元旦から2日間は、暗いニュースを載せてしまったが、個人的にはもちろん嬉しいこともあった。昨日書いたように、元旦には4ヶ月ぶりにミャンマー人の教え子がラインをくれて元気だとわかったし、2日にはタイから教え子が我が家に遊びに来てくれた。
彼とは卒業してからもずっと連絡を取り合っていて、去年の2月も彼のお母さんと一緒にシンブリーへ連れて行ってくれた。だから、年末から日本に来ると聞いて、大阪に来るなら遊びに来てと声をかけていた。ただお正月なので、娘二人とのスケジュールの都合も付ける必要があり、2日夜に家に来てもらうことにした。
次女にとっては6,7年ぶりのお正月だが、お節料理は定番のものを少し作っただけだった。彼女が好きなものは「黒豆」と「栗きんとん」と「かまぼこ」。なのに、栗の瓶詰は買っておいたのに、さつまいもを買い忘れるという失態で、正月明けに作る約束をした。
教え子は、以前から好き嫌いが多いと言っていたのを覚えていたので、どれくらい「おせち料理」を食べられるか心配だったが、なるべく甘いものを一人用のセットにしてみた。
確か彼には3年生の「JAPAN TODAY」という授業で、お正月の過ごし方や、「おせち料理」の説明はしたはずだ。
「授業で一度説明したけど、覚えてる?」
「覚えていません」と正直な彼。
「僕は好き嫌いが多いですが、大体食べられます」と全て残すことなく食べてくれた。やはり甘辛い味が好きなようで、棒ダラは「毎日でも食べられます」と言っていたが、私の味付けの筑前煮は、彼には薄味過ぎたようだ。

この後、夫や娘も一緒に「豆乳鍋」を囲んだ。タイでも鍋料理はポピュラーだし、豆乳も朝食に飲む人は多いが、こんな風に「鍋料理」として食べたことはないという。具材もタイにもある野菜や豚肉を入れたので、違和感なくたくさん食べてくれた。(おしゃべりし過ぎで、写真を撮り忘れ)
彼は大学で一番最初の授業を受けてくれたクラスにいた。その時2年生だった70人ほどの学生のことは、本当によく覚えている。でも今も連絡を取り合っているのは彼だけだ。
学生たちが卒業した時、また私が大学を辞めた時、学生たちには「日本に来る機会があればぜひ連絡してね」と声をかけた。今もラインに残っている卒業生はたくさんいるが、日本に来るからと言って連絡をくれる子は、もういないかもしれない。でもこうやって一人でも大学の思い出を語れる教え子がいてよかったと思う。
彼の日本語は、日常会話であれば問題なく、娘や夫ともほとんどコミュニケーションを取れていた。卒業後数年間お金を貯めて、やっと日本旅行に来れたと言うので、次はまた随分先のことになるかもしれない。でもまた必ずうちに遊びに来てねと約束した。そしてたぶん来月バンコクに行けば、すぐに連絡をくれてどこかへ連れて行ってくれるのだと思う。
彼とは卒業してからもずっと連絡を取り合っていて、去年の2月も彼のお母さんと一緒にシンブリーへ連れて行ってくれた。だから、年末から日本に来ると聞いて、大阪に来るなら遊びに来てと声をかけていた。ただお正月なので、娘二人とのスケジュールの都合も付ける必要があり、2日夜に家に来てもらうことにした。
次女にとっては6,7年ぶりのお正月だが、お節料理は定番のものを少し作っただけだった。彼女が好きなものは「黒豆」と「栗きんとん」と「かまぼこ」。なのに、栗の瓶詰は買っておいたのに、さつまいもを買い忘れるという失態で、正月明けに作る約束をした。
作ったのは、紅白なます、酢蓮根、筑前煮、ごまめ、黒豆
昆布巻き、棒ダラ、かまぼこ、ハムは市販品
教え子は、以前から好き嫌いが多いと言っていたのを覚えていたので、どれくらい「おせち料理」を食べられるか心配だったが、なるべく甘いものを一人用のセットにしてみた。
確か彼には3年生の「JAPAN TODAY」という授業で、お正月の過ごし方や、「おせち料理」の説明はしたはずだ。
「授業で一度説明したけど、覚えてる?」
「覚えていません」と正直な彼。
「僕は好き嫌いが多いですが、大体食べられます」と全て残すことなく食べてくれた。やはり甘辛い味が好きなようで、棒ダラは「毎日でも食べられます」と言っていたが、私の味付けの筑前煮は、彼には薄味過ぎたようだ。

この後、夫や娘も一緒に「豆乳鍋」を囲んだ。タイでも鍋料理はポピュラーだし、豆乳も朝食に飲む人は多いが、こんな風に「鍋料理」として食べたことはないという。具材もタイにもある野菜や豚肉を入れたので、違和感なくたくさん食べてくれた。(おしゃべりし過ぎで、写真を撮り忘れ)
彼は大学で一番最初の授業を受けてくれたクラスにいた。その時2年生だった70人ほどの学生のことは、本当によく覚えている。でも今も連絡を取り合っているのは彼だけだ。
学生たちが卒業した時、また私が大学を辞めた時、学生たちには「日本に来る機会があればぜひ連絡してね」と声をかけた。今もラインに残っている卒業生はたくさんいるが、日本に来るからと言って連絡をくれる子は、もういないかもしれない。でもこうやって一人でも大学の思い出を語れる教え子がいてよかったと思う。
彼の日本語は、日常会話であれば問題なく、娘や夫ともほとんどコミュニケーションを取れていた。卒業後数年間お金を貯めて、やっと日本旅行に来れたと言うので、次はまた随分先のことになるかもしれない。でもまた必ずうちに遊びに来てねと約束した。そしてたぶん来月バンコクに行けば、すぐに連絡をくれてどこかへ連れて行ってくれるのだと思う。