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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

がん患者として思うこと

訳アリ高齢者を連れて温泉旅行

 去年、叔父が肺がんになったと聞いたことは一度ブログで書いた。叔父は手術ができず、抗がん剤の治療を続けているが、2月に胸水が溜まり、そのため3週間ほど入院していたようだ。

 叔母から毎日散歩をしながらリハビリをしていると聞き、ふと思いついた。毎月母をどこかに連れて行くので、叔父夫婦も誘ったらいいのではないか。母も話し相手が増えて嬉しいだろうし、私もずっと母の相手をしなくて済む。

 泊まるのも私がメンバーのGFCであれば、たぶん4人で2万円ほどだし、キッチンのあるところにしよう。雪の季節には行けない越前GFCは、ログハウスや別邸と呼ばれるいろいろな建物があるから1ヶ月前でも空いているかもしれない。そして叔父夫婦と日程を調整すると、ちょうどGW明けの日曜日に予約が取れた。

 叔父は料理が得意で、いつも私たちが行くと、プロ並みの手料理を振る舞ってくれる。だから叔父に提案してみた。
「母が宿代、私が車の費用を出すから、泊まる日の夕食をお願いしていい?道の駅や魚市場で買っていって、宿にはキッチンがあるから、簡単なものでいいから作ってくれる?」
 叔父はとても喜んでくれ、叔母は毎日散歩して、リハビリに励んでもらうわと言ってくれた。

 昨日の朝大阪市内に叔父夫婦を迎えに行き、母の家の近くから高速で京都まで出た後は、私にとってはもう慣れた湖西道路を北上した。途中で道の駅に3ヶ所も寄った。どこも私は奥琵琶湖に行く時、よく行く場所だ。昼食を済ませて、敦賀まで行き、叔父のおススメの「日本海さかな街」という大きな市場へ。(3人の相手をしていたら、写真を撮るのを忘れた)

 叔父がつくってくれたメニューは、ローストビーフ(これは前日作って持って来てくれた)、マグロ(中トロ)刺身、ホタルイカの天ぷら、サラダ、そして野菜スープは私が前日作った残り。
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 叔母によると、1ヶ月前の叔父は、長時間のドライブに行けるかどうか不安な状態だったとのこと。肺がんは手術のできない状態だった(ステージ3)だったので、ずっと抗がん剤治療を続けている。でもこの2日間、叔父はよく食べよく話し、とても元気だった。
 ただ今朝、「秋にまた行こうね」という私に「行けるかなあ」と叔父は不安気に返事をした。やはり抗がん剤の効果があまり出ていないのが、気持ちを落ち込ませているようだ。

 先日歌を聞いた堀ちえみさんは、歌いたいという気持ちでリハビリに励み、ステージ5の舌がんを克服されている。やはり何かをしたいという気持ちが、病気に打ち勝つエネルギーになるのだと思う。だから叔父にも、頑張ってほしいし、また温泉旅行に誘って、それを元気になるための源にしてくれたらいいなと思う。


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ジャズストリートで堀ちえみさんの生歌を聞く

 このGW中に、毎年高槻市で2箇所のジャズストリートフェスが行われている。高槻ジャズストリートと富田ジャズストリートというのだが、友人が富田ジャズストリートの運営委員をしているので、私も去年から一日だけボランティアをしている。

 今年は5月3日4日の日程で、私は今日4日のボランティアへ行った。メイン会場であるコミュニティーセンターグラウンドのエコステーション(名前はいいが、ゴミ捨て場の管理)と阪急富田駅のパンフレット配りと案内を交互に行き来した。

 今日のメイン会場の目玉は、午後1時の白井貴子さん、午後2時のET-KINGさん、そして最後午後5時の堀ちえみさんだった。ボランティアの仕事の関係で、白井貴子さんを半分くらいと、堀ちえみさんを全部聞くことができた。

 堀ちえみさんのことは、もちろん彼女のデビュー当時から知っている。好きでも嫌いでもない歌手だったが、あの有名な「スチュワーデス物語」も見たことがない。でも彼女が2019年に舌がんの手術を受けたというニュースは、その直後に自分自身もがん告知を受けたときで、とても関心を持ったし、経過も気になっていた。その後、また食道がんが見つかったというニュースも、ショックだった。

