初日はコンドからピックアップしてもらえるとのことで、8時半から駐車場で待っていた。でも9時になっても来ない。電話をすると、駐車場には入ってこれないとのことで、通りに出て待つように言われた。
私たちが最後のピックアップになったようで、ソンテウにはもう8人の外国人が乗っていた。スイス人カップル、フランス人カップル、ニュージーランド人カップル、一人参加でフランス人とオランダ人女性、そして私たちで10人グループだ。一人のフランス人女性は40代以上に見えるが、残りの人たちはどう見ても20代から30代。
最初に市場に寄ると言っていたが、どこの市場か聞いていない。でも車は北へ向かっている。たぶんパーイヘ行く道と同じだなあと思っていた。行ったのはメーマーライ市場だった。ここで水と非常食になるお菓子を買ったが、結局お菓子は一度も食べなかった。
そして次に向かったのが、モークファー滝。ここは来てみたいと思っていたのでちょうどよかった。
ここではたくさんのタイ人や外国人が水遊びをしていた。私たちはこれからトレッキングに向かうので、水着に着替えるのは面倒だと、グループの誰も泳がなかった。
タイの滝は滝と言えないようなものも見てきたが、ここは本当に迫力のある滝だった。滝つぼの中に入ることもできるので、ここだけ遊びに来るなら、入ってみたいと思った。
昼食後にいよいよトレッキング開始。場所ははっきりわからないが、ドーイチェンダーオ国立公園の中のようだ。ガイドさんはカレン族の男性。山の中に入ると、どこが道かわからないようなところがたくさんあった。
さて、まだ初日で少し写真を撮るゆとりもあった。でも実は標高1700mのカレン族の村に向かっているので、そこそこ登りはきついし、登ったと思ったら下りもある。道も落ち葉や石でかなり歩きにくい。
メンバーのうちカップルが私たちを含めて4組。みんな若いが、見ていると男性がちゃんと女性を気遣っているのがわかる。なのに夫は私を気にしているのかどうかわからない様子で、淡々と歩いていく。
はっきり言って私はこのメンバーの中で一番どしろうと。だからちゃんとそう扱ってよと夫に言いたい。上りの時は後ろから、下りの時は私の前にいるべきじゃないの?だって、母と階段や坂道を歩くとき、私はそうしてるよ!
下りで怖くなったので、前に行ってと夫に言ったが、他の男性のように、滑りそうな石のところで手を出すわけでもない。歩きながら、ますます腹が立ってきた。
まあでも平坦なところだと景色を楽しむゆとりも出て、まあそろそろ限界が近いと思ったころ、カレン族の村に着いた。
泊まったのはガイドさんのお姉さんの家らしい。この子はガイドさんの姪っ子。まだ学校に行く年齢ではないので、タイ語はわからないようだ。子どもたちは家ではカレン語を話し、学校でタイ語を習う。
この村の人はクリスチャンだそうで、これが教会。他の家と比べると、立派な建物で、最初は何だろうかと思った。
ガイドさんは、私たちが3時間弱かけて歩いた道を、小学校へ行くのに毎日往復4時間も歩いて行っていたそうだ。以前見た「世界の果ての通学路」という映画を思い出したが、乾季はともかく雨季にあの道を歩くのは、かなり危険ではないだろうか。
ただ今は、月曜に親がバイクで学校まで連れていき、金曜日に迎えに行くそうだ。つまり子どもたちは小学生でも寄宿生活をしている。村の中に、小さな子ども、お年寄り、女性しか見かけなかった。男性たちは、ほとんどが出稼ぎに行っている。
そして私たちのような観光客からの収入は、宿泊と食事を提供する家が40%を受け取り、残りは村の収入になるそうだ。そのためか、私たちが村の中を散歩していると、身体が不自由なおじいさんが出てきて、私たちの手を取って何かを言ってくれた。言葉はわからないが、おじいさんはとてもうれしそうだった。
村には国の事業で電気も通っている。でも限られた電力なので、食事をするところも、大部屋の寝室もかなり暗い。当然スマホの充電はできない。夜中にトイレに行くためには、本当に真っ暗闇の中、懐中電灯を持って、外にあるトイレに行かねばならない。
大部屋にはダブル4つ、シングル2つの蚊帳と布団がセットされていて、一応蚊帳に入れば着替えても外からはっきり見えない。でもそんな大部屋のごろ寝状態に慣れていない私は全然眠れず、夜中の2時ごろトイレに起きた夫にそう言うと、睡眠導入剤を持っているとのことで、それを飲んだ。そして4時間ほど眠ることができた。
