昨日、65歳〜69歳の就業率は50.3%(男性60.4%、女性40.9%)と書いたが、実際私の周りでも、60歳を超えて働いている人がほとんどだ。65歳で辞めると言う人もいるが、非常勤として70歳くらいまで働きたいと言う人もいる。
タイにいた時は、仕事をしていなくても毎日楽しかった。特に最後のチェンマイの生活は、午前中タイ語の勉強をして、午後から食事と町巡りに出かけて、とても充実していた。もちろん「期間限定」だったのも大きいだろう。まだまだあの生活を続けたいと思っていた。
日本に帰ってきた一番の理由は、父のお葬式も一周忌も出られなかった親不孝の罪滅ぼしだ。だから今度の三回忌は何が何でも出なくてはならない。そして一人暮らしになった母の状態を確認し、できるだけ実家の片づけをすることだ。
でも実家の片付けも、母を旅行に連れていくことも、ストレス発散にはならない。家の片付けや家事も、義務としてやっている感じで楽しくない。料理は大好きなはずなのに、凝った料理を作る気にならない。そして夫との時間もストレスとなりつつある。
実は私たち夫婦は、二人で暮らした時間が2年ほどしかない。結婚した当初は夫の母との完全同居で、その後娘たちが生まれて5人となり、10年前に夫の母が亡くなり(その数年前から介護施設、病院と移っていた)、次女がニュージーランドへ留学し、長女が社会人となって一人暮らしを始めた。その後2年間だけ二人で暮らし、私がタイへ行った。
これまで二人ともフルタイムで働き、娘たちが中学生になった頃からバレー部の顧問をしていたため、土日もほとんど部活指導で出ていた。練習は9時から13時か13時から17時。でも顧問は練習開始の1時間ほど前から行かなくてはならず、終わって生徒たちが帰るまで学校を出れないので、結局一日6時間以上は学校にいることになる。だから土日に一緒に昼食を食べることなどなかったのだ。
帰国する前にもっと日本での生活のシュミレーションをしておくべきだった。娘たちからは、絶対にストレスがたまるとかなり心配されていたのだが、本当にその通りになってしまったと思う。
タイトルに戻るが、私は働きたいのだろうか?
フルタイムで働きたいと思わない。夏と冬は2ヶ月ずつタイで過ごせたらいいなと思っているので、パートやアルバイトで働くのも難しいかなと思う。でも今のように、社会と関りのない生活をしているとストレスがたまる一方だ。
一番できそうなことは、やはり学校関係かなと思って調べてみた。私の市も学習支援員のような非常勤の仕事があるのだが、学校は4月始まりなので、募集は2月から3月。そして4月から3月の契約だ。これも冬にタイに行くのが難しそうだ。
やはり働いてお金を頂くのではなく、ボランティアをすればいいのだろうと思う。それでも年間4か月もいない期間があって、ボランティアができるのだろうか。
だれも自分の寿命を知ることはできないので、高齢者となってからの人生計画を立てるのは難しい。しかも自分のことだけではなく、親や配偶者のことも考えなくてはならない。
本当は何をしたいのだろう。たぶん、タイに戻って、もう1度日本語教師をやりたいのだと思う。ただタイは60歳定年なので、もう雇ってくれるところはないかもしれない。それでも今度は大学生ではなく、初めて日本語を学ぶ子どもたちに教えてみたい。
さて、この前お稲荷さんを作った時、かなり手抜きをした。ご飯を炊いてからすし酢と合わせるのではなく、炊飯器に酢、砂糖、塩、昆布だし顆粒を入れて炊いたのだ。中身は人参とシイタケだけ別に煮て、後からまぜた。
つまりすし飯を炊飯器で炊いて、半分を冷凍した。そして今日は、それを使ってサーモンの握りずしと、残っていた揚げでお稲荷さんも作った。お稲荷さんの中身は白ごまのみ。二人分のサーモンは500円くらいだったので、作るとやはり安いなあと感じる。手抜きのすし飯でも、サーモンがまあまあ美味しかったので、全然大丈夫だった。
タイにいた時は、仕事をしていなくても毎日楽しかった。特に最後のチェンマイの生活は、午前中タイ語の勉強をして、午後から食事と町巡りに出かけて、とても充実していた。もちろん「期間限定」だったのも大きいだろう。まだまだあの生活を続けたいと思っていた。
日本に帰ってきた一番の理由は、父のお葬式も一周忌も出られなかった親不孝の罪滅ぼしだ。だから今度の三回忌は何が何でも出なくてはならない。そして一人暮らしになった母の状態を確認し、できるだけ実家の片づけをすることだ。
でも実家の片付けも、母を旅行に連れていくことも、ストレス発散にはならない。家の片付けや家事も、義務としてやっている感じで楽しくない。料理は大好きなはずなのに、凝った料理を作る気にならない。そして夫との時間もストレスとなりつつある。
実は私たち夫婦は、二人で暮らした時間が2年ほどしかない。結婚した当初は夫の母との完全同居で、その後娘たちが生まれて5人となり、10年前に夫の母が亡くなり(その数年前から介護施設、病院と移っていた)、次女がニュージーランドへ留学し、長女が社会人となって一人暮らしを始めた。その後2年間だけ二人で暮らし、私がタイへ行った。
これまで二人ともフルタイムで働き、娘たちが中学生になった頃からバレー部の顧問をしていたため、土日もほとんど部活指導で出ていた。練習は9時から13時か13時から17時。でも顧問は練習開始の1時間ほど前から行かなくてはならず、終わって生徒たちが帰るまで学校を出れないので、結局一日6時間以上は学校にいることになる。だから土日に一緒に昼食を食べることなどなかったのだ。
帰国する前にもっと日本での生活のシュミレーションをしておくべきだった。娘たちからは、絶対にストレスがたまるとかなり心配されていたのだが、本当にその通りになってしまったと思う。
タイトルに戻るが、私は働きたいのだろうか?