 その後、NHKのインタビューで、彼女がボイストレーニングと歌の練習をしていることを知った。だから今日のステージで、彼女がどんなパーフォーマンスをされるのだろうかと楽しみにしていた。

 会場のグラウンドは、最大1000人が入れると聞いていたが、本当に多くの人が集まっていた。5時から45分間のステージの予定が、音合わせに時間がかかったのか、始まったのは5時15分だった。

 残念ながら私は彼女の歌を全く知らず、デビュー曲や「スチュワーデス物語」の歌と言われても、記憶になかった。でも伸びやかな堀ちえみさんの歌声に、胸が熱くなった。もちろん滑舌はまだよくないので、歌詞がはっきり聞き取れるわけではない。でも声量は十分で、ふたつのがんを乗り越えたとは思えないほどだった。残念ながら私がいたエコステーションからは、ステージはほとんど見えないが、歌声ははっきり聞こえてくる。

 堀ちえみさんは、今年、手術後5年を経過し、ステージ4の舌がんを完治されたとブログで報告された。私は、まだ少し先延ばしになっているが、今年中にはがんセンターと縁のない生活になるはずだ。ステージ4からでも、ここまで回復し歌手として復帰された堀ちえみさんの努力に拍手喝采を送りたい。

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市の健康診断を受けた時に、ちょっと気になる一言

 今年も、市の健康診断を受けてきた。特定検診と言われる一般的な検診は無料で、血液検査、尿検査、身体測定、血圧測定があり、追加で心電図(100円)と大腸がん検診(検便、300円)も受けた。

 私は30代半ばで胃のポリープが見つかって以来、ほぼ毎年胃カメラ検査をしている。だから胃の検査は12月の予約を取ってもらった。肺は来月、がんセンターの定期検診があるので、その時にまたCTを撮る。

 普通レントゲンを不要とする人はほとんどいないようで、受付で確認され、受診の時にお医者さんにも確認された。それで「肺がんの手術をしているので、経過観察中です」と言うと、「たばこ吸ってたの?それとも受動喫煙?」と聞かれ、ちょっと違和感を感じた。

 そのお医者さんは内科の開業医の方なので、がんの専門ではない。でもお医者さんでも、「肺がん=喫煙者」と考えている人が多いのだということを再認識したのだ。これまで、「肺がん」になったというと、私をよく知らない人だと「たばこ吸ってたの?」と何度か聞かれた。知人は私が全くたばこと縁のない生活をしていることを知っているので、逆に「たばこを吸わないのになぜ?」と聞かれた。確かに私も、「肺がん」と言われた時に、たばこを吸ったこともないし、周りにもいないのに、なんで?と思ったことを覚えている。


 このグラフを見ると、確かに喫煙経験者のほうが肺がんリスクが高いのはわかるが、実際、女性のがん患者の75%は喫煙経験がないのだ。私のがんは非小細胞肺がんという分類の中の、腺がんで、これは肺の「肺野部」と呼ばれる部分に多く発生し、X線検査で見つかりやすいがんで、女性の肺がんに多く見られるそうだ。

 たばこを吸わなくても「肺がん」になる可能性はある。最近は自分ががんの手術をしたことも忘れてしまいそうになっているので、あまり人に言うことはなかったが、やはり周りの人に、ちゃんと検診は受けるべきだと言わねばと思う。実際、私はタイの大学の集団検診で受けたX線検査で、異常を見つけてもらえたのだ。

 検診に行ったことで、久しぶりに自分ががん患者だったことを実感した。「まだ若いのに珍しいね」とかも言われたが、でも若い人でも肺がんになることもある。娘たちにも、「遺伝」という可能性がないわけではないから、検診を受けるようにと言い聞かせたが、次女はその機会がないままかもしれない。今度日本に帰ってきたら、実費でも子宮頸がんの検査を受けさせようと思う。
 

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叔父の肺がん

 昨日は、初めてのことをした。というと大層だが、単に叔母といとこにお昼とお茶をごちそうしたのだ。でもコスパのいいランチと、ケーキセットだけだが。

 叔母と言っても私より10歳ほど年上だけで、従妹は私より14歳年下。でもここの家族が、私の幼いころから一番親しい親戚だ。叔父が母の弟なのだが、母とは11歳も年が離れている。間にもう一人いた母の弟は、幼い頃に亡くなったそうだ。

