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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

退院後

BNH病院のラインサービスがすごい!


 検診の後、看護師さんに次の予約のことを聞かれた。
「一旦、日本に帰るので、次の検診の予約は入りません。でも、また検診をお願いしたい時は、メールでお願いすればいいですか?」
「ラインの登録をしてますか?」
 ライン? 病院までライン? タイは本当になんでもラインだ。
 
 看護師さんに教えてもらってHi-Healthというサービスの登録をした。家に帰ってゆっくり見てみようとログインして、びっくり。これまでにこのBNH病院で受診したすべての記録を見ることができた。
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 この3年弱の間に、眼科、婦人科、内科、外科、耳鼻咽頭科といろいろな科にかかっていた。海外旅行保険が使えることもあって、かなり気楽に病院に行っていた。病院は家から歩いても20分ほどだし、待ち時間もほとんどない。海外にいて、こんなに安心してかかれる病院が近くにあったことは、本当にラッキーだったと思う。

 以前にも書いたが、日本人ご用達 と言われるサミティベート病院やバムルングラート病院よりも、費用は少し安い。ただ日本人通訳は、9時から18時までらしいので、夜や入院時にはついてもらえないようだ。でも看護師や職員の方はほとんど英語を話してくれる。だから簡単な会話ができる人であれば、翻訳アプリを使いながら受診はできると思う。

 タイに日本から来られる旅行者は、年間160万人以上だとか。私はこれまで旅行中に病院にかかったことはなかったが、家族を連れて行ったことはある。海外旅行保険をかけてくるか、クレジットカードの付帯保険が使えるのであれば、バンコクでは何も心配はいらないと思う。もちろん病気にならないのが一番だけど。 

 

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年越しトラブル ②高熱と声枯れ

 水漏れトラブルも大丈夫かとホッとしたのもつかの間、夜中の2時ごろに目が覚めた。でも最近は一晩中目を覚まさないなんてことは絶対になく、1、2度はトイレに行ってしまう。若い頃はずっと寝ていられたのにと思うと、これが年を取った証拠だと少し悲しい。

 目が覚めて気づいたのは、なぜかとても寒い。タイは乾季で涼しくなったとはいえ、夜でも室温計は28度くらいだ。暑さに慣れた私は、これくらいならエアコンをつけずに寝ている。でも本当に寒いのだ。

 「熱が出るんだ」と思い、日頃は使わない布団をかぶってじっと我慢した。30分ほどしたら、今度は汗びっしょりになったので、さっとシャワーを浴びて熱を計ると38度。やばい、やばい。これじゃ明日(いやもう今日だ)ホーチミンに行けない。

 それからなんとなく眠りにつくことができ、朝はいつも通り6時ごろに目が覚めた。熱は37度8分。これはタイでも平熱じゃない。あわててホーチミンの友人へメールした。とにかく今日の航空券は捨てて、もし体調が戻れば明後日の便を買い直すつもりだと。

 食欲はあったので、いつも通り朝食をとった。今日は授業はないけれど、一度大学へサインをしに行かねばならない。そう思って用意をしかけると、また急に寒気を感じた。

 ベットに横になって布団をかぶったが、震えが止まらない。歯がガチガチいうほど寒い。今までこんな風になったことは一度もない。まさか、インフルエンザ? でも周りで誰もインフルエンザだという話を聞いたことはない。

 身体の震えが止まらないまま、ベッドでじっとしていた。30分ほどしたら、ようやく震えがおさまり、今度は汗がふき出してきた。ようやく動けると感じて、サッとシャワー浴びて着替えて熱を計ると38度9分だった。

 こんなとき1人暮らしはきつい。でもとにかく大学へ行って、そのついでに薬や食べ物を買ってこよう。本当なら今日から5日間留守の予定だったため、冷蔵庫の中はほとんど何もない状態なのだ。

 大学までは歩いて5分くらいなので、とにかくサインを済ませ、薬局へ行った。タイに住み始めてから、風邪を引くたびにこの小さな薬局へ来るのだが、症状を説明して、店主のおばさんがくれる薬で、いつも飲み終わる頃に症状が治まる。

 帰宅してすぐ薬を飲んで横になった。うつらうつらしながら、ふと気づくともう午後3時ごろだった。熱を計ると37度9分。ちょっとホッとしながら、とにかく水分を取りながら休むしかない。

