私がタイに住んだのは2018年4月から2022年6月で、そのうち4年弱、大学で日本語を教えていた。全部で7学年分の学生たちに教えたが、あまり授業がなかった期もあれば、3年間ずっと教え続けた期がふたつある。先日病院で通訳をしていた学生二人は、3年間ずっと教えた子たちだった。
私が最初に教えたときに2年生だった子たちも、とても印象に残っている。そしてその中の一人とは、ずっと連絡を取り合っている。
彼はもう卒業して3年目になるが、ずっと定期的にラインをくれて、たまに電話で話したりもする。卒業してからも、2,3回会い、もう一人の同僚と一緒に、シーラチャーの沖にあるシーチャン島を案内してもらったこともある。その時に彼の実家に寄って、お母さんにもご挨拶をした。
今回も私がバンコクに着くなり電話をくれて、どこかへ案内すると言ってくれた。そしてお母さんの実家のあるシンブリーと手前のアントンを車で案内してくれることになったのだ。
彼の家はチョンブリーなのだが、私の今いるアパートまで車で迎えに来てくれる。7時ごろに迎えに行くと言われたので、6時に目覚ましをかけて寝た。でも6時に起きてスマホを見ると、10分前に「近くまで来ているので、もうすぐ着く」というライン。
あわてて用意をする。またラインで「もう着いた」とのこと。やばい、こんな寝起きの顔なのに。
でも10分ほどで用意を済ませ、外にでるとお母さんが私を見て声をかけてくださった。彼はちょうどトイレに行ったところ。そして6時20分ごろ出発した。
アユタヤまでの道は見慣れているのだが、それ以上北へはあまり車で行ったことがない。
1時間半ほど走っただろうか。あるお寺に着いた。地図の右下のマークがたくさんついているあたりが、アユタヤ旧市街。
私はなぜこのお寺に来たかわかっていない。でもお母さんはシンブリー出身なので、アントンの地元の人がよく行くお寺を知っておられるのだろうと勝手に解釈。上の写真の仏像のお参りをしていたとき、お寺で働いている女性が声をかけてくれた。
「チェーの朝ごはんがあるけど、食べますか?」とお母さん。ちょっと興味が出て、「はい、ぜひ」と答えた。チェーは菜食のこと。まあお寺だから当然だわ。
食事処
境内に出ていた屋台で、お母さんが買ってくださったバナナいりのもち米のお菓子
私が最初に教えたときに2年生だった子たちも、とても印象に残っている。そしてその中の一人とは、ずっと連絡を取り合っている。
彼はもう卒業して3年目になるが、ずっと定期的にラインをくれて、たまに電話で話したりもする。卒業してからも、2,3回会い、もう一人の同僚と一緒に、シーラチャーの沖にあるシーチャン島を案内してもらったこともある。その時に彼の実家に寄って、お母さんにもご挨拶をした。
今回も私がバンコクに着くなり電話をくれて、どこかへ案内すると言ってくれた。そしてお母さんの実家のあるシンブリーと手前のアントンを車で案内してくれることになったのだ。
彼の家はチョンブリーなのだが、私の今いるアパートまで車で迎えに来てくれる。7時ごろに迎えに行くと言われたので、6時に目覚ましをかけて寝た。でも6時に起きてスマホを見ると、10分前に「近くまで来ているので、もうすぐ着く」というライン。
あわてて用意をする。またラインで「もう着いた」とのこと。やばい、こんな寝起きの顔なのに。
でも10分ほどで用意を済ませ、外にでるとお母さんが私を見て声をかけてくださった。彼はちょうどトイレに行ったところ。そして6時20分ごろ出発した。
アユタヤまでの道は見慣れているのだが、それ以上北へはあまり車で行ったことがない。
1時間半ほど走っただろうか。あるお寺に着いた。地図の右下のマークがたくさんついているあたりが、アユタヤ旧市街。
ワット・チャンタラシー วัดจันทรังษี
私はなぜこのお寺に来たかわかっていない。でもお母さんはシンブリー出身なので、アントンの地元の人がよく行くお寺を知っておられるのだろうと勝手に解釈。上の写真の仏像のお参りをしていたとき、お寺で働いている女性が声をかけてくれた。
「チェーの朝ごはんがあるけど、食べますか?」とお母さん。ちょっと興味が出て、「はい、ぜひ」と答えた。チェーは菜食のこと。まあお寺だから当然だわ。
ちょっとこの写真はピンボケになってしまったが、食事処の案内人形
食事処
全部で10人弱の人が食べていた
おばさんが、センヤイ(太い麺)に野菜ときのこのあんかけを入れてくれる
調味料は何も入れなかったので、薄味でおいしかった
教え子親子は、タイ人らしく、ナンプラー、さとう、唐辛子の入った酢で味付け
甘いもの好きのタイ人なので、ちゃんとデザート付き
かぼちゃのココナッツミルク煮 私の大好物!
境内に出ていた屋台で、お母さんが買ってくださったバナナいりのもち米のお菓子
「こんな風に、無料の朝食を出してくれるお寺は多いのですか?」とお母さんに尋ねる。
「よくありますよ。それにお坊さんたちが食べ終わって、残ったものをお寺に来た人たちで分け合ってたべることもあります。」
でもいつも無料で朝食を出していたら、そのお金はどこからなんだろうと下種なことをかんがえてしまった。
教え子が説明してくれたことによると、いつも食事を食べる人たちは、その代わりに何かお寺の仕事をするそうだ。そして地域に密着したお寺は、地域の人たちから食べ物の寄進があるので、お金を出して食べ物を買わなくてもいいらしい。
そういえば昔大学の先生がおっしゃっていた。タイではもし食べ物や仕事がなくても、お寺に行けば飢え死にすることはないと。都会では難しいかもしれないが、地方ではまだまだそんなことも珍しくないのだろうか。
美味しく食事を頂いておばさんたちにお礼を述べた。どこから来たのかと聞かれ、日本人と答えると、ここに来た日本人は初めてだと言われた。お参りには来ているかもしれないが、厚かましく朝食を頂いた日本人は私が最初ということか。まあおばさんたちの話のタネにはなるだろう。
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コメント
コメント一覧 (4)
特に第5~7パラグラフは、圧倒的な右脳の活動の賜物なのでありましょう。読めば読むほど時系列、誰が、何時どこでなにをしたのか、伝聞なのか、ご自身の体験なのかが判然とせず、混乱させられます。しかし、それゆえに、そのときのNakko先生の大混乱の雰囲気がよく出ていると思いました。
残りの部分は理知的な、左脳の所産かと。何度も申しますが、この左脳と右脳の交錯が魅力です。
nakko
が
しました
そうそう、タイの地方のお寺って近隣住民の集会所みたいな感じで、朝てんでに何か寄進する食べ物を少しずつ持ち寄って、お坊さんに食べていただいてから、講話を聞いたり、お経を聞いたりして、あとはみんなで食事してましたねぇ。
私が見たお寺は本当に周りに何もない辺鄙な場所の小さなお寺だったんですが、その分村人との距離も近くて、お年よりもそういうところで近所の人たちと交流してるのが良いなあ、と。
nakko
が
しました