 私の記憶で一番若い叔父はまだ高校生だ。だから私はずっと「お兄ちゃん」と呼んできた。母の実家でもある家なので、祖父母の法事やそれ以外でも頻繁に訪れていた。

 私がオーストラリアにいた時も、叔父夫婦と従妹で遊びに来てくれた。叔父は運転が得意なので、メルボルンからアデレード、グレートオーシャンロードをドライブしながら回った。昨日もその時のことを3人で話して盛り上がった。

 叔父夫婦はバンコクにも遊びに来てくれた。もう4年前だが、3人でバンコク市内の主な観光地やアユタヤにも出かけた。その時も70歳は超えているが、好奇心満々で、バスにも乗って水上市場へ行き、バスの中でも地図を見ながらいろいろ質問してきた。

 2か月前叔母から電話があり、叔父が肺がんだと告げられた。叔父はまだ煙草を吸っているので、可能性は高いし、実は祖父も肺がんで亡くなっている。他に転移はないが、肺には3カ所のがんが見られ、大きくはないがステージ3で手術は無理だとのことだった。それで1ヶ月半以上かけて、放射線治療と抗がん剤治療を入院しながら行った。

 実は私は自分のがん手術のことを、叔父一家には話していなかった。でもこの電話の時に、詳しく話し、翌日叔父にもラインで説明をした。私の方が初期だったが、それでも同じ病気を共有したことで、叔父は心強いと言ってくれた。

 入院中に電話をした時は、とても元気そうだった。本当は入院中に叔母と従妹を励ます気持ちで食事に誘ったのだが、従妹との都合が合わず、叔父が退院してからになってしまった。でも結果的には、それでよかったと思う。

 叔父は入院中はとても元気で意欲的にがんと闘う気持ちを持っていたのに、退院してからのほうが元気がないと言うのだ。とても快活だった叔父が、一日中あまり動かず過ごしているという。かろうじて散歩には出かけるが、あまり長い時間ではないらしい。

 叔父は、治療終えたのに、思ったほどがんが小さくならなかったことがショックだったようだ。もちろん少しちいさくなっているそうだが、本人は治療を頑張った成果がでなくて、落ち込んでいるようだ。

 がんとの闘いは気持ちが大切だ。私は、もっと初期で手術もできたが、手術後1ヶ月で日本に帰るために、人から病気だと思われないように元気になることが、退院後1か月間、バンコクで一人で頑張れた目標だった。毎日猛暑の中、日傘をさして散歩したことを思い出す。

「私、3月にはチェンマイにいるんだけど、二人で遊びに来ない?チェンマイに行きたいって、前に言ってたよね。」
 「いいなあ、行きたいわ」と叔母は乗り気。
「飛行機に6時間、プラス1時間乗るのも体力がいるから、そのために元気にならなきゃって、お兄ちゃんに言ってみようよ。」

 今日、叔父に来月、家に行ってチェンマイのことを相談したいとラインしてみた。するとすぐにOKと返事が来た。久しぶりに夫も一緒に行くと言っておいたので、お客さんが来ると思えば、少し気持ちが前向きになってくれるのじゃないだろうか。

 日本人は二人に一人ががんになるといわれているが、高齢者の比率はもっと高い。でも姑は乳がん、父は長い間膀胱がんを持ち、死ぬ前には肺がんも持っていたようだ。それでも平均寿命よりも長生きして死因はがんではない。

 叔父も早く以前のように元気に前向きになってほしい。チェンマイへ遊びに行くという目標を立てて、体力回復に励んでくれればいいが。

 昨日の沖縄料理のランチの後
カフェで延々2時間おしゃべり
 
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術後2年を忘れていた

 3月は受けているタイ語講座の勉強に追われ、ようやく終わりが見えて旅行計画を立てるとコロナ騒動。すっかり手術から2年経ったことを忘れていた。

 体調はこの1年間ほとんど変わりない。コロナ禍の生活で運動不足になってしまったが、体重は手術前と同じくらいで、外見的な変化はほとんどないと思う。ただ普通の会話は大丈夫だが、大きな声で音読したり、歌を歌うと呼吸がしにくくなる。深呼吸をすると、咳が出たりもする。で
もずっとレントゲンやCTの結果は以上なしで来れているので、今のところ再発や転移の可能性はない。 

