3日目は朝から快晴でした。のんびりと朝食を取り、ぼーっとテレビを見て、10時にチェックアウトしました。そこから車を15分ほど湖岸沿いに走らせると、時が止まっているような集落に着きます。
「菅浦の湖岸集落」というのですが、ここの景観は平成26年に「国選定重要文化的景観」に指定されています。
「菅浦の湖岸集落」というのですが、ここの景観は平成26年に「国選定重要文化的景観」に指定されています。
これは「東の四足門」と書いてありました。以前は集落四方の入口にあったそうですが、2つしか見かけませんでした。湖岸沿いにをゆっくり歩いていると、家から出てきたおじさんが、「おはようさん」と声をかけてくれました。日本では見知らぬ人と挨拶をすることも滅多にないので、嬉しくなりました。
この赤い説明によるとヤンマーの創業者山岡孫吉氏が昭和35年(1960年)頃に設立した「ヤンマー菅浦農村家庭工場」の作業場で、集落内に第一から第二十まで作られ、通勤時間を要しない工場として画期的な発想だったとのこと。今も一部は稼働しているそうです。
確かにこの後で見つけた作業所の前に軽トラが停まっていて、中年の男性と女性が、何かを運び入れようとしていました。でも目が合って「こんにちは」と声をかけると、笑顔で「こんにちは」と返してくれました。
「ヤンマーってなに?」娘が聞きます。
「ボクの名前はやん坊♪、キミの名前はまー坊♪ のヤンマーだよ。
「なにそれ?」
えっ、娘はやん坊まー坊の天気予報を知らないの?ちょっと調べてみると、一応2014年までは、存在していたようです。
タイムリープしたような集落をブラブラ散歩した後は、私の一番お気に入りの料理屋へ。昨年、ここでオーストラリアからの旅行者に会い、話が弾み、食事代も払ってもらったのです。
食後は奥琵琶湖パークウェイに向かいました。もう何度も通っている道ですが、桜の満開の季節は初めてです。途中、とてもきれいなところがあったので車を停めると、椅子を持ってきて花見をしている人たちがいました。
私は長い間学校で働いていたし、3月生まれということもあり、4月が1年の始まりという気になります。昨年は、いい年とは言えないこともあったのですが、この桜を見ていると、気持ちを前向きに小さな喜びをひとつひとつ探していこうと思いました。
ヤンマー家庭工場跡
この赤い説明によるとヤンマーの創業者山岡孫吉氏が昭和35年(1960年)頃に設立した「ヤンマー菅浦農村家庭工場」の作業場で、集落内に第一から第二十まで作られ、通勤時間を要しない工場として画期的な発想だったとのこと。今も一部は稼働しているそうです。
確かにこの後で見つけた作業所の前に軽トラが停まっていて、中年の男性と女性が、何かを運び入れようとしていました。でも目が合って「こんにちは」と声をかけると、笑顔で「こんにちは」と返してくれました。
「ヤンマーってなに?」娘が聞きます。
「ボクの名前はやん坊♪、キミの名前はまー坊♪ のヤンマーだよ。
「なにそれ?」
えっ、娘はやん坊まー坊の天気予報を知らないの?ちょっと調べてみると、一応2014年までは、存在していたようです。
タイムリープしたような集落をブラブラ散歩した後は、私の一番お気に入りの料理屋へ。昨年、ここでオーストラリアからの旅行者に会い、話が弾み、食事代も払ってもらったのです。
福島屋「子持ち鮎の煮つけ定食」1200円
食後は奥琵琶湖パークウェイに向かいました。もう何度も通っている道ですが、桜の満開の季節は初めてです。途中、とてもきれいなところがあったので車を停めると、椅子を持ってきて花見をしている人たちがいました。
落ちた花びらも美しいです
空と琵琶湖の青さの区別がつきにくいです
全国的に、ソメイヨシノは寿命を迎えているという記事を読んだのですが、こんなふうに、幹から新しい芽が出て、花を咲かせているのをみると、樹の生命力を感じます。
私は長い間学校で働いていたし、3月生まれということもあり、4月が1年の始まりという気になります。昨年は、いい年とは言えないこともあったのですが、この桜を見ていると、気持ちを前向きに小さな喜びをひとつひとつ探していこうと思いました。
最初の写真はなんか絵ハガキみたい!観光案内のHPの写真?と見直してしまいました( ´艸`)。
地面一面に広がる花びらもきれいですねえ。
そういえば、先日ラジオ(ポッドキャストで日本のラジオを聞いています)で桜の研究をしている先生が「ソメイヨシノが一斉に枯れることはありません」と明言されてましたので、ご安心を!!
同じ原木からでも接ぎ木をしてついてから新しい木の年齢がカウントされるらしいので、寿命はそれぞれ違うそうですよ(^^)/。
nakko
が
しました