私の人生で一度だけ、死んだ人からのハガキをもらったことがある。もう20年近く前のことになるが、それはがんで亡くなった高校時代の友人からだった。

 彼女は高校時代、バレー部でともに笑い、ともに泣いたチームメイトの一人だった。私たちの代は部員が10人で、たまたま1学年上の先輩がいなかったために、1年の7月からは自分たちだけになってしまった。OBの方がコーチに来てくださっていたが、自分たちで考えてやらなければならないことも多かった。でも10人は最後まで誰も辞めず、高校卒業後も連絡は取っていた。

 私は毎年年賀状を出しているので、全員の消息を知っている。ただもう10人で会ったのは、30年近く前のことになる。10人は全員結婚し、離婚や再婚を経験した人もいる。でも年賀状で元気にしているのを知ることが楽しみだった。

 20年ほど前の年末、そのうちの一人からハガキが届いた。それはこんな文面で始まっていた。
「みなさんがこれを目にするとき、私はもうこの世にいません。私は〇月〇日に、旅立ちました。」

 彼女は乳がんのために亡くなっていた。そのハガキは彼女が生前用意し、ご主人によって投かんされたものだった。

 自分自身ががんになったとき、彼女のことを思い出した。私は早期発見で、幸い普通の生活を送れているが、彼女は、どんな闘病生活を送られたのだろうか。残念ながら彼女は関東に引っ越していて、お参りにいくこともできなかった。

 なぜこんなことを書いたかというと、先日遺影の話をする機会があったからだ。父の遺影は、家族が撮ったものではなく、地域のお祭りのときに、どなたかが撮ってくださったものだった。とてもうれしそうに笑っている。通夜か葬儀のときに、弟が喪主挨拶で、「おやじもこんな顔するんやなあって驚きました」と言ったことを覚えている。

 遺影の話が出て、母は「私もいい写真を選んどこうかな」と言った。本当にそうだよ、お母さん。今よりもう少し若い頃の、素敵な着物姿がいいよ。

 母だけでなく自分のためにも、終活についていろいろ調べている。でも私たちはいつ死ぬかがわかるわけではない。今、遺影写真を選んでも、それからずっと長生きしたら、やっぱり遺影としては不自然かもしれない。就活の本には、遺言状とかお葬式の出席リストとかも用意した方がいいとあったが、母の年代だと、出席リストを作っても、その方たちが存命かどうかもわからない。

 終活はある程度準備ができるだろうが、計画通りという言葉は当てはまらない。きっちり積み木を重ねていくように物事を進めたい私には、母の終活を手伝うのはストレスが大きい。でも後で困らないように、できることは少しずつやっていこうと思う。

 最近、朝夕は寒いけれど、日中は穏やかで秋を満喫できる
木々も緑から黄色、赤へと色づき始めている

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