 そして翌朝には平熱に戻っていた。昼過ぎまでじっとしていたが、何とか元に戻ったように感じたので、友人に連絡を入れてから、次の日のホーチミン行きのチケットを取った。今までの私であれば、まあ大丈夫だろうと甘く考えていたのだが、やはりまだ続きがあった。

 翌日お昼過ぎにホーチミンへ着き、迎えに来てくれた友人と少しだけ観光をして、夕方には彼女の家に着いた。久しぶりに会ったため、おしゃべりな私はとにかく喋りっぱなし。熱は全く出なかったし、体調も普通だったのだが、夜には喉がいがらっぽく感じていた。

 そしてホーチミン2日目。朝起きると声が出ない。これほどかすれた声になるのも、いつ以来か覚えていないほどだ。でも喉がすごく痛いわけではなく、とにかく声が出ない。でもそれ以外に体調不良は感じなかったため、やはり観光に出かけた。

 元々帰国の便は1月1日だったので、たった3日間だけのホーチミン滞在だった。声が出ない以外は、十分楽しめたし、食欲はあったので、美味しいものもたくさん食べた。2日から出勤だったので、その日は荷物を片付けて早めに休んだ。

 声枯れ4日目、いつも通りの時間に大学へ。やはり声は出ない。それとかなり咳が出る。ホーチミンにいる間は、あまり咳は出なかったのに。仕事を早々に片付けて、またいつもの薬局へ行った。

 家に帰ると37度8分の微熱。やっぱり遊びすぎたんだ。また一気に疲れが出てしまったのか。そして薬を飲んで、水分を摂って横になるしかない。

 声枯れ5日目。熱はないが、やはりずっと喉はヒリヒリするし声は出ない。このままいつになったら声が戻るんだろう。しかも来週からは、普通に授業をしなければならないのに。

 声枯れ6日目。バカな私は、以前から友人たちと計画していた一日ツアーに参加。でも午前中は、ほとんど声を出さないようにしていたが、午後からは、なぜか声が出やすくなり、小さな声で話せるようになった。

 声枯れ7日目。昨日の反省から、今日は一言も喋らないと決めて、一日中じっとしていた。その甲斐あって、今週はなんとか授業をしている。でもまだ咳は出るし、声も少しかすれている。
 
 風邪をひくと長引くのは、肺切除したためか、年のせいかわからない。でも3年前まで、今の倍以上働いて、土日もろくに休めなかった頃と比べると、各段に弱っている。自分ではリハビリに励んで、たった2ヶ月で日常生活に戻ったと自負していたが、やはり手術以前の身体に戻っているわけではない。手術後2回の風邪がかなりひどかったことを考えると、もう少し体調に気をつけて風邪をひかないようにしなければならないと反省した。


 


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術後8ヶ月 [2019/12/03]

 手術後、本当にあっという間に8ヶ月が過ぎた。術後2ヶ月半で完全に仕事復帰し、その後も問題なく仕事を続けることができている。ただ、以前にも書いたが、授業が本格的に始まると咳が出やすくなり、今回も授業開始3週目で、やはり咳が気になるようになった。

 日本で撮ったCTには何も問題はなかったので、この咳はやはり声を出し過ぎて、負担がかかっているのだと思う。でも教師という仕事柄、声を出さないわけにはいかない。この前の一時帰国で日本製のノンシュガーのど飴を5袋も買ってきたので、それで乗り切るしかない。

 手術前には、週一回1時間のランニングをしていた。流石にそこまで戻すのはまだまだ時間がかかりそうで、最近はせいぜい5分歩いて5分走るというサーキットトレーニングを1時間続けることが精一杯だ。しかも走る速度も以前より少し遅い。

 手術直前に行ったネパールトレッキングは本当に素晴らしかった。その時に、夫と、もう一度3年後くらいに、トレッキングに挑戦したいねと話をした。今のままでは到底無理なので、そのためには少しずつ走る距離も伸ばしていかなくてはならない。

 そうやって自分を励ます反面、やはり再発するのではないか、他にまたがんができるのではないかと、心の奥でずっとおびえている。1Aという早期発見で術後、普通の生活を取り戻している私でも、そんなおびえを感じている。世の中には、もっと厳しい戦いをしている人もたくさんいるのに、こんなことでは情けないなあとも思う。

