2022年6月に本帰国をした後、1年に2か月ほどをタイに来ています。1月末からバンコクに1ヶ月、チェンマイに1ヶ月がベストだと思っているのですが、ただPM2.5がひどいことがデメリットです。2023年、2024年のバンコク滞在中、大学時代の教え子のG君が、いろいろなところへ連れて行ってくれました。そして今年の2月も声をかけてくれたのですが、予定していた日の直前に風邪をひいてしまい、会えないままでした。
その時に、同期でカップルになっている教え子たちも私に会いたがっていると言ってくれたので、この8月に会う約束をしました。彼らが卒業したのは、まさにコロナの戒厳令が出る直前の2020年3月。最後に会ったのは、その卒業パーティでした。
そのカップルが住んでいるのはプラチンブリー県で、G君が住んでいるのはチョンブリー。どこで会えばいいのだろうと思ったのですが、G君が「先生を、チャチューンサオのお寺に案内したいです」と言ってくれたので、チャチューンサオ駅集合ということになりました。それが昨日のことでした。
(昨日、ブログをアップできなかったのは、帰ったのが遅かったことと、ちょっと気持ちが高揚したままで、PCに向かう気になれなかったためなんです。)
チャチューンサオはちょうど2月に1人で列車で出かけたので、その時と同じ列車に乗ることにして、9時半にチャチューンサオ駅で待ち合わせました。ファイクワーンから列車のアソック駅行くのは便利で、7時半ごろ家を出ました。8時前にMRTペッチャブリ―に着くとアソックまではすぐです。
8時20分発の列車は遅れて来て、結局8時半ごろ出発だったのに、どこで速度を上げたのかチャチューンサオには予定通り9時半に着きました。そして5分ほどしてG君が来て、それから5分ほどでカップルも車で来てくれました。
3年ぶりの彼らは、男の子は少し大人びたとはいえあまり変わらず、女の子はすこしメイクもして、年頃の女性らしくとてもきれいになっていました。もう二人とも「子」ではおかしいので、男性をN君、女性をPさんと書くことにします。
Pさんは、本当にまじめで勉強熱心な学生で、私が教えた3年間のどの科目でも、クラスで1番か2番の成績でした。全く化粧もせず素朴なイメージで、とても落ち着いた言葉少ない女の子でした。N君は、それほど勉強熱心ではないものの、素直で穏やかな男の子でした。二人は学生時代につきあっていたわけではなく、私の記憶にある限り二人で話をしていたという記憶もありません。
「いつからつきあっているの?」
「大学4年の後半にインターンシップに行ったころです。二人ともプラチンブリーに会社に行ったので。」
Pさんはプラチンブリー出身で、今も実家に住んでおり、インターンシップがプラチンブリーなのは当然ですが、N君は他県の出身なので、たまたまプラチンブリーに行ったようです。でもそれが二人の運命を結び付けたのだなと思うと、これが「縁」というものだなと感じました。
4人で、彼らの学生時代の思い出、当時のクラスメートたちの近況、そして私の授業のこと、本当にいろいろ話しました。
「大学時代で一番難しかったことは何?」
「先生の一番初めの授業です。」
これは以前にG君にも指摘されました。日本語教師として初めての授業が彼らのクラスで、私は自己紹介も兼ねて、「金子みすゞ」の詩を紹介したのです。当時、2年生だった彼らには、私の話す日本語がチンプンカンプンだったそうです。
私も彼らの表情で、「わかってないかも・・・」と自覚したのですが、いったん始めてしまったものを止めることもできず、30分ほどを突っ走ってしまいました。
「でも先生は、その後の授業は、変えてくれました。」
たぶん、かなり反省して、次からは気をつけたのだと思います。でも礼儀正しいタイ人学生たちは、私が在職中は一言もそんなことを言わず、卒業してから笑い話として言ってくれました。
彼らたちが最初の生徒だったから、私は今も日本語教師を続けているのかもしれないと思いました。今でもその授業の様子を思い出せます。困ったような顔をしている子、必死に聞き取ろうとしている子、何か私に言おうとしている子。
あれからもう8年が過ぎました。大人になった彼らたちと話すのは本当に素敵な時間でした。しかも3人とも日系の工場で通訳として働いているので、日本語での会話もまったく問題がありませんでした。
バンコクからかなり離れたところに住んでいるので、次にその二人に会えるのは、いつになるかわかりません。でもちょっと躊躇しながら「結婚はするの?」と聞いてみると、「今お金を貯めています」とのこと。「その時は、私も呼んでくれる?日程が合えば、日本からでも参加させてね。」「絶対来てください。」