 ふと去年や一昨年はどうしていたのだろうとブログや自分の手帳を見返してみた。一昨年は、退院し夫が帰国し、一人でリハビリに励んでいた。そういえば、真夏の太陽の元、毎朝散歩をしていた。今はそんなことをやろうとも思わない。去年は、今とほとんど同じような生活だった。ほとんど家にいて、料理を作り食べ、なるべく規則正しい生活をしていた。

 去年、タイは徹底したコロナ対策のおかげで、7月ごろから12月のクラスター発生までは、普通の生活が送れていた。もちろん検温、マスクは必須だが、旅行も気楽にできた。でも今回はイギリスの変異種も見つかったとのことで、かなり不安がある。

 いつになったら、元の世界に戻れるのだろう。マスクをせずに、世界中を気楽に旅することができる世界。

 日本では、非常事態宣言ではなく「まん延防止重点措置」とかいうものを出している都道府県があるが、それにどれほどの違いがあるのだろう。自粛を要請すると言いながら、オリンピックに向けてのPRは忘れず、NHKの朝のニュースでも毎日「聖火リレー」の特集を放送している。見ると沿道にはそこそこ人が集まっている。

 不要不急の用事以外は出るなと言いながら、「聖火リレー」の感動的なシーンを毎日見せられたら、誰だった応援に行きたくなるのが当然だ。私も昨年5月に帰国を予定していた時、大阪は無理だが滋賀県なら間に合うから見に行こうと思っていた。

 それにしても本当にオリンピックは実施できるのだろうか。連日何百人もの感染者が出ている東京に、アスリートの皆さんは来たいと思ってくれるのか。観客は来なくても、選手や関係者の中に、無感染症状者が100%いないと確信できるだろうか。

 日本もタイもワクチンはまだまだで、いつになったら一般の人が接種できるのかも不確かだ。だがワクチンの普及が進んだ国の様子をみると、やはりこれが今のところ唯一の手段なのかなと思える。日本は国籍に関わらず住民票登録があれば無料でワクチンが受けられるとのことだが、タイは今のところ外国人については何も言われていない。

 なんかだらだらと暗い話題を書き続けてしまったが、これは旅行をキャンセルせざるをえず落ち込んでいるせいだ。しかも親しい友人たちは、規制のかからなかった南部へ出かけてしまい、虚しいソンクラーンを迎えようとしている。

 何か気分転換を考えなくては。幸いマッサージ店は開いているし、レストランも閉店時間が早くなっているが大丈夫だ。もともとお酒を飲まない私は、お店にお酒がなくても平気だ。そして私の近所は、コロナに関わらず今まで通りにお店が開き、市場で人々が働いている。これまでと同じ生活を続けるだけのことなんだ。



 

 

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肺がん告知から丸2年 [2021/02/27]

 ふと気づくとあの日からちょうど2年だった。手術後の1年は、仕事に追われているうちに回復して、以前と変わらない生活ができるようになった。2年目はコロナのために、かなり計画が変わってしまったものの、普通の生活を送っている。

 もしがんになっていなかったら、どんな生活をしているんだろう。一番考えられるのは、やはり日本語教師を続けていたのではないかということだ。がんになる前は、自分の寿命について考えたことがなかった。両親どちらの家系も長命の人が多く、がんで亡くなったのは、母方の祖父だけだった。実は肺がんだったのだが、60歳を超えていたそうだし、何よりかなりのヘビースモーカーだったらしい。だから自分が肺がんになるなんて、100%考えたことがなかった。

 告知を受けて考えたのは、「今は絶対死ねない。両親より早く死んで悲しませるようなことはしたくないし、まだ娘たちに私は必要だ」ということ。がんは初期の段階で、手術も簡単に終わり、その後の治療も必要がなかった。だからすぐに死なないと思ったものの、万が一再発や転移、他の場所にがんができたらどうしようという不安は常にある。だから、人生の終わりについても、頻繁に考えるようになったのだ。