 そして12月に入って、少し悩んでいることがある。タイに来てから、クリスマスの頃に、クリスマスとお正月のご挨拶を兼ねた便りを、年賀状代わりに友人たちに出してきた。いつもなら近況や新年の抱負を書いてきたのだが、今年は手術のことを書くべきかどうか迷っている。

 今のところ家族とかなり親しい友人にしか手術のことは話していない。ただ、このブログを始めたのは、同じような経験をした方の何らかの手助けとなればいいと思ったからだ。そう考えると、同世代の友人たちに伝えるのは当然だとも思う。

 2人が1人ががんになる言われている今の時代、がんは全然珍しい病気ではない。私の体験も、全然大したことではないだろう。近いうちに、あまり深刻にならないように、毎年の便りを用意しようと思う。



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術後半年 [2019/10/3]

 過ぎてみるとあっという間の半年だった。いきなりの告知を受けて、その日中に手術日が決まり、夫と弟以外には誰にも告げず、手術を受けた。手術後10日後には一人暮らしに戻り、それから1ヶ月後には飛行機に6時間乗って帰国した。

 手術後2ヶ月半で仕事に復帰。職場には手術のことを話していないので、今まで通りの仕事量をこなしている。と言っても、日本で働いていた時の労働時間に比べるとかなり少ないので、フルタイムで働いていると言っても、疲れた時は早めに帰ることもできる。

 術後3ヶ月くらいで、普通の生活に戻ったと感じた。授業の時は4時間ずっと立ちっぱなしになるが、授業中に座りたいと思うこともなかった。もちろん授業中はアドレナリンが出ているためで、家に帰ると疲れを感じることもあったが、寝込んでしまうようなことはなかった。

 もちろん問題もあった。日本に帰った時はひどい胃炎を起こしていたし、タイに戻ってから軽い膀胱炎になった。そして先月は風邪をひいて、回復にかなりの時間がかかった。そしてずっと咳は出ている。

 がんになる前と今では、いろいろ考えることが変わってきた。人一倍元気で、ずっと健康でいられると思っていた私は、死について考えたことがなかった。もちろん手術でがんは取り除いてもらえたので、私の人生はまだまだ続くと思っている。でもいつか来る死について、考える時間を持つようになった。

 50歳を過ぎた頃、定年後はどうしようと考え始めた。仕事は楽しかったし、やりがいもあったので、60歳を過ぎても再任用で働くのもいいかなと思った。でも親しい人が定年を迎える前に現職死してしまったことから、本当に自分のやりたいことは何かと考えるようになった。

 若い頃からもう何十回もタイに旅行してきたけれど、いつかタイに住みたいという気持ちもあった。その思いが強くなり、タイに住む手段として日本語教師の資格を取った。そして運よく今の仕事について2年半が過ぎた。

 そして今、また私は何をしたいのだろうと考えている。このまま日本語教師を続けたいのか、それとも他のことがしたいのか。

 再発の恐れはないと思いたい。でも100%ないわけではないし、それより日本にいる両親が介護が必要になれば、帰国せざるを得ない。

 将来のことは誰にもわからない。でも悔いのない人生にするためには、自分が本当にやりたいことを探してやるしかないと思う。
 
 


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術後、初めての風邪

 タイには3つの季節がある。3月から5月ごろが一番暑い暑季、6月ごろから10月ごろまでが雨季、その後が一番過ごしやすい乾季。でもバンコクだと一年中20度を切ることはない。
 
 今は雨季だが、日本の梅雨のように一日中雨が降り続くわけではない。ただ1日に一度は、1時間ほどどしゃぶりの雨が降ることが多い。毎日雨が降るので、気温はそれほど高くならないが、湿気は多いし、大雨の後、急に気温が下がることもある。一方雨が降らないと、いつも通り30度は超える。

