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がんになっても地球旅行

病気には無縁と思ってた元バックパッカー、タイの大学で日本語教師をしていた2019年4月バンコクで肺腺癌(1A)手術。2022年6月に日本に帰国後もタイをメインに地球旅行に出かけています。

日本生活

半世紀前の耐火金庫を開けられるのか?

  我が家には、昭和52年製の耐火金庫があります。私がその存在を知ったのは、家を建て替えるために仮住まいに引っ越しをしたときでした。かなり重いので、引越し業者さんが運んでくれましたが、新しい家に戻ってきて、姑の部屋に運び入れてもらいました。そしてまだあまり片付けていなかった押入れに、その50年近く前の金庫が残っていました。

40×30×50くらいの大きさですが、50kgほどありそうです
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 姑の部屋をかなり片付けましたが、この金庫の鍵は見つかりませんでした。それにダイヤルもわからず夫も知らないとのこと。おそらく大したものは入っていないだろうと、夫も今まで何も言わなかったのです。

 とにかくこれを開けて処分しなくてはと、いつも通りググりました。金庫の解錠をしてくれる業者はいくつもあって、そのうち関西の業者4か所に見積もりを依頼してみました。そのうち2社は、無料で見積もりに行くと返事があり、2社は写真だけで見積もりを出してくれました。

 見積もりをくれたところの金額は同じで、金庫の解錠/破壊が10,000円、処分が15,000円、そして別に出張費プラス消費税でしたが、その時その1社が関東の業者だと気づき、お断りをしました。

 見積もりに来てくれた業者は、鍵穴を触って、「これだけ解錠できました」と言いましたが、出てきた見積もりはかなり高くて、破壊作業/解錠30,000円、運搬と回収で20,000円、プラス消費税でした。そして「この時代の金庫は中に石灰も使っているので、廃棄処理も金属だけじゃないんですよ」とのこと。

 でもあまりにも差があったので、写真を見て見積もりをくれた業者に、電話をして聞いてみると、「写真を見て製品も確かめているので、見積もり以上になることはないし、もしそうなるなら断ってくれてもいい」と良心的な答えなので、そこにお願いすることにしました。そして「石灰」のことを聞くと、「それは、ちょっとおかしい。いろいろなことを言って、値をつりあげるところもあるから」とのことでした。

 業者は明後日に予約をしています。さあ、何が入っているんでしょうね。でもきっと、建て替える前の家や土地の権利書とか、姑の保険の書類とか、今ではもう必要のないものしか入っていないような気がします。姑が亡くなったときの保険や年金の手続きは、証書がなくても行えた記憶があるので、その時もこの金庫を開けようと思わなかったのでしょう。

 まあでも50年前の金庫を、業者さんがどう開けてくれるのか、次回に書きたいと思います。


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母の世代の頭には「終活」はないんだろうなあ

 本文に入る前に、まず今回の投稿をミスってしまい、前回のブログのコメントが、こちらに入ってしまっていることをお詫びします。前にも何度かしたことがあるのですが、前日のブログに上書きをしてしまいました。幸い、PCに残っていたので、前回分はもう1度アップしたのですが、ブログ村のリンクはおかしくなっているかもしれません。どうもすみません。
 
 さて今日の本題です。

 終活という言葉は、「週刊朝日」から生み出された言葉で、2009年(平成21年)8月から12月にかけ、「現代終活事情」という連載で使われたのが最初で、翌2010年には、新語・流行語大賞にノミネートされ、2012年の新語・流行語大賞でトップテンに選出された。
(Wikipediaより)

 もちろんこの言葉以前にも、「身辺整理」という言葉があり、50代ごろから少しずつ片付けたり、退職後に一気に片付けたりした人もいるようだが、専業主婦の人たちはどうだったんだろうかと思う。

