この週末は友人との約束があり、楽しく過ごしました。その前日、オンラインの授業の後、どこへ行こうかと悩んでいました。家を出るのは10時半ごろなので、バンコクの外に行けないこともありません。でも先週のチャイナタウンツアーで「やり残したこと」という思いがありました。その上、ブログ友のかりびーさんが「めちゃくちゃ美味しい小籠包」を紹介されたので、それを読んだとたん食べたくなりました。
ということで、たった2週間なのに3度目のチャイナタウンに向かいました。でも「やり残したこと」より食欲を満たすことにしました。
バンコクに住んでいたころに一度ブログに書いたことがあるのですが、MRTワットマンコンからすぐ近くで、おじいさんがシュウマイを売っているところがあります。Pae Sia Dimsumというのですが、午後に通りかかっても、売切れて閉まっていることも多いのです。
この日に行ったのは11時半ごろ。数人が並んでいるだけでした。そして以前はおじいさん一人でやっていたのに、今回もう一人おじいさんが増えていて、その人が注文を取り、お金を受け取っていました。昔からのおじいさんは、小さなシュウマイを丁寧にパックの中に入れていました。
ここは駐車場の入口みたいなところで、奥にテーブルが一台だけあります。そこに広げて、パクパク7、8個食べました。
次に向かったのがかりびーさんがおススメしていた「上海生煎包」。豚肉入りの小籠包が120バーツでした。この前に小さなシュウマイを食べていても、この4個はペロリと食べました。
ただ最初の二つは上手にレンゲに乗せられず、少し破れて美味しい肉汁が少し流れてしまいました。あとの二つは紙をめくってレンゲに乗せるとうまくいきました。
まだまだ食べ物です。次も以前何度か行ったことのある「バミージャップガン」。きれいとは言えない路地とお店ですが、行ってみると持ち帰りの人がずらりと並んでいました。
この列で30分待ちました。たぶん外国人は誰もいなかったと思います。でもテーブルで食べる人は、直接、麺をゆでているところに行くと、すぐに渡してもらえます。
そしてようやく「心残り」のところへ。ジュライサークルの「ジュライホテル廃墟」です。1階の一部だけが使われているようです。昔、写真の赤い看板の横が入口でした。
まだエアコンの室外機も残っていました。そして「โรงแรม」(ホテル)の文字だけが残っています。ジュライホテルの名前は「July」で、それはこの場所が「July Circle」にあるからです。
かつては夜になると、売春婦と麻薬常習者であふれていたと言われるこのジュライサークルも、今、昼間はとても明るい雰囲気でした。それにGoogle mapに載っていたのですが、写真の右手の建物は、普通のホテルと、女性専用のホステルになっているようです。
かつてジュライホテルに沈没していた日本人は、もう60代後半以上になっているでしょう。ジュライホテルが消える前に、日本に戻った人もいるんでしょうか。それから30年、まだタイに居続けている人もいるんでしょうか。
私はジュライホテルに泊まったのは1度だけでした。その時は好奇心だけで泊まりましたが、それ以後私はMBKセンター近くのソイカセームサンのホテルをよく利用しました。
私が再びタイに頻繁に来るようになったのは2000年代後半です。さすがにそのころは中級ホテル以上に泊まるようになり、安宿というところからは足を洗いました。私のバックパッカー時代の1つの思い出が、廃墟となって残っていることに何か不思議な気持ちになります。
ということで、たった2週間なのに3度目のチャイナタウンに向かいました。でも「やり残したこと」より食欲を満たすことにしました。
バンコクに住んでいたころに一度ブログに書いたことがあるのですが、MRTワットマンコンからすぐ近くで、おじいさんがシュウマイを売っているところがあります。Pae Sia Dimsumというのですが、午後に通りかかっても、売切れて閉まっていることも多いのです。
この日に行ったのは11時半ごろ。数人が並んでいるだけでした。そして以前はおじいさん一人でやっていたのに、今回もう一人おじいさんが増えていて、その人が注文を取り、お金を受け取っていました。昔からのおじいさんは、小さなシュウマイを丁寧にパックの中に入れていました。
ここは駐車場の入口みたいなところで、奥にテーブルが一台だけあります。そこに広げて、パクパク7、8個食べました。
次に向かったのがかりびーさんがおススメしていた「上海生煎包」。豚肉入りの小籠包が120バーツでした。この前に小さなシュウマイを食べていても、この4個はペロリと食べました。
ただ最初の二つは上手にレンゲに乗せられず、少し破れて美味しい肉汁が少し流れてしまいました。あとの二つは紙をめくってレンゲに乗せるとうまくいきました。
まだまだ食べ物です。次も以前何度か行ったことのある「バミージャップガン」。きれいとは言えない路地とお店ですが、行ってみると持ち帰りの人がずらりと並んでいました。
この列で30分待ちました。たぶん外国人は誰もいなかったと思います。でもテーブルで食べる人は、直接、麺をゆでているところに行くと、すぐに渡してもらえます。
狭い路地でこの火の大きさ、かなり暑かったです
持ち帰って夕食にしました
これだと量がわかりませんが・・・
お皿に盛ると、麺の多さがわかります
たぶん普通の1.5倍くらいあります
食べ歩きの最後はここです
「Tang Bak Seng Antique Coffee」(陳木盛)
ここは潮州人のお店です
前回書いたように「陳」を「Tang」と呼んでいるからです
昔風のミルクコーヒーにトーストでたったの30バーツ
前回書いたように「陳」を「Tang」と呼んでいるからです
昔風のミルクコーヒーにトーストでたったの30バーツ
そしてようやく「心残り」のところへ。ジュライサークルの「ジュライホテル廃墟」です。1階の一部だけが使われているようです。昔、写真の赤い看板の横が入口でした。
まだエアコンの室外機も残っていました。そして「โรงแรม」(ホテル)の文字だけが残っています。ジュライホテルの名前は「July」で、それはこの場所が「July Circle」にあるからです。
かつては夜になると、売春婦と麻薬常習者であふれていたと言われるこのジュライサークルも、今、昼間はとても明るい雰囲気でした。それにGoogle mapに載っていたのですが、写真の右手の建物は、普通のホテルと、女性専用のホステルになっているようです。
かつてジュライホテルに沈没していた日本人は、もう60代後半以上になっているでしょう。ジュライホテルが消える前に、日本に戻った人もいるんでしょうか。それから30年、まだタイに居続けている人もいるんでしょうか。
私はジュライホテルに泊まったのは1度だけでした。その時は好奇心だけで泊まりましたが、それ以後私はMBKセンター近くのソイカセームサンのホテルをよく利用しました。
私が再びタイに頻繁に来るようになったのは2000年代後半です。さすがにそのころは中級ホテル以上に泊まるようになり、安宿というところからは足を洗いました。私のバックパッカー時代の1つの思い出が、廃墟となって残っていることに何か不思議な気持ちになります。















私はカオサン世代ですが、田舎者には都会の水は合わずバンコクはトランジットに使うだけで、チェンマイも都会すぎてチェンライをホームグラウンドにしてました。
nakko
が
しました