このお寺へは前回の滞在の時に訪れた。ただ慰霊碑にお参りはできたが、その後ろにある資料館には鍵がかかって入ることができなかったのだ。


 
 ムーンサーン寺は1438年マンラーイ王朝の8代王サームファンケーン時代に建てられたとのことだ。ムーンサーンという名は、当時の大臣「ムーンナンスーウィモンキッティ」から来ている。この村に住み人の祖先はミャンマーから来ており、銀細工の技術を持つ人が多かった。そのため、シルバーテンプルと呼ばれるワット・シースパンだけでなくこのお寺でもすばらしい銀細工を見ることができる。

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 今回チェンマイに来て、すぐこのお寺に来た。でもやはり誰もおらず、慰霊碑の後ろにある建物には入れなかった。そして先週土曜日に、夫と一緒にやってきた。その時はなぜかかなり車が停まっていて、受付のような机があり、そこにお坊さんともう一人の男性がいた。

 「あの建物に入りたいのですが」と私が話しかけると、お坊さんが、「今日は作業をしているから無理だけど、明日なら入れますよ」とおっしゃってくださった。

 翌日、本当に入れるのだろうかと少し不安に思いながら、また二人でやってきた。あまり人はいなかったが、お坊さんがひとり出てこられたので「あの建物に入りたい」と言うと、誰かに電話をして「ちょっと待ってください」と言ってくださった。

 そして若いお坊さんが出てこられて、左横手にある扉の鍵を開けてくださった。お坊さんはピピッタパン(博物館)とおっしゃっていた。

入ったところは、博物館らしく仏像や道具が展示されている

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 真ん中あたりまですすんだところに、日本軍関係のものが展示されていた。昨年訪れたメーホーンソーンのクンユアムほどではないが、ここもインパール作戦から戻ってきた日本人兵士が亡くなった場所なのだ。



日本語とタイ語の説明がある
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日本人兵士たちの遺品

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後ろにあるのは新聞記事だろうか
でもちょっと字が小さくて読めなかった

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 私たちが結婚する前に亡くなった夫の父は、インパール作戦でビルマに行ったそうだ。ただ夫も詳しいことは知らず、京都からの部隊にいたことだけしかわからない。でも本当にもしかすると、去年行ったクンユアムやパーイ、そしてチェンマイに滞在したかもしれない。

 私がこのお寺を訪れたのは合計4回。でもこの博物館を夫と見れてよかったと思う。実は8月にまたチェンマイに来ようと思っているので、できれば8月15日の慰霊祭に参加したい。


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