 2021年の「株式会社ハルメク」が調査した結果によると、このときの60〜74歳の79%は終活は必要だと思っているそうだ。4年前なので、このアンケートに参加した人は最高齢でも78歳。うちの母より10歳、亡くなった姑の20歳以上、年齢が下の人なので、やはり母や姑世代とは違いがあるのだろう。

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 終活を始めたきっかけは、「親族・家族の死」「自分/配偶者の健康状態の悪化」「定年退職」「コロナ禍」など。また「必要だと思う終活」は「家具や家の中の荷物整理・処分」「金融口座・金融商品の整理」「衣類やアクセサリーなど身に着けるものの整理・処分」など。前回調査から、「情報まわりの整理」が「必要だと思う」割合が増加しているそうだ。

 終活を始めるのは、やはりこのアンケートの世代じゃないと無理ではないだろうか。結婚後家を建て替えたとき、私が古い家の6割以上を片付けた。新築した家に荷物を戻したとき、姑は古い衣装缶を2つ、「階段上の収納庫に入れといて」と言い、十数年後に亡くなるまで一度もそれを出してほしいと言わなかった。

 母は私の独身時代の部屋を着物や服の収納部屋に使っていて、もう押入れを利用したクローゼットを開けることもできないくらい古い服で埋まっている。それ以外には洋服ダンスをふたつ、和箪笥をひとつ使っている。私が整理したのは、タンスに入っていたものだけなので、元私の部屋は開けるのも嫌になるくらいの有り様だ。

 そう二人とも、古いものには蓋をするという感じで、一切手をつけようとしなかった。そのために私は二人の母の遺品整理と生前整理で、このGWはかなりの時間を費やすことになっている。

 私たちの親の世代は、ほとんどが「死んだら好きにして」とか言いながら、子ども世代に終活も押し付けているんじゃないだろうか。昔は親の家にそのまま住み続けることも多かっただろうから、遺品整理もたいしたことがなかっただろうが、今は親の家さえも、処理に困る時代。すべての人に終活は必要になってきている。

 GW前半は、本の整理と、姑の部屋に残った様々なものの整理に追われている。かなり片付けたと思っていた姑の服は、45リットルのゴミ袋8個分になり、布団や毛布、シーツなどもかなりの量になった。ちょうど今週の金、土が小型ごみ、古紙、布の回収だし、古着は市の処理センターに持ち込みができるので、なんとか一気に片付けられそうだ。

 今日は朝から片付けていたので、このブログは完全に愚痴。でもGWはひたすら片付けようと思っているので、当分楽しい話題になりそうにもないです。
 
 
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ブックオフでの買い取り結果、第一弾

 先日のぎっくり腰もどきは、本が入った段ボールを持ち上げたためでした。そのときに書きましたが、ネットでブックオフの買い取りを申し込み、12箱を宅配に取りに来てもらいました。

 私にとっては大事だった料理関係の本も、ほとんど値がつきませんでした。たぶん私の本は5円から30円ほどの値段でした。夫の本は、学術書的なものがありましたが、それでも最高500円程度でした。

 12箱に入れた本は全部で709冊。そのうち値段がついたものが192冊、つかなかったものが517冊でした。これは「BOOK-OFF宅配買取」のマイページで詳細を見ることができました。値段がついたものはすべて本の名前と価格が載っています。そしてその192冊の買取価格は、23,918円でした。

 もちろんその709冊にかけたお金はその何十倍かもしれません。でももう私たちには必要のない本なので、これ以上置いておいてもしかたがないと判断しました。でも本の整理は本当に大変なので、今やる気になってよかったと思っています。

 本の片付けだけでなく、これまで気になっていたところも見てみると、もう15年近く前に亡くなった姑の部屋にも手つかずのものがありました。姑が亡くなった直後に、私一人でかなり姑の遺品を整理しました。でも服喪休暇の1週間だけでは時間が足りず、着物が入っていた和箪笥や押し入れの中はあまり手をつけられませんでした。着物は私がタイから帰ってきた直後に「バイセル」に少し買い取りしてもらい、残りはリメイクをしている友人に引き取ってもらいました。 

