父はコロナが始まって1年後、今から2年前に亡くなった。その前年に軽い脳梗塞を起こして、リハビリもできる施設に入っていたが、ちょうどコロナ禍になり、人手不足であまりリハビリもしてもらえず、家族も面会できず、次第に弱っていき亡くなった。

 亡くなる前に、弟から「この冬は越せないかも」とは聞いていたが、まさか正月明けすぐに危篤のラインが入るとは思わなかった。でもラインのビデオ通話のおかげで画面越しに看取ることができ、通夜や葬式はZoomで参加することができた。

 その後の四十九日、納骨、一周忌と帰国することができなかった。だから今日の三回忌はようやく参加できたとほっとしている。

 参加者は母、弟夫婦、私たち家族3人のほか、母方の叔父夫婦、父方の従兄の9人だった。母の姉になる伯母はもう90才で大阪南部に住んでいるので、今回は来ることができなかった。

 読経の間、ずっと父のことを考えていた。小さい頃から、あまりじっくり話をした記憶がない。でも私がやりたいことを止められた記憶もない。私のことを理解しにくかったのかもしれないが、海外への一人旅もなにも言わずに送り出してくれ、いつも出発前に「お母さんに内緒な」と言って1万円を握らせてくれた。

 高度経済成長の波に乗れたおかげかもしれないが、高校卒業後香川県から出てきて、姉夫婦の家に居候しながら働き、結婚し私たちを大学まで行かせてくれた。若い時はよく麻雀をしていたが、50才前に肺炎で2ヶ月入院した後は、たばこもやめて、本当に大した趣味もなく70歳まで働いてくれた。

 趣味と言えるのは地域活動だった。だから今でも私も母がボランティアで茶道を教えている小学校を手伝いに行くと、「お父さんには本当にお世話になって」と言ってもらえる。

「お父さん、幸せな人生だった?もっとやりたいことはなかった?」
読経を聞きながら、父の遺影に問いかけた。

 きっと幸せだと思ってくれていたと信じている。弟も私もちゃんと自分の人生を歩いているし、母にも一軒家と生活に困らないお金も残してくれた。そして母や私たちに介護の負担をかけることもなく逝った。

 お父さん、ありがとう。生きている間に言うことができなかったことが悔やまれるが、きっと天国で聞いているよね。

 食事は弟が注文してくれたステーキ弁当
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冷めていてもステーキは美味しかった
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お腹いっぱいでこのハンバーグは食べられず・・・
娘の夕飯になったはず
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