 そして何をしたいのかと考えると、もう仕事はしたくなかった。一番やりたいと思ったことは、もう一度きちんとタイ語を勉強すること。実は2年半前に、大学の年度末休みを利用して、チュラロンコン大学の「Intensive Thai」コースで勉強した。6週間で一つのレベルが終わるのだが、私は多少読み書きができたこともあり「Thai 4」という中級の最初のクラスに入ってしまい、本当に大変だったのだ。

 コロナ禍のためチュラロンコン大学のこのコースはオンライのみになっている。私は1月から「Thai 5」 3月から 「Thai 6 」と勉強を続け、中級を終わる予定だ。このコースについては、あらためて内容や感想を書いてみたいと思うが、授業が始まるとそれどころではないので、当分先になりそうだ。

 そしてもう一つ考えたのは、タイ生活をいつまで続けるかということ。最初に来たときは、最低3年は絶対に帰らないと家族に告げてきた。もうすぐ4年になろうとしている。これもがんにかかっておらず、もし大学の仕事を続けていたら、65歳くらいまで働きたいと思ったかもしれない。でも人間ドックで何かちょっとした異常が見つかるようでは、ずっと海外にいるのも不安を感じる。

 最近、丸5年でいいかなと思うようになった。自分の健康や都合だけでなく、家族も5年もたてばいろいろ変化がある。私のわがままを受け入れることも難しくなるかもしれない。そう思うと、そこから逆算して1年2ヶ月で何ができるのだろうと考えることができる。近隣諸国を旅行するのは無理だけど、勉強の合間にタイ国内を旅行することはできるだろう。
 
 そして今の「普通の生活」を楽しみたい。特に出歩かなくても、近くの市場へ買い物へ行き、お店のおばさんとちょっとした会話を交わし、時々友達と外食する。1日の終わりには、「いい1日だった」と思える日々を過ごしたい。

 

 

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アラ還でがんになった方へ

 前回は自分が10年前だったらと想像しながら書いた。でも今回は、自分の体験を思い出しながら書こうと思う。

 もし日本で働き続けていたら、私は停年までを1年残した段階でがん患者となった。毎年1月から2月ごろに人間ドッグを受けていたので、タイと同じ時期にX線検査も受けていたはずだが、果たしてレントゲンで小さなガンを見つけてもらえていたかどうか。

 本論に戻ろう。私は公立学校に勤めていたので、病気休職は簡単に取れただろうし、手術後の復帰も保証されていたと思う。停年まであと1年であっても、授業だけでなく担任や部活動の仕事もあっただろうと思う。

 そして周りの同僚にも自分の病気のことは、打ち明けただろう。ただそれは、ステージ1Aで、手術後特に治療が必要がない状況だからかもしれない。そして手術後は、タイで周りに気づかれず仕事に復帰したように、3ヶ月後くらいには仕事に戻ったと思う。

 昨年、手術後1ヶ月で帰国し、普通に日本で友人に会い、2ヶ月半で完全にタイの教員生活に戻った。私は、かなり回復が早いほうだったと思う。その1番の理由は、私ががん以外は健康で、年齢以上の体力があったおかげだと思っている。

 30代半ばの頃にランニングを始め、フルマラソンも何回か走った。40代になってからは忙しく毎日走ることはできなかったが、運動部の顧問をしていたので、週3、4回は指導のため体育館で動き、真夏の体感40度になる日でも4時間体育館にいても平気だった。

 タイに来てからも週1回はジムで1時間ランニングを続けていた。手術を受ける直前に、ネパールへトレッキングに行く計画を立てていたので、その前の2、3ヶ月はもっと走っていた。これがよかったのだと思う。

 手術後、2週間で一人暮らしになったため、室内の家事は全て自分でこなさなければならなかった。体力を戻すために、退院後は毎日炎天下の中、日傘をさして歩いた。その成果で、術後1ヶ月で家の中の行動は何でもできるようになり、2ヶ月で家の外でもいつもの生活ができるようになった。

