この前の日曜は20年来の友人たちとの食事会(私以外の3人にとっては飲み会かも)。年齢も3歳上がひとり、1歳下がひとり、もう一人が私と同じ年で、20数年前勤めていた高校で、同じ学年の担任団のメンバーだった。

 同い年と1歳下の友人はまだ再任用フルタイムで働いている。二人とも、ちょっとお金のかかる趣味にはまっているので、仕事をやめられないそうだ。年上の彼女は定年退職し、いろいろなことを模索して、今はリメイクで趣味と実益を兼ねている。

 私が日本を離れていた5年間に3人ともやりたいことを見つけていた。だからとても忙しそうで、たぶん私が一番時間にゆとりがあるだろう。

 二人は両親とも見送っており、もう一人も両親、義母が施設に入っているので、母のことについてもいろいろとアドバイスをしてくれた。そのおかげで、介護認定もスムーズにしてもらえたし、断捨離も何とか進めている。

 でも話をしていてふと違和感を感じたのだ。彼女たちは自分の断捨離や、整理をあまり気にしていない。だから私よりもっと多くの服やモノを持っている。3人とも趣味の関係で服が多いのは仕方のないことなんだが。

 きっと自分が死んだらなんて考えないのだろう。私たち4人とも子どもはいるが、もうみんな独立してそれぞれの生活がある。しかもまだ20代から30代後半で、社会生活で忙しい世代だ。だから親のモノを気にする暇はない。

 私も4年前まで考えたことがなかった。それが、1Aという軽度ですんだがんでも、やはりがんになるというのは、死生観に大きな影響を与えるのだなあと実感した。私もがんになっていなければ、きっと友人3人と同じように、自分が死ぬことなんて考えずに生きていただろうなあ。

 いまだに4年ちょっと前のがんを告知された瞬間をはっきり覚えている。それから手術までの毎日が、とても苦しかったことも。でもあの日々があったから、自分の断捨離も、母の断捨離もやらなくてはという気持ちになっている。

 母は「そんなに何もかも捨てなくても」と文句を言うが、足の踏み場もない寝室よりも、クローゼットや引き出しにお気に入りの服だけがあるほうが幸せな気持ちになれるはずだ。そう信じてできるだけやるしかない。

 さて、今回友人が選んでくれたお店は「鴨と餃子のお店」だったが、4人だとおしゃべりに夢中になりすぎて、写真を撮るのを忘れてしまった。鴨肉入りの2種類の餃子は食べ放題。でも中高年のおばさん4人では、一皿追加しただけで十分だった。

写真を撮る前に、友人が取り分けてしまったので、これは私が取り分けたもの
3種類の鴨とサラダ
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2種類の鴨餃子
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鴨の唐揚げ
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 他に、鴨ミンチと九条ネギの塩焼きそばとシャーベットがあったが、撮り忘れ。こんなに鴨を食べることも珍しいので、全員大満足だった。

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