 でも整理したと思っていた観音開きの押し入れに、姑の「よそいき」らしい服がたくさん残っていました。そしてこれはまた今度書こうと思いますが、私には決して動かせない重さの家庭用耐火金庫もありました。

 服はもうリサイクルなどとは考えず、ひたすらゴミ袋にツッコミ、古着として出すことにしました。古い雑誌も出てきたので、私が2,3年前に買った雑誌と一緒に紐でくくりました。来月の第1土曜は、地域の「布・紙」回収日なので、ドサッと出すことになりそうです。


まだまだ夫の本が残っています
ハードカバーの本は、詰めるのも大変です 
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20年来の仲間(元同僚)との食事

 私は大阪の府立高校で30年間ちょっと働きました。ただ産休育休や大学院留学のための休職もあるので、実質は30年弱になります。勤めた学校は全部で5校なので、それほど多いわけではありません。でもその中で今も親しくつき合いのある人というのは、一番困難校と言われた高校の同僚たちです。

 ちょうど二人目の育休を終えてその学校に転勤したのが30代半ば。3年間の留学を挟んでその学校には14年間在籍しました。本当にやんちゃな生徒ばかりで、私も血気盛んな30代から40代だったから、そんな生徒たちと対峙できたのだと思います。

 そして生徒たちが大変だと、教員同士は協力しないとやっていけないので、本当に仲良くなります。逆に進学校だと、授業や補習がメインになるので、教員同士はそれほど協力する必要がありません。そのため、私が最後に勤めた学校の同僚とは、もう連絡を取る人もいません。

 対教師暴力、暴言もあった生徒たちと日々向き合いながら、いろいろなことを話し合った経験はかけがいのないものになりました。だから今でも、定期的に会うことができます。

 その仲間の一人が、昨年脳梗塞を起こし、右半身にかなり麻痺が残りました。もう70歳は超えておられますが、日頃社交ダンスやスポーツもして、とても元気な方だったので、本当に驚きました。外出も難しいと聞いていましたが、親しい仲間でマンションまで送り迎えをすることにしました。

 3人で迎えに行きましたが、私はお酒を飲まないのでドライバーです。お住まいのマンションには訪問者用駐車場はないので、マンション前の道路に停めて私は車内で待機。そして後二人が部屋まで迎えに行きました。段差を歩くのが難しいとのことでしたが、何とか二人が手伝って、車に載せてくれました。

 食事も幹事の人が、トイレに近い個室を取っていました。和室ですが、掘りごたつのようになっているので、座るのもそれほど大変じゃありません。途中のトイレも、男性が付き添って行きました。

 食べること、話すことは全く問題がないようで、6人の食事は話が尽きませんでした。メンバーで一番若くても63歳、だんだん上がっていき、最高齢は迎えに行った方で、ちょうど2日後に72歳でした。まだ再任用や非常勤として教員を続けているのが3人。その3人から現場の話を聞くと、私はもう府立高校の教員に戻るのは無理と感じました。

 話題は色々変わっていきましたが、やはり気になるのは健康のこと。1人を除く全員が、睡眠に問題があるとわかり、「これはやっぱり年のせい?」と笑い合いました。「一度は起きてトイレに行く」とか「朝5時に起きたら、それから眠れない」とか「寝付きが悪い」とか、いつも私が感じていることばかりです。 睡眠導入剤を使用している人も複数いて、やはり睡眠障害を感じている人が多いのだなと思います。

 最近の私は、ずっと「メラトニン」を飲んでいます。そのおかげで、寝付きは悪くないのですが、夜中や明け方に目が覚めると、その後眠れないことに悩んでいます。このところ考えることがたくさんあり、夜中に考え出すと止まらなくなるのです。

 食事会は、身体のことを考えて、3時間ほどで終わりました。また全員でその方をマンションまで送り(私はまた車内待機)、そこで解散しました。もう私たちが一緒に働いていたのが20年前ということが信じられないくらい、「じゃあまたね」と明日会えるような気になりました。

