がなかったかもしれない。でも生物や動物好きな次女が日本に帰ってきたら、絶対にまた一緒に行こうと思う。


 
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