 この気候のせいか体調を崩す人も多くて、私もついに風邪をひいてしまった。もう3週間以上前になるのだが、回復にかなり時間がかかり、やはり以前とは違うことを実感した。

風邪をひいていた時の状態

水曜日 何だかいつもより喉がいがらっぽい。それに咳も多い。ちょっと気をつけなきゃ。

木曜日 元々予定されていた夕食会に参加。水木は午前中4時間の授業がある日なので、夜もおしゃべりをするとかなり喉を酷使。咳がかなりひどくなってきた。

金曜日 午後は授業がないので、早めに帰宅。ベッドに横になっていたが、あまり眠れずiPadでダラダラドラマを見ていた。

土曜日 一日中、ダラダラしていただけ。横になったり座ったり。咳は相変わらず。鼻水も出るようになり、ティッシュが欠かせない。

日曜日 午後、どうしても約束していたので、ボランティアに出かけた。行っている間は、咳もそれほど出ず、もう大丈夫かなと思った。でも帰りに買い物に寄って、症状を説明して、咳止めと、鼻水のための薬を買う。外に出ると雨。小雨に濡れながら、バイクで帰宅。帰ってすぐ着替えたが、なんだか不安になる。夜になるとますます咳と鼻水がひどくなる。

月曜日 学校へ行ったが、ずっと鼻をかんで咳もよく出る。とりあえず午後は早めに帰宅。でもなんだか熱っぽく感じたので測ってみると38度の熱が出ていた。夜中に咳がひどすぎて、吐き気をもよおすほど。2回もトイレに駆け込んだ。でも吐くことはなく、咳が止まるまで我慢。涙と鼻水でもうボロボロ。2時ごろ目を覚ました後も寝付かれなかったので、睡眠導入剤を飲んだ。

火曜日 朝は平熱に戻っていた。午前、午後とも授業があり、午前中の授業で2回、ひどい咳に襲われた。一回目は、なんとかお茶を飲んだら止まったが、2回目は無理で、トイレに駆け込み、また吐き気をもよおすほど咳が続いた。鼻水もずっと出るので、ティッシュが離せない。

水曜日 熱はないが、授業中に咳をしだすと止まらない。でも、前日の吐き気を催すほどの咳にはならなかった。鼻水も止まらない。

木曜日 日曜日に買った薬は飲みきった。でも、この前のBNH病院の検診でもらった咳止めの薬があるので、とりあえずそれを飲む。鼻は少し良くなってきた。

金曜日 タイ人の先生から、喉にいいという漢方の飲み薬をいただいた。この日も午後から帰って、おとなしく横になっていたが、眠ることはできず、あいかわらずiPadでドラマを見ていた。夜は睡眠導入剤を飲んで寝た。

土曜日 家からほとんど出ずに、ダラダラ過ごした。咳は時々出るが、月曜火曜のようなことはない。でも何か喉に刺激を受けると、かなり咳き込む状態が続く。夜はやはり睡眠導入剤を飲んで寝た。

日曜日 鼻水は完全に出なくなった。でも咳は、時々でる。タイ人の先生にいただいた薬をずっと飲んでいる。この土日は薬を飲んで寝たので、かなりぐっすり眠れたし、随分ましになってきたように思う。

 というように、10日間たっても咳は止まらないし、身体も回復したとはいえなかった。それから1週間以上が経って、ようやく元に戻ってきたように思う。でもやはり咳は時々出るので、咳が出そうになったら暖かいお茶を飲んだり、のど飴を舐めたりしている。

 ただこの咳は、やはり何かの刺激によって引き起こされるようだ。ちょっと甘すぎるキャンディを舐めたら咳が出たし、以前からもあるように何かの匂いに反応することも多い。特に化粧品や香水の匂いにすぐ反応する。

 来月には日本に戻り、がんセンターの検診を受けるし、その直後にBNH病院の定期検診もある。今以上に咳がひどくならなければ、それを待とうと思う。




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術後5ヶ月 [2019/09/03]

    仕事が本格的に始まってから、一応週2回の記事をアップできるよう頑張っていたが、先週友人が泊まっていて毎晩おしゃべり三昧だったので、ちょっとP Cに向かう時間がなかった。今回はフエの続きを書こうと思っていたが、それだと闘病記ブログというより旅行ばかりになってしまうので、本来のテーマに戻ったことも書かなくてはと旅行記は中断。

 術後3ヶ月の後すぐ検診もあったので、術後4ヶ月の頃は体調も良く、特に記録するようなことはなかった。しかも8月中旬は試験期間があり、少し体力的にも楽だった。ただちょうどその頃から、夜トイレに行ってベッドに横になると、またすぐ尿意を感じてトイレに行きたくなることが続いた。ただ日中にそれを感じることはなかったし、トイレに行く回数も以前と変わったわけではなかった。

