1月は、後半にはタイに行くので、もうどこにも行くつもりはなかった。でも母を病院に連れていった日、家に戻ってきた母がボソッと言った。
「私が出すから、どっか温泉連れていって。」

 うーん、そう来たか。もう1月はどこにも行かなくていいと思っていたのだが。まあでも11月に劇団四季を見に行った後、母はどこにも出かけていないらしいから、行きたい気持ちもわかるし、ましてまた私が2ヶ月いなくなれば、どこにも行かないだろうし。

 母にはいわゆる茶飲み友達と言える人がいない。私たちがあの家に住みだしてから、母はずっと家で茶道、華道を教えてきた。お弟子さんは多くはなく、いつも数人だったので、それほど手広くやっていたわけではない。

 でもコロナ以前も、もう何十年も来てくれているお花のお弟子さんが3人、お茶が2人おられたはずだ。特にお花のお弟子さんたちとは、海外旅行にも一緒に行ったことがある。だからお弟子さんたちが来てくれていた頃は、話をする機会も多かった。

 それに茶道裏千家の淡交会の役員をしていたので、出かける機会も多かった。でもそれもコロナ以降機会がなくなり、外出の機会がなくなった。そして茶道関係者と会う機会も全くなくなった。

 家でのお稽古も中断したままで、お弟子さんたちから再開したいという連絡もないようだ。それは高齢の母へ感染させてはいけないという心配りもあるからだろう。
「お花の人に、花代だけで、1ヶ月に1回くらい集まりませんかって声をかけたら?」
何度かそう言ってみたが、自分から言うのは嫌なようだ。

 母は、今の地に50年以上暮らしている。もうすでに87才なので、若い頃、親しかった方の多くが亡くなられてたり、介護施設に移られている。でもそのためだけで茶飲み友達がいないのではないと思う。

 父は長年地域活動をしてきたが、両親はあまり仲が良いとは言えず、夫婦そろって地域の行事に参加することはなかった。唯一、父経由で頼まれた小学校の土曜茶道教室だけは長年続けている。でもそこでも母は、「先生」であり、同じ土俵で話し合う相手ではないのだ。

 コロナ前に母が付きあってきた人たちは、ほとんどすべて母を「先生」と呼び、心の底から本音を言える人たちではなかった。年齢が上になれば、母より「上の立場の先生」も少なくなる。だからずっと周りから大事にされていたのだろう。

 茶道を何十年もやり、教えてきたことは、母の誇りだ。私もそれは素晴らしいことだと理解している。でも口癖のように、「お茶をやってるから・・・(後は、私には自慢話としか思えないこと)」というのを聞くのはうんざりする。

 「デイケア―センターとかに行ってみたら?」と言うと、すぐ「そんなところにいる人とは話が合わない。レベルも違う。」と、人を見下したような言い方に、私は毎回怒りを覚える。

 母は人当たりはいい。だから他人にそんなことを直接は言わない。でも根底に「自分はお茶を何十年も学び続けた教養ある人間だ」という考えがある。

 今、私が一番いやなのは、そんな母の発言や態度だ。物忘れをするのは仕方がない。でもそんな言動をやめてほしいと思うが、何十年もかかって身についた考えは変えようもないのだろう。

 そして自尊心が高いのは私も同じだ。母を見ていて、将来自分が同じようなことを言わないだろうかと不安になる。あーホントに、自慢話ばかりする年寄りにはなりたくない。

 この2日間、子ども食堂のボランティア以外一歩も外にでなかったので、話題も写真もなく、愚痴になってしまった。まあでもタイまであと少し!今食べたいものは、これかな。チェンマイまで我慢だけど。

住んでいたコンドの近くで食べたカオソーイ
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