 還暦前後の人は、個人で体力差は大きいと思う。でもがんの告知を受けてからでも、病気の症状が出ていない人であれば、その日からでも体力をつける努力はできると思うのだ。私も告知から手術まで1ヶ月あった。その間に、トレッキングのためでもあるが、かなり走り込んだのだ。日頃から運動をしない人であれば、毎日、少し早めの速度で1時間歩くだけでも違ってくると思う。家で毎日スクワットだってできる。

 抗がん剤や放射線治療を受ける方でも、やはり体力が必要だ。私には想像しかできないが、副作用でかなり苦しい思いをされている方も多いし、食事も取れないほど消耗してしまうこともあると聞く。

 そしてもしまだ働いているのなら、やはり仕事をやめない方法を模索されるべきだと思う。タイの今の仕事は1年契約で更新していくのだが、ちょうど4月末で更新だ。手術と言われたとき、仕事を続けたいと思い、タイで手術をすることを選んだ。そして6月中旬に始まる新学期に合わせて、体調を戻す努力をした。それがリハビリを頑張る動機になったのだ。

 結局、50代でも60代でも、自分のやらなくてはならないこと、やりたいことを持つことが、一番大切なのだと思う。それが仕事でなくても、人と関わり、自分が何かができるという実感が持てるのであれば。それががんに打ち勝つための、大きな力となるはずだから。

 
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(世界肺癌学会議 IASLCの指針を参考に作成)

1) どのようにがんの診療をすべきか?

  • 通常の時と同様に、病理診断、病期診断、および点滴治療が必要な患者さんは入院あるいは外来で診療を行う。現在治療している患者さんは、そのまま継続を試みるが、長期経過観察中やがんサバイバーの方の診察は延期を考慮される。
  • 抗がん薬の点滴による治療は継続する。点滴の投与スケジュールを変更(毎週投与から3週毎への投与、3週毎の投与から4~5週毎への投与)し、外来受診の回数を減らすことも考慮する。病勢が安定していれば、1サイクル分の休薬期間を設けることも考慮する。画像評価を少し延期することも可能である。血液検査は、近医にて施行することを考慮する。

2) 肺がん疑いの患者への検査は?

  • 前もって電話で、あるいは診察室に入る前にCOVID-19に関する症状スクリーニングを行う。
  • CTガイド下針生検が困難になる重大な合併症がなければ、CTガイド下針生検で病理診断を行う(日本ではまず気管支鏡を行うことが多いが、COVID-19流行地域では気管支鏡の施行自体が医療者の曝露リスクが高い)。
  • 気管支鏡やEBUSは、マスクと透明なプラスチック・シールドなどの個人防護具(PPE)を用いて行う。症例により異なるが、緊急性のない検査なら2~4週の延期は可能である(特に病院内にCOVID-19患者が急増しているとき)。

3) 肺がんの疑われる、高齢者や基礎疾患のある患者への生検は?

  • 肺がんが疑われた場合には、COVID-19流行前と同様に、病理診断や病期診断の検査を行う。
  • 経胸壁(CTガイド下あるいはエコー下)針生検による確定診断が望ましい。
  • 症例により異なるが、気管支鏡検査は2~4週の延期を考慮できる。

4) 新しく診断されたがん患者に対する手術は?

  • 術前治療がすでに終了している場合、あるいは新しく診断されたsolid-typeの結節影の場合は、遅延無く手術が行われるべきである。
  • 肺がん部位のsolid componentの程度、PETでのSUV値、solid部分の大きさ、あるいは肺野条件でのすりガラス部分の縦隔条件での消失割合など総合的な判断に基づき手術延期が可能か否かを決定するが、極めて難しい判断となる。
  • 低リスクの早期がん病変、CT画像で微少浸潤腺がん、50%未満のsolid component、3 cm以下の原発巣など比較的早期のがんでは、4週間の手術延期は可能と考える。腫瘍量が大きい場合(例えば4 cm以上、N1陽性、明らかなN2陽性)には、腫瘍内科医は術前の化学療法や化学放射線療法を推奨する。

5) 高齢や基礎疾患を有する患者に対する手術は?