1日目もつらかったが、もっと大変な一日が次にやってきた。
最初に市場に寄ると言っていたが、どこの市場か聞いていない。でも車は北へ向かっている。たぶんパーイヘ行く道と同じだなあと思っていた。行ったのはメーマーライ市場だった。ここで水と非常食になるお菓子を買ったが、結局お菓子は一度も食べなかった。
そして次に向かったのが、モークファー滝。ここは来てみたいと思っていたのでちょうどよかった。
ここではたくさんのタイ人や外国人が水遊びをしていた。私たちはこれからトレッキングに向かうので、水着に着替えるのは面倒だと、グループの誰も泳がなかった。
タイの滝は滝と言えないようなものも見てきたが、ここは本当に迫力のある滝だった。滝つぼの中に入ることもできるので、ここだけ遊びに来るなら、入ってみたいと思った。
昼食後にいよいよトレッキング開始。場所ははっきりわからないが、ドーイチェンダーオ国立公園の中のようだ。ガイドさんはカレン族の男性。山の中に入ると、どこが道かわからないようなところがたくさんあった。
どうなっているのかわからない木
これも何の木だろうか
山の中でPM2.5は少しマシなのか、空も青いし木漏れ日もきれいだ
さて、まだ初日で少し写真を撮るゆとりもあった。でも実は標高1700mのカレン族の村に向かっているので、そこそこ登りはきついし、登ったと思ったら下りもある。道も落ち葉や石でかなり歩きにくい。
メンバーのうちカップルが私たちを含めて4組。みんな若いが、見ていると男性がちゃんと女性を気遣っているのがわかる。なのに夫は私を気にしているのかどうかわからない様子で、淡々と歩いていく。
はっきり言って私はこのメンバーの中で一番どしろうと。だからちゃんとそう扱ってよと夫に言いたい。上りの時は後ろから、下りの時は私の前にいるべきじゃないの?だって、母と階段や坂道を歩くとき、私はそうしてるよ!
下りで怖くなったので、前に行ってと夫に言ったが、他の男性のように、滑りそうな石のところで手を出すわけでもない。歩きながら、ますます腹が立ってきた。
まあでも平坦なところだと景色を楽しむゆとりも出て、まあそろそろ限界が近いと思ったころ、カレン族の村に着いた。
こんな木造の高床式の家ばかり
泊まった家から見える景色
泊まったのはガイドさんのお姉さんの家らしい。この子はガイドさんの姪っ子。まだ学校に行く年齢ではないので、タイ語はわからないようだ。子どもたちは家ではカレン語を話し、学校でタイ語を習う。
この村の人はクリスチャンだそうで、これが教会。他の家と比べると、立派な建物で、最初は何だろうかと思った。
ガイドさんは、私たちが3時間弱かけて歩いた道を、小学校へ行くのに毎日往復4時間も歩いて行っていたそうだ。以前見た「世界の果ての通学路」という映画を思い出したが、乾季はともかく雨季にあの道を歩くのは、かなり危険ではないだろうか。
ただ今は、月曜に親がバイクで学校まで連れていき、金曜日に迎えに行くそうだ。つまり子どもたちは小学生でも寄宿生活をしている。村の中に、小さな子ども、お年寄り、女性しか見かけなかった。男性たちは、ほとんどが出稼ぎに行っている。
そして私たちのような観光客からの収入は、宿泊と食事を提供する家が40%を受け取り、残りは村の収入になるそうだ。そのためか、私たちが村の中を散歩していると、身体が不自由なおじいさんが出てきて、私たちの手を取って何かを言ってくれた。言葉はわからないが、おじいさんはとてもうれしそうだった。
村には国の事業で電気も通っている。でも限られた電力なので、食事をするところも、大部屋の寝室もかなり暗い。当然スマホの充電はできない。夜中にトイレに行くためには、本当に真っ暗闇の中、懐中電灯を持って、外にあるトイレに行かねばならない。
大部屋にはダブル4つ、シングル2つの蚊帳と布団がセットされていて、一応蚊帳に入れば着替えても外からはっきり見えない。でもそんな大部屋のごろ寝状態に慣れていない私は全然眠れず、夜中の2時ごろトイレに起きた夫にそう言うと、睡眠導入剤を持っているとのことで、それを飲んだ。そして4時間ほど眠ることができた。
1日目もつらかったが、もっと大変な一日が次にやってきた。