まだ1,2年先になるかもしれないとの返事でしたが、その日が来るのを楽しみにしていようと思います。
その時に、同期でカップルになっている教え子たちも私に会いたがっていると言ってくれたので、この8月に会う約束をしました。彼らが卒業したのは、まさにコロナの戒厳令が出る直前の2020年3月。最後に会ったのは、その卒業パーティでした。
そのカップルが住んでいるのはプラチンブリー県で、G君が住んでいるのはチョンブリー。どこで会えばいいのだろうと思ったのですが、G君が「先生を、チャチューンサオのお寺に案内したいです」と言ってくれたので、チャチューンサオ駅集合ということになりました。それが昨日のことでした。
(昨日、ブログをアップできなかったのは、帰ったのが遅かったことと、ちょっと気持ちが高揚したままで、PCに向かう気になれなかったためなんです。)
チャチューンサオはちょうど2月に1人で列車で出かけたので、その時と同じ列車に乗ることにして、9時半にチャチューンサオ駅で待ち合わせました。ファイクワーンから列車のアソック駅行くのは便利で、7時半ごろ家を出ました。8時前にMRTペッチャブリ―に着くとアソックまではすぐです。
8時20分発の列車は遅れて来て、結局8時半ごろ出発だったのに、どこで速度を上げたのかチャチューンサオには予定通り9時半に着きました。そして5分ほどしてG君が来て、それから5分ほどでカップルも車で来てくれました。
3年ぶりの彼らは、男の子は少し大人びたとはいえあまり変わらず、女の子はすこしメイクもして、年頃の女性らしくとてもきれいになっていました。もう二人とも「子」ではおかしいので、男性をN君、女性をPさんと書くことにします。
Pさんは、本当にまじめで勉強熱心な学生で、私が教えた3年間のどの科目でも、クラスで1番か2番の成績でした。全く化粧もせず素朴なイメージで、とても落ち着いた言葉少ない女の子でした。N君は、それほど勉強熱心ではないものの、素直で穏やかな男の子でした。二人は学生時代につきあっていたわけではなく、私の記憶にある限り二人で話をしていたという記憶もありません。
「いつからつきあっているの?」
「大学4年の後半にインターンシップに行ったころです。二人ともプラチンブリーに会社に行ったので。」
Pさんはプラチンブリー出身で、今も実家に住んでおり、インターンシップがプラチンブリーなのは当然ですが、N君は他県の出身なので、たまたまプラチンブリーに行ったようです。でもそれが二人の運命を結び付けたのだなと思うと、これが「縁」というものだなと感じました。
4人で、彼らの学生時代の思い出、当時のクラスメートたちの近況、そして私の授業のこと、本当にいろいろ話しました。
「大学時代で一番難しかったことは何?」
「先生の一番初めの授業です。」
これは以前にG君にも指摘されました。日本語教師として初めての授業が彼らのクラスで、私は自己紹介も兼ねて、「金子みすゞ」の詩を紹介したのです。当時、2年生だった彼らには、私の話す日本語がチンプンカンプンだったそうです。
私も彼らの表情で、「わかってないかも・・・」と自覚したのですが、いったん始めてしまったものを止めることもできず、30分ほどを突っ走ってしまいました。
「でも先生は、その後の授業は、変えてくれました。」
たぶん、かなり反省して、次からは気をつけたのだと思います。でも礼儀正しいタイ人学生たちは、私が在職中は一言もそんなことを言わず、卒業してから笑い話として言ってくれました。
彼らたちが最初の生徒だったから、私は今も日本語教師を続けているのかもしれないと思いました。今でもその授業の様子を思い出せます。困ったような顔をしている子、必死に聞き取ろうとしている子、何か私に言おうとしている子。
あれからもう8年が過ぎました。大人になった彼らたちと話すのは本当に素敵な時間でした。しかも3人とも日系の工場で通訳として働いているので、日本語での会話もまったく問題がありませんでした。
バンコクからかなり離れたところに住んでいるので、次にその二人に会えるのは、いつになるかわかりません。でもちょっと躊躇しながら「結婚はするの?」と聞いてみると、「今お金を貯めています」とのこと。「その時は、私も呼んでくれる?日程が合えば、日本からでも参加させてね。」「絶対来てください。」
まだ1,2年先になるかもしれないとの返事でしたが、その日が来るのを楽しみにしていようと思います。
お土産にくれたミニサイズのカリーパフ
食べやすくて、美味しくて、最高です
今、写真に撮ったものを口に入れると、カレー味じゃなかった!
いろいろな味のパフが入っているようです(^_^)ニコニコ









