2011年は、本当に忘れてはいけない年だ。2月22日12時51分(NZ時間)にクライストチャーチはマグニチュード6.1の地震に襲われ、死者185人(日本人28人)、負傷者8700人という大きな被害となった。

 それから1ヶ月も経たない3月11日に東日本大震災が起こり、日本でのニュースはそれ一色になったために、クライストチャーチの地震がほぼ同時期だったと覚えていない人もいるだろう。でもその年の7月初めに次女はニュージーランドへ旅だったので、私にとって本当に忘れられない年となっている。

 そして8月に私は母を連れて次女の元を訪れた。彼女は大学内の寮に住んでいたので、どんなところか見たかったし、1ヶ月半ほど経って、日本から持ってきてほしいものがあれば、届けようと思ったからだ。

 娘は大学の授業があるので、私たちはウェリントンでレンタカーを借りて、パーマストンノースもモーテルを予約した。そして週末3人でウェリントンの観光をして、娘を寮まで送って別れた。
 
 その年ニュージーランドは異常気象で、50年ぶりに雪が積もった。母と私はフェリーで南島に渡り、クライストチャーチまで行く予定だったので、すごく不安だった。でもフェリーも何とか運行し、道路も道の横には雪が積もっているが走行には問題がなかった。

 わざわざクライストチャーチへ行ったのは、地震の後の様子を見たかったからだ。私はその4,5年前にも娘たちと訪れたことがあり、とても美しい町だったことを覚えていた。

 実際到着してみると、町の中心地はほとんど封鎖されたままだった。だから母には申し訳なかったが、開いていた美術館と空港近くの南極センターというところしか見学できなかった。

2011年8月のクライストチャーチ
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美術館の建物
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これは先日中に入って、内側から撮った建物
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 あの時、まるで廃墟のようなビルもあり、半年たってもほったらかしになっているところが多いことがショックだった。

 11年が過ぎ、街はほとんど復興していた。日本人犠牲者をだしたCTVビルには献花台もあるそうだが、行けなかった。

 クライストチャーチ大聖堂は、地震の被害が大きく、ステンドグラスや壁が75%も崩壊し、一度は解体が決められたものの、多くの反対を受け2017年に修復が決定した。費用は約85億円かかり、完成まで10年かかるとのことだ。

 周りに塀があり、遠目に見ることしかできない大聖堂
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 地震で大きな被害を受けて使えなくなった大聖堂に代わり、日本人も亡くなったCTVビルの近くに仮聖堂ができている。これは日本人建築家、坂茂(ばんしげる)氏によって設計されたものだ。

 震災後、大聖堂の職員がニュージーランドの建築雑誌の中に、坂氏の「緊急仮設建築」の記事を見つけ、仮聖堂建築を依頼した。そしてこの聖堂は「紙管」と呼ばれるボール紙の筒でできている。

 日本人が作った紙の聖堂のニュースを聞いた時、ぜひ訪れたいと思った。今回、クライストチャーチでどうしても行きたかった場所だ。

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 祭壇もすべて紙でできているそうだ

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入口のステンドグラスが美しい

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 大聖堂が再建されるまでの10年間の期間限定ということで2013年に建築された。坂氏は設計を無償で引き受けられ、建築費も地元の建設業者が値引きをして引き受け、500万NZドル(約3億5200万円)のほとんどは寄付でまかなわれたそうだ。

 クリスマス直前だったが、教会には人も少なく、とても静かで美しかった。大聖堂が完成したら、本当になくなってしまうのだろうか。紙製でも50年は持つそうなので、この聖堂も地震の記録として残しておけばいいのにと思った。


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