昨日は、初めてのことをした。というと大層だが、単に叔母といとこにお昼とお茶をごちそうしたのだ。でもコスパのいいランチと、ケーキセットだけだが。

 叔母と言っても私より10歳ほど年上だけで、従妹は私より14歳年下。でもここの家族が、私の幼いころから一番親しい親戚だ。叔父が母の弟なのだが、母とは11歳も年が離れている。間にもう一人いた母の弟は、幼い頃に亡くなったそうだ。

 私の記憶で一番若い叔父はまだ高校生だ。だから私はずっと「お兄ちゃん」と呼んできた。母の実家でもある家なので、祖父母の法事やそれ以外でも頻繁に訪れていた。

 私がオーストラリアにいた時も、叔父夫婦と従妹で遊びに来てくれた。叔父は運転が得意なので、メルボルンからアデレード、グレートオーシャンロードをドライブしながら回った。昨日もその時のことを3人で話して盛り上がった。

 叔父夫婦はバンコクにも遊びに来てくれた。もう4年前だが、3人でバンコク市内の主な観光地やアユタヤにも出かけた。その時も70歳は超えているが、好奇心満々で、バスにも乗って水上市場へ行き、バスの中でも地図を見ながらいろいろ質問してきた。

 2か月前叔母から電話があり、叔父が肺がんだと告げられた。叔父はまだ煙草を吸っているので、可能性は高いし、実は祖父も肺がんで亡くなっている。他に転移はないが、肺には3カ所のがんが見られ、大きくはないがステージ3で手術は無理だとのことだった。それで1ヶ月半以上かけて、放射線治療と抗がん剤治療を入院しながら行った。

 実は私は自分のがん手術のことを、叔父一家には話していなかった。でもこの電話の時に、詳しく話し、翌日叔父にもラインで説明をした。私の方が初期だったが、それでも同じ病気を共有したことで、叔父は心強いと言ってくれた。

 入院中に電話をした時は、とても元気そうだった。本当は入院中に叔母と従妹を励ます気持ちで食事に誘ったのだが、従妹との都合が合わず、叔父が退院してからになってしまった。でも結果的には、それでよかったと思う。

 叔父は入院中はとても元気で意欲的にがんと闘う気持ちを持っていたのに、退院してからのほうが元気がないと言うのだ。とても快活だった叔父が、一日中あまり動かず過ごしているという。かろうじて散歩には出かけるが、あまり長い時間ではないらしい。

 叔父は、治療終えたのに、思ったほどがんが小さくならなかったことがショックだったようだ。もちろん少しちいさくなっているそうだが、本人は治療を頑張った成果がでなくて、落ち込んでいるようだ。

 がんとの闘いは気持ちが大切だ。私は、もっと初期で手術もできたが、手術後1ヶ月で日本に帰るために、人から病気だと思われないように元気になることが、退院後1か月間、バンコクで一人で頑張れた目標だった。毎日猛暑の中、日傘をさして散歩したことを思い出す。

「私、3月にはチェンマイにいるんだけど、二人で遊びに来ない?チェンマイに行きたいって、前に言ってたよね。」
 「いいなあ、行きたいわ」と叔母は乗り気。
「飛行機に6時間、プラス1時間乗るのも体力がいるから、そのために元気にならなきゃって、お兄ちゃんに言ってみようよ。」

 今日、叔父に来月、家に行ってチェンマイのことを相談したいとラインしてみた。するとすぐにOKと返事が来た。久しぶりに夫も一緒に行くと言っておいたので、お客さんが来ると思えば、少し気持ちが前向きになってくれるのじゃないだろうか。

 日本人は二人に一人ががんになるといわれているが、高齢者の比率はもっと高い。でも姑は乳がん、父は長い間膀胱がんを持ち、死ぬ前には肺がんも持っていたようだ。それでも平均寿命よりも長生きして死因はがんではない。

 叔父も早く以前のように元気に前向きになってほしい。チェンマイへ遊びに行くという目標を立てて、体力回復に励んでくれればいいが。

 昨日の沖縄料理のランチの後
カフェで延々2時間おしゃべり
 
53A909DA-606B-4E3A-AA11-E4DBC7DEB862


 
 このブログランキングに参加しています。
もしよろしければ、ポチっとしていただければ、励みになります

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