昨日は20年来の友人たち(元同僚)との女子会。一番若い一人も今年3月に定年を迎えたというおばさん4人組だ。1人はまだ再任用と言う形でフルタイムで働き、2人は非常勤講師として週1,2回働いている。
私たちが初めて出会ったのは、まだ30代だった。小学生から中学生の子どもがいて、仕事以外の話題は子どものことだった。思春期の子どもたちへの対応、子どもたちの進学問題、いろいろ愚痴を言い合った。
そのうちの一人と会うのは、もう6年ぶりだった。「久しぶりー」の後で彼女が私に言ったのは、「私は家にずっといてても平気やけど、Nakkoさん無理やんなー。毎日何してんのー?」
うーん、これを言われるのが痛い。この前も同じように言われて、いろいろ考えたのだが、まだ答えが出ているわけではない。
私が帰国した理由の一つが母の様子を見て、実家を片付ける事だった。まだ第1段階も終わっていないが、台所の片付けの大変さを愚痴ったら、あと2人も次々と母親の愚痴がでてきた。
たまたまだが、3人は父はすでに亡く、母の実家に定期的に通い、1人は昨年、2年間の介護の後お母さんを見送った。だから親の介護イコール母の介護なのだが、母と娘の関係は、どこもそれなりに難しいなあと実感した。
私の片付けに関しては、「いずれは、施設に入ったり亡くなったりする日が来るんやから、その後で片付ければいいんとちゃう?」と言われた。何人かの人に同じことを言われているし、母からも「私が死んでから好きにして」と言われている。でも母がもし100歳まで生きたら、私の方が早く死ぬんじゃないかと心配だ。
まあ友人たちの大変さを聞きながら、ヒントになることがたくさんあったし、私も頑張ろうという気になれた。おばさん女子会も捨てたもんじゃない。
私たちが初めて出会ったのは、まだ30代だった。小学生から中学生の子どもがいて、仕事以外の話題は子どものことだった。思春期の子どもたちへの対応、子どもたちの進学問題、いろいろ愚痴を言い合った。
そのうちの一人と会うのは、もう6年ぶりだった。「久しぶりー」の後で彼女が私に言ったのは、「私は家にずっといてても平気やけど、Nakkoさん無理やんなー。毎日何してんのー?」
うーん、これを言われるのが痛い。この前も同じように言われて、いろいろ考えたのだが、まだ答えが出ているわけではない。
私が帰国した理由の一つが母の様子を見て、実家を片付ける事だった。まだ第1段階も終わっていないが、台所の片付けの大変さを愚痴ったら、あと2人も次々と母親の愚痴がでてきた。
たまたまだが、3人は父はすでに亡く、母の実家に定期的に通い、1人は昨年、2年間の介護の後お母さんを見送った。だから親の介護イコール母の介護なのだが、母と娘の関係は、どこもそれなりに難しいなあと実感した。
私の片付けに関しては、「いずれは、施設に入ったり亡くなったりする日が来るんやから、その後で片付ければいいんとちゃう?」と言われた。何人かの人に同じことを言われているし、母からも「私が死んでから好きにして」と言われている。でも母がもし100歳まで生きたら、私の方が早く死ぬんじゃないかと心配だ。
まあ友人たちの大変さを聞きながら、ヒントになることがたくさんあったし、私も頑張ろうという気になれた。おばさん女子会も捨てたもんじゃない。
先付け五種盛
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コメント
コメント一覧 (4)
頑張ってはいけません。そもそもその必要もございません。これからは好きなことだけを好きなときに好きなだけやることにしませんか?
<クンユアムは私ももう一度行きたいと相談>
現地では一人にして差し上げるのがベストでは? 関心領域も味覚も、そして経験の蓄積もみな違いますので。一緒に行動すると「パートナー介護」で疲れ果てるか、喧嘩になると思います。
nakko
がしました
ウチでは、2019年12月に父親を、2022年3月に母親を、それぞれ送り出しました。我が家の隣を買い求め、2019年4月末に両親を呼び寄せましたが、あまりの老いに驚きました。たまにお客に行くだけでは見えない面が一杯見えてしまいました。
それでも、母親は来て10日ほどで入院してしまいました。それまで、「お上の世話になんかならない」と体を引きずっていたのですが、病状が落着いてから介護認定を取ったらいきなりの『4』(^^; 結局自宅での生活は無理と判断され、そのままリハビリ病院へ入り、施設入所に備えることとなりました。父親は、弱りながらもなんとか頑張っていましたが、2019年8月に私の口腔がんが見つかって(バンコク病院^^)からは生活も一転してしまいました。私は9月に入院して手術する(千葉の病院)ことになりましたが、ヨメはん一人では父親の面倒も見られないため、デイサービスで通っていた施設にショートステイのロングステイで入ってもらうことになりました。
結局、ヨメはんはその時期、私の病院、母親の病院、父親の病院(私の入院の数日前に施設に入ってもらったのですが、入院の前日に救急搬送。以後、入退院を繰り返しました(^^;)と3つの病院を掛け持ちでした。
たぶん、ヨメはんもその辺の所、愚痴りたかったのではないかと思います。私が復帰してからは、自然とその手の話しにも興味が行くようになり自然と耳にするようになりましたが、やはりしわ寄せはお嫁さんの方に行くことが多いようですものね。
私は、数々のキャンサー・ギフトを受けました。
お仲間に入れて戴くチャンスを狙っていた(笑)ところにこの手の記事を拝見し、早速茶々入れをさせて戴きました。これからは、機会を狙ってはお邪魔させて戴きたいと思っていますので、お手柔らかにお願い致しますm(_ _)m
nakko
がしました