フルタイムで働きたいと思わない。夏と冬は2ヶ月ずつタイで過ごせたらいいなと思っているので、パートやアルバイトで働くのも難しいかなと思う。でも今のように、社会と関りのない生活をしているとストレスがたまる一方だ。
一番できそうなことは、やはり学校関係かなと思って調べてみた。私の市も学習支援員のような非常勤の仕事があるのだが、学校は4月始まりなので、募集は2月から3月。そして4月から3月の契約だ。これも冬にタイに行くのが難しそうだ。
やはり働いてお金を頂くのではなく、ボランティアをすればいいのだろうと思う。それでも年間4か月もいない期間があって、ボランティアができるのだろうか。
だれも自分の寿命を知ることはできないので、高齢者となってからの人生計画を立てるのは難しい。しかも自分のことだけではなく、親や配偶者のことも考えなくてはならない。
本当は何をしたいのだろう。たぶん、タイに戻って、もう1度日本語教師をやりたいのだと思う。ただタイは60歳定年なので、もう雇ってくれるところはないかもしれない。それでも今度は大学生ではなく、初めて日本語を学ぶ子どもたちに教えてみたい。
さて、この前お稲荷さんを作った時、かなり手抜きをした。ご飯を炊いてからすし酢と合わせるのではなく、炊飯器に酢、砂糖、塩、昆布だし顆粒を入れて炊いたのだ。中身は人参とシイタケだけ別に煮て、後からまぜた。
つまりすし飯を炊飯器で炊いて、半分を冷凍した。そして今日は、それを使ってサーモンの握りずしと、残っていた揚げでお稲荷さんも作った。お稲荷さんの中身は白ごまのみ。二人分のサーモンは500円くらいだったので、作るとやはり安いなあと感じる。手抜きのすし飯でも、サーモンがまあまあ美味しかったので、全然大丈夫だった。
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コメント
コメント一覧 (6)
例えば、登録して通訳とか翻訳とかはダメなんでしょうか?まあ社会とのつながりということをメインに考えると、孤独な作業になっちゃいますけど、翻訳は(#^^#)。
でも今は期間限定での仕事も結構あるみたいなので、あきらめずに探せばいろいろ見つかるんじゃないでしょうか?特に語学関係がいいですよね、本当は。
お寿司びっくりしました~!お酢入れてご飯炊いてもちゃんと酸味が残るんですね\(◎o◎)/!!まあ自分でお寿司を作る機会はなさそうだから、知っていても仕方ないんだけど(笑)。
nakko
が
しました
大学でも授業をされておられたようですね。日本の大学では時間が自由に取れますので、1セメスターとかクォーターとかの集中講義も出来るので時間は比較的自由に取れます。
自由になった時間を使って、タイの大学とのコネクトというのも面白いですよ。
高校まではどうしても知識の切売り的な授業になりがちですが、大学では逆に科学リテラシーなどでなぜ勉強するのかということを中心に講義しますので、もっとアクティブに学ぶことができると思います。
nakko
が
しました
一度ご提案し、一蹴されましたが、恵まれない子ども(日本人、外国人)への日本語と英語の学習支援はいかがでしょうか?(私自身は、「何十年も前の数学の天才、英語の達人、理科実験の名人」などの友人を募ってこの支援をしたいと思いつつ今日まで来てしまいました。場所さえあればできるのですが。)
英語教師の免許をお持ちになり、教員・生徒指導の実績があり、日本語教育にも習熟し、お仲間の多い、Nakko先生には、自ら教えるだけでなく、支援組織を立上げて運営するなど、やり方はたくさんあると思います。外人のこどもにはさりげなく華道や茶道のサワリも。
なお、以前の勤務先が立ち上げた「定年退職OBによる日本語教師派遣システム」だと、一時間2000円が最低料金だと言われ、断念しました。貧困層にこんな金額を払う余裕はありません。地方公共団体による外国人への日本語学習支援も1時間/週の初級コースしかなく、とても役には立ちません。
nakko
が
しました