先日Yahooに載っていたAERAの記事で、「夏休み明けに病む教師たち、増え続けるこどものメンタルケアに教員の疲弊も限界に」というのを読んで、自分の教員時代を振り返った。

 夏休み明けに不登校になる生徒は毎年ちらほらいた。ただ私自身は、学校の夏休みとはいえ、部活動がほとんど毎日あるために、逆に休むこともできず、8月末から授業が始まるの方がましだと思っていた。ただ大阪の高校は、9月に文化祭を行うところがほとんどなので、その準備に入るのが少し気が重かった。というのは、行事のときは、生徒たちのテンションが上がるために、問題行動も増えるのだ。

 その記事によると、小学校低学年を中心に児童の暴力行為が急増し、10年前に高校を上回り、5年前に中学校を超えた。小学生は衝動性をうまくコントロールできないうえ、言葉で説明しても理解してくれない、そして同じことを繰り返すことが多い。そして、親も自分の子どもは悪くないと教員に反発する。そうなると、教員のプレッシャーは限界を超え、うつ病になったり、学校に来れなくなってしまうことも多いとあった。

 私も、教員生活で一番大変だったのは、やはり保護者対応だったなと思う。その記事にあったのだが、40年前に大ヒットした「3年B組金八先生」は生徒指導がテーマで、非行や校内暴力の嵐が吹き荒れていたが、保護者や世間は教員をリスペクトしていた。当時は教員の頑張りを認める暖かいまなざしがあり、問題行動をした生徒を叱ると、「うちの子が悪いのでもっと叱ってください」という親がたくさんいた。

 今は教員の暴力暴言は絶対に許されないことだが、20年くらい前に担任をした男子の親から「悪いことをしたら、死なん程度に、なぐってください」と言われたことがある。「死なん程度に」はまあ冗談だろうが、でも当時の私は、男子のお尻を出席簿でたたくようなことはしていた。でも叩かれた子も、自分が悪いとわかっているので、いちいち親に言うこともなかったようだ。

 長い教師生活の中で、いろいろな問題行動を起こす生徒たちがいた。でも時間をかけて話をして、何とか解決の方向に向かったが、教員を辞める3年ほど前に担任をした一人の女の子と、その親とは最後まで理解できたとは言えなかった。それは私だけでなく、対応したすべての教員が(管理職も含めて)、同様の思いを抱いていたので、特別な家族だったとしか言えないが、その子でも卒業までは持っていくことはできた。ただその数年前から、保護者の対応がかなり大変になってきたと感じていた。

 私が多くの問題のある生徒と対峙してこれたのは、今よりもう少し教員同士が話し合い協力し合える時間があったからだと思う。今教員をしている知人に話を聞くと、もうそんな時間はなく、生徒たちとじっくり向き合う時間がないという。

 学校がそんな状況になっているのは、日本が教育にお金をかけない国だからだ。オーストラリアで小学校のボランティアをしていた20年前でも、「1クラス40人もいるなんてクレージー」と言われた。教員が生徒と一緒に教室やトイレの掃除をすると言ったら、目を丸くされ、言葉が出なかった。

 教員の一番の仕事である授業の優先順位が低く、他の気苦労が多い仕事に追われるような現状では、教員の成り手が少ないのは当然だろう。まず教員を増やすこと、そしてすべての学校にカウンセラーを置くことが先決だと思う。

琵琶湖ではSUP(Stand up puddleboard)を楽しむ人がたくさん
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雲がまるで鳥のように見えた


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