  • 体幹部定位放射線治療(SBRT)などの有効な局所療法が可能な施設が近くにあればそこでの治療が適切であると思われるが、遠距離を移動することは避けたほうが良い。
  • 高齢者や基礎疾患を有する患者であっても、外科手術の対象となるか否かはCOVID-19流行前と同じ基準で判断するのが望ましい。
  • 高齢者や基礎疾患を有する患者の手術適応の判断が難しい場合は、SBRTの可能施設か腫瘍内科へ紹介する。

6)術後化学療法は?

  • 術後再発リスクの高い患者(T3/4 or N2)で、65歳未満で全身状態が良ければ、化学療法が行われるべきである。
  • 再発リスクが中等度の患者(T2b-T3N0 or N1)では、個々の症例のリスクとベネフィット (年齢、基礎疾患の有無、全身状態、副作用など)を考慮するが、治療することが望ましい。
  • 再発リスクが低い患者(T1A-T2bN0)では、個々の症例における化学療法のリスクとベネフィットを考え、治療のメリットが低ければ治療の延期を考慮する。
  • 術後6~12週後の化学療法開始も許容される。
  • 高齢者(年齢≥70歳)や基礎疾患のある患者では、中止も考慮する。
  • 発熱性好中球減少症のリスクが10-15%<のレジメンでは、G-CSF投与を考慮する。
  • 術前・術後療法の適応は、COVID-19流行前と同じ基準で行う。
  • 切除可能なcStage III症例では、術前化学療法を行うべきである。

7)化学放射線療法は続ける?どうして?

  • 限局型小細胞癌、切除不能非小細胞肺癌 (stage III)では同時化学放射線療法を行うべきである。
  • 化学放射線療法は、通常がんの根治を目指して行っているので、既に治療が開始されている場合には完遂するべきである。
  • 切除不能非小細胞肺癌 (stage II)の治療オプションとして、化学放射線療法を考慮することができる。
  • 上大静脈症候群、喀血、脊髄圧迫、骨転移による疼痛、他の生命を脅かすようなOncology emergencyに対して放射線照射を行うべきである。

8)新規化学療法の導入は?

新しく診断された患者には、通常化学療法が行われるべきである。患者がCOVID-19に罹患している場合は、肺炎の状態を考慮して治療を少し遅らせるべきかどうかを慎重に判断する。

9)化学療法は続けるべき?

  • 一般に、切除不能肺癌に対する化学療法は続けるべきである。
  • 治療プロトコールを2週間に1回から3週間に1回のものに変更する、可能であれば点滴治療から内服薬に変更する、など受診回数を減らすことが考慮される。
  • 適切な用量調整にもかかわらず発熱性好中球減少症のリスクが10%<の場合には、G-CSFの一次的予防投与を考慮する。
  • 採血検査を近医で行うことも考慮する。
  • 化学放射線療法後の限局型小細胞肺癌に対する予防的全脳照射(PCI)は行うべきである。

10) 維持療法は続けるべき?

  • 続けることが望ましい。
  • 3から4週の休薬期間または治療と治療の間隔を延長することは考慮しても良い。

11) 新規治療は導入すべき?

新しく診断された転移のあるがん患者に対して治療の種類に関わらず標準的治療を提供し、疾患を制御し、生活の質を維持し、より良いPSを維持または達成すべきである。

12) 分子標的治療薬・免疫チェックポイント阻害薬の治療は?

  • 分子標的治療は行うべきである。経過観察の期間は個人の状況により6週から12週程度まで延長しても良い。
  • 抗PD- (L) 1抗体薬の投与では、例えば2-3週サイクルから4-6週サイクルの治療に変更または遅らせることを考慮する。
  • 局所進行非小細胞肺癌の放射線化学療法後の地固め療法としてDurvalumabの適応がある場合は、行うべきである。
  • 抗PD-(L)1抗体薬を12あるいは18ヶ月以上投与している症例では、次サイクルを遅らせる、サ イクル数を減らす、あるいは全体に治療間隔を長くすることを考慮しても良い。

※Content 4 was written referring to the guideline of The International Association for the Study of Lung Cancer (IASLC) with permission of IALC.
以上の内容は世界肺癌学会議の了承を得て、IALCの指針を参考に記載しました。

※各がん腫に対する治療方針の詳細はESMOの診療指針を参照 (ESMOの了解取得済み):
https://www.esmo.org/guidelines/cancer-patient-management-during-the-covid-19-pandemi



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