 全員が還暦を超え、違う世界で暮らす人もいます。でもこうやって、昔のこと、今のことを気楽に話せる仲間でいられるのは、本当にありがたいことだと実感しました。

料理は色々頼んだのに、おしゃべりに夢中になりすぎて、
最初の「舟盛り」しか写真を取っていませんでした(T_T)
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関西万博子どもトイレ、これ子どもでも嫌じゃないですか

 関西万博の子ども用トイレがSNS上で話題になっているそうです。
 万博会場には計46カ所のトイレがあり、このうち12カ所は成人用のほかに子ども用の小型便器があります。でも東西ゲートにある「迷子/ベビーセンター」に隣接した2カ所には「こども用」として設置されている子ども専用のトイレの写真がXで広がり、ニュースでも取り上げられました。

そのトイレがこれです
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 室内に子ども用便座と男児用小便器が並んでいますが、間にはプラスチック製の仕切りがあるだけ。「これは中国のトイレですか?」というツィートもあったというのがわかります。私も初めて中国へ旅行したとき(1980年代後半)、仕切りのないトイレに衝撃を受けた記憶があります。

 SNS上では「建築設計に携わる者ですが1~3歳児用のトイレはこれが標準です」といった説明の一方、「いまどきの子供たちの心理をまったく無視した設計」「保育園や幼稚園の場合は、使う子供たちも見守る大人も知っている人だけど、公共の場は知らない人ばかり。やっぱりこれは違う」といった意見が上がっています。

 これが昭和の時代であれば、ぜんぜん話題にならなかったかもしれませんが、昭和に生まれ、平成に幼児を育てた私でも、このトイレは抵抗があります。男性用は個室じゃないトイレもありますが、、昭和でも個室トイレの記憶しかない私も、このプライバシーの無さは嫌です。SNSであった意見のように、公共の場で、知らない人に見られながら用を足すというのは、子どもであっても人権が守られていないと思います。

 このトイレがある「迷子/ベビーセンター」は、親子連れしか利用できないので、大人一人が入ってくることはないと、万博側は説明しているようですが、親となっても小児性愛者で性犯罪を犯す人もいます。周りには判断がつかないし、このトイレでは親が子どもたちを守るのも難しいのではないでしょうか。

 関西万博では、最新式のはずのトイレも不具合が起こり、初日から話題になっていました。入口と出口が別の一方通行型なので、前の人が出たかわからないのに、使用中のランプが故障して表示されなかったそうです。

 万博に行った人は、「とてもすばらしい」「もう一度行きたい」と感想を述べている人も多いですが、万博の内容よりも、初日のゲート近くでネットが繋がらなかったとか、トイレに問題があったとか、ある程度想定上の問題であることが、開幕してから取り上げられていることに、運営側が不十分な準備でスタートさせたとしか思えません。

 人混みは嫌なんですが、ニュースで見る各パビリオンは、とてもおもしろそうなんです。一番入場者が減るのが梅雨の時期でしょうから、雨が降ってもその頃に行くのはどうかなと、考え始めています。さあ、どうしましょう。


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タイムリープしたような集落と桜舞う奥琵琶湖パークウェイ

 3日目は朝から快晴でした。のんびりと朝食を取り、ぼーっとテレビを見て、10時にチェックアウトしました。そこから車を15分ほど湖岸沿いに走らせると、時が止まっているような集落に着きます。

 「菅浦の湖岸集落」というのですが、ここの景観は平成26年に「国選定重要文化的景観」に指定されています。

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 これは「東の四足門」と書いてありました。以前は集落四方の入口にあったそうですが、2つしか見かけませんでした。湖岸沿いにをゆっくり歩いていると、家から出てきたおじさんが、「おはようさん」と声をかけてくれました。日本では見知らぬ人と挨拶をすることも滅多にないので、嬉しくなりました。