 ただ私は30代の頃から、ひどい膀胱炎に何度かかかったことがある。当時は育児も大変な頃で、仕事も忙しく、気がつくと5、6時間トイレに行けなかったこともよくあった。その上、今もそうだが水分をあまり取らない。だから夏になると脱水症状にもなりやすい。

 その時の膀胱炎は本当にひどくて、夜中に急にお腹が痛くなってトイレに行ったら、もうはっきりとわかる血尿。そのままトイレから立てなくなり、夫を呼ぶこともできず、ようやく立てて水を一気に1リットルほど飲み、そのまま朝までトイレから離れられなかった。

 朝になってすぐ病院へ行き、点滴をしてもらったら尿意は収まり、2、3日点滴をしに通院した後、1週間の投薬で治った。でもその後も半年に1度くらい膀胱炎になってので、当時の病院の先生には、本当に怒られた。

 実は昨年も1度膀胱炎でBNH病院にかかっている。その時は最初の薬があまり効かず、薬を変えて10日ほどで完治した。今回もやはり病院へ行っておいた方がいいかなと思い、まずクレジットカードの保険会社に電話をした。

 今回、まず既往症であるがんのことを伝えておかねばならない。でも膀胱炎はがんと関係がないので、クレジットカード付帯の保険で大丈夫なはずだ。そしてまだ日本出国から3ヶ月が経っていないので、持っているカードならどれでも大丈夫だが、今まで使ったことのないカードの保険会社に電話をかけて、翌日BNH病院で受診をしたいと告げた。

 検尿の結果は、赤血球と白血球の数値が正常よりも少し多かったので、軽い膀胱炎。5日間薬を飲み、1週間後にもう1度検尿。今回の先生はあまり英語が上手ではなかったが、昨年もやっているので、通訳がなくても困ることはなかった。

 1週間後の検査では正常値に戻っていた。ということで終了。2回の費用は2141バーツ(約7500円)と1015バーツ(約3600円)。1回目は薬代が1026バーツかかっている。でも保険のキャッシュレス対応をしてもらったので、私自身の支払いはなし。

 もう一つ、ずっと気になっているのは咳だ。やはりずっと咳は出ていて、以前と同じように急な温度差、何かの匂いに反応して咳が出る。そしてこれもがんになる前から思っていたが、少し疲れていると咳は出やすい。

 もう15年以上も空咳が出る状態は続いているし、この前の3ヶ月半のレントゲンで異常は見つからなかったので、この咳はがんと関係がないと思うが、やはり咳が出るととても気になってしまう。何か普通と違うことがあれば、すぐがんとの関連を疑ってしまうのは、がん患者あるあるなんだろう。
 
    傷口は時々かゆみを感じることはあるが、痛みは全くない。ドレーンの跡も、もう何も感じない。でもピリピリとした肋間神経痛はずっと続いている。それと左を下にして横になると、息を吸うときは何ともないが、吐くときに引っかかる。それが気になるので、どうしても寝るときに左を向いて寝ることができない。

    食欲は4ヶ月を過ぎる頃から戻ってきて、今は以前と同じ食欲だ。食べる量も完全に元どおりになった。でも今のところ体重は戻らない。活動量は、平日は手術前と同じだが、毎週日曜にしているジムでのランニングは、時間は同じだがランニングの時間は半分くらいで、あとはウォーキングをしている。でもゆっくり走っているので、息切れはない。

    時々手術をしたことを忘れている。でも、時々再発におびえている。私のような1Aのがん患者でさえ、毎日がんのことを考えるのだから、もっと厳しいがんとの闘いを続けている人たちの不安は私なんて及びもしない程だろうと思う。


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3ヶ月半検診 [2019/07/21]

    体調はとてもいい。体力もかなり回復して、日常生活にはほとんど問題がなくなった。と言っても1日出歩くと疲れるし、肋間神経痛はずっとピリピリした感じがある。それは疲れるとひどくなるようだ。しかも痛いところは、左胸で時々位置が変わり、今は左の肋骨の上が時々痛い。

