サンデーモーニングからスクリーンショット
昨日久しぶりに「サンデーモーンニング」を見た。「風をよむ~選手たちのメッセージ」のコーナーで驚いたのは、この写真のようにオーストラリア代表サッカーチームが、先住民族アボリジニの民族旗をかかげたことだった。
私は2000年シドニーオリンピックのとき、シドニー近郊の町に住んでいた。人生唯一のオリンピック観戦は、そのシドニーオリンピックの柔道や水泳だ。パラリンピックも娘たちの小学校が遠足として親子で連れていってくれた。
その期間シドニーのあるニューサウスウェールズ州は大学も学校もすべて休みとなった。それで観戦に行かなくても、テレビでオリンピック観戦の毎日だったのだ。その時のオーストラリアの有名選手の名前や顔は今でも覚えている。
特に印象的だったのは、陸上のキャシー・フリーマン選手。彼女はアボリジニで、聖火も灯したオーストラリア―のヒーローだったが、400mで金メダルを取ったあとのウイニングラン(場内一周)でオーストラリア国旗とアボリジニの民族旗に身をつつんだことが、国内で議論を巻き起こした。トラック一周は国旗を持つものとされているからだ。
でもそれから20年以上が過ぎ、オーストラリア人の意識もずいぶん変わってきたのだと、サッカーチームを見て驚いたがうれしかった。そしてもうひとつ驚いたニュースは、最近、国歌の歌詞もたった一語だけど大きな変化があったことだ。
モリソン首相は昨年末12月31日の夜に、アボリジニの歴史とコミュニティに敬意を表し、国歌の歌詞を以下のように変更したと発表したのだ。
私は2000年シドニーオリンピックのとき、シドニー近郊の町に住んでいた。人生唯一のオリンピック観戦は、そのシドニーオリンピックの柔道や水泳だ。パラリンピックも娘たちの小学校が遠足として親子で連れていってくれた。
その期間シドニーのあるニューサウスウェールズ州は大学も学校もすべて休みとなった。それで観戦に行かなくても、テレビでオリンピック観戦の毎日だったのだ。その時のオーストラリアの有名選手の名前や顔は今でも覚えている。
特に印象的だったのは、陸上のキャシー・フリーマン選手。彼女はアボリジニで、聖火も灯したオーストラリア―のヒーローだったが、400mで金メダルを取ったあとのウイニングラン(場内一周)でオーストラリア国旗とアボリジニの民族旗に身をつつんだことが、国内で議論を巻き起こした。トラック一周は国旗を持つものとされているからだ。
でもそれから20年以上が過ぎ、オーストラリア人の意識もずいぶん変わってきたのだと、サッカーチームを見て驚いたがうれしかった。そしてもうひとつ驚いたニュースは、最近、国歌の歌詞もたった一語だけど大きな変化があったことだ。
モリソン首相は昨年末12月31日の夜に、アボリジニの歴史とコミュニティに敬意を表し、国歌の歌詞を以下のように変更したと発表したのだ。
We are young and free(われわれは若くて自由だ)から
We are one and free(われわれは1つで自由だ)へと
モリソン首相はまたインタビューにこう答えたそうだ。
「オーストラリアは近代国家としては比較的若いかもしれないが、わが国の歴史は多くの先住民の人びとの歴史と同じく非常に古い。われわれはそうした人々が管理してきたことを正しく認識し、敬意を表する。この真実と共通認識を国歌に反映させるのは当然のことだ。」
モリソン首相はまたインタビューにこう答えたそうだ。
「オーストラリアは近代国家としては比較的若いかもしれないが、わが国の歴史は多くの先住民の人びとの歴史と同じく非常に古い。われわれはそうした人々が管理してきたことを正しく認識し、敬意を表する。この真実と共通認識を国歌に反映させるのは当然のことだ。」
時代は少しずつ変わってきてるのだなあ。IOCも「オリンピック憲章50条、いかなる種類のデモンストレーションも、あるいは政治的、宗教的、人種的プロパガンダも許可されない」を「国や組織、人を標的にしないこと」などを条件に、一部規則を緩和したそうだ。そのため、いろいろな競技で、膝をつく仕草や、こぶしをあげる仕草も見られている。
コロナ禍のオリンピックはいろいろな問題も取り上げられているが、あらためて時代の流れを感じさせてくれることもあった。日本もタイも、コロナの嵐が吹き荒れているが、アスリートの方たちは、最後までがんばってもらいたい。
コロナ禍のオリンピックはいろいろな問題も取り上げられているが、あらためて時代の流れを感じさせてくれることもあった。日本もタイも、コロナの嵐が吹き荒れているが、アスリートの方たちは、最後までがんばってもらいたい。

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