少し前に、新聞でこの言葉を目にしたとき、「退職代行」のことかなと思った。この「退職代行サービス」も初めて聞いたとき、争いをしたくない若い人が増えたのかなと思ったが、会社側の執拗な引き留めで、辞められない人も多くいると聞いて納得した。
でもこの「静かな退職」というのは、実際に退職するのではなく、「退職はせず、必要最低限の業務しかこなさない働き方」ということらしい。
この言葉は2022年にTikTokで広がった「Quiet Quitting」で、アメリカのキャリアコーチが「仕事はあなたの人生ではない」というメッセージとともに使ったのが始まりとのこと。必要最低限の仕事をこない、仕事とプライベートの境界をしっかり分ける働き方を示す。
これを読んでちょっと疑問を感じてしまった。記事には「必要最低限の業務しかこなさず、定刻には帰り、自分のキャリアアップのために勉強したり、資格をとって転職を目指している女性」のことも紹介されていた。確かに今勤めている職場に納得できないのだろうが、その「必要最低限の業務しかこなさない」ことに、引っかかってしまうのだ。
その必要最低限の業務しかこなさない働き方は、可能なのだろうか。定時に帰る働き方ができるかもしれない。数年前に「わたし、定時で帰ります」というドラマがあって、オーバーワークで心身ともに疲弊した女性が、生き方を変えた話だったが、これはかなり納得できた。定時に帰るためには、効率よく仕事をし、周りからもそれを納得してもらえていたからだ。
まあ、私はどれほど残業しても、休日出勤をしても、お金にならない公立学校教員だったので、同僚の中には「必要最低限の業務しかこなさない」人もいた。そんな働き方に達成感や充実感があると思えず、かなりオーバーワークを続けていた。結局、過労死の恐れを感じて、日本語教師に転職したわけだが。
今の時代もう「終身雇用制」は消えつつあるかもしれない。それはいいことだし、能力によってキャリアアップを目指すのは当然だ。そのためには、この「静かな退職」という考えは、今の世の中に適応しているのかもしれない。
でもこの「静かな退職」というのは、実際に退職するのではなく、「退職はせず、必要最低限の業務しかこなさない働き方」ということらしい。
この言葉は2022年にTikTokで広がった「Quiet Quitting」で、アメリカのキャリアコーチが「仕事はあなたの人生ではない」というメッセージとともに使ったのが始まりとのこと。必要最低限の仕事をこない、仕事とプライベートの境界をしっかり分ける働き方を示す。
これを読んでちょっと疑問を感じてしまった。記事には「必要最低限の業務しかこなさず、定刻には帰り、自分のキャリアアップのために勉強したり、資格をとって転職を目指している女性」のことも紹介されていた。確かに今勤めている職場に納得できないのだろうが、その「必要最低限の業務しかこなさない」ことに、引っかかってしまうのだ。
その必要最低限の業務しかこなさない働き方は、可能なのだろうか。定時に帰る働き方ができるかもしれない。数年前に「わたし、定時で帰ります」というドラマがあって、オーバーワークで心身ともに疲弊した女性が、生き方を変えた話だったが、これはかなり納得できた。定時に帰るためには、効率よく仕事をし、周りからもそれを納得してもらえていたからだ。
まあ、私はどれほど残業しても、休日出勤をしても、お金にならない公立学校教員だったので、同僚の中には「必要最低限の業務しかこなさない」人もいた。そんな働き方に達成感や充実感があると思えず、かなりオーバーワークを続けていた。結局、過労死の恐れを感じて、日本語教師に転職したわけだが。
今の時代もう「終身雇用制」は消えつつあるかもしれない。それはいいことだし、能力によってキャリアアップを目指すのは当然だ。そのためには、この「静かな退職」という考えは、今の世の中に適応しているのかもしれない。
今日の子ども食堂
ミートボールシチュー、お好み焼き、カブのひき肉あんかけ
トマトの塩昆布あえ、白菜と薄揚げの煮物、ごはん、ゼリー
うーん「静かな退職」ですか…。そんな人ばかり増えたら、企業はたちいかなくなるでしょうねえ。
基本的に労働は見合った対価を得るべき=休出や時間外はちゃんと手当が出るべきだと思いますが、一方でみんなで何か一つの目的のためにめっちゃ頑張った後の達成感が、個人の気持ちにもプラスなのも事実で…。
「私は静かな退職」と思いつつ仕事してる人は、別のストレスを感じるのでは?なんて思っちゃいました。
nakko
がしました