    それでもタイに戻って1ヶ月半、娘と知人の結婚披露宴パーティーを兼ねたアユタヤ旅行へ行き、週一回のボランティアを始め、バイクに乗り始めた。職場では病気を打ち明けている一人以外は、誰も私が入院、手術をしたことに気づいていないし、体調が悪そうだと言われたこともない。

   自分自身で気をつけていることは、まず無理をしない事、そして食事だ。タイは外食文化が盛んで、外で買ってもあまり高くない。でも油っこいものが多いし、私の近くの市場はローカルなので、辛さはタイ人向けだ。

    がんになる前から、食生活にはかなり気を配って、夕食の半分以上は自分で味付けをして作ってきた。もちろんタイ料理は大好きなので、メインは買ってきて、野菜料理は自分で作るというパターンだった。でも退院後は、辛いものもを食べたいと思わず、ほとんど和食を作って食べていた。あの頃は、夫が持ってきてくれたサバ缶に大いに助けられた。市場では魚介類のおかずが少ないし、大抵はかなり辛いのだ。 

    体調は良かったものの、やはりずっと咳が出ることが気になっていた。もう十数年前から、ひどい咳が止まらない事があり、レントゲンは何もなかったので、過敏症による咳と言われていた。 香水や消臭剤のような匂い、温度差、チリやホコリ、ちょっとしたきっかけで2、30秒咳が止まらない。

    授業が本格的に始まってから、そんな咳が出るようになった。それと喉の奥深いところに少し痛みもある。風邪とは思わないが、何か気管支に異常があったらどうしようかと不安だった。夜に咳が出るわけではないので、咳止めは一切飲んでいなかった。

    前日に、W先生の受信の前にレントゲンを撮るようにと、確認の電話があった。受診は5時からなので1時間前に行けばいい。もし他の症状が見つかった場合、海外旅行保険が適用してもらえるかわからないので、保険会社に電話をした。

   「私は肺がんの手術を受けて、その経過観察に行きますが、喉の奥が痛いので、もしがんと関係のない症状であれば、保険はききますか?」
   「診断書があれば、後日払い戻しをしますので大丈夫です。」
   「経過観察の診断書の中に、その記載があっても大丈夫ですか?それとも別の診断書が必要ですか?」
   「BNH病院なら、こちらから後で問い合わせもできますので、大丈夫です。」

   少し安心して、翌日の検診に出かけた。レントゲンは待ち時間もなくあっという間だったが、前回同様W先生は遅れて来られるようだ。やはり通訳の方をお願いしようと、受付に申し出て、待っている間に質問したいことをメモした。

①疲れると肋間神経痛(ピリピリ)がひどくなる。いつ頃まで続くのか。
②最近、左上の肋骨のあたりが抑えると痛い。
③授業が始まった頃から咳が出るようになった。
④喉の奥の方が少し痛い。

 診察は結局40分ほど遅れたが、いつもマイペンライ(大丈夫)のW先生は、また軽い感じで全部の質問に答えてくれた。
「神経を繋いだから6ヶ月から9ヶ月くらいは、神経痛は続くかなあ。咳と喉は、大声を出しすぎているためだと思うよ。まあ声を出すなというのは、無理かもしれないけどね。咳止めの薬だけ出しておこうか。でもあまりしゃべりすぎないように。」

  う〜ん、しゃべりすぎないようにって・・・しゃべるのが仕事なんですよねぇ。しかも元来おしゃべりなので、黙っているのがつらい。これまでも日本で風邪をひいた時、喉が痛くなるたびに「あまりしゃべらないように」と言われても、ちゃんと守れなかった。まあ授業のないときは黙っていよう。

  W先生と話すと本当に気が楽になる。レントゲン結果も問題なく、肺もちゃんと伸びているそうだ。何をやっても構わないと言ってもらえた。次回はまた3ヶ月後なのだが、その直前に日本へ戻り、CTを撮ることを話すと、「じゃあ、そのデータ持ってきたらX線いらないから」とこれもありがたいお言葉。タイでの費用が安くなるし被曝量も減る。

   あっという間に診察が終わり、会計を待つ間に、家族にラインで結果を知らせた。実はこの検診が終わるまで少し迷っていたのだが、来週は連休になるので、ベトナムへ行きたいと思っている。すでに航空券は手配済みで、万が一ダメだと言われたら、あきらめるつもりだった。でもこれで心置きなく、久しぶりの一人旅だ。




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