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ヤンマー家庭工場跡
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 この赤い説明によるとヤンマーの創業者山岡孫吉氏が昭和35年(1960年)頃に設立した「ヤンマー菅浦農村家庭工場」の作業場で、集落内に第一から第二十まで作られ、通勤時間を要しない工場として画期的な発想だったとのこと。今も一部は稼働しているそうです。

確かにこの後で見つけた作業所の前に軽トラが停まっていて、中年の男性と女性が、何かを運び入れようとしていました。でも目が合って「こんにちは」と声をかけると、笑顔で「こんにちは」と返してくれました。

「ヤンマーってなに?」娘が聞きます。
「ボクの名前はやん坊♪、キミの名前はまー坊♪ のヤンマーだよ。
「なにそれ?」
えっ、娘はやん坊まー坊の天気予報を知らないの?ちょっと調べてみると、一応2014年までは、存在していたようです。
 
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 タイムリープしたような集落をブラブラ散歩した後は、私の一番お気に入りの料理屋へ。昨年、ここでオーストラリアからの旅行者に会い、話が弾み、食事代も払ってもらったのです。

福島屋「子持ち鮎の煮つけ定食」1200円
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 食後は奥琵琶湖パークウェイに向かいました。もう何度も通っている道ですが、桜の満開の季節は初めてです。途中、とてもきれいなところがあったので車を停めると、椅子を持ってきて花見をしている人たちがいました。 

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落ちた花びらも美しいです
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空と琵琶湖の青さの区別がつきにくいです
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 全国的に、ソメイヨシノは寿命を迎えているという記事を読んだのですが、こんなふうに、幹から新しい芽が出て、花を咲かせているのをみると、樹の生命力を感じます。

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 私は長い間学校で働いていたし、3月生まれということもあり、4月が1年の始まりという気になります。昨年は、いい年とは言えないこともあったのですが、この桜を見ていると、気持ちを前向きに小さな喜びをひとつひとつ探していこうと思いました。


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雨が降っても桜はきれいなマキノ温泉

 2日目は朝から曇っていて、午後からは雨の予報でした。朝食の後は少しダラダラして、ふと思い出した草餅の有名なお店に行ってみることにしました。私はあまり土日に来ていないためか、いつその前を通ってもお店は閉まっていたのです。

曇り空でも桜を見ながらのドライブは楽しいです
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キユザ奥琵琶湖の草餅
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いつもは土日しか開けないそうですが
桜の満開の季節は平日も開けるそうです

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 草餅(左)焼餅(右)を2個ずつ買いました。私たちは焼餅の方が気に入りました。お赤飯は翌日の夜に食べましたが、これもとても美味しかったです。

 雨が降ってきたので、温泉に行くことにしました。泊まっているGFCは温泉がないので、車で20分ほどの「マキノ高原温泉さらさ」へ向かいました。

 もうお昼すぎだったので、まず併設の「お食事処さらさ」へ。雨のせいか数量限定の「蕎麦御膳」がまだあったので注文。

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蕎麦御膳 1,850円
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お蕎麦が本当に美味しくて、お土産(2人前1200円)も買いました

副菜もどれも薄味で、娘が「最近食べた中で一番おいしい」と言ってました

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 さすがにこれだけ食べた後で温泉はきついかなと思い、小雨の中、少し歩いてみました。温泉施設の裏手にはグラウンドゴルフ場があったり、BBQ施設もあります。

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 ちょうど温泉に入っている間、かなり雨が降っていたようですが、帰る頃には小降りになっていました。そして帰る途中に娘が急に叫びました。
「虹だ!でもメチャ低いところにあるんやけど。」

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 夜7時半からのオンラインレッスンのために6時には夕食と思っていたのですが、まだかなりお腹一杯だったので、コンビニで買ってきたもので済ませました。
 この日は温泉がメインの一日でしたが、のんびり過ごせてよかったです。


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